十五、
                                    
 藤井一哉はとっくに日本に帰っていた。サモアは遠くなりつつあった。今はルーティンの中で脱日常を見いだすならば、それがサモアになった。
 都会のネオンの中でも、仕事のデスクの上でも、ふとしたことが引き金になって、頭だけ南洋のあの椰子の木と海と落日の世界に浮遊することがある。現実に帰還しても、自分が透きとおった潮騒を(たずさ)えてきたような気がした。一哉が日本に戻った理由は何だっただろう。なぜサモアを見はなしたのだろう。
 サモアでの二年間は、一哉にとってはかけがえのない経験になった。言葉であれ、習慣であれ、見知らぬ世界を垣間見ることができたのは、生涯を眺めまわしてみてもこの上なく有益なことだった。実際、ありふれた今の生活にあって、サモアは福音で(あふ)れる泉だった。
 それなのに何故任期を延長もしないで、まともに二年で帰ってきてしまったのだろう。
 一つにはサモア人の横柄(おうへい)さに辟易したのがあった。彼らは愛するべき民族だったし、素晴らしく開放的で異邦人に対する立派なもてなし方をわきまえていた。我々も彼らに学ぶべきところは多々あった。
 しかしサモア人の親切心は度を越すと、迷惑に思うこともあったし、それが日本人のプライベートを侵害することにもなった。道端ですれ違いざまにサモア語で生意気な口をきかれるたびに、(いら)だたしく思ったものだ。
 一哉はこれ以上、サモアに貢献できるものを自分は持ちあわせていないことを痛感した。延長すればその分、人生の無駄使いをするような気になった。
 もう一つは「食」だった。彼は何度生麵のラーメンを食べたいと願ったことか。朝食に納豆を欲したことか。サモアのスーパーマーケットに(あふ)れるインドネシア産、韓国産のインスタントラーメンは何ひとつ舌の慰みにならなかったし、味噌や豆腐、ごま油といったものでさえ、サモアでは手にいれづらかったのだ。
 一哉は日本に帰ってからも、深瀬真実(まみ)には連絡をとらなかった。
 真実(まみ)――あの背の高い、紺色のジーンズが似合う女。最後は下北沢(シモキタ)の雑沓とネオンの(おぼ)ろの中に消えていった、あの痩せた肩もあらわな後姿。
 それでも何度か下北沢(シモキタ)に赴いては彼女の姿を追った。茶髪の学生、ラメのアイラインを気どったファーストフードの店員、ユニフォーム姿のままのウェイトレス、サングラスとレゲェファッションのミュージシャン。表向き地味な格好した、眠気まなこをこする舞台役者たち。イスラエル人の物売りはチンまりとした装飾品を路上に広げる・・・・・・バーボンの香りで蒸れた、この芳醇な夜をうろつきながら、一哉は心の中で叫んだ。
 ――これこそ俺がサモアに居たときに求めていた情景だったじゃないか!
 ・・・事実、帰国間際の一哉は早く日本に戻りたい一心だった。そしてその焦燥に拍車をかけるように、(なまめか)しい夜のネオン街が泥酔の快楽とともにうつろった。
 ところが、この矛盾ときたらどうだろう。デスクに座る、プラスティックの人口的な肌触りのペンを握る、コンピュータの画面とにらめっこする、キーボードで情報画面をいじる、たまにかかってきた注文の電話に英語を使って応対する・・・・・・こんな冷めた日本の日常が始まるとともに、あるひとときだけ南の島に魂を引っこぬかれてしまうことがたび重なった。
 ――あれが夢だったのだろうか。いや、現実に椰子の実のジュースは乾ききった俺の喉を潤していた!
 ・・・真実(まみ)が結婚していることを聞くまでには、さして年月を必要としなかった。そのことを知ってからは、かえって彼女とは連絡をとるべきではないことを悟った。
 空白の二年間、阪神大震災も、あのO教団事件も知らない男――いつの間にかそれがコンプレックスとなって一哉に影を落としていた。
 ――俺のような男が、昔の女に電話などするべきではない。彼女が結婚しているというのならば、なおさらのことだ。
 ・・・一哉はたびあるごとに一枚の絵葉書を木製の収納箱を開けてはとり出す。表には熱帯のジャングルの中で原始的(プリミティブ)な白い化粧を黒い肌に塗りたくったメラネシア人の男たちが、ほとんど全裸に近い格好で舞踏している写真がある。
 裏がえすとそこには山本夏央理がパプア=ニューギニアで書きつづった文章があった。
 「私は今ポートモレスビーにいます。藤井さんの同期の方のお陰で、色んな場所を回れてとても助かりました。ヴァヌアツからはお電話出来ずに済みませんでした。実はすっかり忘れていたのです。その代わり小島めぐりをして楽しい思い出になりました。マンタに会う事も出来たんですよ。残りの任期もあと五ヶ月足らずですね。頑張って下さい。それではまた。
                                山本夏央理  」
 一哉は余り期待もせずに、ヴァヌアトゥからの電話を待っていた。かかって来るわけがないと思いながらも、夏央理がヴァヌアトゥに滞在するであろう期間はできるだけ彼の住居(フラット)に居るようにした。
 結局電話はこなくても、憤りはしなかった。もともと「電話はいらない」と言ったのは一哉本人だったからだ。一哉は夏央理が、自分の言いつけをを守ったものだと解釈していた。
 葉書の中で夏央理が「すっかり忘れていた」と書いてきたことを、一哉は苦々しく思いながら読んで笑った。この一文が果たして葉書に組みこまれる必要がどこにあるだろうか。この一文は抜けていてもいいような一文だった。そう思えば思うほど、夏央理の小(ざか)しさが嬉しかった。
 一哉はこれくらいが程よいと感じるあいだをしっかりあけてから、この葉書の返事に当たる手紙を書いた。それは九月の中ごろになった。
 「P・N・G(パプア=ニューギニア)からの絵葉書ありがとう。サモアでは八月の末ごろから四年に一度のパシフィック・フェスティバルが催され、連日太平洋各国の歌や踊りが演舞されました。テレビ中継も入って、アピアの町が今までに見たこともぐらいに国際都市化しました。英語はもちろん、仏語、各島々のポリネシア語があちらこちらに飛びかい、この時期だけは人種のるつぼとなりました。
 政府庁舎があるでしょ。あそこの裏の広場には仮設の(ファレ)が建ち並んで、それぞれの国の民芸品や、それらを造る模様を実演していたりして・・・・・・
 トンガ、ニュージーランド=マオリ、アボリジニ(オーストラリア)、フィジー、クック諸島、P・N・G、ツバル、キリバス、ナウル、ミクロネシア、マーシャル諸島、ハワイ、ニューカレドニア、ヴァヌアツ、タヒチ、マルケサス諸島、ウォリス諸島、イースター島・・・・・・どこのものも似たようでいてちょっとずつ違います。
 踊りでも、民芸品でも、良い意味悪い意味で評を得たのはやっぱりP・N・Gのもの。彼らときたら、町じゅうどこでもほとんど全裸(もちろん全身にペイントを施し、大事な所は隠してあるけど)状態でパレードするものだから、サモア人の馬鹿笑いを買っていました。
 でもその時ほど胸くそ悪い思いをしたことはなかった。
 ――だってそうでしょ、ニューギニアの人たちだって別に笑いをとるためにそんな格好をしていた訳じゃないし、彼らは自分たちの文化を見せていただけなんだから。
 それを見世物のようなような感覚で笑うなんて(たとえ笑いがどんなに自然に湧いた、純粋な行為であっても)失礼きわまる。この国に文化の相互理解の意識を植え付けるには、まだまだ年月が必要なようです。
 さて、山本さんがいなくなってから随分と寂しくなったような気がします。なじみの部隊員が次々に減っていくって言うか、段々と自分が先輩部隊員になって行って、ついに今では一番古株なんですよ。あぁ、『新部隊員』と呼ばれていた頃が懐かしい。
 今は、貴方は何をしているの。とりあえず働いているという話は聞こえてこないので、フリーでやっているのかな。それとも旅行三昧といった所か。
 まっ、帰ったばかりだし、報酬金だって沢山もらったばかりだしね。
 山本さんに紹介してもらったサモア語のマレタ先生の助けにより、お陰様で初心者によるギター教則本も仕上がりの目途が立っています。この本をつくることが、きっと僕のサモアにおける残る任期のライフワークとなるんでしょう。
 それでは、機会があればまた便りを出します。
                               藤井一哉    」
 この手紙がいつになく長くなってしまったこと、ほとんど弱音じみた放言を書きしるしてしまったことを、一哉の自尊心は黙認していた。
 手紙は、告白文に解釈されても、おかしくはなかった。それでも、あれほどまでに恋愛感情が露呈してしまうのを物()じしていたことが嘘のように筆は進んだし、封を閉じて投函する時でさえ、一哉の胸もとにはクールミントの爽快な風が通過していった。
 一哉はこの充分な落ちつきようを不思議がったが、間もなくその理由に気づいた瞬間がやって来てしまうのだった。


 昼さがりの(おごそ)かな()の光の反映を、路線バスの窓の陰から覗きみていたあの日、一哉は自分の母親をすぐ隣りに擁していた。
 母はたった一人で日本から南洋の小島まで息子の様子を垣間みに観光も兼ねて訪れていた。自営の店が忙しい父親を日本に置いて。
 一哉はサヴァイイ島のホストファミリーに自分の母を紹介するために二人で波止場(ウアフ)行きのバスに乗車していた。
 太陽光線はあちこちで穴が穿(うが)たれたアスファルトを、歩道にさざめく人波の褐色の肌を、椰子の葉のオランダ風車のようにごつい深緑を揚々(ようよう)とたなびかせていた。
 バスが町中から郊外へと抜ける瞬間だった。一哉が夏央理の姿をみとめて慄然(りつぜん)としたのは。
 一哉はバスの窓辺からすれ違う銀色のタクシーを見おろしていた。とその時、タクシーの助手席に映った桃色のトレーナを着た東洋人の女が目にとまった。
 そこまでは何ともなくて、それからが驚愕だった。
 一哉はその女が夏央理であることに気づいたのだ。白く、調和を産みだすような小づくりな顔と小ぶりな宝石のような目。
 この女が夏央理でなくして、他の誰だろう。袖口から(あら)わになる無垢な柔肌と、細やかな指先。片手が頬もとに寄せられ、朱色に塗られた女の口紅が(あや)しくうごめいた。
 それとも一哉は単に夏央理の幻影に惑わされていただけなのだろうか。遠く(はかな)い彼女の魂が形をなして、日本からは数千キロも離れた南太平洋の国の路上にぼかし絵のように化けでただけだったのか。――その答は分からない。一哉に熱情を与えた悪戯好きな天使にさえ分からないように思われた。
 「カズちゃん、どうしたの。」
母親の動物的ないたわりの声が二人の空間を愛撫した。一哉は「うん」と言ったきり、また窓の外を眺める。パステルグリーンの縁だけ泡だった海が現れ、吹き抜けの(ファレ)や椰子の並木を横目にバスは疾走する。気持ちいい風が汗でぎとぎとになった首筋を浄化していく。
 もはや自分の感情をひた隠しにする意味の全くないことを一哉は悟った。夏央理がサモアを去ったあの日、こらえ切れずに独り住居(フラット)で書いた詩篇は何の功も奏さなかった。居間(リビング)の小汚い白壁に貼られたその詩篇を見るにつけ、何のことはない、一哉の慕情は夏央理に循環するばかりだったのだ。
 手にとった駒を放つこと。遠くへほうり投げてしまうこと。――一哉はサモアの終幕を、つまりは夏央理を忘れてしまうことをこんな動作にたとえていた。
 ある時目が冴えてふとその駒が回転ゴマであることに一哉は気づく。やがて刮目(かつもく)すると、石ころほどの大きさだと思っていたその回転ゴマが、ついにヨーヨーの駒だったことが明らかになる。虚しい運動曲線を描いた駒は、旋回するとすっぽりと再び一哉の掌の中に収まってしまった。思えばそれまでだって夏央理への恋慕は、その動作の繰り返しではなかっただろうか。
 しかし、これからは太田健二はまるで土俵の外に居る。わずか数十人の在サモア日本人社会も今や碁盤の外にある。
 一哉は夏央理と新しいステージを建てられるような気になった。舞台には一哉と夏央理、二人しか居ない・・・・・・だけど、あぁ、東京都と北海道。――日本に帰ったにしても、そのステージの距離の、何という(あき)れる遠さ!
 それでもペン先の力にほんの少しの可能性を見いだしたかったのだろう。一哉はそのステージの(はし)辿(たど)るようにあの告白めいた文章を書きおろした。
 今では夏央理にすべてを暴露することが、一哉にとっては何の暴挙にもならなかった。
 あの手紙を書いたとき、何の心の騒乱も覚えなかったのは、そのことが理由だろうと一哉は自己分析した。
 二週間の滞在の後に、母は帰っていった。撮りつくした八ミリビデオのカセットの山と、楽園(パラダイ)(ス )海岸(ビーチ)で飽きれるくらいに採集した貝殻をお土産につめこんで。
 『E Faapefea Ona Ta le Kitara(ギターはどう弾くのか)』は任期満了を二週間後に控えた十一月の終りに完成した。
 その日はある意味で一哉にとっては記念日だったので、彼は自分自身を祝福した。独りで居ることが、独りで行動することが、夏央理に抱く自分の愛への忠誠だった。それがたとえ夏央理の意思を無視した、一人よがりの恋であっても。
 一哉は出来たてのギター教則本の冊子の裏表紙に十ターラー(約四百五十円)と定価を打った。それが彼にできる、音楽学校への最後の貢献だった。
 Jコープの部隊員としてサモアに来たからには、音楽教師としての役目をそれなりに果たし、学校には何かを財産として残して行かなければならない。一哉は生来から持ちえた()真面目さから、一心にそのことにこだわった。
 校長との考え方の不一致から、仕事場には満足していなかったが、それとJコープとしての自分の活動とは全く別ものだった。
 ――たとえ一冊十ターラーであっても、二十冊売れれば学校にとっては二百ターラーの収益になる。その金で生徒たちの教科書やコピー代の足しになってくれれば。・・・一哉は、その金が教師たちの昼食代やビール代に変わってしまわないよう、ひたすら祈った。貴重な現金収入をないがしろにしてしまうことは、サモア人には往々にしてあり得ることだったからだ。
 そして学校の学期末の都合から、一哉は任期を二週間ばかり延長までした。彼の任期は生徒たちがクリスマス休みに入るのを待たずして満了となってしまうからだった。
 十二月に入ったばかりのある日、JICO事務所に立ちよった一哉は、談話室のメールボックスを探ると、そこに夏央理からの絵葉書を見いだした。
 現れた葉書の表面には、北海道の鮮やかな青天を背景に、でん(、、)と腰を据えた雪化粧の礼拝堂(チャペル)(たくま)しく厳寒の中で(たたず)んでいる。
 ちょうど猛暑の盛りにあるサモアとは驚くほどの別世界で、夏央理がこんなにも離れた土地に移ってから、すでに五ヶ月もたってしまっていることを一哉は危惧した。
 しかし、もうすぐ――あと一ヶ月もすれば、今よりももっと夏央理の世界に近づくことができる。
 「ひょっとしてもう間に合わないかもと思いつつ、『少し延長した』との噂も小耳にはさんだので、お便りしました。先日、神戸のAさんの所に遊びに行き、色々と接待をされ十分に楽しみました。また、その前にも小樽まで結婚式に参加したりして、この所旅行ばっかりです。でも『先立つもの』がまた底をついてきたので、つい最近、JICOの北海道支局でアルバイト通いを始めました。
 その後サモアはどうですか。パシフィック・フェスティバルかぁ。私も見たかったなぁ。本当はその為だけに延長も考えたんだけど、やっぱり色んな所を回りたくって、帰って来ちゃった。
 日本に着いたら、連絡先を教えて下さいね。ではお元気で。
                              山本夏央理   」
 一哉はおどり狂う心臓を(なだ)めながら、やっとのことでこの文面を読みあげた。狭くるしい葉書の裏面に、これ見よがしな細かい字で書きしるしたその文字の羅列は献身的だった。
 かつて夏央理本人の口から、彼女が筆まめでないことを聞いていた一哉は、葉書とはいえ短い間に二回も便りがあったことにときめいた。
 しかし、すぐにも発生した内面の矛盾はまたしても一哉の憧憬を傷つけることになる。
 一哉は文面の中のAの名が気になりだしたのだ。
 アピアの町で、さるファーストフードの店に夏央理が男とツーショットで入ってきた場面を読者はご記憶だろうか。この男の名をAといった。
 Aはお父さん部隊員の沢村と同期だったので、同じ時期、つまりは一哉と夏央理たち四人がサヴァイイ島巡りに出かけるその日帰国の途についた、あの部隊員だった。
 一哉はAという男の、したたかな稟性(ひんせい)を察知していたので、かなり危険視していた。夏央理はAという人物が自分と同じ()(どし)生まれということもあって、親近感を抱いていたのだ。
 もちろん二人の間柄について勘ぐることは愚鈍なことだった。そもそも何かがあるのなら、他人への手紙にこうまで名指しで書いてくるわけもなかった。
 ところが一哉にとっては、夏央理が一人でAの所まで遊びにいくという行為そのものが許せなくなってくるのだ。こういう身勝手な嫉妬を恋愛という悪魔はいつでも身籠(みごも)ってしまう。
 「そうか、やっぱり諦めるべきだったか。あの時、踏みとどまったのは、けだし正解だった」――これは一哉の気概が、一瞬でも(ひる)んだときの正統化へのつぶやきだ。
 次の日か、その次の日だったか、一哉は定かに憶えていないが、細田嘉章(よしあき)が彼のもっともらしい気まぐれで一哉の住居(フラット)(といってもかつては同居していたわけだが)に訪れた。
 最後の挨拶がわりなのだと言う。細田がこうまで殊勝な振る舞いを身につけたのは、この二年間の成果なのだろうか。
 少なくともその日の細田は「お前は性格を変えなきゃ駄目だ!」とまくしたてた、あの剣幕のイメージからは影が薄れ、摂食不足からすっかり痩せこけてしまった頬と浮きたった首筋は、むしろ悲哀を誘った。
 「この男がいまだにサモアに居るとは信じられない」――まわりの部隊員たちは口々にそう言っては首をかしげた。一哉もまるで同感だった。堂本やよいとのあの「事件」からかれこれ一年半、細田自身だって一回職場を変えている。たびあるごとにコーディネータから叱責を受け、帰国勧告を喰らったことだろう。
 細田は、自らの強情さを貫きとおして二年の任期を全うした。一哉は次のように交わした会話から、細田の鋼鉄のような、内に秘める血潮が黒びかりしたのを見た。
 「明日、帰るよ。世話になった。」
「お疲れ様でした。帰ったら、とりあえずゆっくりでもするんですか。」
「まさか。帰ってからが、俺の本当の使命が始まるんだ。」
「それはまた、何かしでかすのですかね。」
「うん、暴露するんだ。世の中にすべてを。Jコープの腐った実体を。いかにくだらない部隊員が国民の血税を無駄使いしているかを。」
「分かりました。まっ、頑張ってください。」
「うん。」
 この男は心底から保守的(コンサヴァティヴ)であるために、今や革命児となってしまった。しかしその風格ときたら、何て彷徨(さまよ)(びと)的なのだろう。
 一哉は「じゃ、元気で」と言って振りかえった細田の、Tシャツごしに透ける肩甲骨をまじまじと眺めた。そのいかりあがった隆起が心なしか憂いを帯びていた。
 いよいよ一哉がサモアを離れる日。クリスマスを迎える二日前の日。ポリネシアン・エア・ラインに乗って一哉はまずトンガへと向かった。それが彼にとっての帰途変路旅行のスタートになった。一哉はその時サモアに対する未練が全くなかったことを誓って言えた。西田紗絵や夏央理が陥った帰国部隊員症候群(シンドローム)というものも、結局擬似体験しただけになった。彼女たちの経験したそれとは、本物の戦争とシミュレーション・ゲームほどの隔差があったに違いない。
 クリスマスはトンガで過ごしたが、一九九六年のクリスマスは皇太后(マザー・オブ・ザ・キング)が逝かれたばかりで、民衆は喪服を(まと)っていた。
 年越しはフィジー諸島の離島で、西洋人のバックパッカーどもと迎えた。金髪の白人たちは夜どおしでうち上げ花火をぶっぱなしていた。現地人に誘われて呑んだカヴァ酒のせいか、一哉はこっそりと夜外パーティを抜けだして、独りで先に休んだ。
 フィジーのナンディ空港からは、ニューカレドニアのグランド・テール島へ飛んだ。仏語圏の町なみと、たたずまいを一哉はタヒチを訪れた時以来に味わった。
 カレドニアのイル・デ・パン島。――ここの海は今まで見た、世界のどの海よりも(みだ)らで純粋だっのが、一哉を魅了した。海の色の、ほとんどエメラルドに見まちがうほどの、陶酔的な(みどり)。近よればその水は限りなく透きとおっている。(はかな)いものの連鎖によって、不思議な永続性を造りだす生命体。一哉が(ひと)ひらの水を翻して(きらめ)く水の飛沫(しぶき)を見ただけで、その聖なるものへの畏怖心がこみあげた。
 杉の木とマングローブにとり囲まれたこの島の小さなコテージで、一哉は夏央理に絵葉書を出した。
 「お元気ですか。俺は今、ちょっとずる(、、)をしてニューカレドニアまで来ています。海は美しい!こんな緑色した海はタヒティでも拝めなかった。
 実はここまで来る間にフィジーで流行性の結膜炎(サモア人が〈赤目(ムー)〉と呼んでいるやつ)にかかってしまい、うんざりだったけど、ここの海を見て、心が晴れました。
 でも、今はサイクロンが近付いているらしくてホテルの人が『食事の時以外は外出するな』だって。そこらじゅうでボコッ、ボコッと突風にあおられた椰子の実が落ちる音がしています。
 それでは、ひょっとして又会う日まで、『天国に一番近い島』より愛をこめて!
                               藤井一哉   」 
 流行性結膜炎が完全に引くまでにはそれから丸々二日を要した。そして、その回復とともに、サイクロンも東の彼方に抜けていった。
 あとには火焔のように(たぎ)る天国の黄昏が残った。
 一哉はもう一度フィジーを経由してから日本に向かった
                                    
 成田空港についたのは、夜十時を回った頃だった。二年がたっていた。
 飛行機の夜の降下は、大地や都会の風景を見おろすでもなく、途中突きぬけるはずの雲の存在さえ不透明だ。我々は規則的に並んだ滑走路や管制塔の照明を小宇宙のように(あが)めて着陸する。あの、オレンジ色のライトは遊星で、青白いのは恒星なのではないか。
 二年ぶりに見いる空港の夜景に一哉は感動した。
「帰ってきた。生きて無事に日本に辿りつけた」――こんな大それた言葉を戦役生還者が聞いたら失笑するかも知れない。しかしこれは心底から出た、純真な一条の光の声だった。
 着陸してから滑走路を離れ、何百機という整備中の旅客機の間をすり抜けて、やっとのこと自機がゲートに乗りつけるまでには二〜三十分かかっただろう。
 けれど一哉はそのあいだ、飽きることなく窓の外を眺めた。何と祖国の偉大さを痛感したことだろう。こんなにも偉大な飛行場を有する国は、太平洋上にはただの一つもなかった。
 ――それが九七年の一月十三日、午後十時を過ぎた時のこと・・・・・・
 それから五ヵ月後、今、一哉は東京に住んでいる。昔の友人のつてで始めた仕事は、音楽という分野とは全く関係がなく、アメリカ資本の通信販売業務だった。六畳とキッチンの二間の部屋は、仕事場の近くの新宿区市ヶ谷に借りた。そこからは下北沢(シモキタ)にもJR線と小田急線を乗りつぐだけで行けたので、都合がよかったのだ。
 一哉は水道の蛇口をひねったら、透明で奇麗な水が出てくるのを、「当たり前」というか、それさえも意識しなくなっていた。五ヶ月前、二年ぶりに日本の蛇口をひねって出てきた水の汚れていないことに、あれほど感激したものを。
 六月の下旬に届いた夏央理からの葉書に、一哉は失いかけていた恋の花火を()けることになる。
 「お久しぶりです。
 『天国に一番近い島』からの絵葉書はありがとうございました。早速ですが、来月の第二週の週末に東京に出張することになったので、その機械に是非お会いできればと思います。(とまり)さんにはもう連絡してあるし、無線士の橋本さんももう帰国しているので、みんなで会えることになるかも知れません。詳しくはまた日取りが近くなってからということで。
                            山本夏央理     」
 夏央理は今でもJICOの北海道支局でアルバイトをしていた。七月の第二週に東京の本部で合同会議があるので、それに出席するための出張があるというのだ。葉書に出てくる(とまり)は、任期を短縮して夏央理より少し前に帰国したが、今では結婚し、千葉県の成田市に新妻と居を構えている。成田空港の近くということもあって、一哉が帰国した際には夜半前だというのに出迎えてくれた。
 一方の橋本は、元々成田空港勤務ということもあって、職場も泊とは関連会社にあった。今年四月にJコープの任期を全うし、ゴールデンウィーク前に日本に着いて元の職場に復帰していた。
 泊と橋本は同期の部隊員だったが、泊の任期短縮のために、帰国した時期に十ヶ月以上のばらつきが生じたのだ。二人は夏央理と再会する日、わざわざ成田から東京までやって来ることになった。
 一哉は夏央理と日本で再会できることに、白亜の恍惚(こうこつ)を覚えた。
 そう、「日本に帰ればすぐに会えるもの」という浅薄な考えは、(まさ)に短絡主義と言うほかになかった。ましてや仕事に着手してしまってからでは、その可能性というよりは、ほとんどそれが不可能になっていた。
 一哉の建てようとしたステージは、結局はそのネガフィルムだけが残り、その残像さえも日常の自堕落に侵食されていった。
 それでも一哉が新しい恋に手をつけようともしなかったのは、やっぱり夏央理への(わだかま)りがあったということになる。夏央理からの手紙を受けとるたびに味わう陶酔は、「本心を隠しとおすことなど所詮はできないのだ」という認識をあらためて一哉の脳裏に植えつけていく。
 何故なのだろう。何故こんなにも消極的な、受け身な恋愛をしているのだろう。――考えた結果、一哉は何とも(おぞま)しい結論に達した。
 「そうか、俺のサモアはまだ終わっていなかったんだ!」――この衝撃は警鐘の()が心臓の心房と心室じゅうをかき乱し、振動で血液に渦をつくらせたようだった。
 やっぱり一哉は後悔していたのだ。
 その後悔とは、夏央理への恋心との決別のために、すべてを終わらせる(この場合はすべてを打ちあけて、最終的には恋破れる)ことを済ませないまま、彼女がサモアをあとにする所を見おくってしまったことだった。このことを済ませてしまわない限りは、一哉のサモアはいつまでたっても終幕しなかった。考えれば考えるほど、一哉は夏央理に対して、何と甲斐性のない恋愛をしていたことか。今は当時ネックとなっていた太田健二の存在はない。せせこましい日本人社会も遠く太平洋上にあるだけだ。
 この次の夏央理との再会で、けじめをつけるべきことをついに一哉は悔悟した。



   ――――――――――



 七月の第二週の金曜日は梅雨(つゆ)の真っ只中で早めの台風にみまわれた。それでも待ち合わせ時間の七時までには豪雨の峠は過ぎ、ときどき雨粒がぱらつく程度におさまった。
 路面はまだ濡れている。群集が抱える一本一本のたたんだ傘の先端からは、まだ(しずく)(したた)っている。
 夏央理とは、JR新宿駅東口のみどりの窓口で待ち合わせをしていた。泊と橋本は、仕事を終えたその足でやってきた。
 「マーロー。レアンガ・ティム・アー(やぁ、嫌な雨だね)。」
「イオエ(そうだね)。」
――一哉たちは日本に帰ってからも、サモア語でよく言葉を交わしあった。それがどこの派遣国に行ってきたJコープのOB・OGたちにとっても、誇りであり、自己満足であり、ノスタルジィではないか。
 三人はその場で夏央理の姿を目で追いもとめながら、彼女の出現を待った。人ごみはまた途上国で暮らしたことのある人間にとっては、いまだ違和感のある圧縮した空気、時間無制限の(おびただ)しい影の流動だった。二年間のブランクというのは、そうやすやすと埋められるものではない。ましてや東京の地理には疎いはずの夏央理にとっては、この落ち着きのない人の群れ、予想もつかない動きをとる人波による洗礼は酷だったともいえる。
 一哉は、今日こそ自らのサモアを終わらせる決意で、往来の黒山の中の夏央理を探していた。まるで生贄(いけにえ)を待つように。
 間もなく、交差する人垣のあいだをすべるようにして、夏央理が現れた。
 一年。――(まさ)にあの飛行機の塔乗用タラップの上で投げキッスをして見せたとき以来、一年ぶりに夏央理の実像を前にして、一哉は震えあがった。
 彼女は薄びかりするグレーのブラウスに黒と赤紫(あかむらさき)柄の長めのスカートを(まと)い、耳たぶにはサファイアのピアスをポイントにしていた。
 (からだ)は以前とまったく変わらず痩せている(たいていは帰国すると誰でも(ふと)るものだった)。髪は後ろでまとめていたので、長さまでは分からない。
 一哉たちはそのままかすかな霧雨で湿ったアスファルトの上を、人だかりと都会の臭気をかき分けながら新宿三丁目の「ル・フォン」というビストロへと足を運んだ。
 「ル・フォン」は古風で木造りの表のドアを開けると、燈油(ケロシン)ランプが幾つかしつらえてあるだけの、仄暗いショットバァ気取りの居酒屋だ。昭和四十年代からあるテーブルやストゥールは、ほんのりと(すす)がれて、建てられた当時であってもレトロと称されただろう。昭和初期のカフェ風でさえある。
 カウンター近くの四人用のテーブルを占めると、一哉はまず生ビールを頼んだ。泊も橋本も生ビールを注文したのに、夏央理だけ一人で「あたしはコロナビール」・・・と違うものを頼んだ。
 久しぶりに間近で聞く夏央理の声だ。それは出てきたコロナビールの瓶の口にささった小間切れのレモンの匂いによく似ていて、サモアに居たときホームスティ先で食前に出された手洗い用のハンドボウルに浮かぶライム(モーリー)の切れ端の香りを一哉に想いださせた。
 だが、この時点ですでに一哉は今夜夏央理に振られることを直感した。いや、振られてもいい。むしろ夏央理には振ってほしかった。そうでなければ一哉のサモアは永遠に終わらない。一哉にとってはそのほうがよっぽど拷問なのだ。いつまでたっても冷めることのない、なま温かいビールを呑ませ続けられるように・・・・・・。
 一方で夏央理が自分一人だけコロナビールを注文したのは、彼女自身がどこのものにも所属しない、という心情を誇負したかったからだった。
 「日本に帰ってきて、ホント色々びっくりした」――まず泊が話のきっかけをつくった。
「例えばどんなことを?」――夏央理がつなげる。
「一番びっくりしたのが、女の子たちがみんなアンドレ・ザ・ジャイアントみたいな靴を履いてることだよ。」
「何それ。」
夏央理の問いに一哉が補足する。
――「プロレスラーの名前だよ。つまり、リングシューズみたいな靴してるってことだろう。」
「はは、それは面白いたとえですね。」
 ・・・こんな他愛もない会話、それに続く低俗な噂話は、時に小声で囁かれ、または赤裸々に実名などをまじえて含み笑いとともに語られ、我々はいつでも酒の肴としてはこと欠かないのだ。
 嫉妬心の薄い人間ほどその実多くの羨望を買い、他人を羨ましがっているうちは絶対に羨ましがられる存在にはなれない。それでも酒の場では、非建設的な話題ほどもてはやされるのだ。それは酒を通して、架空な共通の建てものを組みたてる共同作業ができるからだろうか。
                                    
  泊:「成田京子さんだけど・・・」
 橋本:「あぁ、藤井さんと同じ所の音楽教師だったよね。彼女はあの男とは別れたって聞いたけ
    ど。」
夏央理:「そうなのよ。お互い離れて住むようになってから、彼の方が前の彼女と寄りを戻しちゃった
    らしいのよ。」
 藤井:「やっぱりな。どんな風に見ても、そんなに長続きするようなカップルには見えなかったも
    ん。」
夏央理:「そうかと思えばしっかりと遠距離恋愛を成就させちゃう人もいるし、ねぇ泊さん。」
  泊:「あはっ、ウチですか。実は任期短縮して帰ることが決まった時にはもう結婚の話が決まって
    たんですよ。」
夏央理:「じゃぁ、それがかえって帰国を早めたって訳?奥さんとはラヴラヴなんでしょっ。」
  泊:「そんなでもないですよ。結婚生活って、まわりが見るよりは甘くないっすよ。」
 橋本:「結婚の話をすれば、またビッグ・カップル誕生なのを、誰か噂を聞いて知ってます?」
 藤井:「もしかして古屋ひとみと渡部くんの所?まぁあの二人も一緒にシリシリ山に登ったりして公
    認の付き合いだったけど。」
 橋本:「そう、早ければ来年だって。僕はしばらく二人の仲については知らなかったから、ド肝を
    抜かれたな。」
 藤井:「そいつはよっぽど鈍いぜ、橋本。俺はわりと前から気付いていたけど、でも結婚まで行くと
    は見当違いだったよ。」
夏央理:「あたしもぉ。でもよく決めたわね、渡部君。」
 橋本:「そういえば、任期延長してたもんな、古屋さん。七ヶ月延長すればちょうど二人で一緒に
    帰ることになりますよね。」
  泊:「そんなことしてるとまた細田さんが出て来て言いそうだな、『国民の血税を・・・』って。」  
 藤井:「話変わるけど、太田さんも任期延長って、本当?」
  泊:「一年延長ですよ。来年の頭まで。」
 藤井:「何か信じられないな。一番真っ先に帰って来そうなんだけど。よっぽどサモアが気に入っ
    てんのかな。それとも他に意図があってのことか。」
  泊:「まぁ、色々とあるんですよ、太田さんの場合は。」
 泊が口を閉ざしてしまった夏央理の様子を窺った。夏央理は伏目になってコロナビールのラベルを眺めている。
 「きっと今は日本の景気が悪いんで、もうちょっと回復してから帰ってこようって腹なんじゃないですか。太田さんも前の仕事を辞めてからJコープに参加したもんだから、結局また日本で就職活動しなきゃならないもんね。」
橋本が閉めの一句でくくった。
 こんな風に話は絶え間なく続いたが、十時も前になると泊と橋本は帰ることになった。二人とも今日じゅうに成田市に辿りつくにはそれでも終電ぎりぎりの時刻だったのだ。
 そこで一哉は積極的に夏央理を「居残ってまだ呑もう」と誘った。夏央理のほうでも時間はまだあるのだし、今夜は飯田橋の格安ホテルに宿をとっていたので何の(ためら)いもなく、「いいですよ」と了解した。
 男二人を先に店から見送ると、一哉と夏央理はウェイターに誘導されたこともあって、テーブルからカウンターへと席を移した。
 ついでに一哉はバァテンダーにアーリータイムズのオン・ザ・ロックを追加注文した。夏央理はとりあえず呑みかけの白ワインがあったので、「山本さんは?」という一哉の勧めに応じられなかった。もともと酒は好きだけど、多くは呑めないのだ。
 「その後、西田紗絵さんには会いました?」
夏央理はこうきいてさぐりを入れた。
「そうですね。一、二回会いましたよ。笹本裕子さんも一緒にね。」
一哉はこういったことを偽りなく話したが、その実紗絵と自分の仲を夏央理に勘ぐられていることなど思いにもよらないことだった。
 「その裕子さんは、今・・・・・・」
「故郷に戻ってるよ。また看護婦のボランティア関係で海外に出るかも知れないこと言ってたな。」
「(松井)幸司さんとはどうなったのかなぁ。」
「さぁ、彼は今、太平洋を放浪の旅に出てるって話だよ。きっとどこかの島でキーボードを弾いてんじゃないかな。」
「あの人も、インディ=ジョーンズみたいな人ですよね。」
一哉は夏央理が無類の映画好きであることを想いだしながら、その言葉を黙って聞いた。
 サモアに居た時から、夏央理は何かにつけてピアスをしている女だったが、今夜のそれは、二人にとっては懐かしい匂いのする店の燈油(ケロシン)ランプに照らされて、淫靡(いんび)に揺れている。彼女が左手で触れるワイングラスを見て、一哉は夏央理が左利きだったことも想いだした。
 しかし、最も一哉を(おび)えさせたのは、その時の夏央理のマニキュア。ワイングラスの口を掌で覆うような仕草をした時に輝いた爪の光沢。そのつややかな指の先々に(きら)めくパープルレッド。
 ――何て不埒な色だろう。小悪魔の溜め息のような紫色とそれに追随する娼婦の媚態のような赤。このネバネバした二つの色が爪紅(つまべに)となって夏央理の指先でとろけ合っている。
 少なくともサモアに居た時の彼女なら、こんなにどギツいマニキュアはしていなかった。一哉はサモアがすでに遠くなったことに気がついた。
 「あと少し、あと少しで・・・・・・」――一哉はただひたすら念じはじめた。
 夏央理は今夜のためにマニキュアを塗ったのだった。色はスカートの生地に合わせただけだった。サモアでは女性部隊員は限られたおしゃれしかできなかった。日本に帰ってきて、自分がどれだけおしゃれができるようになったか、これは表現ではなくてむしろ主張だった。「今日だけはどんなにめかし込んでも過ぎるということはない。――だってあたしたちは今、日本に居るんだから」――夏央理はホテルの部屋の、朝日がカーテンの合い間から斜光する鏡の前でマニキュアを塗り、ついつい朝の会議には遅刻した。
 「今の仕事にはいつついたの。」
一哉はコースタァの上にオーダーしたバーボングラスが置かれるのを確かめてからきいた。
「葉書にも書いたと思うけど、去年の十一月からなんです。」
「なんでまたそんな早くに?お金なら十分にあったはずでしょう。報酬金が。」
「ははっ、帰国部隊員基金のことですか?あたし実は借金があったもので、それを返したらとたんにすっからかんになっちゃった。」
 一哉は夏央理の微笑(ほほえ)んだ口もとから拍子の抜けるような言葉が飛びだしたのを唖然として聞いた。その時、背もたれのないストゥールで思い切りのけぞるように、猫背のまま照れ笑いをする夏央理は、いとおしい玩具から、むしろ気貴い犠牲者へと変貌していた。
 夏央理は一哉の覚悟を理解していたのか?いや、彼女は女のよくやる手段で一哉との距離をおこうとしただけだった。これは夏央理のかけひきだ。まず男の前で自身をおとしめ、そのあとの反応を窺う。男には一歩も引けない状態にもち込むのだ。
 そばで携帯電話の呼び出し音が鳴る。隣りの黒っぽいスーツ姿の若い男が慌てて懐から受話器を取りだして通話を始めた。
 一哉も夏央理も、この携帯電話のアルミ缶のような無機質な音が好きではなかった。それは都会の中の、火葬場の灰のような音だ。受話器の着信を確かめる人の姿は、まるで死灰の中から舎利を探しあてているような格好で、まわりの人たちは葬式の列席者のように厳粛な気持にさせられる。この強制的な厳粛さこそ顰蹙(ひんしゅく)に値する。
 顔を(ゆが)ませた一哉と夏央理は、まだ互いに携帯電話を所有していない。二人がサモアに発つ前、たった三年前の日本では、携帯電話といえば移動の多い中小企業の社長たちが持つ、神器の一つに過ぎなかった。まだまだポケットベルが隆盛だった時代だ。
 一哉も夏央理も、こんな機械的な音を代償にしてしかつなぐことのできない人間同士の絆を蔑んだ。人と人との、あいだに何も介さない、本来からある触れあいをともにサモアで習得してきたからだ。その証拠に、再会する今夜まで一年もの間、二人は手紙と葉書でやりとりしただけだった。
 「不思議なもんだね。」
首をしゃんと反らせて顔を上げた夏央理に向かって一哉は言った。
「えっ。」
夏央理の唇が(かす)かに動く。
「サモアに居たとき、俺たちはみんなあんな近くに住んでいた。タクシーで五分も飛ばせば、たいてい誰の住居(フラット)へも訪ねて行くことができた。でも日本に帰ってきたら、どうだ。みんな全国に散り々々バラバラになっちゃって、今じゃ俺が気軽に会える人なんて、東京のまわりに住んでいる人たちだけだ。」
「そうですね。でも、あたしはサモアのあの狭い日本人社会が余り好きじゃなかったので、うん。」
 店は客の影も段々と減り、空席のほうが目立つようになってきた。バァテンダーの話では、十二時を越えたあたりからまた混みはじめ、深夜二時あたりがピークになるのだと言う。
 一哉はそれまで何度となくあの憧れとした瞬間、幕が降ろされるための文句を言いはなつ機会を見のがさないように心がけたが、それはじれったいほどに到来しなかった。
 ついに店の中で敢行するのは諦めた。一組、二組と客の姿が消えていくにつれ、一哉と夏央理の会話はあたりにも露骨になり、背中の痒くなるような口説きの文句など、その場にそぐわないものになっていたからだ。
 それでも、一哉は至って冷静で、不思議と焦りのようなものはなかった。
 ――事は一、二分もあれば済む。いざとなれば口もいらない。行為に走ればいいだけだ。店を出てから新宿駅まで歩くには十分以上かかる。俺にとっては充分な時間だ。・・・・・・一哉はさらにこう考えた。――物語は最初からしくまれている。どう転んでも俺は今夜夏央理に告白する運命にあるんだ。
 ・・・・・・B.G.M.にはリズム&ブルースがかかっていた。やたらとレコードのすり切れる音がする。
 「ブルース、好きだったよね。」
「ええ、いい曲ですね。古いものなのかしら。」
「多分。・・・誰が演奏しているか分からないけど、初期のシカゴ・ブルースだね。しかもプラスティックのレコード盤で流している。」
「昔の、回転数が早いやつですか。」
「まさか、そこまで古いとは思わないけど。」
 悲哀に(ただ)れたケンタッキーバーボンやスコッチウィスキーのボトルの並びがブルースのおかげで治癒されているようだ。それらは天井にぶらさがって(ほの)かにガラスの表面を赤らめている。奇麗に磨かれた透明なグラスは群をなしてカウンター脇の白いクロスの上で規則性のある丸模様の組み合わせをほのめかせ、幾何学的な光の反射を形づくる。
 クリアプラスティックで覆われた(さかな)のメニュー、生ビールを抽出するコック、ダミィの西洋風本棚、剥き出しのクーラー用ダクト、セラミックのアメリカ車のミニカー、銀のシェイカーたち・・・――これらのものはいずれもその立場を満喫し、酒場にはびこる怠惰を(もてあそ)んでいるようだ。
 ふと店の角にある窓際のほうに目をやると、その窓枠の上には紅いサスペンダーに縦縞(たてじま)柄のスーツを着た、道化(クラウ)()の人形が添えられていた。藍色のアイシャドウの中の、鋭いアイライン越しに、その人形はきっと何かを一哉にうったえていた。
 その刺すような、それでいて痛々しい視線に促されるように一哉は「そろそろ店を出ようか」と夏央理に言った。
                                    
 「ル・フォン」を二人は十二時前に出た。傘をさすまでもない霧雨がまだ町を(にじ)ませていた。七月だというのに、夜はひどく肌寒い。
 「去年の秋にAさんの所に遊びに行ったんです。Aさんと言えば、ほら、あたしと同居していた鬼頭則子ちゃんと噂があったでしょ。あたし、絶対に則子ちゃんて、Aさんとだと思って()いてみたんですよ。そしたらAさん、則子ちゃんとは何でもないって・・・・・・あたしの思い違いだったのかなぁ。」
 夏央理は店を出たあと湿った新宿の裏通りを歩きだすと、一哉にとってはまるで予想もしていなかった話題を唐突に持ちだして、困惑させた。この時ばかりは一哉の背中にも焦燥の血流がひた走った。
 まさか、今夜はランデ・ヴなのだ。ここで他人の恋愛ごとの話など始めてしまっては、このまま駅についてしまうではないか!
 しかし、夏央理にとってそれは単なる前ふりに過ぎなかった。次の質問こそ、彼女が長いあいだ溜めておいた真のセリフだったのだ。
 「藤井さんはどうなんですか。彼女とかはいないんですか。」
「――俺の彼女は・・・山本さん。」
一哉は初めて夏央理に告白した。それは練りに練られた、あの憧れの告白文とはほど遠く、あっけなく、(はかな)い言い回しだったので、天使のぼやきが伝染して一哉の唇をそう動かしめただけのようだった。気づいたら、口を割っていた。しかしそういう自然な瞬間さえ、何かを愛惜する別の作用が二人に嫁された雲行きをつくり、場をそうなるよう進行させ、ついに求めていた最後の言葉をそっと授けた。
 男はそのまま女の肩を後ろから抱いた。町にとって、それそのものはまるでありふれたモーションのように見えた。
 「ねぇ、キスをしようよ。ランデ・ヴのあとはキスって決まってるじゃないか。」
「何ですか。そんなこと言うなら、顔じゅうをキスマークで埋めちゃいますよ。」
 一哉は夏央理の頬に一度、音をたてるキスをした。
 その時、ちらついたファンデーションの薫りごしにまみえた女の顔はサモアの時と比較して期待していたほど白い肌を回復していなかった。ちょうど一年前、頬づたいに発見した一すじの肌の亀裂はいっそうきわ立って、年老いる夏央理の衰微を恐ろしく描写していた。
 一哉はその時も彼女に愛着を持っていたのだろうか。夏央理の半分不器用な指さばきで背中をあと押しされ、それから先はドミノ倒しのようにいっきにたたみかけるように告白した一哉ではあった。しかし一哉が本当に欲しかったのは女の(おもね)る姿ではなく、終止符だった。それは結果的には自分自身も傷つきはするが、喜悦に満ちた、新しい告知、啓示された記号(サイン)だった。
 男は自らが首謀するもくろみに加担してくれる助演女優として、今夜の夏央理を選んだのだ。
 一方で夏央理は、この急激な展開に少なからずの動揺を覚えた。しかし、こうなるように招いたのは自分なのだと思うと、今まで気づきもしなかった本性がその皮を剥いて(あら)わになった。
 最初のうちは体をこわばらせて一哉の抱擁に逆らうように早歩きしていたものの、その動きはしだいにモデルがとるようなただのポーズに変わり、いつの間にか一哉が前のほうにまわした腕に自らの手を添えるようになっていた。
 肩の力が抜けてくるにつれ、夏央理の内心は推移し、ついついはしゃいでみたくなった。ちょっとした悪戯心(いたずらごころ)にかりたてられ、今度は逆に男を困らせてみたいと思ったのだ。
 「・・・・・・あたし『ぴあ』を買わなきゃ。藤井さん、この近くでコンビニを知りません?・・・・・・何だか喉が渇いてきちゃった。そこらへんの茶店(サテン)でお茶しません?」
――夏央理はこんな我がままを言って一哉を戸惑わせるようになった。
 靖国通りに出ると、街燈一色だけだった裏通りとは一変して、極彩色のネオンが明滅するようになり、自家用車やタクシーのヘッドライトは宵口の名残をむさぼるように起没し、花金(はなきん)で呑み会帰りのビジネスマン、ゲームセンターやパチンコで半日と金二万円余りを費やしたフリータァ、夏休み前のコンパから流れて二次会を終えた学生たち、ビラやティッシュペーパーを配ってカラオケボックスへと誘うコンパニオン、異臭とアルコールの臭いを(からだ)全体から路上にぶちまける与太者のホームレスたち・・・・・・こんな市井の人々の虚ろ歩きばかりが目にとまる。
 目的を持って歩いている人たちの意識には終電の時刻があり、のろのろと惰性だけで歩く連中は、すでにこの夜を新宿で明かすことを決心している。実際、この人間たちは一哉と夏央理にはまるで関係なくその日の人生を送っていたはずだ。ところが彼らの洩らす溜め息が、陰では肩を抱きよせ合う二人の歩調の拍子をとり、断続的に赤・青・黄の変換を繰りかえす信号さえ、ひそやかに二人が進む行く手の指揮をとっているようにも思われた。
 「・・・・・・コンビニかい?少なくともこれから駅につくまでにはないよ。コンビニに行くのなら駅とは反対に向かわなきゃ。でもそうしたら終電には間に合わない。・・・・・・お茶?喫茶店ならそこらじゅうにあるけど、そこでゆっくりしてたら電車じゃ帰れなくなっちゃうよ。」
 一哉の答は、いずれも夏央理を何とか(さと)して駅のほうに足を向けさせようとするものだった。夏央理は、自分の無理な要望のために一哉に骨を折ってもらいたかったのだ。たとえ終電がなくなったにしても、「タクシーで送ってあげる」くらいの一言をかけて欲しかった・・・・・・
 二人は最終から一本前の総武線各駅停車に乗った。夏央理がそこへ誘ったのか、一哉がそこに導いたのか、乗客はまばらで空席も目だっていたにもかかわらず、降車扉の隅まで進んでから二人は立ったままうすぼんやりと流れていく夜景を眺めた。
 依然一哉は夏央理の肩を抱いている。女の息吹きを腕に浴び、ぬめりとした体温を感じとるごとに神経のゆらめきが全身を乱舞する。
 「藤井さんは市ヶ谷でしたっけ。」
「うん。」
「あたしは飯田橋で。」
「そうだね。」
 夏央理は扉の脇の手すりに手をかけ、緊張の蓄積を解きほぐすためにやたらと右手の人差指をこねるように動かした。この旋回運動にずっと集中している時だけは、張りつめた肉体が

緩んでいくような気になった。

深夜の電車は速い。乗り降りする客も少なければ、駅に停車する時間も短いからだ。

四ッ谷駅まで来たとき、次の駅の表示に「市ヶ谷」とあったのをみとめた夏央理は、少なからず動転した。
思わず「市ヶ谷の方が先じゃないですか。飯田橋よりも」と口に出してしまったほどだ。 
「そうだよ」――一哉の答は、「何を今さらそんなことに驚いてるんだ」とも言いたげな喋り口だった。
 OL時代のたった半年しか東京に馴染みのない夏央理は、嘘ではなく本当にその事実を知らなかったのだ。自分の降りる飯田橋のほうが先にやってくるものと早合点していた。
 夏央理はその飯田橋の駅で、一哉をともなって電車を降りる覚悟までしていたのに!あぁ、同じ「覚悟」という文字を書いても、一哉の希求していたそれとはなんというすれ違いのあったことか・・・・・・
 「最後だ。もう一度お別れのキスをしよう。」
「・・・・・・。」
「本当はこんな所でしたくはなかったんだけど。」
「じゃ、どこなら良かったの?」
「もっと人のいないとこ。そうだろ、こんなこと、あんまり人前でするもんじゃない。」
「藤井さんはロマンティストなんですね。」
「そのロマンティストに付き合ってみないか。」
「とてもついて行けないなぁ。」
 夏央理は一哉を小憎たらしく思った。・・・この人は、どうしてこうまでご都合主義になれるの!・・・――手すりにかけた指の動きにはいっそう力が入った。
 電車は停車姿勢に入り、減速を始めた。駅の、サビ止にペイントされたH鋼の柱が幾重もの影を真横に延ばす。
 一哉は接吻した。今度は女の唇に。夏央理はそれを拒むように、かたくなな唇で受けとめた。
 それは優しい、芳醇な緑色を成した想い出だ。悠久なる黄金を極めためざとい太陽、マンゴの木の木陰を吹きぬけるそよ風、真っ黄々なパパイヤの熟れて腐ったような味、あの男性的でつつみ込むような大洋の(なぎ)からたちこめる潮の匂い、そして椰子の木!細い、しなやかな幹が青空に高く聳え、てっぺんでは骨のように頑丈な葉を擁し、たわわに実ったココナッツを幾房(いくふさ)となく鼓舞する。
 そんな情景が漂っていたひととき、夏央理は確かにこの男の愛を求めていたこともあった。そう、マナセ村の海岸で。そして『ロビンソン』でのあの夜も!
 しかし、一哉が唇をそっと離すと、夏央理はやっぱりこの想い出を白銀色した貝殻の飾りをちりばめた箱の中に閉じこめてしまおうと思った。そしてその箱は封印されたまま、心の箪笥(たんす)の奥のほうに押しこまれ、永遠に眠るのだ。
 市ヶ谷駅で、一哉は降りた。閉じた電車の扉を通して、少しだけ夏央理の顔を見つめていたが、電車が再び動きだすよりも早く、後ろを振りかえり快活に足を運んだ。
 不思議なことに、夏央理の唇の感触が一哉にはまるで残っていなかった。彼女に接吻したことでさえ、実際にあったことなのか、果たして疑わしかった。
 ただすっきりとした充実感、解きはなされた雛鳥(ひなどり)の羽ばたきだけが心臓で波うっていた。
 一哉は思った。
――「肩で風を切るとはこのことだ。そうだ、俺は成長したんだ。俺自身のサモアを自分の手で終わらせることによって!」
 改札を抜けると、すっかり雨のあがった駅前の歩道を駆けだした一哉の姿があった。

 ――――――――――                         



 夏の終りを告げる(ひぐらし)の、昼下がりの空気を絶え間なくたたみかけるような鳴き声を耳にしながら、一哉は千葉県外房の(おん)宿(じゅく)海岸を歩いていた。
 東京駅から総武線快速で千葉駅に辿りつく。御宿へはそこからさらに外房線で一時間半も電車に揺られなければならない。乗り継ぎの待ち時間も念頭に入れると三、四時間はかかる全行程になる。
 一哉が休暇の一日と割高にも感じるJRの運賃を費やしてまでこの海岸を目ざしたのは理由があったし、確かな目的もあった。
 途中、家族連れや学校の生徒たちの海水浴客、サーフボードやボディボードを抱えた日焼けに茶髪(ちゃぱつ)の若者たちと電車の中で紛れはしたものの、一哉の意識は彼らの享楽とは別の所にあった。
 海に向かう列車に乗る人なら誰もが胸をわくわくさせる、あの海が視界にに入るのを今か今かと待ちわびる楽しみを、一哉は彼らと共有しなかった。
「あっ、海だ」と子どもが叫ぶ。
「どれどれ、どこ?どこ?」――別の子どもがきょろきょろと車外を見わたす。
 一哉はこの子供たちの影に幼児期の自分の童心を甦らせた。と同時に子供たちの無邪気さを(たた)え、海に対して無関心でいられる自分の卑猥さを(さいな)んだ。
 あの日から一ヶ月余り、一哉と夏央理は会う機会もなく、電話もせず、それまでの習慣だった手紙も交わしてはいない。
 ・・・すでに最盛期のお盆休みが過ぎているとはいえ、御宿駅で降車した乗客の数は、一哉を含めて相当なものだった。駅舎から垂直に延びるルイ=ロペス大通りは、道の両側に植林されたワシントン椰子が数メートルごとにたち並ぶ。この椰子はいわゆる南洋のココ椰子とは違い、幹の中央あたりから動物の毛のような繊維質が(おびただ)しく生え、かつて葉を生やしていた名残となる葉の付け根の部分だけが段を成して元の樹木にその成長過程の記録を刻んでいた。
 大通りはそのまま国道一二八号線にぶつかる。その交差点を右に曲がってしばらく行くと、駅前でいったん姿を消した清水川がもう一度現れる。この川はそのまま海へと流れているので、あとは川沿いに歩いていけば海と対面できるというわけだ。
 川端には県道をはさんで高層マンションばかりが屹立しているが、かつてそこは砂丘のような海岸が遥かに続いていた。()(びき)(ばし)のところで清水川の向こう側に渡ると、もう間もなく海水浴場が見えてくる。ちょうど左手に町営プールと松の防砂林を横目に見て抜けたころから、目の前が地球の青みに広がるのだ。
 一哉はここで(ひぐらし)のカナカナといった声を聞いた。それは海風の揺らぎの中を音でつくった蛇腹(じゃばら)が延びたり縮んだりして鳴いているようだった。
 なるほど御宿海岸の美観は、関東随一と称されても過言ではない。まず砂の質がいい。火山国日本の砂浜は、ほとんどが火山岩を源としているために、黒に近い灰色をしているものだが、御宿のそれは珊瑚や貝殻が砕けて白砂となった南洋の海岸線とも見まちがえるほどの白さがあった。
 海の色はどうだろう。サモアの、特にマノノ島まで泳いで渡ったときの、あの純真な透明度からは見劣りするものの、宿命的に濃紺色に犯された日本のどの海水の色よりも、開放的な青みがはだけていた。ところどころの色などは、ニューカレドニアの海を想起させる碧色さえ見え隠れして一哉を喜ばせた。
 一哉は最後の(ひと)ひらを葬るためにこの海岸を選び、労費を犠牲にしてまでここにやって来て正解だったと思った。いや、葬るのではない。同化させるのだ。失うのではない。美しく残すのだ。――その結合のための相手として、サモアを彷彿(ほうふつ)させるこの海岸は、(まさ)にうってつけだった。
 まるで別世界に存在するような、砂上でたむろする海水浴客のパラソルやビニールシートや折りたたみ寝椅子を回避して、一哉は海岸線を南へ下った。
 夏のあいだだけ賑やかさを謳歌する仮設の海の家を右手に何軒か見て過ぎると、人工的な喚声や子供たちのはしゃぎ声は耳の後ろに遠ざかり、やがて砂浜が途切れてコンクリート敷きの小さな漁港が現れた。角ばった堤防に区画されて何十もの漁船が悠々と停泊している。
 一哉はそこから右に曲がって、民家の間の小路を進んだ。
 再び国道に出ると、また(ひぐらし)のささやかな響きが一哉の足どりを(いざな)った。ただし今度は激しく行きかう車の騒音のおかげで、その鳴き声はとぎれとぎれに、風前の灯のように耳に(はかな)かった。
 しかし先が短いもの、すでに死が予言されているもの、たとえば消えてしまう直前の線香花火のように、闇の中で発光と鎮火の、最後の息を振りしぼる時の健気(けなげ)さは美しくこの上ない。
 一哉は車の往来に気をとられながら、さらに国道の脇を歩いた。勾配がきつくなる。崖の上へと登っているのだ。前方にトンネルが見えた。丘の中腹の隆起した部分をくり抜いて造ったものだろう。長さは二、三十メートルほどしかない。トンネルの向こう側の出口が、中に入る前からでも判別できる。
 (ためら)いながら、一哉は構わず暗がりの中へ入っていった。前方から大型車の迫ってくる豪音が耳を圧倒する。しかし何故か音だけで車そのものの影が目の前では全く認識できない。次の瞬間、背中から前に抜けていくディーゼルの四トントラックの爆走を肌で感じたときには、全身の神経がズタズタに切りさかれたような気がした。トンネルの中で反響を起こして、前から来ると感じたトラックは、実際には後ろから近付いていたのだ。
 そのトンネルを一つ抜けると、二つめのトンネルがすぐに続いていた。そこだけが自然につくられたテラスのように、丘の頂上から斜面に向かって太陽が芯の太い採光を浴びせていた。左方に(かん)(ぼく)の隙間を通して海の姿がちらっと写ったので一哉は立ちどまった。
 夏の日ざしを存分に反射して色つやのよくなった葉っぱをかき分けると、足もとからは目のすくむような断崖が黒びかりする岩肌も(さん)(さん)と延びていた。
 一哉はおもむろに手提(てさ)げバッグから一枚のノートの切れ端をとり出した。その紙は四つに折られ、(ほこり)手垢(てあか)でかなり(しわ)を帯びている。かつて夏央理のために書きしるした詩篇を壁からはがし、それを約三ヶ月もかけてサモアから日本へと一哉は送ったのだった。
 今となっては無用となったこの紙切れを、どう処分したものか長い間昏迷していたところ、今日になってやっと返すべき場所を見つけた。
 一哉は紙の角を強く握った。遠くの海は水平線に沿ってゆるやかな弧を描き、絶壁のたもとでは岩浜に(かす)かなざわめきと細かい、筋のようなあぶくをたてている。海全体が巨大に広がる滝のようでもある。
 ところがすぐ数百メートル先の海上に漁船が航行していることに気づいた一哉は、それが大洋を横切って完全に視界からいなくなるまで待つことにした。実際にはそんなはずもないのだが、漁師から丘の上の自分が注目されているようで面はゆかったからだ。
 いっときだけでも時間をもてあましたからには最後にもう一度詩篇の中身を読みかえしてみたくなる。しかし今その内容を見てしまっては、せっかくここまで我慢し続けた自分がすべて無意味になるような気がして、紙の折り目を解こうとする手を制止した。
 車はもはや一分に一、二台通りすぎて行くだけだ。かえってけたたましいエンジン音が通過していく時のほうが閑散でもの寂しい気持になるのが不思議だった。
 さっきまでそこに居た漁船はいつの間にか眺望からは消えさった。一哉はこの一刻に思いの凝縮をすべてつめ込んで紙を持ったほうの手を引くと、心のしこりを切断するように回転をつけて投げだした。
 上昇気流に乗った(ひと)ひらは、はじめするする(、、、、)と舞いあがった。一哉はそれに生命が与えられたように錯覚した。紙片は白い鳩が羽ばたいているようだった。しかし、やがては失速し、海風にあおられ、ふらふらと急降下したかと思うと、あっという間に断崖の陰に吸いこまれて消滅した。
 一哉は詩篇の中身を永劫に想いだせない。ただ、確かこんなことを書いたのを、記憶の(ひき)出し(だ )の奥から引っぱってきている・・・・・・

 「 僕の太陽は海の彼方に沈んでしまった
   今はただ暗闇の中で過ぎ去った季節を手さぐりで
   盲目のまま彷徨(さまよ)い、裸になって待ち焦がれている
   そして明くる朝、新たなる黎明(れいめい)がさざ波をゆるやかに照らすとき
   また来るべき没落のために祝杯をかざそう
   その時こそ生まれ変わりの至福を謳歌するために
               

一九九六年七月十三日   藤井一哉  」



                          摂氏二十八度のゆらめき・完

 

 

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