もし、お医者様からあなたのお子様ががんであると宣告をされたらどうされますか? そんなこと、想像できませんよね。当然私もそうでした。でも、それが現実となったのが1994年のこと。 転勤族の我が家は4月に親元の神奈川に引っ越して来たばかり、6月の終わりに1歳半のりょりょの耳垂れに気づいた私は、近くの耳鼻科を受診しました。 そこで、 『右耳の奥に肉芽(おできのようなもの)があります。手術が必要と思われるので市民病院を紹介しましょう。すぐに、受診しなさい。』 と、紹介状をいただきました。 その時は、まだおできの摘出なんてそれほど大変なことではないだろうと考えていたのです。 最初の受診で細胞の一部をピンセットでつまみ出し、『細胞検査をして見ましょう。』と言うことで帰宅しました。 ところが、いつになっても傷口からの出血が治まらず夜間救急で再び市民病院を訪れることに。たまたま当直医が担当医で、すぐに入院の手配をしてくださいました。 翌日、家の電話が鳴りました。 『先生からお話がありますので病院まで来てください。』 内容のわからないまま、病院に向かいました。それほどの不安はありませんでした。容態が悪くて入院をした訳ではなかったので。 『血の止まりも悪く発熱もしてきたので、すぐに手術をして肉芽を摘出します。それほど、時間はかからないと思います。』 と言うことで、すぐに手術は行われました。 主人に電話すると、仕事を切り上げて駆けつけてくれることになりました。それでも、仕事先からは2〜3時間はかかります。その間ひとりで待合所で時を過ごしました。 娘より後から始まったと思われる手術患者さんのご家族が次々呼び出されていく中、一向に呼び出しがないことに苛立ちをおぼえていたころ、主人が到着しました。もうすでに、待合所には私たち二人だけとなっていました。 再び長い時間が過ぎました。二人はとても無口でした。お互い自分で考えていることを口にするのが怖かったからです。 どれくらいの時が過ぎたでしょうか。もう私たちは時計を見ることもしなくなっていました。ようやく看護師さんに連れられ、通された個室には主治医の先生が座っておられました。 『耳たぶの裏から切開し、腫瘍の摘出を試みましたが、いくらとってもおわりが見つかりません。これ以上摘出をすると、顔面神経を傷つけてしまう可能性が出できます。腫瘍を最後まで取り除きたいという衝動はありましたが、危険を冒すことはできませんので手術の中断を決意しました。私たちの力では完全な摘出手術ができません。大きな大学病院等で手術をしてもらうことになると思います。とりあえず、術後の入院期間中にCT,MRIの撮影と組織検査の結果が出ますので、今後の方針はその時決めましょう。』 二人とも取り乱すことなく淡々と先生のお話を聞いていました。待たされている間に最悪の結果を覚悟させられていたからかもしれません。家路に着く二人は、また無口になっていました。頭の中でいろいろな想像がめぐり、整理して話をすることができませんでした。 数日後再び先生からお話がありました。 『病理の結果が出ました。お嬢さんの腫瘍は悪性という報告です。MRIを見ると腫瘍は頚動脈に達しています。このまま、頚動脈を圧迫すれば大変危険です。退院したらすぐに大学病院で見てもらってください。私が今紹介するとしたら、私の出身の○○大学病院です。ただし、そこにはいろいろな症状の子どもがいます。がんとなると長期入院が必要となるでしょう。多くの元気に退院していく子どもたちを見送るなかで、取り残される不安を抱えることになります。お辛いですががんばってください。きっとよくなります。また、希望される病院があるようでしたら紹介状は書きます。退院までに考えておいてください。』 覚悟はできていましたが、もうその時は頭が真っ白になりました。どうやって家まで帰ったかさえ覚えていません。 小児がんの治療実績のある病院といってもわたしには見当もつきません。はじめに受診した近くの耳鼻科の先生や保健所や健康保険の相談窓口など確認しましたが特定の病院名は挙がりませんでした。 一方主人は、会社の上司に相談していました。主人の会社は薬品関係であったので、上司はすぐに社内の人に情報提供を求めてくれました。実績でいえば国立がんセンター以外ないだろうということで、知り合いにがんセンターのドクターがいるという方が、がんセンターに関する情報を調べ、アドバイスをくださいました。 小児がんの場合は、耳鼻科から受診するより小児科にかかり、そこから各科に回った方が総合的な観点で見てもらえる。とのアドバイスと小児科医の名前などをもって、主治医に相談に行きました。 主治医はがんセンターへの紹介状を快く引き受けてくださいました。 『がんセンターの先生と付き合いがなかったので、名前を揚げなかったけれど、実績からすると1番でしょう。希望されるならもちろん紹介状を書きます。私どもの力不足で手術の対応ができないことをお詫びします。』 とのお言葉に私も恐縮したのでした。 |
注)2003年に記憶を辿りながら書き綴っていますので、細かい内容の記憶違い等があるかもしれません。
今現在も、多くの難病に苦しむ子どもたちがいます。病と戦う子どもたちや、それを支える家族たちの実情を伝え、より多くの方々のご理解とご協力を得られればと思います。 支援組織等の紹介
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