二、
僕のギターの修復職人としてのお仕事、ギターの部品を削ったり穴をあけたりしては、それが収まるべきギターの部位にあてがい、合わなければまた削る、といったようなJコープとしての活動が始まった。音楽学校にある五本のギター全部を直すことは不可能だった。そこで考えたのは、二本のギターを犠牲にして三本の完成体を造ることだった。犠牲となるギターからは、他のギターを活きかえらせるための部品が、どんどんとそぎ落とされていった。
とりあえず一番簡単で、すぐに仕上がりそうな一本の修復に成功すると、そのギターの持ち主だった同僚の喜びようは、ただ事ではなかった。学校のギターとはいっても、もともとは教師の私物だったりしたわけで、彼は「でかした、カズヤ」とまるで魔法でも見たかのように復活したギターをかかえて僕の名を呼んでからその出来ばえを賞賛した。
「なんて奴だ、こんなに見事にギターを直しやがった。お願いだからまた頼むぜ。」
──彼の笑顔を見て、その時は達成した「良き仕事」に満足したものの、先々のことを考えると不安もあった。学校側の段取りの不手際もあって、「ギターを教わりたい」と言う生徒の数はまだ0人だった。「これから募集する」と女校長のティティは話していたけど、「俺の授業はいつになったら始まるんだ」といういらだちが、目途のまったくたたない将来に向けて不満を投げかけていた。
音楽学校に配属されているJコープのメンバーは、この時僕一人だけだったけど、本当はもう一人、先輩となるキーボード担当の女性部隊員が居るはずだった。当初は彼女と僕の二人で、新学期の立ち上げがある予定だったところ、初日に僕が学校に顔を出したとき、すでにその人の姿は学校にはなかった。
休んでいた本人にあとからきいた話によると、「校長先生とケンカをして飛びだして来た」のだそうだ。そんな訳で、今、彼女は残りの任務である三ヶ月を、地方の聖歌隊のために、オルガン伴奏と歌唱指導することで費やしていた。
彼女の名前を西田紗絵という。
紗絵は古典ピアノを下地とした、ポピュラー・ピアノを専門にしていて、ジャズや即興演奏もできるという、古典的な音楽家とは一風変わった遍歴を持っていた。和音とその進行、そしてリズムから始まるポップスを主流にしている、という点では僕のやって来た音楽ジャンルと共通することもあって、彼女とはよく嗜好が一致した。共に民族音楽のファンでもあった。
紗絵はそれ以上に増してヴォーカルにも精通していた。僕が一番驚いたのは彼女の歌唱力だった。その乱れない音程と安定した腹式呼吸は、いかにも職業的で、「かつては歌の先生をしていた」という彼女の言葉も、聖歌隊の指導をしているという事実も、充分に頷けた。
学校では彼女と顔を合わせることがなかったために、紗絵と僕はほとんど個人的に会うだけだった。生徒の中で二、三人ほどまだ紗絵と行き来しているサモア人(彼らは引き続きプライベート・レッスンとして紗絵の住居に出入りしていたけど、このことは学校には内緒だった)が居たので、それにかこつけて僕も何度かは彼女の住居に邪魔したことがあった。そしてある夜などは、何人かで連れだってディスコに行くこともあった。後に出てくる「O.S.A.」や「ビリーズ・ベイ」という名のディスコにも、この頃はよく遊びにいった。
とはいうものの、紗絵の残りの任期は日に日に少なくなっていった。僕たちの任期は通常だと二年ぴったりだ。成田空港を出発した日から数えてちょうど二年後に、「任期満了」の日を迎える。「延長」を申請してそれが「認可」されれば別だけど、それ以外の部隊員は任期満了の日から四週間、つまり二十八日以内に日本に到着していなければならない。
その四週間の猶予を少しでも活用してする国外旅行のことをJコープでは「帰途変路(旅行)」と呼ぶ。
僕は紗絵にインドネシアを回ることを薦めていた。それというのも僕自身、かねてからインドネシア土着の音楽「ガムラン」に魅せられていたからだ。彼女は興味を持って僕の説明を聞いた。
宮廷音楽から発達した「ガムラン」は次第に庶民の間にもしみ渡るようになり、特に冠婚葬祭の時にはインドネシアの人たちにとって今や欠かせない、彼らの固有芸能となった。中でも突出しているのは、ジャワ人のつくり出したものと、バリ人のそれだった。ジャワ人の誇り高さは、独特のリズム体系を編みだし、バリ人の情熱は、バリの「ガムラン」でしか味わうことのできないお囃子形式の金属円盤型打楽器をつくり、合いの手方式のリズム感を産みだした。音階は大きく分けて二種類あって、大陸音階である「スレンドロ」と島嶼音階の「ペログ」の二つだ。
地響きのような銅鑼の音を主役に、銅盤楽器、乳頭椀型打楽器、木琴、二弦弓楽器、大中小太鼓、など二十人余りの「ガムラン」楽団が音楽を奏でるとき、この世界に小宇宙を浮かばせる。極彩色豊かな音程の数は、一楽団だけでも百〜二百を有する。
なお、演奏だけをとってたいていは「カラヴィタン」と称するが、「ガムラン」はこの他にも影絵芝居や舞踏とも一緒に催される。空間に絢爛さを塗りこめる音の一つ一つがこのインドネシアの芸能をさらにショウ・アップさせる。
──紗絵は納得していた。「帰途変路」にインドネシアを含めることを。それはもう最低条件のようだった。
あれは、そう、やっぱり紗絵と彼女のプライベートレッスンの生徒たちと「O.S.A.」に行ったときだった。「O.S.A.」には立派なミラーボールはもちろんのこと、自動演奏回路を備えた本格的なバンドが生演奏をしていた。
紗絵はテーブルに片腕をもたげて、気もそぞろにディスコの照明と同化していた。頭の中では二年近くになる想い出がメリーゴーランドのように廻っていたに違いない。
「サモアに残っていたい。でもサモアをあとにしなければならない!」・・・・・・任期満了間近の部隊員が舐めるこの葛藤は、誰がそう呼びはじめたのか、真に「帰国部隊員症候群」だった。今、紗絵はそれに陥っていた。
・・・・・・「帰途変路のことですけど、具体的に決まりましたか。」
彼女は僕のこの問いに、両肩をしゃきりと整えなおしてから、
「あぁ、あの話?結局バリ経由でタイをまわってから帰ることにしたわ。本当はジャワ島にも立ちよりたかったんだけど、時間的に余裕がないみたい。」とすましたように答えた。
「タイでは何処へ?」
紗絵がどうやってタイを旅行するかにも興味がそそられた。
・・・・・・「バンコックを中心に色々と行きたいんだけど、とりあえずあたしにとってタイは『食』よね。」
僕は「食」で言うのなら、インドネシアも全くタイに引けをとってないことを言及した。特に串焼きの美味しさは他にたとえようもないことを付けたした。
「同じ串焼きでも色々と種類がありますからね。もちろん、鶏の串焼きもいいんだけど、羊の串焼きも捨てがたいですよ。」
「何それ、『カンビン』って。」
「『カンビン』は『羊』という意味です。羊は日本人にとってはあまり馴染みのない肉だけど、食べてみるとこれがまたおいしいんですよ。」
「ふーん、楽しみね。」
そこへフロアーで踊りに出ていたサモア人たちが戻ってきた。サモアのディスコでは、曲がかかると男たちはどこそこかまわず見知らぬ女たちに声をかけて踊りのパートナァを探す。男と女はその曲が流れているあいだだけは即席の恋に耽ることができる。相手は人妻であろうと気にかけないし、たとえその場にボーイフレンドをつれて来ている女でも、女性のほうが「OK」と言えば、それでかまわない。所詮は一時の儚い踊りの〈相手〉でしかないのだから。ところで僕らの連れは充分に満足しきった様子でシートについた。
紗絵はおもむろに立ちあがって、
「そうだ、もうこの風景も見られないんだわ。じっくりとこの目に焼きつけておかなっきゃ。」
と言うと、中央のフロアーのほうへと歩みよって、しばらく棒のようにつっ立っていた。僕は彼女の後姿を眺めて、「今、紗絵さんはここで過ごした二年という歳月に想いを馳せて、ディスコの明暗の中に詰めこまれた、明滅する想い出箱の整理をしているところなんだな」と思った。
来たばかりの僕は、あと二十ヶ月余りを残しているけど、紗絵にはたったの一ヶ月ばかりしかない。僕にはまだこれからどんなことが起こるか分からない期待、変動への予感──未知へのヴェールをめくる前の、あの浮かれた状態、好奇心に胸をはずませる動悸があった。ところが紗絵には知りつくしてしまった悲しみが、過ごしてしまった日々への虚無感が、間近に迫った別れに対してはその未練が、やり残してしてしまったことへのもがきが、あったに違いない。それでも僕のほうに振りかえったときには、少しはそのやりきれない気持ちがふっきれたような表情になっていた。
新学期が始まって一ヶ月もたつと、いよいよ学校の中身も充実してきた。ギターは結局、二本だけしか直せずじまいだった。三本めにとりかかろうとしたところ、本職であるギターレッスンの授業が本格的に稼動しはじめてしまったために、どっちつかずにはまってしまった。最後の一本の修理を途中で投げだしたのは、どうしても必要な部品があと一つ足りなかった、というそれなりの理由があった。
ここにきて僕は五〜六人のクラスを二つ持つに至っていた。この時、ギターを教えるのは午前中だけで、午後は近くの初等学校を終えてからやって来るちっちゃな子供たちに簡単なピアノや理論を教えていたけど、こっちのほうがむしろ大変だったかも知れない。誰にとっても不慣れなことをやるのは、むやみに神経を使うので疲れるものだ。僕はその子供たちにソプラノ・リコーダを教えることさえしていた。
三月の半ばには町のはずれにあるオープン・バァで、Jコープ主催のお別れパーティがあった。これは西田紗絵はじめ、彼女の同期の他四人を主賓としたものだ。我々はこのように帰国する部隊員のためにお別れパーティをしたり、新しくやって来た部隊員のために歓迎パーティをすることを恒例としていた。僕らの時も先輩たちがドミトリィ付きの畳部屋でささやかな歓迎パーティをやってくれたものだった。
その晩の紗絵の歌声は美神の心を震わせた。パーティの場で設けられたミニ・コンサート。そのオープン・バァは「マティーニィズ」といって、週二回のポリネシアン・ショーが大きな呼び物だったので、常設の石段造りの立派な舞台があった。その舞台は紗絵の二年間の歌いおさめになった。彼女は最後の歌姫ぶりをその舞台で奇麗に演じた。
特にアンコールで歌ったレオン・ラッセルの『仮面舞踏会』は格別だった。僕はこの妖しげな、それでいて艶っぽいジャジィな旋律をこともなげに歌いあげる紗絵の咽に酔いしれた。
それが終わると、「マティーニィズ」ご自慢のポリネシアン・ショーが始まった。ここのダンスチームは美形ぞろいと定評なので、パーティの余興として演じられるのはむしろもったいないくらいだった。ショーの最後には、お決まりのように観客を舞台の上に誘い、女性ダンサーは男の客と、男性ダンサーは女の客と、ポリネシアン・ダンスまがいのものをデュエットする。
この日のパーティはお別れと一部の歓迎を兼ねていたものだった。──つまり前園コーディネータに次ぐ二人めの真木コーディネータを迎えいれるためのものでもあった。じきに四十人を超えるサモアのJコープの人数に備えて、JICO本部事務局は新しく真木という男を派遣してきた。彼はおととい、可愛いタイ人の奥さんと、これまたかわいらしい混血の幼い長男を連れて〈城壁〉空港に降りたった。そしてこの晩、挨拶がわりのポリネシアン・ダンスを見よう見真似で演じたのだった。
ポリネシアのダンスは地域によって違いもあるけど、だいたいは太鼓の細かい拍子に合わせて、四肢と首・腰の細やかな動きを使って踊る。男も女も椰子の葉やパンダナス、バナナの葉っぱをごくシンプルに身に纏うだけで、半ば裸のままで、全身で舞う。女は女らしく、いじらしくもセクシーに。男は男で、逞しく胸をとことんまで晒して。
そんな素朴で熱帯のあけっぴろげな性質が培った踊りを、さて真木・新コーディネータは、気軽に、しかもひょうきんにこなし、僕たちの笑いを誘った。彼の滑稽な腰の動きがパーティのしめくくりとなった。
僕はしばらくパーティの余韻に浸っていた。他の皆なはとっくに「O.S.A.」に、二次会の定番となっているディスコへと、向かったはずだ。紗絵もどこかへしけたらしく、姿が見あたらなかった。
僕は熱帯というものが醸しだしてくれる、きらびやかな夢について思いを巡らせていた。もちろんそれは、とろけるような甘い心情・・・──山本夏央理の踊りが僕に植えつけた、色に富んだ香り。・・・・・・その日のパーティに夏央理も出席していたという事実があって、彼女が余興の舞台に呼ばれて男性ダンサーとデュエットを踊ったことが僕の目に焼きついてしまった。黒っぽいミニのドレスをこれ見よがしにアピールして、わりと今っぽい、身振り手振りで踊る彼女。──あとになって気付いたことだけど、その彼女の動きは、ある女性タレント、C・Mの踊り方そのまんまだった。それでも僕は夏央理のゆらめいた身のこなしに目が釘づけになった。「この人は謙虚さを備えながらも、一方では自分らしさというものを失わない人なんだ」・・・僕の彼女に対する認識はこうなった。
──────────
──震災にひき続いて、日本ではとんでもないことが起こっているらしかった。それはO宗教団体がまき起こした『地下鉄サリン事件』だ。「サリン」とは二次大戦中のナチス軍も実験していたと言われる猛毒ガスで、これをO教団が朝のラッシュ時の、地下鉄霞ヶ関駅構内を通過する車両の中で、撒きちらしたというのだ。この事件は、僕にとってはただあっけにとられるだけだった。とはいうものの、それが僕自身の生活を脅かすものでもなかったし、ほとんど身近なものとしては考えづらかった。「東京の人間はさぞかし大変だっただろう」──僕が思いやったのは、最後までそれだけだった。むしろ一番心配だったのは、自分が日本人として震災もO事件も知らないまま日本へ帰る、この世間離れに対してだった。
・・・・・・一週間があっという間に過ぎた。紗絵は日本へ帰る人となった。「彼女のために、スペシャル個人パーティ(もちろん「お別れ」のための)を開きたい」──そんな人たちが集まって、ちょっとした企画がもち上がった。
思いついたうちの一人は、松井幸司といって、すでに「サモア歴」三年を迎える、呑んだくれの「鍵盤弾き」で、紗絵とはいつもコンビを組んで町のライブ・スポットあらしをしている男だった。彼もJコープのメンバーだったけど、本来の活動よりは趣味のほうが勝手に一人歩きして、「サモアでも希少なジャズ・キーボード奏者」として狭い島国のミュージック・シーンでもそれなりの「顔」となっていた。「マティーニィズ」での紗絵のラストコンサートの伴奏を請けおったのも、実は彼だった。幸司の片手にはいつでもサモアの地ビール〈手の水〉のビンがかかえられていた。それを髭面の口もとに持っていってラッパ呑みするのが幸司のトレードマークみたいなものだった。
そしてもう一人は幸司と恋仲にある、女性部隊員の笹本裕子だった。医療分野、特に最も厳しいとされる看護婦としてサモアに来ている彼女は、どの部隊員にも立派に写ったし、真に憧れでもあったのだろう。事こまかな部分まで思いやる彼女の白衣姿は、僕たちに「ボランティア精神の原点」を想起させた。この裕子と紗絵はとても仲がよく、何かあるごとに彼女たちはその場に同席していることが多かった。
あれは四月のこと、──紗絵がサモアから飛びたつ、真しくその日のことだ。僕は自宅で連絡待ちのまま、いつまでたっても鳴らない電話にやきもきしていた。その秘めやかなお別れパーティは、なぜか紗絵の出発日に合わせられた。
午後三時、待ちきれなくなった僕は紗絵の住居に電話を入れた。同じ日の深夜一時発の便で、彼女はサモアをあとにすることになっていた。
「今、色々とアイロンをかけている所なの。五時過ぎに幸司さんと裕子ちゃんが来ることになっているわ。」
「そうですか。そういうことなら俺も五時ごろにお邪魔しますよ。荷物のほうは片付きましたか。」
「ぼちぼちかなぁ。──本当云うと、全然整理していないのよ。これで今夜じゅうにここを引きあげなければならないなんて、信じられないわ。とても現実とは思えない。」
それだけ話をして、僕は電話を切った。
五時までにはまだまだ時間があった。僕は暇つぶしには一番都合がいいので、ギターをかき鳴らすことにした。簡易ソファーのクッションの上にどっかりと座って、膝もとの、いかにも安っぽいビニールのテーブルクロスを張った低い食卓に日本から届いたばかりのギター専門雑誌をおいて、ページをめくりながら記載されている音譜を追っていく。この作業に夢中になるだけで、気付かないうちにいつの間にか時間が過ぎていく。
四時をまわってから同居人の細田が帰ってきた。入口の扉を開けて、台所を抜けてくるなり、
「き、今日は西田紗絵さんの帰る日で、ちょっとしたパーティが彼女の住居であるって聞いたけど。」
と唐突にソファーの上でギターをかかえる僕に言ってきた。
「うん、聞いてますけど。細田さんも誘われたんですか。」
「いや、もちろん俺は行かないけど、ドミトリィで・・・あれは・・・・・・.夏央理さんか。彼女からやるって聞いたから。『是非藤井も』って言ってたよ、彼女。あとでウチに電話するって。」
「夏央理」という、女性の名前が細田の口からとび出したのにはちょっと意外だったけど、その夏央理が山本さんのことであり、あの山本さんが僕の住居、〈水を分ける=海側〉二十六番にわざわざ電話をかけてくれる、ということはまるで現実離れしていた。「山本夏央理がこんな男所帯に、こんな汚らしい住まいにまで電話をくれる!」──これは馬鹿げている。そんなことが起こりうるわけがない、と疑いながらも、僕は電話が鳴るのをウキウキしながら待っていた。
この気持ちをどう解釈すればいいのか。考えれば考えるほど、僕はこの時すでに彼女を恋愛の対象物として心に位置づけしていたに違いなかった。
結局その後、夏央理からの電話は無くて、五時前にはタクシーを呼びだして、僕はそのまま紗絵の住居へと向かった。
その晩の僕たちは、ほとんど同じ時間に〈げんこつの裏〉の西田紗絵宅に集まった。
鍵盤弾きの松井幸司(もちろん、彼もれっきとしたJコープのメンバーなので、ふだんは「理科教師」という本職を持っている)と、看護婦・笹本裕子。そのあとから山本夏央理がひょっこりと姿を現した。夏央理はまたしても黒いミニのワンピースを着ていて、かわいらしい膝小僧をその裾から露わにしていた。彼女には癖があって、こういった場面では必ず出席者たちのうしろにまわって、最後にその場に入ってくる人となるのだった。
紗絵の住居は天井も高く、寝室が三つもあったことから、女性部隊員三人が同居していた。その晩だけは気をきかせたつもりか、残りの二人は留守をしていた。
幸司はかなり重そうなボストン・バッグをかかえて、
「紗絵さん、今夜フォウやジェーンたちがアギィグレイス・ホテルで待ってるって。」
と伝えた。
「そう、その話なんだけど、さっきあたしも彼女たちから電話もらって、『七時までには来い』だって。発つ前なのでバタバタしているし、『これからお客さんが来るのよ』って答えると、『だったら皆なで来ればいいじゃないの』と言うじゃない。フォウったら、最後の最後まであたしに歌わせてみたいのかしら。」
「俺はもちろん、望むところだよ。見て見て、この通り、譜面ならたくさん持ってきたしね。」
幸司は、ずっしりとしたボストン・バッグを掲げた。
「さすが、用意周到と言うか。」
紗絵は半ばうんざりしたような顔をした。
僕が「震災」のニュースの映像を初めて見たアギィグレイスは、〈語りべ〉と肩を並べる、サモアの五つ星ホテルだ。フォウとジェーンはサモア人の女性ヴォーカリストで、幸司や紗絵とは古くからの付き合いがある。そして彼女たちは毎週金曜の晩にはアギィグレイス・ホテルのショット・バァでミニ・コンサートを演じるのが常だった。今夜がちょうど金曜日と紗絵の出発日とが重なったために、フォウとジェーンは、紗絵のことをゲストと称して最後の熱唱の場を設けようとしていたのだった。
「とりあえず、まずは始めようよ。ほら、餞別としてはちょっともの足りないけど、今日は紗絵さんの大好物、『月光照明』のオイスタァ・ビーフと豚肉のカシューナッツをわざわざ『お持ち帰り』にしてもらったんだから。」
看護婦の笹本裕子がこう言って手提げのビニール袋から紙皿に盛られた中華料理を取りだしてテーブルの上に並べた。
「月光照明」は紗絵のごひいきの中華料理屋だった。そのメニューの中でもオイスタァ・ビーフと豚肉のカシューナッツは絶品で、とくに紗絵はこの二つに格別な思い入れを抱いていたようだった。
「今までは何回もこの味を堪能できたのに、紗絵さんにとってはこれで最後になっちゃうのね。」
裕子がそう零した。
「ちゃんと最後の味を噛みしめて下さいね。」
山本夏央理が付けたした。
「そうよね。そうだわよね。あーっ、もうこれが食べられないかと思うと、うわーっ、本当にサヨナラなんだって思っちゃうよね。」
紗絵は大袈裟なゼスチャーをまじえて、そう答えた。
「心配しないで、送ってほしかったら、もう郵便ででも何でも日本に送ってあげるから。ラップに包んでさぁ。──カビが生えたのが届くかも知んないけど。」
幸司はこう言ってビールを口にした。


「いやだぁ。でも・・・きっとこの味はサモアで食べるからおいしいのよ。日本で全く同じのが出てきても、絶対まずいと思うに違いないわ。」
裕子がそう言うと、
「そう、そう、そう。」
「うん、あたしもきっとそうだと思う。」
と一同の考えが落ちついた。
──味のまやかし、色のまやかし、空気のまやかし、音のまやかし。・・・こういったものが少しずつ我々の意識とか理性とか気概とかプライドを犯しはじめ、とろけるような心情が、精神を支える棒をやわにし、やがてはそれを融かしていく。これは辛苦の病ではなくて、快楽の病なので一度それに陥ると、まるで麻薬の常習者のように太陽の日ざしに溺れ、海の潮に肌身を焼く。こうやって珊瑚礁の浜辺を徘徊する人たちのことを十九世紀のヨーロッパ人は「ビーチ・コーマァ」と呼んだ。画家ゴーギャンや、小説家モーム、スティーブンソンなどは、その最たる例だった。
そこへ四人めの来客があった。扉の上部が網戸となった入り口のドアをぎこちなく開けたのは、背の高いサモア人で、片手には「ターノア」というサモア式木製のお椀を持っている。「ターノア」はサモア人がよくお別れの手土産として外人さんに捧げるもので、彼ら自身は、主にカヴァの儀式の時に用いる。サモア式のものは、椀を支える脚が、椀の周囲に沿って何本も施されていて、独特の形をしていた。
ただでさえ大きなドアだというのに、さらに体を折って頭を垂らしながら家の中に入ってきた男の名はエネリコといって、紗絵のサモア人の恋人だった。
エネリコは迎えいれた紗絵に「お別れの言葉を言いに来た」というようなことを英語で喋りだしたので、テーブルに残された僕たちは、邪魔にならないよう、その場でただの石となるために必死になった。
僕はたまたま二人に対して背を向けるように座っていたので、そのままの姿勢で良かったものの、目の前の幸司と裕子などは半身を反らせるのに苦労しているようだった。それでも、裕子の視線の動きで、僕のうしろでは二人の接吻のシーンが繰りひろげられているのが、ありありと窺うことができた。
しかしエネリコは「すぐにおいとまする」と言った。振りかえった僕たちの「どうしたの?ご一緒にどうぞ」という誘いにも「いや、これから仕事なので」と断りを入れるなり、おもむろに姿を消してしまった。
これはサモア式の気くばりなのか、とも思われた。サモア人はいつでもフレンドリーであるものの、時として「人の集まり」に関しては異常すぎるほど気を使うことがある。エネリコはきっと「日本人には日本人なりのお別れのやり方がある。それを自分のほうの都合で妨害してはならない」と思ったのだろう。「仕事があるから」と言うのはあくまで便宜上の理由で、こういったつつしみ深さも彼らの道徳には組みこまれていた。
ともかく、紗絵の右手に木椀だけが残された。
「どうしようか、これ。もう荷物はパンパンで入れる場所がないよぅ。」
紗絵は木椀をいと惜しげに見おろして、そう言葉を零した。
「機内に持ち込みしかないですね。」
「機内持ち込み用のバッグだって、もうあれ以上詰めこむことはできないわ。」
「じゃあ、逆さにして頭にかぶるとか。」
僕は少し紗絵をからかうつもりで、そう言った。
「こうやって?」
紗絵は両手で飲み口のほうを逆さにして、それを頭からかぶるようなふりをした。
「でもせっかくのモンですからね。」
「そうよ、うん。何とか出発するまでには考えておくわ。」
・・・・・・電話が鳴った。
「きっとフォウたちだ。『早く来い』って催促の電話よ。」
紗絵はあわてて壁掛けの受話器を取りにいった。
僕たちは紗絵が電話に出ている間、テーブルの上に置かれた木椀の形について、特にそれが有する脚の本数についてあーだこーだという話をした。
「トンガではこの脚が四本だけなんだって。」
裕子が言った。
「サモアはどうしてこんなに脚の数が多いんでしょうね。だって椀のまわりをぐるっと脚がぎっしり囲ってあるじゃないですか。」
僕が興味ありげにきくと、裕子は
「ずぅーっと前はサモアでも四本脚だったって聞いたことがあるわ。でもだんだんと増えていって、最後には『これ見よがし』にまわり一面に脚が付くようになったって。──ひょっとして増えたのは単に観光客の目を喜ばすためで、実は最近のことだったりしてね。」
と答えた。
僕は「いかにもサモア人らしいかもしれない。彼らは目立ちたがり屋というか、妙に格好つけたがるところもありますからね」という発言をとってみたけれども、この口ぶりは新参Jコープとしてはかなり知ったかぶった言い方に聞こえたかも知れない。以前同居人の細田が僕に「先輩との口のきき方には気をつけろ」と注意を吹きかけてきたのも、この点が彼の気にさわるところだったのだろう。だけどここに同席していた人たちは寛大だったし、僕もそのことを知っていた。それに、この日は僕が新参部隊員でなくなる日でもあった。僕たちの次にやって来るJコープの新しいメンバーが今夜、ニュージーランドから〈城壁〉空港へと降りたつ予定になっていた。紗絵は折りかえしでニュージーランドに向かう、その同じ飛行機に搭乗する。
「でも、安定してるっていう面ではどっちがいいんでしょうね。脚がたくさんあるのと四本脚のとでは。」
虚をついたように僕の左隣りに腰かけていた夏央理が話を挟んだ。
僕は「それは多分、脚が多ければ多いほどいいんじゃないですか」と当てずっぽうで答えると、自問するように「しかし一番安定するのは脚が何本なのが理想的なんだ?」と呟いた。
「それは」と間をあけずに幸司が本職の理科教師として余りにも分かりやすい説明をしてくれた「・・・三本脚が一番安定するんだよ。カメラだって、カンバスだってみな三脚の上に載せるでしょ。脚が三本というのは、バランスの悪い二本を残りの一本が平衡を保つ役割をするから、地面がでこぼこな所でもちゃんと立つように出来てんだよ。トンガの四本脚というのは、一見するとしっかりしてるようだけど、実は一番不安定で理にかなってないなぁ。だって四本だとそのうちの一本でも地面とかみ合わないとグラグラじゃん。不均衡を補うための脚が必要なんだ。だからといって脚が五本あるのは多すぎ。かえって駄目・・・やっば結局三本が一番いいんだよ。」
電話を終えた紗絵がテーブルに戻った。
「どうでした?」僕は何気なくきいた。
「うん、やっぱりフォウからで、『もうショウが始まるから、早いとこ来てくれ』だって。どうしようかな。」
掛け時計を見ると、もう約束の七時はとっくに回っていた。
ここで裕子がトイレのために席を立った。
「・・・・・・とりあえず、じゃあ、ぼちぼちってことで、おそろいで行きますかぁ。俺だってせっかく持ってきた重い荷物を骨折り損にしたくないし。」
幸司は文句ありげに、ボストンバッグの中身の山のような楽譜群を開けてみせた。
「でも、今から行ったら、マジに紗絵さん、今夜サモアを発つことできなくなっちゃうんじゃない?」
僕のこの発言は水を差すことになったかも知れない。でもこの間を夏央理がうち破ってくれた。
「そうですよ、紗絵さん、いっそのこと明日まで居てくださいよ。そうしたら『コロニィ・コレクション』にも行けるじゃないですか。」
紗絵は素早く反応して、
「そうなんだってね。明日の歓迎会、あそこでやるんだってね。あたし、まだ行ったことないのよぉ」と激しく答えた。
夏央理は冷静に、
「下見には行きましたけど、いい所でしたよ。車を使わなければ行けないのが玉に傷ですけどね」とつけ加えた。
「いいなぁ、行きたいわぁ。」
紗絵の、大きな、好奇心の目がさらに光った。
「だからぁ、今日の便を見のがせば、明日まで居られるんだしぃ、そうしたら『コロニィ・コレクション』にも来れるからぁ。」
夏央理は一応紗絵に引きとどまることを促していたけど、それは通り一辺倒で、反対に帰国するJコープへの挨拶文のようにも響いた。
ちなみに「コロニィ・コレクション」とは、今夜新しく来サモアするJコープのメンバーのために、明日の晩催される歓迎パーティの行われる場所であって、そこは最近、首都アピア郊外に新しく出来た、目玉スポットでもあった。女性ならば、すぐにでもそういう所に心惹かれるだろう。紗絵もご多聞にもれず、そのうちの一人だった。──ところがそのための初めてのアクセス・チャンスをみすみす逃してしまうことになった。今夜サモアを発ってしまうのならば。
夏央理はこの弱点を見すかして、紗絵の心をくすぐろうとしたのだった。
その時だ・・・・・悲鳴をあげた笹本裕子が着ている衣服をびしょ濡れにしてトイレから飛びだして来たのは!
半袖のドレスの生地が水分で肌に密着して柔らかななボディ・ラインを顕れていた。それ以上に僕を驚かせたのは、彼女が出てきたばかりの、トイレの入り口の水びたしぶりだった。裕子を濡らした湧き水は、すでに僕たちが飲み食いしていた居間にまではみ出していた。
「どーしたの。」
僕たちは声をそろえた。
「今ね、トイレで用を足したあと水を流そうとしたら、突然タンクのほうから破裂したように水が噴きだして・・・・・・。一生懸命水の出口を押さえたんだけど、凄い勢いで出てきちゃって、全然、水を止められなくて、びしょびしょになっちゃった。」
・・・・・・裕子はそう答えた。
紗絵はそれを聞くと少しあきれた顔をして溜息をついた。
「あぁ、ウチの住居は本当に駄目ね。最初に入居したときもかなり水には悩まされたけど、ついに最後の最後の帰る日になってまで水難がつきまとうんだ。もう、こういう運命だったんだわね、きっと最初から。」
紗絵がそう言うと裕子は、
「ううん、でも大丈夫。すごい楽しかったから。水が噴きだした瞬間、こんな楽しいことは久々だ、なんて思いながらわざとらしく手を広げて体を回転させちゃった。」と答えた。
僕たちはしばらくの間、水退治のために駆けずりまわった。紗絵は奥の部屋の古いクローゼットの中からバスタオルを取りだして来て、床に敷いて水取りにした。僕たちも雑誌やら冊子を引きちぎり、床に敷きつめて水びたしと奮闘した。


そんなことをしているうちに、水害は一段落したものの、時間のほうはあっという間に九時を越してしまった。
紗絵はフォウたちとの対面上、やっぱりアギィグレイス・ホテルのバァへは行かなければならなかった。何やかんやで、僕たちがショーの終わってしまったバァへ着いたのは、九時半過ぎだった。
「どうして来てくれなかったの?」フォウの詰問は、かえってやさしげだった。ホテルとの約束で、音楽バンドの演奏は九時半までと決まっていた。
紗絵が決められた時刻の後になってから顔を出したところで、サモア最後の熱唱を披露することは絶対にできなかった。しかしフォウはむしろうれしそうだった。
「あなたはきっと来週までにサモアに戻ってこなきゃ駄目よ。もう、あなたの次のステージはここだって決まっているんだからね。」
フォウは冗談めかしてこんなことまで言った。紗絵はつくり笑いでこの言葉を聞いていた。
ライヴの残響が残っていそうなカウンターバァで、僕たちはしばらく別れを惜しむ最後の盃を交わしていた。灯りはもはや半分以上さげられて、ところどころに暗がりをつくっていた。それでも煌びやかなバァのライトが、その場の彩りを潤していた。皆なが紗絵の空港へ向かうべき時間、夜の十一時を待っているだけだった。その中には紗絵の生徒で、まわりからも二枚目だとちやほやされているサモア人も混じっていた。実際、彼は背も高かったし、顔立ちも、鼻筋が高く整っていていい男だった。
僕のすぐ横にはまたしても夏央理が座っていた。僕は何気ない顔を演じてそばの彼女に声をかけた。
──「どう、彼。人気あるよ。今はね、西洋人の女とつき合ってんだ。」
夏央理は僕の目くばせに準じて、身をのり上げてそのサモア人を観察した。その時彼女が大袈裟な唇から発した論評は僕を喜ばせるものとなった。
「外見・・・だけなんじゃない。ああやって自分の美形ぶりを鼻にかけてる男ってイヤだな。」
セリフの中身はもちろんのこと、彼女が「だな」という形でいい終えたところがまた良かった。もし「ですよ」だったらそれほど彼女との親密度を高めなかっただろう。僕はすぐに夏央理が自分と同属のもののように思えてきた。同属とは、たとえば肌と肌が擦れあっても表面の質が似かよっているために、さも密着したような感覚に震えることを言う。
──時間が来た。僕たちは紗絵を送って、なおかつ新部隊員を迎えるために空港へと向かう必要があった。ところがその時になって、紗絵の口から空港までは僕たちとは同行しないことを聞いた。
「十一時に知り合いのタクシー運転手があたしを迎えにここに来ることになっているの。昼間約束したのよ。『今夜帰る』って言ったら『それじゃあオレがアギィグレイスまで迎えに行く』って。」
僕にはすぐにそのタクシー運転手の話が信用できなかった。そしてそれを茶化すだけになった。
「でも紗絵さん、それはアテにはならないよ。もし来なかったら、今日中に帰れなくなっちゃうじゃん。まぁ、それもいいよね。そうなったらそうなったで明日の夜が楽しみだから。」
僕たちは知人のタクシーを待つと言った紗絵をロビィに残してアギィグレイスを去った。ホテルと空港はいつも飛行機の発着時間に合わせてシャトルバスが行き来していた。
〈城壁〉国際空港までは車でも小一時間ほど要する。暗闇の中、二十人乗りのシャトルバスがひた走る。黙々と、南国の悦楽をかえりみることをさも許さないかのように、現実へと帰るための道筋を辿るように、バスは運行する。実際、このバスに乗る人たちには、本国に帰ってからのありきたりな仕事が待ちうけているだけだった。裏を返せば彼らにとってはこれが最後の、ハメを外すことのできる場であって、情熱的な南国の匂いを名残り惜しむことのできる場面でもあった。
バスは着いた。深夜の照明に煙る空港に。夏央理をはじめびしょ濡れの服を着替えた裕子と幸司は最初から乗っていたけど、途中からバスに乗ってきた数人のJコープの他、さらに別行動で空港まで新部隊員を迎えにやって来たJコープを含めて、空港の到着ゲートの前では二十人余りの部隊員が待機していた。
僕たちはこうして、新しいメンバーがやって来るたびに空港に集まっては、彼らを歓迎したものだった。
時計は十二時を回った。
「紗絵さんがまだ来ていない!」──幸司がそわそわしながら言った。もし彼女の知り合いだというタクシー運転手が約束通りの時間にアギィグレイス・ホテルに来たのなら、とっくにこっちには着いていなければならない。
「これはいよいよ明日の『コロニィ・コレクション』も近づいて来たな。」
僕は誰にでも聞こえるような独り言を呟いた。彼女が飛行機に乗りおくれるようなことが本当に起こったなら、紗絵の姿は次の日の歓迎パーティの席上でも拝むことができただろう。
夏央理と裕子は、小さい貝ばかりを一本の糸を通して造られた首飾りを用意していた。それは到着したばかりの新部隊員の首に掛けられるものだった。夏央理はそのうちの一つを僕に手わたして、ゲートから出てきたうちの一人に掛けてくれるよう頼んだ。その時、裕子は僕をからかうように、
「これであなたも今日から『新部隊員』じゃなくなるのね、ひゅう、ひゅう。」
と甲高い声を発した。つられるように夏央理も「ひゅう、ひゅう」と言った。
そうだった。この日を境に僕は「新部隊員」の名を返上して「先輩部隊員」への仲間入りをする。今までは、どこへ行っても「新部隊員」と呼ばれた。だけど今夜、僕よりもさらに「新部隊員」がやって来る。そのメンバーは、男ばかりが六人の予定だ。
彼らを乗せた飛行機が〈城壁〉空港へと降りたった。
「どうしようか。紗絵さん、まだ着いてないよぅ。」
懸念に満ちた幸司の漏らす言葉が、より一層冷や汗に濡れたようだった。午前〇時三十分、僕たちがそわそわするのと同じように、紗絵も似たような心境だっただろう。ただ、その気持ちをどこで感じていたか。──空港に向かうタクシーの中でか、あるいはまだホテルに居る、ということはまさかあるまい。
新部隊員が姿を現した。六人衆は僕たちが向ける視線にきょとんとしていた。まるで唐突に舞台の上に乗せられてしまった観客のように。彼らは思い思いにそれぞれの荷物を体じゅうからぶら下げていた。その荷物の中には、アコースティックギターのソフトケースなども見うけられた。何と頼もしいことだろう。僕が居なくても、僕に代わってギター講師になってくれるメンバーが少なくとも二人は増えたことになる。
六人衆のそれぞれの首には首飾りが掛けられた。すると夏央理は葉書大の、デザインがコピーで描かれた紙片を持ちだした。それは明日の歓迎会のための招待状で、一つずつ新メンバーに渡された。
「やった!これでついにやって来たんだ。」
そのうちの一人が声を張りあげた。
彼らはそのまま記念写真を撮られることになっていた。その時の初々しい目、視線がまるで定まらない、おぼろげな目つき。初めて見たあらゆるものに対して新鮮味を感じ、ついつい興味を引かざるを得ない・・・──それが新部隊員の持つ、あの独特の光を発する瞳の象徴となった。
「紗絵さんが来た!」しばらくその場を離れていた幸司が出発側のゲートからやって来て声をかけた。僕と夏央理、そして裕子が行ってみると、ワンピースの簡易ドレスに衣装替えしていた紗絵が、そこに立っていた。
「知り合いのタクシーはちゃんと来たんですか。」
僕はまるで挨拶をするような口ぶりでこう言った。
「うん、結局来たのは十一時半よ。飛行機の搭乗時間に間に合うかどうか、本当にやきもきしたわ。」
「やっぱりサモアン・タイムだ。でも良かった、間に合って。」
どの国のJコープたちも、現地の人々の時間に対するルーズさをそう呼ぶように、サモアにも僕たちが「サモアン・タイム」と呼ぶところのものがあった。それは約束の時間を平気で三十分とか一時間も遅れることだった。そして最初のうちはそれを非難する日本人も次第に慣れてくると、堂々と「サモアン・タイム」をやらかすようになるのだった。
別れを惜しむだけの余裕もなく、紗絵は出国を済ませ、搭乗を終え、飛行機はエンジン音を滑走路の上で幾重にもいななかせた。離陸の準備のために、機体の向きを変える。エア・ニュージー(ランド)の尾翼がこちらに尻を向けると、滑走路の両脇では、飛行機の軌道を導くように青色のランプが規則的な間隔で灯される。
「きれい。」
間近で眺めていた夏央理が思わず声を漏らした。確かに、疑いも無く、点々と配置されたその青色ランプは美しさを極めていた。
離陸する。紗絵を乗せた飛行機が、たけり狂う爆音とともに。彼女の想い出と、重い荷物をひっさげて。──その中には恋人エネリコが捧げた木椀もあったに違いない。飛びたった飛行機は、夜の闇の中にその姿を消した。時刻は午前一時十七分を指していた。
──────────
あくる日の、「コロニィ・コレクション」での新部隊員を歓迎するためのパーティは、いかにもサモアらしくないデコレーションで催された。
入り口の扉付近では、まずアペリティフやソフトドリンクが出席者全員に配られ、カウンターではくじを引く。引いたその番号によって座る席が決まった。会場は薄茶色した木目をあしらえた窓辺と柱とが、西洋風の民家の風情をかもし出していた。艶やかながらもどこかに庶民的な雰囲気を漂わせるものが、そこにはあった。南国の宵のささやきが、夕闇の彩りが、出席者の心情をなごませる。
彼ら日本人は、ここに来るために各自で「自分の足」を確保しなければならない。Jコープの場合その運転手の役割は、ほとんど前園、真木・新コーディネータの助力に頼ることになった。もしその車に乗りそびれてしまったら、あとは現地のJICO職員や、専門家たちの車でエスコートしてもらう以外はない。町から「コロニィ・コレクション」までは十五キロほど離れていて、自家乗用車の他には全く交通手段がなかった。Jコープのメンバーが車の運転をすることは許されていない。中には単車を貸与されている部隊員もいたけど、自宅と職場との往来以外で利用することは禁止になっていた。
昨夜到着した六人衆は、真新しいTシャツにまだ日焼けもしていない白い肌の腕を露わにして、割りあてられたそれぞれのテーブルに一人ずつ座らされた。サヴァイイ島の〈背骨〉高校へ体育教師に行く人が一人、〈水の吹き出る所〉へは整備士が二人、ウポル島へは残りの三人が──つまり〈城壁〉空港に無線士として一人、〈寝床を繕う〉村には数学教師が一人、そして首都アピアに在庫管理担当で一人・・・一ヵ月後には正式におのおのの職場に配属される。


各テーブルでは一人の新人を六、七人の先輩が囲むような形になって、先輩どもはまるで鋳型にはめ込んだような質問を一人の主賓に向けてぶつける。
「サモアに来た印象は?」「日本に残してきたものは?」「ここにたどり着くまでの移動中に何かトラブルはなかったですか?」「国内研修センターのあの先生は今でも元気?」「ずばりきくけど、彼女はいるの?」
・・・・・・まともに答える男も居れば、やや嘯いた口調で冗談めかす野郎も居る。こういった席上では真剣さを必要としないし、夜風は真面目さを欲しがらない。
二十分ほど時間がたつと、主催者の部隊員が会場の正面に立って大声でアナウンスし始めた。
「えーっと、二十分過ぎましたので、新人さんだけ席をシャッフルします。今一番テーブルに座っている新部隊員さんは二番へ、二番に座っている人は三番へと、一つずつずれて下さい。」
──一瞬にしてパーティ会場がどよめいた。そして、冷やかしの喚声を受けながら、新部隊員たちはかしこまって席替えをするのだった。
僕の座ったテーブルは七番だった。つまり、最初は主賓が居ないテーブルで(新人は六人だったことを思いだして頂きたい)、二十分後、シャッフルがあって初めて、もと六番に居た主賓がようやく来てくれた。
その男は〈城壁〉空港に無線士として配属される予定の、橋本真澄部隊員だった。彼は今回来た六人衆の中でも一番若く、しかもギターを持ってきた二人のうちの一人だった。僕が彼に自分が音楽の部隊員で特にギターが専門であることを話すと、橋本は是非一度、ギターの初歩の手ほどきを受けたいと言いだした。
「どうせ仕事もロクにしないような、暇な時間も多そうだったので、前々からやってみたかったギターを独学で練習する余裕もあるだろう、と思ったんですよ。」
──橋本はサモアまでギターを持ってきた理由をこう述べた。なるほど、橋本の言うとおり、新しい稽古ごとを始めるにはサモアという環境は最適だった。彼は二年のうちにギターをマスターしたい、と言った。
そしてまた新部隊員の席がシャッフルされた。次に僕たちのテーブルへとやって来たのは〈水の吹き出る所〉で整備士となる予定の泊英樹という青年だった。泊は出身が九州で、飾り気のない、素朴な男だった。ギターをサモアまで運びこんで来たもう一人は、実は彼だった。途中、飛行機の機内で「日本の有名なミュージシャン」にでっち上げられて恥をかくところだった、と言った。あやうくはったりのギターを披露しなければならない状況に陥ったそうだ。その難はうまいこと逃れたらしい。
「せっかくこれで自分に代わるギター講師が来てくれたと思ったのに。」
と僕はちょっとしたジョークで泊にフェイントをかけた。だけどこの言葉は、誰もにそれが単なる愛想使いのための語句であることを認識させるものだった。要は本心から来たセリフではなかった。
このようにして、「コロニィ・コレクション」での歓迎パーティはとどこおりなく過ぎていった。新部隊員の六人全員が各テーブルを回り、すべての人に挨拶する結果になって、パーティはまるで主催者側の意図する通りに進んでいったことになる。その仕掛け人のうちの一人には、山本夏央理も居たことを改めてつけ加えなければならないだろう。
彼女はこの夜、またしても黒っぽいドレスを身につけていた。夏央理は似たような黒いワンピースをいくつも日本から持ってきていたのだろう。フォーマルドレスとしては、いつも黒のそれを身に纏っていた。時にそれはタンクトップだったり、また別の機会には半袖の、もっこりとした袖口であしらったものなんかもあった。
その日の二次会は〈語りべ〉ホテルでダンスになった。人数は「コロニィ・コレクション」に居たときの半分くらいに減ってしまったけど、出席者のうち、新部隊員を含め主だったメンツは、一次会の場所から上手いこと交通手段をJICO職員や専門家たちから借りて、〈語りべ〉ホテルの土曜名物、ダンスのための生演奏がある、二次会の会場までやって来た。
場内には赤く、そして暗く、仄かな照明による色めきがあった。僕はそこに、新部隊員と同じ赤いダットサンのピックアップ(それはJICOの専門家の運転するものだった)の荷台に乗っかって、南洋の夜空を見あげながら〈語りべ〉ホテルに到着したのだった。
「南十字星って、どれのことですか。」
ピックアップの荷台の上では、新部隊員の橋本がきいた。
「あれだよ。」
僕が指をさすと、泊は、
「本物とニセ十字っていうのがあるんですよね」
と僕らの会話に覆いかぶさった。
「しかも本物のほうがちっちゃくて、ニセ十字のほうが逆に大きくて分かりやすいって聞いたけど。」
泊の言うことは正しかった。我々がサモアに来てまず夜空を眺めたとき、ニセ十字を見てそれを本物の南十字星だと勘違いする。その実、ニセ物のほうが立派だし、威圧感がある。だけど来てから二、三ヶ月も過ぎると、ニセ物の位置から相対的に本物を見つけることができるようになる。本物は、ニセから比べると玉手箱のようなものだ。夢のような夜空の宝石箱、その片隅に南十字星の五つ星はちりばめられている。
僕たちはその時になって初めて、人間の微力ではどうすることもできない自然、そして宇宙の神秘に感服することになる。
ダンスフロアーでは人が踊る。曲が終われば席に戻り、また演奏が始まるとフロアーに立って踊りだす。男女のペアで踊ることがほとんどだけれど、一人で踊る人も居れば、集団で寄りかたまって踊る連中も居る。
ここに居るだけで僕らは歓喜を産みだす踊りを発見することができる。本能を喚起させる舞踏を見いだすことができる。サモア人のように、誰でも分け隔てなく踊りの喜びを分かちあうことができるようになる。
もの珍しげに席を立って、見よう見真似の踊りをしてきた新部隊員たち四人が、初めて体験する南の島のおおらかさを存分に味わい、踊りが与える発泡酒のようなはじける爽快感とともに席に戻ってきた。
「マーロー!」僕はこの言葉で彼らを迎えいれた。サモア語の〈マーロー〉には「でかした、よくやった」、「お疲れ様、ご苦労さん」といった意味がこめられている。六人居たうち二人の新部隊員は、既に疲れたということを理由にホテルの部屋のほうへ引けていた。僕たちは日本人だけで固まって、ダンス会場(といってもそれはサモア式家をかたどった馬鹿でかい建物だったけど)の一角を占めていた。
「マーロー!」山本夏央理が僕のかけ声につられて、調子を合わせたように同じ言葉をかけた。それは半分僕の威勢に促された風でもあったけど、僕にとっては何よりも嬉しいリアクションだったし、その時僕は彼女との一体感を噛みしめた。
上出来の初踊りを見せてくれた新人たちにサモア式の「マーロー」で挨拶をする僕、──それに合わせて同じ語句を発してくれる夏央理・・・。僕はここに言われもない幸せを見いだしてしまった。
刹那、僕は彼女を同類のように感じてしまった。僕の声を聞いた彼女が、あわてて僕にちらりと視線を投げかけ、首筋をしゃんとしてから「マーロー」と言ったとき、僕にとって彼女の存在が前にも増して大きくなった。
さて、──歓迎パーティの二次会はこの後、流れるように終わった。僕たちはそれぞれぱらぱらと帰路へついた。
「藤井さん、僕らの部屋まで遊びに来ませんか。僕が持ってきたギターもあるし、是非手ほどきのほどを。」
別れ際、僕にそう声をかけたのは新部隊員の泊英樹だった。
彼らに誘われるまま僕は〈語りべ〉ホテルの一室に邪魔をした。そこはやはり、僕がサモアに来たての頃、泊った部屋と同じような造りをしていた。泊が持参した青塗りのギターが登場し、それが皆なで呑みなおすための肴になった。
泊はいくらかの指の動きと弦の押さえ方を知っていたので、既に「脱初心者」レベルにあった。
「あぁ、いいな。僕も練習して早くそれくらいは弾けるようになりたいな。」
と言ったのは、もう一人のギター持参者、橋本真澄だ。彼は一番若年だったこともあって、話をするときはいつも「僕」口調だった。
意外にも器用に弾きこなしたのは〈背骨〉高校へ行く予定の体育教師だった。彼は初心者にとっては難しいとされる「F」の指腹和音を操り、その場の五人を驚かせた。
僕はその後、もったいぶってイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』のさわりの部分を披露した。それはやっぱり一同の耳をそばだてるものになった。体育教師は、
「帰るまでにその曲の弾き方を教えて下さい。ずっとやりたいと思っていた曲なんです。」
と言った。もともと指先を上手に扱う才能があるのだろう。彼はピアノも国内事前研修中のわずかな期間で、かなり上達したと聞いた。
その晩は異常な眠さもあったので、僕は長居を控えた。家に帰ることを告げると、橋本がホテルの門まで同行してくれる、とのことだった。最年少の彼はいつでもそういう役を当てられるらしく、また本人も快くそれを買ってでた。
歩きながら、どこか道端で適当なタクシーを拾って帰ることを、橋本には伝えてから門の前で別れた。何度も「ここでいいから」と言ったにもかかわらず、結局彼は最初の言葉通りに門のところまでついて来て、そこで見おくってくれた。
そこからは〈水を分ける=海側〉の住居まで、タクシーで十分以上かかり、その料金は四ターラーだった。家に着いたとき、既に深夜の二時近かった。
Copyright©Keita.2000