十二、


マノノ島行きが再び浮上していた。この計画は、もちろん泳いで渡ることが大前提だ。
二月に強行したものとはうって変わって、今回は最初から参加者を募る形をとった。前回は真木コーディネータの目が光っていたので、あくまでも内密の業に徹した。実際泳いだのも、沢村のお父さんと当時の同居人の渡部、そして僕の三人だけだった。
部隊員のやらかすことが万が一にも事故になった場合、その責任をとるのは当然コーディネータということになるので、真木が僕たちのぬけがけを監視していたのも無理はない。
しかし、たった一回であっても僕たちの暴挙が成功したことによって、真木の拘束が緩んだ。表向きは「やめろ」と言いつつも、談話室の掲示板に参加者募集の広告を貼ることを真木は黙認していた。
今回集まったメンバーは七人。このうち泳いだのは六人にのぼった。その中には夏央理の同居人である鬼頭則子も居た。
夏央理自身も、前回はビデオ撮影を担当したこともあって、僕たちのクルーになりたがっていたけど、ちょうどご両親が日本からサモアに訪れていたこともあって、都合がつかなくなっていた。
僕と夏央理はそれまでにもよく電話をし合ったし、長く話すこともたびたびあった。ただし、以前とは僕のほうで受けとり方が違っていた。仲のいい友だちとの長電話・・・――僕は身内や親戚の女の子と話すようなやり方で、夏央理とは接するようになった。それはそれでわずかの進歩だと思った。
恋愛感情を消滅させるには二次元的な作用が必要だった。一つは時間的作用による効果、もう一つが心理的作用によるそれだ。しかしここまで来て時間に解決法を委ねるのは、途方もない労力と根気で、蜿々とドミノ倒しの駒を並べていくようなものだった。そして、今僕が求めているのが即効性の高い、もう一つの心理作用による効果だった。
それは至って単純で、僕が誰か別の女のことを好きになるか、夏央理が別の誰かと交際し始めるかのどっちかでよかった。むしろこっちのほうがはるかに早く僕の執着心や未練を海の中の藻屑と消しさることができる。
僕は太田と夏央理が早いところ付きあい始めることを望んだ。そして僕自身には、新たな夏央理の代用となるものが現れることを希求した。
ゴルフは、果たしてすぐには僕の悩みを解消してくれるものにはなってくれなかった。
「そうそう、帰途変路旅行のことなんだけど、今迷ってるところなのよ。」
――ある日も、夏央理のこんな前ふりから、僕たちは長電話になってしまった。
「ヴァヌアトゥとパプア=ニューギニアに行くんじゃなかったっけ?」――僕は「ル・ジャルダン」での、夏央理のセリフを想いかえしながらそうきいた。
「そうなんだけど、この前、いくらになるか計算してみたら、四十万近い出費になるの。この金額を見てちょっと物おじしちゃった。」
「確かにそのぐらいはかかるだろうな。どっちの国にしても、飛行機の定期便の数がそれほどありそうにもないし。」
「あの、藤井さん。藤井さんだったらどうする?」
夏央理は、つまらない質問を振ってきた。でもその内容がつまらないほど、僕を喜ばせた。僕はこれを、夏央理の阿りだと解釈して、満足げに答えた。
「――俺だったら、やっぱりヴァヌアトゥとパプア=ニューギニア、その両方に行くんじゃないかな。こんな国は一度日本に帰っちゃえば二度と行こうともしないだろうし、せっかく今太平洋に居るのだから、最後までこの地域の文化に触れてみたほうがいいんじゃない?それは四十万は痛い出血だろうけど、日本から行けばもっとするだろうからね。でもパプア=ニューギニアは気をつけたほうがいいよ。」
「女の人とか、襲われちゃたったりするって聞いたけど。」
夏央理はさも自分が女ではないかのような口のきき方をした。
P・N・G(パプア=ニューギニア)にもJコープは派遣されていた。ただし、ここには女性の部隊員は一人も居なかった。レイプ事件が絶えないからだ。実際、平和部隊のアメリカ人女性の中には犠牲者も何人かは居たようだ。
僕は、心中では「おせっかいなことはやめろ」と自分に命令しながらも、次のようなことを口ばしっていた。
「P・N・Gには俺の同期がたくさん居るから、エスコートを頼んでおいてもいいけど。」
・・・・・・これでまた夏央理とのやりとりが継続していく。今度はこの件のことで、お互いに電話し合うようになる。
「あっ、よかったぁ。あたし、P・N・Gにはあまり親しい同期が居なくて、どうしようかなって思ってたの。」
――こうしたとりとめのない言動の数々が永遠にリンクし続けると、夏央理との今までの関係にはっきりと「けり」をつけることなど二度とできないような気がしてくる。ひょっとしたらこんな状態は、日本に帰ってからも続いてしまうのだろうか。
ともかく、七月に夏央理がサモアをあとにする時には、一段落がつくはずだ。今はただ、その日を見すえて待っているしかなかった。
マノノ島行きは五月下旬の土曜日に決行することになった。
前の土曜日に、マノノ島にある橋本のホスト・ファミリーを尋ねておく必要がある。朝早く町を出て、バスで〈マノノ=島側〉までは一時間もかからない。そこにある船着場から、マノノ本島である〈マノノ=海側〉へは、モータァエンジン付きの小型ボードで約二十分だ。
ポリネシアの小型ボートはいわゆる「雙頭船」をかたどった金属製のミニチュアで、平行する二つの船体を、荷台としての桟が結んで一体になっている。十人〜二十人乗り程度の大きさで、同系統のボートはタヒティでも見られた。
モータァエンジンだと二十分で行ける距離を、生身では一時間半かけて泳ぐことになる。当初は今回を「リターン・フロム・マノノ」と銘うって前回を往路とするならば、今回は復路、つまりマノノ島→ウポル島を考えていたものの、潮の干満時間の関係、交通手段の確保などの諸事情から、今回もウポル→マノノの方向で泳ぐことになった。
マノノ島は歩いて一周しても一時間強くらいの小島で、島内には舗装道路はない。いや、二、三年前までは電気さえなかった。
橋本のファミリーを訪れるのはこれで四度めだったので、僕は顔も憶えれられていた。
「もう一度泳ぎたいんだけど」と言うと、家族の人たちは大声をあげて笑った。
「――もう一度、島から島へかい?これはまぁ、日本人はお強いこと!」
家長は、亡夫をひき継いで年老いた寡婦が務めていて、判走する船を手配してくれることを、またしても快く引きうけてくれた。
そのファミリーは島では貴重な現金収入となるカウンター式張り出し窓の〈売店〉を経営していたことから、村の有力者でもあった。船をチャータすることくらいは大した骨折りでもなかった。僕は謝礼金として百ターラー(約四千五百円)を払った。
サモアでは、バスの発着時刻のめぐり合わせ次第で、短時間に思いもかけない移動ができてしまったりする。
来週の土曜日、午前九時に船をウポル島側の船着場によこすよう約束してから、ファミリーには別れを告げて帰ると、バスの乗り継ぎが上手く運んで、午後二時前にはアピアの町まで戻ってきていた。
Jコープのドミトリィに着いてその談話室に顔を出すと、皆な「あれ、藤井さん、マノノには行かなかったんですか」ときく。「いや、もう行って帰ってきたよ」と答えても信じる者は居なかった。
その晩は〈げんこつの裏〉地区にあるJICOの専門家宅でパーティがあるというので、僕は夕方からそこにお邪魔した。早めに足を運んだのは、夏央理に誘われたのと、そのついでに果たさなければならない賭けがあったからだ。
JICO専門家たちが住む場所は、Jコープのフラットとは格段の差があった。〈げんこつの裏〉にあるその専門家の家も、町ではひときわ目立つアイボリーホワイトの小さな一軒屋で同じような様式の二階建てが何軒か並ぶうちの一つだった。小さいながらも立派な、共同プールさえある。
夏央理はこの日、このプールに僕を呼びよせた。理由は「泳ぎを覚えたいから」とのことだ。ところが実際に訪ねていってみると、僕が夏央理に教えるわけではなく、すでに別の女性部隊員を泳ぎの先生として引きつれていた。
僕は遅れて参加したので、日暮れ近くのプールでは夏央理が女性部隊員の指導を受けながら、ぎこちない抜き手と、あられもない大口を水上につき出して息つぎをする姿を眺めることになった。
僕の体はやや緊張していた。ついでの賭けがこの後に控えていたからだ。その賭けとは、先日別の呑み会の席上でたまたま出た冗談を発端にしていた。
何かの話がもとで、僕は「韮崎さんとこのプールだったら、バタフライを三掻きしただけで、端から端まで泳ぎきれます」と啖呵をきってしまった。
話に乗ってきたのは当の韮崎氏の奥さんのほうだった。
「本当に?ウチのプールの縦の長さをよ。」
「だって横の幅だったら十メートルぐらいしかないじゃないですか。縦なら十五メートルぐらいはあるでしょう。」
そういうことなら、ということで僕と韮崎夫人はウィスキー一瓶で賭けをすることになった。そして今真にその韮崎邸の共同プールを目の前にしているのだった。
僕には自信があった。バタフライは意外に推進力のある泳法で、競泳種目の中でもクロールの次に速い。特に海上などでは塩水で浮力がつくため、潮流に逆らう時などは、クロール以上に前進するための効力を発揮するように思われた。
ちなみにクロールは海上では不向きな泳ぎ方であることをすでに学んでいた。息つぎのとき顔を横に上げるために、前方確認がとれない上、横に向いた瞬間に波をもろに被る可能性があるからだ。
やはり海では目的地に向かって正面を見る平泳ぎのほうが有効だった。なるほど遠泳が平泳ぎで行われる理由が充分に頷ける。そしてバタフライも、脚力を存分に利用した泳ぎ方としては理想的なドルフィンキックと、水中で掻いている時間の長い、効率的な掌の運動によって、強力な機動力を誇る泳法だった。
ただし、今日はプールが舞台だ。海とは勝手が違う。


「さぁさぁ、藤井さんのお兄ちゃん、始めましょうよ。あたしが見極めていてあげるから。言っときますけど三掻きですよ、三掻き。それ以上掻くようなことがあったらあたしの勝ち。ウィスキーは本当に頂きますよ。」
韮崎夫人は家のほうからやってくるなり声を弾ませて僕をせかした。
「・・・・・・ねぇ早くぅ、藤井さんのお兄ちゃんたらぁ。」
僕はもう一度夫人にせかされてからおもむろにプールサイドを立ちあがった。夏央理ももう一人の部隊員と僕の動きを見まもっている。
飛び込みに備えてプールのへりに両足の親指をからめると、思っていたよりも距離があったので、少し物おじした。
目測で二十メーターある。十五メーターなんて、とんでもない。僕は「あっ、駄目かな」と早まった賭けをしてしまったことを反省した。そしてウィスキーのボトルを買っている時の自分の姿までイメージした。
しかし次には頭の中で二十メートルに辿りつくための行程配分を即座に計算した。飛び込みとワン・ドルフィンキックで十メートルは稼げる。あとの十メートルを三掻きで泳ぎきればいい。ということは一掻きに必要な推進距離は約三・三メートル・・・・・・。
「よし、行ける」と僕は思った。そして何の躊躇もなく水面へと弧を描いた。
頭の前方に伸ばした両手から鋭く水面にくい破っていく。この時の角度が大切だ。水中に深く潜りすぎたら距離を損する。かといって水面すれすれに飛びこむと飛沫があがる。この飛沫は失速という重大なミスを生みだす。
僕はまずまずの角度で水中に突入した。そのままドルフィンキックをタイミング良く打つ。これはもう、飛び込みからの一連の動作のようなもので、意識しないでも気づいた時にはキックを放っている。
ここでリズムに乗って一掻きめで加速に入るのが普通だった。ところが飛び込みだけで距離を稼ごうとした僕は、伸身姿勢のままプールのど真ん中でブレーキしてしまった。
止まってしまった体を掌の運動だけで再起動させることは、並たいていのことではない。あわてた末の一掻きめ、そしてさらにアクセルをかける必要に迫られた僕は続けざまに二掻きめの両手を前方に送りだしてしまった(それは条件反射に近いものだった)。二掻きめの息継ぎのとき、「やばい」と思ったのはあと一掻きだけを残して目の前に残る距離が四メートル以上もあったからだ。
だけどここで一連の動作を止めるわけには行かない。バタフライ泳法で大切なのはリズムだからだ。そのリズムが狂うと、全身のバランスまでも崩してしまう。
力をふり絞ってついに僕は三掻きめを繰りだした。再び両の掌を前方に押しだして伸身姿勢に入る。この後の前進は余勢に頼るしかない。そしてそれからは、自分の息との勝負になる。
どのくらい呼吸を止めて我慢しただろうか。手の先がプールの壁に触れたので、僕は到達を確信した。
成功、したのだった。その時は賭けに勝った、というよりは、自分の強情を押しとおしてそれを証明することができた満足と、「これでウィスキーを買わなくても済む」という安心感のほうが強かった。
水面から顔を上げて韮崎夫人のことを見つめると、彼女は両手を腰に当てて「どうも納得が行かない」という風に首をかしげて立っている。
夕陽が瞼にすいついた水滴で霞んだ。夫人の後方のネットフェンス越しに見える端正に刈られた芝生が蜃気楼のように映る。
「確かに、掻いたのは三回だったわよね。でもちょっとねぇ・・・うん。」
韮崎夫人の言い分はこうだ。――要は飛び込み直後のドルフィンキックがずるいと思ったらしい。実際にその数も入れると三回半掻きになるじゃないか、ということだった。彼女としてみれば、僕が飛び込みと一回のドルフィンキックだけで全体の距離の半分も行ってしまうとは、まるで予想外のことだったのだろう。
しかし僕の立場としては、逆にそれがあるからこそ三掻きで渡りきることを確信していたわけで、それなしではとうてい無茶な賭けになっただろうし、賭けそのものもしなかっただろう。
結局、「双方の勝」ちということで賭けの行方は落ちついた。それが後々まで尾を引かない、賢明な決着だった。
韮崎氏の邸内は「これがサモアの中か」と見まちがうほど小ぎれいで、家具やカーペット、壁紙のデザイン、システムキッチンの造りひとつにも夫人の心がつくされ、よく手入れが行きとどいていた。
もちろんサモアでもホテルの部屋などはそれなりに清潔感があったし、美しい装飾も施されていたけど、氏の邸宅にはホテルにはない、日常というものがそこかしこに漂っていた。生活の中からぽっと湧きでた秀麗さがあった。
韮崎氏はJICOの専門家という職務についていた。技術系の専門学校(カレッジのようなもの)で主に電気関係の講義のために教壇に立つ日々を送っていた。
専門家はJコープとは枠が違う。基本的には二〜三年、もしくは短期(プロジェクトなど)でJICOと契約した上で派遣されるので、月極めの給料が与えられる。
Jコープは現地では生活費しか貰うことができなく、それとは別に毎月の積立金が本国の自分の口座に支払われる(現地での引出しは不可能)しくみになっている。
専門家の給料はときに部隊員の与えられる生活費の十倍にもなりえたので、そのパーティにいつも僕たちはたかった。
その夜になってから開かれた韮崎邸のパーティにも、ぞくぞくと日本人がやって来た。どこで話を聞きつけたのか、ちょっと前までJコープ現役ですでに引退したというのにサモアに居のこったままの(よっぽどサモアの居心地がいいのだろう)松井幸司の姿まであった。彼の妹はとっくに日本に帰っていた。
その日引きだされた食べものの中には、夏央理の両親が日本から持ってきたお土産の乾物などが添えられていた。ふだん、僕たちは日本に居たとしても、好んで乾物などを食していたわけではない。それでも、サモアではこういった日本的味覚を少しでも懐かしむことができることに、不思議とありがたさを感じるのだった。
僕はこのあいだ「カフェ・ノアール」に夏央理と二人で現れた泊英樹と、ほとんど内緒話をするような格好で、男女の痴話をひそひそとし始めた。
その話のターゲットはただ一人、大河原美里という女。
・・・・・・大河原美里、恋多き女性。僕の住宅の近くで富岡百子と同居している、もう一人の女。――僕は彼女たちの草刈りをよく手伝ってあげていた。
美里は、自分に言いよってくる男とはすべて寝た。でもこれは、彼女に節度がなかったわけではなく、その不埒は、むしろ彼女に迫っていく男のほうに責任があった。
彼女に罪があったとすれば、それは彼女特有の、男を惹きつけるフェロモンだった。ほとんどの男がこれにコロリとなった。
美里には恋愛欲というものがいっさいなかったのではないか。ただ、自分に口説いてくる男に終始よろめいていただけだった。
かつての僕の同居人、渡部との間にもサモアに来た当初から噂があった(この二人は同期なので同じ日にサモアに来た)。そしてJICO職員の河本聡。あのサヴァイイ島の旅行中、ハンドルを握る彼の横顔に、涼しい笑顔の中にもどこかしら陰鬱さがあったのも、この女との大失恋がもとにあった。
アピア近郊に住むある日本人歯科医師なども、美里に溺れて重症となってしまった男の一人だ。彼の寵愛ぶりなどは、他のJコープの目にも余るほど淫猥だった。
美里は、隣りにどんな男が居ても、その男の恋人らしく振舞うことができた。そんなとき、僕はこの女が世の中にいくつも体を持っているような錯覚を起こした。とうてい、それまでと同じ人格の人間には見えなかったからだ。彼女は自分の中にいくつもの人格を持っていて、それは新しい男と出あうたびに分裂し、増殖していくようだった。
そんな美里の名が場にのぼるだけでも、男子部隊員の俗っぽい酒の肴としては尽きることがない。他愛もないそねみと、人間の動物的食指を最も動かせる情事。「最後に彼女の心を射とめるのは誰だ?」――こんな話題をもちかけたりふっかけたりすることが、実は日ごろのストレスを発散させる、一番てっとりばやいヒーリングにもなったりする。
僕と泊が、長々と耳打ちしているところを見て、夏央理が割って入ってきた。
「ねぇ、何話てんの。」
僕は泊と二人して首を横に振って目の前に掌をたてた。
「いや、別に山本さんには何も関係のないことだよ。」
――苦しまぎれに僕はこんな曖昧な返事をした。
・・・・・・あとになって想いかえしてみると、どうしてこのとき夏央理はこんなことをきいて来たのだろうか。僕と泊が自分のことでひそひそ話をしているとでも勘違いしたのか・・・――いや、違う。
ただ僕たちに叱責したかったのなら、その場に居る人たち全員に届くようなわざとらしい大きな声で罵ればいい。その実、ぼそぼそと囁きあっては笑いを殺していた僕と泊などはみっともなかっただろうし、パーティの雰囲気を壊すものとして注意されるべき対象でもあっただろう。
僕はこの「何話てんの」という夏央理の呼びかけを一つの牽制だったと解釈した。夏央理は震えるような小声で僕に訴えかけてきたからだ。僕の気をひこうと、促すような目つきで喋りかけて来たからだ。その目は、「これ以上その話をしちゃ駄目、今夜はあたしが居るのよ」と語っているようだった。
こういう夏央理が健気に思えるのは、いかに僕の恋心がしぶとく生き残っているかを証明していた。そして僕はこの恋心の息の根をとめることを、すでに半分は断念するようになっていた。すべての運命をなすがままなされるがままに野放しにしていた。
僕たちの傍らでは、ソファーに座った河本が聞き耳を立てていた。僕は泊の耳に掌を当てている時から、彼の注視には気づいていた。そして僕と目が合ったときに、気まずさをうけ流そうと視線をそらせたので、盗み聞きしていたことがすぐに分かった。やっぱり大河原美里のこととなると、彼自身も蟠りをぬぐい捨てることはできないのか。JICO職員といっても一人の人間だし男だ。
美里はまるで聖女の匂いをした娼婦のようだ。まやかしの薫香を小脇に携えて目に見えない網を無意識に張りめぐらせている。嗅ぎよせられて罠にかかった男を奉仕する術には事欠かない。彼女は男の逞しさに諂うことを知っていた。
美里は女王蜂のようにたくさんの雄たちを引きつれていた。だけど彼女自身は自分の腹の中に隠された針があることを自覚していなかった。
僕は本能的にその針をすかし見たために、この女には近よらなかった。他にも僕のようにそれを察知した男は居て、その者たちは女王蜂に悩殺されてしまった連中を、茶化しながら眺めていた。僕のように陰でひそひそ話をしながら臍で茶を沸かしていた。
夜も更けてパーティがお開きになると、別のJICO専門家が僕を自宅まで送ってくれることになった。そこへ同乗してきたのは、偶然にも夏央理だった。ところが僕と夏央理は帰る方向がまるで逆だった。
それでも夏央理は、「〈水を分ける〉が先でいいですよ。あたしのとこは後にして」と世間一般の常識というものを蹴ちらすような素振りで言いはなった。
本来なら、女性の家を先に回るべきだろう。僕はこういうところに彼女の社交性を評価していたのだった。夏央理は礼節を熟慮しながら、慣例や風習などにはとらわれない、違ったタイプの女性だった。何よりも本人が自立していた。「男は女を守り、女は常に守られるもの」――こんなせせこましい主義など、鼻であしらう女だった。
――――――――――


それから一週間が過ぎて、いよいよ二回目のマノノ渡泳の日になった。夏央理は居なかったので、その日のビデオカメラは僕自身が捌くことになった。
僕たちの一行は実際には泳がない参加者まで含めると、七人になった。午前九時過ぎ、町からのバスで船着場まで到着すると、意外にもすでに判走用の船は日本人を待っていてくれた。相手が外人だとサモ人も時間にきっちりしているのか、あるいは船をよこした家長がよっぽどしっかり者だったのだろう。
操舵する若いサモア人も二人来ていたので、余り彼らを待たせるのを気がねした僕たちは軽い準備運動を済ませると、次々に入水を始めた。
僕だけはビデオ撮影のほうに重きをおいていたので、たびあるごとに船に戻ってはカメラを回した。
何かの拍子に足の裏などを怪我した者は、ただちに自己申告をして遊泳を中止にすることを決め事としていた。参加者はちょっとした擦り傷であっても、続行を中止するように指示された。鮫は、数百メートル先の血の匂いも嗅ぎつけるという。
そう、一番の懸念は鮫の出現にあった。ヤツらはふつう外海に居て、礁の中には入ってこないと言われていたけど、実際には迷いこんで入ってくる可能性も充分にある。外海と違って礁の中は餌となる魚も少ないことから、万一そこに迷いこんだ鮫は腹をすかしているだろうと参加者の一人、渡部は推測した。
血は問題外だし、集団でバタバタと音をたてて泳いでいるのも、鮫を誘いよせてしまう要因にもなりえた。サモア人だって毎年一人や二人は漁の最中に鮫の餌食になっている。
船着場を出発した僕たちは、最初の二、三百メートルは足がつく深さの海を泳行することになる。たとえ足がつく所でも必ず泳ぐ。というのは、海底には夥しい海藻が繊細な茎根を張っていたし、いついつその陰に隠れた貝などに素足を噛まれて怪我をするとも限らない。
もちろん足ひれを穿いていれば保護もされるわけだけど、フィンをしていると歩くよりは泳いだほうがずっと速くなる。そして泳者五人のうち、フィンを着けたのは二人だけで、渡部なども今回はゴーグルを着用するのみで素手と素足の挑戦だった。
足が届かなくなる場所まで行きつくと、本調子で邁進することになる。
ロケーションは抜群だ。前方に目的地マノノ島を拝み、その向こうには妖しげに屹立する擂鉢状の小島、アポリマ島が揺らいでいる。このアポリマ島まで行ってしまうと、礁は完全に途絶える。アポリマ島は周囲こそマノノ島に及ばないものの、深海から一気にのびて聳える断崖は、大きくマノノを凌駕していた。遥か彼方の右手には幽かにサヴァイイ島の影がうつろっている。
空は快晴だ。乾季の風は自然の蒼碧を呼びこむ。ところどころに散在する白い雲さえ太陽を邪魔することもなく優雅に漂う。
こんな瞬間こそ、幼い時に憶えたあの歌が口をつく。
あおいあおい空だよ、しろいしろい雲だよ、サモアの島常夏だよ
眼前に広がる海は、少年の頃の憧憬。この極上の美しさは、あの真珠色の粘土質になった珊瑚礁のせいだった(それはタヒティにもあった!)。なるほど奇麗に透きとおった海ほど熱帯魚は泳いでいない。たまに、砂を被って海の底に這いつくばっているエイを見つけることがあるくらいだ。
ふと我にかえると、突然の鮫の来襲にはいつでも気を配らなけらばならなかった。美しいということは恐ろしいことだ。それは絶世の美女に対するとき、我々が縛られるような畏怖を覚えるのに似ている。
僕たちはしびれているのだった。美と恐怖に直面して。
耳に入ってくるのはチャップチャップという、自分の泳ぎがたてる音だけだ。ときおり伴走船のエンジン音がけたたましく鳴る。このボートは、ずっとモータァをつけっぱなしにしているわけではなかった。僕たちの移動するペースに合わせて、追いぬいてはエンジンを止めてそこで待ち、僕たちがボートを追いこすと、またその数百メートル先に進んではそこで待つ、という所作を繰りかえした。
途中、三十分ごとに一回休憩を入れることにしていた。そこで船に乗って休んでも、立ち泳ぎのまま息を整えてもよかった。ただし、船に昇ったり降りたりすることは、その運動だけでも労力を消費したので、海面に体を浮かせたままゆったりとくつろいでいたほうが賢明だとも考えられた。
女性メンバーのうち一人は早くも脱落してボートの上で地球の織りなす造形に浸っていた。もう一人は夏央理と同居している鬼頭則子で、彼女のほうはまだまだ泳行を続けられそうだった。
則子は、夏央理とは違う意味でまたひとり立ちしている女だ。夏央理が理論派で新しもの好きなのにたいして、則子はマイペースで自然派だった。
則子なら、アマゾンのジャングルの中だって一人で生活しただろう。地にしっかりと足を踏みつけて、そこに根を生やしたことだろう。
彼女には勇気が天賦されていたわけではない。与えられていたとすれば、それは無知識だ。しかし、それは言ってみれば処女の無知識であって、男であれば誰でも一度は犯してみたい欲求にかれれるこの永遠の魅力が、愛玩動物のようなつぶらな瞳の奥からはじけていた。
その則子が、今日は両足にフィンをはめて悠々と海上を進んでいた。いつもは幼稚園の子供たちに捕まえられたり、乱暴に叩かれたりしているのだろうその軀を、水を得た魚のように優雅にフィンを踊らせていた。
僕たちは鮫対策のために常に固まって泳ぐことを前もって決めていたけれど、いざ海にでてしまうと、結局個人によって呼吸も違えば泳ぐ速度もバラバラなために、集団は割れていくのだった。これは前回のときも同様だった。
一人、則子が目標から脱線して泳ぎだしたので、僕は抜き手を切って彼女を追った。相手が女性であっても、フィンで水を掻いている者に素手で対抗するのは骨が折れる。僕があぐねていると、急に彼女が足の動きを止めたので、僕は勢い余って立ち泳ぎを始めた女の背中にぶつかりそうになった。
「おっと。」
――僕は則子の背中に両手を添えるようにして体の自由をとり戻した。
「今大きな魚みたいなものが目の前を通り過ぎていった!」
則子が、芝居の台本を読みかえすような口調でこう言った。
「え、それって鮫のこと?」
「ううん、多分鮫じゃないと思うけど、銀色に光る大きな魚の影が見えたの、うん。」
則子はこんな時もセリフの最後に「うん」をつけたすのを忘れなかった。
僕は最悪の事態を戦慄をもって想定した。
「分かった。とりあえず船に戻ろう。もうさっきから三十分たっている。ちょうどいいからそのまま二回目の休憩に入って、皆なで作戦会議をしよう。」
則子は頷いた。
「ついて来て。俺から離れちゃ駄目だ。」
僕はそのまま二百メートル先で浮いているボートまで則子を誘導した。その時間は怨みたくなるほど長く感じた。いつ鮫が顎を大きく開いて顔を出し、歯をむき出して襲ってくるか、あるいは水面下からしのび寄って僕らの体を喰いちぎって行くか。表情を変えないように我慢していたけど、内心はびくびくして、心臓の内側に汗をかいていた。
七人が船の上と海面に集まって討議した。マノノ島まで、残りの距離は目測でも一キロ余り・・・ということはつまり全体の三分の二の所まではすでに来ていた。
全員が則子の話に、一瞬黙りこくってしまった。ところが異様な空気の中、誰よりも計画の続行を主張したのは則子本人だった。
「大丈夫ですよ、やりましょう。ここまで来たんですし、あたしが見たのは多分鮫なんかじゃありません。大きめの別な魚です。うろこみたいなものもあったし。」
「そうですよ。ここで止めたんじゃ、何もかも水の泡じゃないですか、藤井さん。」
渡部もそれに強く同調した。
僕は則子の無鉄砲ぶりにたじろぎながらも感服していた。だけど本当に鮫の犠牲になってしまう人がいるとしたら、きっと則子や渡部のようなタイプの人間だろうと自分の臆病さを正統化させてもいた。
僕たちはそれから四十分もしないうちにマノノ島にランディングしていた。完全に泳ぎきったのは四人。その中には則子も含まれていた。
ひょっとしたら彼女は、ウポル島とマノノ島を泳いで渡った最初の日本人女性かも知れなかった。この偉業は大拍手でたたえるべきだった。
ぐったりとしながらも僕たちは、二月にもてなしを受けたとき以上の豪華な昼食をマノノのファミリーからあずかった。それから則子たちは午後の定期便でアピアの町へと帰っていった。
僕は島に残った。他に渡部、そして空港で働く橋本もそのまま留まった。そこはもともと橋本のホスト・ファミリーだったので、何の気がねもいらなかった。
夜に近くの会場で〈お楽しみ〉ショーがあるというので冷やかしついでに観にいったあと、僕たちは三人で海辺まで散歩に出かけた。ファミリーのちっちゃな子もついて来ていた。
そのショーの内容は冷やかすどころか、感嘆に値するものだった。楽団による吹奏楽とサモアの踊りを交互に盛りこむプログラムで、音楽的な土台もしっかりしていた。演出を手がけた団長はニュージーランドで音楽留学をして来たのだという。踊りを抜いた楽団だけで行進することもあるらしいので、今度の独立記念祭の祝賀パレードでは我が音楽学校の強力な対抗馬となりそうだ。


僕たちはあれこれとショーについての論評をはずませながら、護岸に沿ってそぞろ歩きをし、小型ボートを停泊させるために突出した人口岩の先っぽに腰を下ろした。
「きれいな月だよ。」
そばでジェイソンが声をあげた。この幼な子はファミリーで一番可愛がられていて、最近になってようやく喋れるようになってきた。
「そうだね。」
「星がいっぱいだね。」
「そうだね。」
自分が話すと、相手から反応が返ってくるのが嬉しいようで、この年頃の子どもは絶え間なく声を発している。
実際、水平線から姿を現した月は輝きに満ちていたし、夜空には幾千もの星が見えた。
島には街燈がいっさいない。それでも凪いだ波の影を、月の光はくっきりと生やしていたし、椰子の木の骨太な葉やたんわりとした実も夜景の中に映しだされていた。
さざめく波の泡は、すぐそこに確実に存在していた。細かい飛沫が舞うとそれは頬を撫でて舌や鼻腔に潮の味わいをしみらせる。夜空に飛びちった夥しい星の数を見ていると、それらはむせび泣いているようで、ときには吐き気さえ催すことがある。
僕たちはもう南十字星を探さない。それは眺めているうちに見つかるだろうと思っている。サモアに来た当初は夢中になって見つける早さを競ったものを。
――もう一年と半年が過ぎていた。カエンジュの鮮やかな紅色の花にまみれて灼熱の太陽に洗礼を浴びたあの日から、時間は止まったまま白昼夢のように過ぎていった。
僕には残りの期間が半年あった。それでも、なぜだろう・・・――自分のサモアはあと一ヶ月ちょっとで終わってしまうような気がした。そこまでは燃えさかる炎であって、それから先の五ヶ月はマッチの火を消した時に起きる、あの炭素の匂いしかなかった。
あと一ヶ月ちょっとで夏央理が帰ってしまう。どうあがいても必ず来てしまうその日を、まともな精神状態で迎えられるだろうか。そして、その日までのせつなさ。そのあとの生活の、何という空虚さ。
しかし、僕の決心はもう固まっていた。
ほんの半年前までは「告白しなければならない」と思っていたものが、今は「絶対に隠さなければならない。この恋は力ずくで消滅させなければならない」に変わっていた。
まず太田という恋敵の出現が大きくのしかかった。そして「デェトに誘いだすことに失敗した」というこだわりが、僕に偏屈な執着心を根づかせてしまった。「――あの日のファファフィネ・ショーに彼女が来なかった以上、あれで一つの答を出したんだから」と。もちろんその答とは、「彼女から引く」ことだった。
「サァ〜モォア〜。」
僕は大声で歌った。それはかつて〈木椀の魚〉に教わった歌の一節だった。
「ヒャハハハ。」
ジェイソンがすぐ横で面白がった。
それから月の光に照らされた堤の岩肌に寝そべって、僕と橋本はつまらない世間話をとりとめもなく続けた。
二人の話題が途ぎれると、僕は「サァ〜モォア〜」ともう一度歌い、それを聞いてジェイソンが笑う。
こんなことをしている間も渡部は寡黙だった。彼は必要なこと以外は全く喋らない男だった。それはこの男の主義に見えたので、まわりもそれを蹂躙しようとはしなかった。渡部は頭脳的にも秀逸だったので、むしろ敬意をもって皆なからは受けいれられた。
だけどこのとき、彼が遠くの景色を見すかした目で何を考えていたかは臆測できない。
ひょっとしたら大河原美里のことを考えていたのかも知れない。渡部もかつては美里の蜂の巣の中に居た男だった。今はひとみという新しい女が居て、その巣からは這いだしたようには見えた。しかし男の情念は根深いものだ。果たしてこの時点で渡部が美里のことを真の意味で忘却の彼方へと押しやっていたかどうかは判断できない。
――――――――――
音楽学校では独立記念祭に備え、パレードのための予行演習がしきりに行われていた。こういった特別行事が入ってくると、どうしても通常のカリキュラムが狂ってしまう。僕が予定していたギター講座も、突如行進の練習の時間に変更されたりすることが重なって、やきもきすることもたびたびあった。そういう日は、せっかく前もって用意しておいた教材が台無しになってしまうからだ。
だけどもそういった事態はもう慣れっこになっていた。この頃になると僕自身も学校のやり方に順応して、むしろその範囲内で教師の立場を楽しんでやろう、という気になっていた。
その日も女校長ティティの鶴の一声、「本日は通常のカリキュラムを中止にして当日のリハーサルのために時間を割くことにします」で、またもや僕は自分のギターの講座を返上しなければならなくなった。
しかしそのほうがおあつらえだったかも知れない。というのも僕は少しウキウキしながら楽器部屋にリューホニウムを取りにいったからだ。
僕は自分にとっては初めてになる楽器、リューホニウムの奏者として学校の楽団に参加していた。僕だけではなく、楽団には教師たちも必ず編入していた。トロンボーン、コルネット、サキソフォーン、クラリネット・・・・・・これらの楽器はかつて日本のN.G.O.(非政府組織)が過疎地域の廃校となった小学校からそっくりそのまま横流ししてくれたものだった。
僕は久しぶりに何かを一から始めるときの、初心者の楽しみを実感していた。マウスピースを口にあてがい、ピストンに指が触れる時には、震えるような快感がこみあげた。
音楽学校がパレードのために用意した演目は二曲。すでに座ったまま不動で演奏する分には満足がいく形にはできあがっていた。ところがそれを行進しながらとなると、不動でする腕前の半分も発揮できないのだった。僕自身、きれいに足並みを揃えて呼吸を整えながら吹奏することがいかに難しいか、自分がやる立場になって初めて気づいた。
「左、右、左、右、ぜんたぁーい、進め。左、右、左、右、はい一曲目、よぉ〜い。ほらほらそこ、先ばしらない、先ばしらない。ちゃんと列を揃えて。いつも自分がどこにいるか、まわりを見て確認しなさい。はい、一、二、一、二、左、右、左、右・・・・・・」
ティティ自らが手を叩きながら念入りに指導する。やはり校長が直接指図すると、場の緊張感も高まって生徒や教師たちの表情も真剣になっていく。
日を重ねるごとに、演奏を兼ねた行進もだんだんと見栄えするようにもなって、まずまずの仕上がりになっていった。
六月一日の当日のパレードには、夏央理の姿も見られた。
場所は町の郊外、アピア湾からは西に四キロほど海岸線をたどった岬の近くにある〈最後の村〉だった。ここには国会議事堂もあって、さらに国事行為を催すための芝生広場や、開かれた家があった。
僕たちは参加する団体ごとに朝早くから並んで、この芝生の上を国家元首マリエトア=タヌマフィリ二世の御前、およびその他の政府の役職の前で二百メートルばかりの行進をする。
行進の内容については、基本的に何をパフォーマンスしてもよかった。ただし場にふさわしくないもの、みだりにふしだらだったり、元首を罵倒するようなことは禁じられていた。中にはただ並歩して元首の御前に向きなおって恭しく挨拶をするだけ、という団体もあった。
ただ音楽学校であるという都合上、僕たちはどうしても行進バンドを構成して、サモア全土にアピールする必要があった。
夏央理は、三人の女性部隊員の仲にまじって見学に来ていた。僕が手を振っても気づかないでいる。会場は、恐らくは万単位の人ごみでごったがえしていたので無理もない。
彼女たちはちょっとした高みからパレードを見おろす形だったので、逆に出演者側からは目立っていた。夏央理は短いパンツから白い太腿を惜しげもなく顕わにして眺めていた。他の二人が背の高い女性だったので、彼女の小ささが余計に引きたった。
遠くのほうで見事な吹奏楽団のパレードが始まった。その素晴らしい演奏に待機していたサモア人たちがざわついている。
「誰だ?」
「どこの演奏だ?」
――まわりが口々にそう囁きあっていると、向こうのほうから「マノノだ!」という声があがった。
「やっぱり!・・・あの時のあの楽団が演奏しているんだ。」
僕はマノノ島で過ごした夜のショーを想いかえしていた。あれは西洋人の観光客のために開いたショーだった。マノノ島では定期的にホームスティを目的としたツアー客を迎えいれていた。僕らはたまたま、そのツアー中に設けられた、余興の日に当たっただけだった。
そして今、あの時の楽団が首都アピアで元首を前に、我々にとっては手強い演奏を聞かせている。
音楽学校としても負けるわけにはいかない。何しろこっちはサモア唯一の「音楽学校」を名のっていた。みっともない演奏は決して聞かせられない。
やがて僕たちの番がやってきた。夜明け前に集合してから待ちに待って、その時の太陽はもう高いところに昇っていた。指揮棒を操るのは「子供の部」の成長株、ルタだ。彼女は十一歳の去年からピアノを始め、最近になってめきめきと力をつけてきた。
ルタの笛の合図に従って足踏みが始まる。間もなく次の合図で一曲め「聖者が町にやって来る」の用意だ。
僕はリューホニウムを構えた。腕が鳴った。でも気負いはなかった。最初の一音だけまともに音程がとれれば、あとは勢いに任せられる。念のために目の前に楽譜を吊っているけど、もう見ないでも目をつぶってでも弾くことができる。
スタートした。軽快だ。調子がいい。一曲めが終わる頃にちょうどタヌマフィリ殿下の御前に辿りついた。足踏みを続けながら右に向きなおる。正面を向いた所で今度は「子供の部」のソプラノ・リコーダの演奏に入る。全員がいったん足を止め、元首に一礼する。そのとき、列席の政府関係者の中にはJICOの事務所長も夫人とともに認められた。
また元の方向にかかとを返して二曲めの演奏に入りながら退場する。ここまで万事リハーサル通り上手く行った。
そしてこの模様は最初から最後までテレビで生中継されていたので、「サモアに音楽学校あり」というのを全土に知らしめた。
――――――――――


独立記念祭にからむ三、四日はサモアじゅうで祝事に追われているので、学校や政府機関も休みになる。音楽学校ではこの年から二学期制をとっていたので、パレードまでを一学期、そして二週間強の休暇の後に二学期が始まることになっていた。そこが私立の学校の特異な点で、もちろん他のほとんどすべての学校は三学期制で、独立記念祭は休みにはなるけどただの通過点でしかない。
二日後、僕以外の部隊員にとっては連休の最後となるこの日、僕たちは真木コーディネータとJICO職員河本の車に便乗して島の裏側のビーチへとリクリエーションに出かけた。こういった気晴らしは、毎月のようにコーディネータが組むものだった。決まってクーラーボックスには〈手の水〉ビールがつめ込まれ、バーベキュー用の鉄板と炭にする椰子の実の殻をいっしょに運んでいく。
夏央理はこの日、僕に会うなり開口一番で「藤井さん、このあいだのパレードはよかったですよ」と言ってきた。
僕も本番中は見ている人のほうまでは気をまわせなかった。夏央理は長い行列の中から僕の姿を目にとめていてくれたのだろう。
「ありがとう。それより山本さん、P・N・Gへのフライトのことは。」
――このとき、すでに夏央理は帰途変路旅行中にパプア=ニューギニアに立ちよることを決めていて、僕は彼女の現地でのエスコートを同期、つまり国内研修中に知りあった二人の男に頼むことにしていた。片方の男にはもう了解を得ていたので、早いこと便名と現地の到着時刻を手紙で送っておく必要があった。
「あっ、忘れちゃった。今日じゃなきゃだめ?ウチに帰ってチケットを見なきゃ分からないから、明日でもいい?」
僕にとってはこれが大ごとだったものを、夏央理は反対に大したことでもないような返事をしたので、少しくやしい思いが心臓をぎゅうっと搾った。
そして一瞬だけ身震いした。――ひょっとして自分はおせっかいをしているだけで、夏央理からは感謝の意を押し付けがましく求めているだけなんじゃないか?・・・こういった疑念がじわっと垂れてきたからだ。
報われることのない献身を投じている自分の馬鹿さ加減に気づいたとき、僕はどうでもいい質問を、少しでもその内容で夏央理が気分を害してくれるように口から放出した。
「あれ、今日は鬼頭則子さんは来ないの?」
「そうなの。体の調子がよくないって。」
夏央理はこれに対しても何気ない答で返してきた。
僕はそれ以上会話を続けることをやめた。詰問が詰問にならなかったし、何とはなしに自分が惨めに思えてきたからだ。
その日の海はいつになく荒れていて潮流も早かったので、泳ぎに自身のある者しか海には入らなかった。実際、渦を巻いている場所もあったので素人が泳ぐには危険だった。
夏央理もこの日は水着にも着がえないまま一日じゅう砂浜を温めていた。
小さなサモア式家が建ちならぶビーチでは、ビール瓶の蓋を開ける音がひっきりなしに谺した。もう皆な満腹だというのに、飽きもせず鉄板の上でジュージューと肉が焼かれる。
将棋を指す者、マングローブを散策しに行く者・・・・・・
この頃から夏央理は、今まで帰国したJコープの部隊員がすべてそうしてきたように、想い出づくりに入った。 残された短い時間を、可能な限り色んな人と色んな所へ遊びにいって有効に使おうと。――誰でも帰国間近になるとそうなるものだ。
夏央理は男女性別を構わず誰でもかれでも誘って、よく動いた。
そして、僕もそれにつき合わされたうちの一人だった。

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