ズバッ。鈍感な音をたてて白いゴルフボールが宙に舞う。三番で打った第二打はグリーン近くのラフ地帯にくい込んだ。このラフは斜面にあるために難儀する。目の前にフラッグを拝んでいるというのに、なかなかコントロールできないもどかしさがある。
僕はキャディからサンドウェッジをもらって駆けだした。人口の川に掛けられた足場板を渡る。とりあえずこの川を越えるという条件はクリアしたのだった。
ここからが急な斜面になる。グリーンはどこにあるのか、フラッグの頭がひょっこりと顔を出しているだけだ。
途上国のゴルフ場のラフは半端じゃなく、雑草などは十センチ以上の丈があって普通だ。
僕は慎重に鉄面をボールにあてがって、古びて皮の朽ちかけたグリップを握った。ゴルフクラブは何十年に渡って部隊員間で持ちまわりしている。
サンドウェッジは自宅の庭で毎日のように練習を重ねていた。今こそその成果を実感すべき時だ。僕は球をよく見てそれを振りおろした。
パシャッ。フォームは理想的だった。しかし白いボールの行方はポップ・アップしたきりいきなり僕の視界から逃げていった。
すなわちボールの真下を打ってしまった。高くあがったボールは五メートル先にぽとりと落ち、グリーンの縁に触れるか触れないかの所でぴたりと静止してしまった。
ホールまでは八ヤード近くを残していた。
本番ではやってはならない失敗だった。これが練習のラウンドでよかったものだ。その本番のJICO杯は夏央理たちのために催される「レムー」レストランでのお別れパーティの次の日に控えていた。
サモアに唯一あるゴルフ場は〈酋長の港〉空港に隣接してあった。アウト九番、イン九番の全十八ホールで、主に政府の要職や外人事業者たちが融資で資金集めをして設立された。オーナァはニュージーランド人との混血で、経営はJICO専門家やJコープ、日本企業のメンバーによる年会費でほとんどもっていた。
他に打ちっぱなし練習場というものはいっさいない。国土の狭いサモアでは、ゴルフ場そのものがいきなり練習する場所ということになる。
さて僕にとってゴルフとは、それは楽しい諸事の一つだった。だけど、ゴルフに夢中になった動機が何かというと、夏央理のことを忘れるためだったことは否めない。
忘れようとすれば意識することになる。何のことはない、意識すればするほど夏央理は僕の胸の中に存在してしまう。結果的に忘れることが不可能になる。
物理的に夏央理と距離をおくことは、かえって形而上的に彼女を身近においてしまうことになった。しかも胸の中の彼女は、いつでも僕にとっては理想的な夏央理の影絵であって、僕は彼女とキッスすることもできればセックスだってできた。
・・・やや粗めのグリーン・エッジに佇むボールを、僕はもう一度サンドウェッジで叩くことにした。パターでアプローチするには遠すぎたからだ。そしてサンドウェッジで球を転がす練習も、庭で散々重ねたものだった。
カツンと当てて転がったボールは、さらに三ヤードを残して失速した。
天を仰ぐ僕をキャディの少年は「いいぞ、いけるぞ」と言って宥めた。
この子たちには一ラウンドにつき十八ターラー(約八百二十円)をあげている。しかし少年たちはそれをそっくりポケットにしまうことはできない。必ずキャディを統率する親玉の青年が居て、もらった金の半分以上は取りあげられてしまうのだった。
最後のパットは、我ながら奇麗に沈めた。自分が描いた線を走りだした球がたどれば、もうカップインが確信できる。
カラン。――ラインを読みきって狙いどおりにボールが穴に収まった音を聞くときは、言いしれない快感が頬から耳にかけて伝わる。
十六番・ミドルホール、スコア=五。ボギーはまぁまぁ満足のいく内容だった。でもそこで気を抜くことはできない。次の十七番は、油断すると二桁を叩いてしまうほどの難しいロングホールだったからだ。
「集中力、集中力」僕はそう自分に言いきかせながら足を運んだ。
・・・このころから僕はいよいよ残りの任期を見すえるようになっていた。夏央理がいなくなったあとのことも少しは落ちついて考えられるようになった。
あと六ヶ月弱の期間で自分にできる事。――前々からほんのりと芽ばえていたもくろみ、それはサモア語で初心者のためのギター教則本を造ることだった。
僕はそれをまず題名から決めた。
『E Faapefea Ona Ta le Kitara(ギターはどう弾くのか)』――意味はそのまま内容を表していた。シンプルなこのサモア語の字ずらと響きは僕の気にいるところだった。
そして夏央理の紹介で心強い味方も得た。その人は大学のサモア語の先生をされていて、名をマレタと言った。マレタは痩せた背の低いサモアの老婆で、同年代のサモア人と比しても上手な英語を使った。
ある日から、僕は毎週決められた時間にマレタの研究室に趣いて、書き言葉としてのサモア語の教えを請うことになった。そしてギター教則本の作成を進めることは、ほとんどが二人の共同作業になった。
最初の一文はこれから始まる・・・――「E ono auau i le kitara,(ギターには弦が六本あって)・・・」
前途は多難だろう。しかし僕はこれを完成させるに違いない。どういう形であろうとも・・・
・・・・・・十七番に続いて十八番でホールアウトした僕は手元でスコアーを計算した。合計百十五。最大のハンディキャップにおんぶしたにしても、当日はもっともっと好成績でまわらなけらばならない。JICO杯の順位はハーフで決められた。五十打以上叩いてしまったら、入賞はできない。
あとは運を天に任せるしかなかった。ゴルフには良くも悪くもまぐれ当たりを偶発させる魅力がある。初心者もプロもその魔性にとり憑かれてしまった者が、ゴルフの犠牲になるのだろう。
僕は夏央理を忘却という鋳型におし込めるものだったら、迷いもせずその犠牲者になる道を選びたかった。だけどゴルフは、僕を屠ってくれる対象にもしてくれなかった。ただプレイの面白さを伝授してくれただけにとどまった。
例えばホールから次のホールへと彷徨くあいだ、叙事的な新緑と植林された椰子の木を眺望しながら僕は何を考えたか。もちろん発汗で背中にTシャツが張りついていることも気になったし、両手に出来た血豆の具合も危ぶんだ。
でもこういう時でさえ夏央理の声や喋り方、猫背なところや内股でゆらゆらと歩く格好までもが、愛玩するペットを撫でる時のような安らかな感覚とともにじわりと喚起されるのだった。
いつかはこの情念にもピリオドを打つ時が、「けり」を付けなければならない時が来るはずだ。僕はその時期を自分で決めたいと思っていた。そのためにはきっかけが欲しかった.何かを足がかりにしなければ精神をコントロールすることなどできない。
当座の目標として、夏央理の帰る日がそれに当てはまりそうだった。僕は今、それを遂行するための心の準備期間にあった。
もちろん「レムー」レストランでのお別れパーティも着々と段取りを踏んでいた。
当日はJコープをはじめ、JICO関係者、在サモア日本企業の人だけで五十人ほど集まることになる。その出席者とは別に、送られる側の夏央理たちは自分の身近なサモア人を五人までゲストとして呼ぶことができた。招待の枠は広く、職場の上司や同僚、近所でお世話になった人々、家庭教師の先生・・・ホスト・ファミリーの家族を呼ぶ帰国部隊員なども居た。
食事のコースはあらかじめ出席者全員の人数を伝えただけで、すべてをレストラン側に任せた。首飾り、プレゼントの用意、寄せ書きの色紙(すでに見送るほうの面々には書いてもらっている)、受付と会費の金額、卓の配置と席次、車の確保、それからプログラムを含めた司会進行。――これらのことを僕は古屋ひとみ、小沢基子の三人で決めていった。
余興は必ず盛りこむ。その日は同じ出身県同士でグループをつくってゼスチャー・ゲームをすることになっていた。
そして七月の最初の土曜日――お別れパーティの当日はやっぱりやって来た。
「俺が夏央理を送るなんて!」・・・――レムーに向けてタクシーを運ばせている時も、何度こう思っただろう。
主催者は早めに現地に着く必要があった。事前の準備が山ほどあるからだ。
四時半、まだ照明もつけていないレストランの暗がりの屋内で運びこんだ荷物を広げると、まず僕はその中からプレゼントとして用意しておいた〈ほら貝〉を取りだして一吹きした。
ブブブォ〜〜ッ
・・・リハーサルでは景気よく、のろしの一発のように鳴らすことができたこの試奏を、僕は本番で失敗した。
五時半を過ぎるとぞくぞくと参加者たちが顔を揃えた。受付はひとみと基子が交代で担当して、僕は主賓たちに首飾りを掛ける役にまわった。
煉瓦色の長い石段を昇ってまず幼稚園教諭の鬼頭則子が、それからもう一人、主賓の男性部隊員が、それぞれ自分のゲストを率きつれて登場した。
夏央理は六時の開宴に遅刻した。すでに他の参加者は全員集まっていて、テラスでアペリティフ片手に談笑をあちこちで沸かせている。こういう時は男は襟付きに長ズボン、女はドレスを着ている。さすがに普段の格好(Tシャツ、しかも汚れて茶ばんだ!それから短パン、何度も手もみで洗濯した結果よれよれになっている)では気がひける場だった。
アピア湾の夕暮れでかかえているグラスも紅く染まっている。このギラギラとした近よりがたい斜光で部隊員たちの瞳も、歯も、朱色めいて輝きを放つ。そこにはパーティを前にした独特のムード、何ともいえない期待感のようなものが渦まいている。
夏央理からは店に「ゲストとの待ち合わせの関係で遅れる」むね連絡が入ったようだった。僕たちはそこでひとまずオープニングの辞令だけ述べて、あらためて乾杯の音頭をとることにした。いつものように待ちきれない連中はもうグラスに口をつけている。
JICOの事務所長が先導すると、会場のあちこちでグラスの打ちつけ合う音が散漫する。それからまた途切れもない談笑が湧きあがる。
テーブルは、同県・近県の出身者ごとに分けていた。余興のゼスチャー・ゲームに備えているのだった。
店は食事をビュッフェ形式にした。ぼちぼち料理が盛られた銀食器が並べられていく。


日が暮れるころになって、ホスト・ファミリーを連れた夏央理がようやく現れた。・・・藍染めの浴衣を着て。僕は表の石畳の上で、入場してくる夏央理の首にテウイラの花の首飾りを掛けた。すでに門の両側で焚かれた松明が花びらを黒ずんだ血の色のように照らして、その匂いにつつまれた夏央理の口もとはほころんだ。
こんな瞬間が本当に来てしまうなんて!――僕は時間というものの馬鹿正直さを恨んだ。どうして時間というヤツは我々を裏切ってくれないのか。
それでも感傷に浸っている場合ではなかった。この日司会を任されていた僕は、パーティが終わるまではまともにその役を務めなければならない。
「マーロー」――僕はそう言って夏央理について来たホスト・ファミリーの姉妹たちにも首飾りを掛けた。彼女たちとは復活祭以来の再会だった。
夏央理たちが席上に歩みよると、列席から歓迎の拍手がまき起こった。夏央理よりはサモアの姉妹たちのほうが恥ずかしがっている。
ディナーが始まり、途中に添えられたゼスチャー・ゲームのおまけは、絶大な反響を受けた。
それから真木コーディネータと事務所長からねぎらいと激励の言葉が贈られ、プレゼントと色紙が授与させる。
最後に主賓の三人が一人ずつ、サモアに残る人たちに二年間の感謝の意とこれからの健康をいたわる文句が捧げられると、パーティは佳境に達した。
・・・閉宴まぎわになると部隊員間ではちらちらと目くばせが飛びかい、内緒話が横行するようになるのは、毎度のことだった。そう、女性たちを二次会に誘いだすためだ。
僕は一人だけトイレに入って、着がえをした。プレゼントを手渡すとき、場を盛りあげるためにサモアの踊りの格好をしたのだった。上半身を光らせるために、椰子油まで胸に塗りたくったので、そのべとべとさを拭いおとすにはなかなかの時間を要した。もとのまともな服装に立ちもどってから、僕はトイレを出た。
すぐには移動ができない。僕たち三人には、後片付けと精算という使命がまだ残っていたからだ。
皆なは二次会の場所まで行くための車を確保しに奔走している。他方、パーティ嫌いの連中は一次会だけ形式的に顔を出しただけで早々と帰ってしまった。タクシーは店で呼んでもらえばわりとすぐに駆けつけた。もとから交際中の男女などは、すでにいそいそとシケこんでしまった。
ふと目が合ってから、夏央理が僕のほうに歩いてきた。伏目がちにさっきプレゼントしたばかりの〈ほら貝〉を両手で握っている。その貝を鳴らすときの吹き込み口に沿って、夏央理は細い右手の人差指をなぞらせた。
「さっきは皆なの前で失敗したけど、ちゃんと吹けば鳴るから安心して。」
僕は夏央理がこの僕の発言に対する返答をしてくるものとばかり思った。ところがこの次に夏央理が口を開いて投げてきた言葉は、まるでその前の僕のコメントからは逸していたので、耳を疑った。
「あの、藤井さん、よかったらこれから一緒に呑みに行きません?」
「何で?まわりは踊りに行こうって言ってるみたいだよ。」
――こういうのを天の邪鬼と称するんだ。そうか、世の中で偏屈って言われるのは、きっとこのことなんだ。僕は明らかに逆らっている・・・本能というものに。夏央理は話を続ける。
「太田さんとか、これからマウント・ヴァエアに行こうとか言うんだけど、あそこは暑いしな〜って。もっと涼しい所で一緒に呑まない?」
「それは抜けがけってヤツで・・・・・」
こんないじらしさがあるだろうか!彼女のつつましい人差指は、まだ貝の吹き口を撫でていた。そこはさっき、まぎれもなく僕が唇をあてがった場所だった!
僕は何度天使の悪戯をけ散らすことになるのだろう。どうしてこんな誘惑を、何ごともなかったようにかわしてしまうのだろう。
二人に、これ以上の会話はもたなかった。
そこで僕を呼びとめたひとみと基子とで、どうしても僕たちは主催者として必要な金銭的談議をしなければならなかった。
夏央理は夏央理で、連れてきたファミリーの姉妹を送らなければならなかったので、そのまま会場を離れようとした。
僕は焦った。出口のほうをまともに見ようとしなくても、夏央理の柔らかい存在が遠ざかっていくのが分かる。そのうちに僕の思考回路は、とてもまともに機能しなくなった。
ひとみと基子は精算した結果ああなる、こうなると喋っていたようだったけど、その時の僕は過去をうつろっていた。
・・・・・・マナセ村のロビンソンで夏央理がきいた「どうしたの?」という言葉。泊の見送りのとき空港で「帰国部隊員症候群っていうのかなぁ。今、それに陥ってるの」と零したセリフ。
そして・・・僕がサモアに来る前、東京の下北沢でネオンのボヤけた繁みの中へと姿を消していった深瀬真実。あの、思い切ったように風を切って僕にそっぽを向いたまま歩きだした背中・・・。
――後悔するだろう、後悔するに違いない、いや絶対に後悔する!あの時と同じように、反復を繰りかえす。いや、嫌だ。もう二度と「あの時、ああすれば良かった」なんて、嘆いてたまるものか!
僕は山本夏央理の後ろ姿を追って駆けだした。ひとみと基子をそっちのけにして。
夏央理の背中は店を出た、煉瓦色の石畳の階段を降りる所でとどめることができた。すでに夜は暗かった。
「山本さん!」
僕は大声で浴衣の襟からのぞいた夏央理の項に息を吹きかけるつもりで呼びとめた。彼女は僕に背中を向けたままでぴたりと立ちどまった。
「呑みにいくんですね。」
夏央理の後頭部が頷く。
「電話するよ、あとでまた。」
ここで初めて振りかえってから、夏央理ははにかんだ笑みを見せてこう言った。
――「家に居ます。待ってるから。」
二人はいったん別行動をとることになった。
それから僕は会場に戻っていそいで同伴人を誘うべく声をかけまわった。まず鬼頭則子が来ると言った。場所は「ドント・ドリンク・ザ・ウォータ」に決まった。そして、その他もろもろのJコープのメンバーたちも四人揃った。
僕が皆なを誘ったのは、まだ心に歯止めをかけようという意思があったことになる。というのも、夏央理は本当は僕と二人きりで呑みに行こうと誘ったのかも知れなかった。
パーティの勘定を済ませて後片付けも終わると、残ったのはやっぱり僕とひとみと基子の三人だった。僕たちは参加者の忘れ物などを届けるために、いったん事務所の談話室へと向かった。たとえレムーが山の中にあったとしても、そこからJICOの事務所まではタクシーで十五分もあれば行けた。つまりJコープはそれだけ狭い世界に固まって生活していたことになる。
事務所は裏口の鍵の暗証番号さえ知っていれば二十四時間出入りが可能だった。表には夜警の〈猫〉が居る。「猫」という名の中年のサモア人だ。
「マーロー、プシ。恋人はどこだい。」
この「恋人はどこだい」というのが、彼と会ったときの決まり文句になっていた。
「呑んできたのかい、あんたたち。」
「そうだよ。」
「あぁ、いいなぁ。楽しそうで。」
「ははは・・・」
夜の事務所の階段は、足音がよく響いた。無言で昇り降りすると、その音が余計もの悲しく鳴く。
二階に昇って、左手に進んでいけば和室、図書室、キッチンを廊下の両側に過ごしてつきあたりが談話室になる。
談話室は三十畳ほどの広さがあって、西面にメールボックス、掲示板となっているパーテーション、個人専用の金庫、そして東面にはテレビやビデオが設置されていた。横長の室の形に沿うように、いくつものソファーや安楽椅子が楕円形を造って連なっている。それは中央の背の低い卓の並びをちょうど囲うような配置だった。
三面の壁は腰から上がガラス窓だった。今はまるで黒い画用紙をはめこんだように夜の幕に覆われているけど、昼間はサモアの日ざしがカーテンのレース越しに差しこんだ。
夏央理に電話するつもりが、もう「ドント・ドリンク・ザ・ウォータ」で待っているから早く来てほしいという催促の電話が彼女から入った、と僕の戻りを待っていた橋本が伝えた。
パーティの後始末には確かに手間どった。その間に、鬼頭則子と夏央理は自宅を回って先に店へとついていたものと思える。考えてみれば、この二人は同居していたので、則子に店の名を伝えた時点で夏央理に電話する必要はなくなっていた。
僕は橋本と「ドント・ドリンク・ザ・ウォータ」に向かった。太田健二たちはきっと「マウント・ヴァエア」に踊りに行ったのだろう。
太田は今夜も夏央理を誘うのにしくじった。この男の焦りは僕の比ではなかったのではないか。ただ、ここまできて彼の表情にも諦めの顔が目だつようになった。
僕は太田を憐れんでいたけれども決して同情の言葉はかけなかった。むしろそれが愛する人に屈辱を受けた者への思いやりだろうと解釈した。向こうだってはっきりと僕の恋情については見ぬいていたわけだし、恋敵につまらない配慮をされることほど精神的な痛手はないだろう。
銀縁の眼鏡からうろたえにまみれた眼光をぎょろりとのぞかせて、落ち着きのない哀願するような声をあたりに浴びせる。それでも太田のこういった愛嬌のある立ちまわりはよく好かれた。
彼はよくこう言われたものだ。――「んもう、太田ちゃん、しっかりしなよ。また駄目なんだからぁ」
人間の持つ弱い部分をあけすけに晒すことのできる天賦は他人に安らぎを与えた。誰もが太田のことを見ると、自分の持つコンプレックスを一蹴できてしまう。
太田には天才的な愛の形があった。本人の荒れた感情、例えば「ひねくれ」がこの形を歪ませてしまうこともあったけど、概してそれは気にならない崩れ方であって、充分にまだ魅力があった。
ただ夏央理はこの形を「いとおしい」ものとはしなかった。夏央理はときどきびっくりするくらいに破滅的なことを口ばしった。
「どうせ北海道に帰ってももらい手なんて居ないから気にしないの」――これはある部隊員が、夏央理が足先につくってしまった傷跡をいたわった時の返答で、彼女はこのとき、こんなにも投げやりな言葉を吐いて僕たちを唖然とさせた。
太田も似たようなことを洩らすことがままあった。「どうせもう望みはないんだから」――彼はよくこんな嘆かわしい言葉を重ねた。
・・・・・・この同属ぶりは、どうだろう。そもそも恋愛は同属を意識したときに始まったものだけど、磁石のN極同士がくっつかないように、どちらか片方がN極からS極へと変える必要がその恋愛の成就のためには不可欠だった。
肌と肌、魂と魂の表面ではN極同士なのが、その中身を男女どちらかがS極に切りかえてみよう、切りかえてみたいと欲する要因が恋愛の発端には必要だった。
太田が内面をS極にすると、夏央理もS極にしたので、この二人は永遠に吸いつくことはありそうにもなかった。
かつて僕は、「いたわしい」とか「いとおしい」という意味でサモア人が「タロファ」と言っているのを首をかしげて聞いた。「タロファ」はサモア語では単に初対面の挨拶の言葉だったからだ。
ところが「タロファ」には裏に隠された単語があって、実は「Fai se ta alofa(愛を授けます)」というメッセージが籠められているということを知ったとき、語彙の少ない言語ほど人間の感情の出どころと素直につながっているものはないように思えた。
つまり夏央理は太田に「タロファ(愛を授け)」ていなかったわけだし、太田のことを「いたわしい」とか「いとおしい」とも感じていなかった。


・・・・・・「ドント・ドリンク・ザ・ウォータ」では夏央理以下鬼頭則子を含んだ五人が僕と橋本のことを待ちうけていた。ここは以前、ソフトボール大会をアメリカの平和部隊とやったときにも入った店で、やっぱりその日の室内でも冷房がよく効いていた。
「あとの人たちはやっぱり踊りに行ったのかな」――僕はもとから居た人たちに何気なくこうきいてから席についた。
「太田さんたち?うん、そう多分『マウント・ヴァエア』に行ったんだろうと思うよ。」
一人がそう答えたところで、今度は夏央理が「あたしも誘われたんだけど、あのディスコは暑いし」と不満ありげに語った。
僕はふいに夏央理が掌をパタパタとさせて、自分の首筋に風を送るあの仕草を想いだした。この「暑い」という言葉、これが内面の磁力を変えるための夏央理のキーワードだったに違いない。つまり太田が誘うディスコ→暑いのは嫌い→ディスコは暑い→太田は敬遠したいという感覚的図式を夏央理は容易に操った。いや、もしかしたらそれは自然さを装っていただけで、実は周到に練られた論理を実践していたのかも知れない。――夏央理なりの。
僕は鬼頭則子と、マノノ島に泳ぎ渡ったときの話などをしていたけど、すぐ隣りで夏央理と、居あわせた日本人歯科医師の始めた会話が気になって、上の空になった。
「・・・夏央理さんは、兄弟とか居るんですか。」
「えぇ、一応。兄と弟が。」
「一緒にお住まいで?」
「ううん、弟は学生で東京の大学に行ってます。兄は・・・お兄ちゃんは分からないな。どこで何やってるのやら・・・。カノジョと失踪したまま家族とは音信不通なんですよ。」
「じゃ、北海道に帰ってもご両親と夏央理さんだけか。」
「そうなの、はは。きっと父があたしを可愛がって離さないと思うんですよ。どこへだって車で連れてってくれるんだから。」
「でもいいよね、お兄さんと弟が居てそのまん中で女なんて。」
「はい。だからあたしって妹でもあるし、お姉さんにもなれるんです。」
それは僕にとって一つの覚醒だった。「妹であって、姉にもなれる」――この表現は真に夏央理という女そのものだった。彼女の持つ早変わり術も、すべてこの説明で納得がいった。
僕はあと一週間足らずの辛抱であることを心の中で何度も誦した。ここで間違えて色めいたことでも口ばしってしまったら、それこそ元の木阿弥だ。万一、今夏央理と、堕ちてしまったなら、僕は残りの任期をなげ捨てて、日本に帰ってしまうことになるだろう。
そういう事態は予期しないときに襲ってくるものなので、僕は保身のためにより一層思念を固めた。もはやどんなに悪戯好きな天使が囁く瞬間があっても、告白なんてしてはならなかった。
夜十一時半ごろになると、一緒に呑んでいたJコープ随一の名ゴルファーが暇乞いを申しでた。
「藤井、お前もだろう」――その部隊員は絶妙なタイミングで、僕にも帰宅するきっかけを振ってくれた。
「え?もう帰るの。」
椅子を後方にずらした僕に、夏央理ははっとして声をかけてから「あぁそうか、明日はゴルフがあるのね」と言葉をつなげた。
「そう、JICO杯がいよいよ明日なんだ。気合い充分って感じかな。」
僕はそう言って立ちあがった。
「そしたら、あたしたちもお開きにしましょうよ。ちょうどキリがいいってことで。」
夏央理がこう提案したために、僕たちは会話をいったん中断すると、皆なしてJICO事務所まで戻ることにした。
日本人の酔っ払い集団は、周囲に馬鹿笑いを飛ばしながら海岸道路沿いの少しの距離をそぞろ歩きした。
雨季の人数ほどではないものの、夕涼みにたむろするサモア人たちに冷やかされながらそれを横目に通りすぎるのは、日本人にとっての試練でもあった。
「やぁ、中国人」「糞、割礼!」「ブルースリーのように空手を見せてくれ」「キレイな姉ちゃん、その白い肌ちょうだい」
彼らは意味を悟られることはないだろうと思って、喋っている。こういうとき、僕はむしろサモア語を勉強しなかったほうがよかったと思うのだった。
そうすれば「知らぬが仏」、ただ連中に愛想を振りまくことができる。もし我々が奴らの茶化しに反応してしまえば、相手のサモア人も図にのって益々面白がるので、いつでもこういう時は無視をして通りすぎるのが賢明策だった。
ドミトリィの談話室に入るまでに一同はいつの間にかこれから総出で「マクデニーズ」に行ってアイスクリームを食べることになっていた。
「藤井さんも一緒に行かない?」夏央理のこの誘いに、僕は「いや、甘いものはちょっと」と言って乗らなかった。
腕時計の表示はもう午前0時を過ぎていた。実際、もう帰るべき時間だった。ゴルフ大会は日中の熱波を考慮して集合が午前七時半、スタートが八時だった。
「キャッ。」
廊下のほうで夏央理の悲鳴が聞こえたので近よると、どうやら橋本が酔っ払いついでに悪さを仕かけたようだった。
「ねぇねぇ、橋本くんに持ち上げられちゃったの。」
夏央理は僕に注意を引くと、困ったようにその大きな口を開けて声を震わせた。
僕は苦笑いでそれに応えるようにした。彼女にしても、はしゃいでいたところを見ると、口で言うほどまんざら厭でもなかったのだろう。
次の日のゴルフの結果は惨憺たるありさまだった。
五番のロングホールで、僕はOBを三回放った。それだけで勝負を放棄したくなった。
一度はニアピン賞をとったこともある次の六番ショートホールでダブルボギーを叩くと、ついに僕はその日でゴルフを打ち止めにすることにした。とにかく、何ひとつ成果のともなわない試合だった。
レストハウスでビールを回しながらサンドイッチを口に送りこむときも、すぐ脇で行われている表彰式をまともに見もしないで、黙々と会が終わるのを待っていた。
まわりの人たちは僕の歯ぎしりを聞くことはできなかったのだろう。しかし、ぎりぎりとひそかな音をたてていたのは僕だけではなかったはずだ。賞をとれなかった連中は、そうやって慰みにもならない、手もとの参加賞を眺めていた。
午後になって、憂さ晴らしに「パロロ・ディープ」海水浴場へ出かけたら、そこで夏央理と出くわした。
ビーチは町はずれにあって、入場料も安価なことからJコープの部隊員にとっては格好な保養地になっていた。そう、かつて部隊員総会があった時もここで二次会を兼ねた打ち上げをした。
夏央理は同居人の鬼頭則子と遊びにきていた。二人にとっては、これが最後の風情になるになるのだった。再びサモアに訪れることでもない限りは。
僕は小一時間ほど泳ぐと、さっさと帰る仕度をした。暇があれば必ず毎週日曜日にこのビーチにやって来て、一、二キロ泳いだら帰る。――僕のこんな習慣は、任期満了まで続いた。
通りすがりに自転車を引きずる僕を、案の定夏央理は引きとめた。
「ゴルフはどうだったの。」
「あぁっ、それはきかないでよ。」
彼女はちょうど独立記念祭の時と同じ短いパンツを穿いていた。
「また・・・・・・」と夏央理が言う。僕は「・・・また」と答える。
こんなのは言葉の雫で羽根突をしているようなものだ。最初に受けたほうが必ず水滴を板ではじかせてしまって終わる。ラリーが永続することはあり得ない。
夏央理は組んでいた剥きだしの白い素脚を四の字に組みかえた。復活祭のとき、その太腿にくっきりと浮かんだひと筋の引っかき傷があったことを鮮烈に憶えている。
だけど、僕がこれを見て何と思ったか・・・・・・
「やはりこの脚は手に入れるべきだったのだろうか」――これを偽りのない戯れ言としよう。


――――――――――
ついに夏央理の出発する日がやってきた。
それは亜麻色の屈光が万華鏡の中で夥しく反射して、まどろんでるような日だった。その日を、僕は空虚のままに過ごした。この一年と七ヶ月が、太陽に夢を見せられていた日々にように映えた。
僕はその日の空気にさえ、凶悪な殺人犯と握手を交わしているような嫌悪感で噎せた。
夏央理が行く。行ってしまう。こんなにも眩い日に。
僕は夏央理の渡航先のひとつでもあるパプア=ニューギニアの部隊員に直前の儀礼状を送るためにJICO事務所三階のFAX室に趣いた。
夏央理はそこに居あわせていた。というのも、彼女のニューギニア行きあれこれをバックアップしてあげたのは、何を隠そう僕だったからだ。
僕と夏央理は、恐らくはこれで最後になるだろう、密閉されたFAX室に、二人きりで息をたてていた。
「七月二十三日、○時×分ポートモレスビー空港着、フライトナンバー×××にて、前々からの約束どおり、山本夏央理嬢の送げいをよろしくたのむ。
同期 藤井一哉 」
送信する前に内容を見せると夏央理は「それでいいわ」と言いながら、何と僕の気をひく言葉を吐いたことか。
「どうでもいいけど藤井さん、平仮名が多いのね。」
それがほんの些細な中傷であればあるほど、その時の僕は夏央理に愛されていることを恐ろしいほど実感するのだった。
夏央理の、僕に対する小さな、それでいて精一杯な虐待。そのくすぐったさにせかされるように僕は用紙をFAX台に乗せてからダイヤルした。
用紙が機械の狭い隙間に吸いこまれていくとき、夏央理はこんなことを言って僕をさらにびくつかせた。
「・・・ヴァヌアトゥから電話するから。」
僕はたった今そんセリフを零した彼女の、つくずく醜い唇をまじまじと眺めた。目もとから片方の頬づたいには、肌の亀裂がほんのりと浮きたってそれはまるで夏央理の失われつつある若さを象徴しているようだった。
・・・この女に、俺のサモアは犯されていたのか?やっぱり告白なんてしなくてよかったんだ。
「国際電話は高くつくから、やめたほうがいいよ。」
僕はかろうじてこう答えた。
「でも・・・色々と手助けとか、アレンジまでしてもらった訳だし。」
・・・ヴァヌアトゥは、ニュージーランド経由で行く夏央理の最初の渡航先だった。パプア=ニューギニアへは、このヴァヌアトゥから向かう予定だった。
FAX室を出る刹那、夏央理は僕の背中のほうからもう一度言葉を突きさしてきた。
「あたし、ヴァヌアトゥから電話します。」
僕は振りむいて「ありがとう」と言うだけだった。そう言えるだけだった。
真木コーディネータの白いランド・クルーザは夏央理を〈城壁〉空港へ送るために、すでに屋根つきの駐車場で待機していた。
事務所の鉄扉を開ける。スーツケースを車の後部座席に乗っける。夏央理は助手席でシートベルトを構えると、数名の見送り連中とともに空港へと出発した。
僕はすぐにそのあとから、同じく事務所の専用車に乗せてもらって真木の車を追うことになっていた。
町は静まりかえっている。あたかもクゥ・デ・タの前兆のように。キナ臭い、異様な雰囲気を鼻腔で感じたのは、単に僕の思いすごしだったのだろう。
僕は今日に限っては、夕日が東の空に映るような気さえした。
空港に着く。夏央理はチェック・インを済ませた。
「夏央理さんが行ってしまうなんて」「また寂しくなりますね」「日本に着いたらまず一報をちょうだい」「帰途変路旅行中は気をつけて、特にP・N・Gはね」「あ〜ぁ。一人、また一人と、どんどんあたしの先輩が居なくなっていっちゃう」
出国をするゲートに向かうロビーを歩きながら、居残るJコープのメンバーはまたありきたりの常套句を並べたてて、別れのいたましい情感に耽る。
僕はそんなことは思っていても果たして口に出すべきか訝った。たとえ今日のヒロインが夏央理であっても、これからは居残る者の時代になるのだった。特に新しく来たばっかりで、夏央理とはほとんど馴染みのない部隊員にとっては、「寂しくなる」という発言は失礼に当たった。
とはいっても、その実一番悲しい思いをしているのは僕なのかも知れない。唯一、そこにも居あわせていた太田健二を除いては。
「山本さん」――僕は夏央理を呼びとめて、難儀なことをふっかけた。それは僕の最後の意地悪だった。
「・・・タラップの上で何か面白いことやってみてよ。こっちから見ててあげるから。」
夏央理はきょとんとして、「え〜」と是とも否ともつかない答えを返した。
「絶対だよ。」
僕は念を押した。
彼女は部隊員機関紙『マシナ』に掲載するための帰国部隊員アンケートの紙に記入していた。本当だったら前もって提出するべきものを、出国の直前になって書きだすところがまた夏央理らしかった。
キーボーディストの松井幸司が姿を現した。彼もまた夏央理とはお互いに世話になった仲だ。
そばには帰国を一週間後に控えた鬼頭則子が居た。東京に戻ったら、またもとの幼稚園で働く予定だった。空港の無線士・橋本も居た。そして僕の同僚の成田京子、彼女とその恋人とはこの後すぐのフィジー行きで片や派遣国外旅行、片や帰途変路旅行に出発するのだった。
日本人歯科医師に見そめられた大河原美里が居た。美里の同居人、富岡百子とJICO職員の河本聡、夏央理と四人で復活祭のサヴァイイ島めぐりをしたメンツももちろん揃っていた。
養護婦・古屋ひとみは居たけど、恋人であり、僕の二番目の同居人・渡部晃の姿はなかった。
そしてJICO専門家の韮崎夫妻、プールでバタフライの賭けをしたのが懐かしい。
こういう時は皆なが顔を揃えるものだった。
そして全員に見送られる中、夏央理は出国の扉の中に入っていく。もう一度、見送り客専用の柵ごしに現れた夏央理は、軽い足どりでアスファルトの路面に悠然と佇む飛行機まで向かい、タラップを昇りはじめる。
タラップの上でまた手を振ると、あっという間に夏央理は飛行機の先頭部の陰に消えてなくなってしまった。
・・・それは泥がはじけたような間だった。
肩すかしを浴びたまま呆気にとられていると、夏央理はもう一度タラップ上に乗りだして来た。ほどんどの日本人が町へ帰ろうと背中を向けた瞬間だった。
彼女は小さな軀を背伸びさせると、跳びあがるように投げキッスをした。僕はその光景を、夏央理の口紅を、可愛いものとして瞼に刻みこんだ。
彼女の口もとが醜くなければ、僕は彼女を美しいと思わなかったかも知れない。
〈水を分ける=海側〉の住居に帰って、玄関の扉を閉めたとたんに、慟哭が僕を襲った。薄暗い居間でソファーに両手をつきながら、僕は嗚咽して涙に噎せた。その涙は目頭を伝わり、自分の甲斐性のなさを苛むようにやがて両頬を傷つけていった。
ぼやけた視界を上のほうに向けると、埃っぽく汚れた白壁が、そこに何かを刻まれるのを欲しているようだった。
僕は、やりきれないまま紙とペンを持ちだして、たまらなくなった指を動かしながら、一つの詩篇を書きあげた。
Copyright©Keita.2000