樂の音その4

樂の音その4



自画自賛の後は批判も聞こう
05/1/23

別な合唱団の人がチケットを買ってくれた。(これはとってもありがたかった。合唱団員=チケット販売員でもあるので・・・)私としてはテ・デウムを聞いてドヴォルジャークの勉強になればと思ったのだけど・・・

団長さんは指揮者に着目。「未だ固い蕾で、これからどう花開いていくのか、かかって今村さんの研鑽次第だと思いました。最近の私は、良い作品を良い指揮者でやる必要性を痛感しています。」とのメールを頂いた。

さすが、われらが団長は見る視点が違うなぁ。団員から見ると、合唱指導者とはかかわりがあるけれども本番指揮者との関係は薄い。もちろん音楽的な最高責任者なんだけど、音楽を作り上げていくのに、指揮者との合わせが2,3回では棒にあわせるだけで終わりがちで、彼の意図するところを汲むまでにはいたらない。

昨年のドイツレクイエムで楽しかったのは、指揮者の伊崎さんとの練習が8回もあり、一緒に音楽を作れたという実感があったから・・・今年もイン西東京では、それができる。期待しています。でも、それって本当に贅沢なことです。

オケ付ではないけれど、ひいらぎだと指揮者=合唱指導者だから、本番前に急に音楽が変わると言うことはない。指揮者の気分で変わる可能性はあるけれど・・・指揮者っていうのが、みなさんこれまた自分勝手なところもあるから・・・ま、それでもちゃんと食いついていけるように、合唱団員としては、ほぼ暗譜を目指して練習を積んでおきます。

音楽を作りあげていく過程での、指揮者と合唱団員との戦いというか、話し合いというか、それについてはまた別な項で・・・

もう一方の批判は、「一人一人の声が聞こえすぎ」というもの。須藤先生が手塩にかけてくれたのだけれど、まだまだ、先は長かったのかな?プロの合唱団も結構一人一人の声が聞こえるんだけど、アマチュアの場合は声の出し方が確定していないから、中には地声と言うか叫び声に近い声が聞こえたりもする。客でいるよりも歌っている時の方が聞こえるね。近いから・・・

まあ、プロの合唱団にはいれるわけもないけれど、でも、私はそういう声も聞こえるアマチュアの合唱団が結構好きでもある。だって、良い合唱を目指すには当然その過程もあるじゃぁないですか?誰かを切って捨てるのではなく、それを内包しつつ、良い音楽を目指すのが好きなんですよ。私もその叫ぶ方の一人である可能性もあるわけだし・・・そうならないよう気は使ってますが・・・

いつも思うのですが、合唱は半歩でいい。一人一人が半歩進めば、×人数分、良くなるんですよ。時には奇跡も起きて、○乗されたりもする。それはその場の雰囲気もあるけれど、普段の合唱団のありようによるものが大きい。みんなで楽しもうという雰囲気があるかないか。自分が半歩進むのをやめて、人の歩みばかり気にしていると良くないね。

小平の合唱団は、歌い終われば解団式があり、半年の休みを経て、また新たにはがきで応募。これでは団としての継続、積み重ねが難しい。せめて核となる人たちだけでも継続することがあたりまえにならないといけないのでは・・・公平なのも結構だけど、スタッフをした人は優先的に団員資格を与えるくらいの得点があってもいいのでは・・・

もう一つ気になっていたのは、表情が乏しいこと。それは西東京の方がいいですね。なんというか、一人一人が自分に自信を持っていない。歴史的にも場所的にも小平の方が有利なはず。力はあるはずとおもうんですけどねぇ。それでも、後半の踏ん張りと共に表情もにこやかになってきたようだから、来年はまた一段と違ってくるかな?

どこの団にしろ、瀬川先生の言っていた「深くて、明るくて、柔らかい声」は重大課題ですね。山内先生の「頑張りすぎないで楽に歌えば良いんですよ」も参考に。

一般応募の私は、次回、また、はがきを即効で出しますわ。その時の体力とも相談だけど、できるだけは続けたいと思う。小平が休みの間は、イン西東京とひいらぎの本番に向けて、練習に励まないとね。題名のポイントは、まずは自画自賛。これがないと次へ向かう元気が出ない。批判も受け入れないと、次が良くならない。順番もこれが一番いいのよ。元気で歌いつづけるコツです。






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