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さわでぃーと芸能人 その1
以前私が仕事場で出会った芸能人の話しをしましょうか!
先ずはカワユイ人からにしましょう『紅茶の美味しい喫茶店』をヒットさせた柏原芳恵さん、彼女は当時同じ年代の山口百恵、河合奈保子、桜田淳子さん等と比べるとぐっと色っぽく、大人の雰囲気をかもし出していましたね!百恵ちゃんとはよく日本テレビの『噂のチャンネル』(和田アキ子のゴッド姐ちゃんやデストロイヤーがレギュラー)に画面に百恵ちゃんとコンガを叩く私のツーショット等でよく一緒に成りましたね、たまたま渋谷を私が息子の手をひいて歩いていた時ばったり出会い、百恵ちゃんの大フアンだった息子は照れまくり折角頭を撫でて呉れようとしたのに私の後ろへ隠れたままだった事がありましたね。立派ですよねその後の彼女の生き様は、すっぱり芸能界から引退三浦友和夫人、大したものです・・・桜田淳子ちゃんとも結構控え室などで話しをしていたほうで或る時なぞなぞ等をこちらが出題、彼女答えられないと悔しがって今度はこちらを困らす問題を捜しては出していましたね、負けん気いっぱいだった様に記憶しています、今はどうしてますかね?合同結婚式以来、幸せだと良いのですが・・・


ステキな人々 その2

この前は百恵ちゃんなどの事を書いたので今度は男性の話題をしてみましょうか?!
当時の御三家・西条秀樹さんはローラとかYMCAなどの頃よく一緒になりましたよ、なにしろ男の私が見てもカッコ良かったですね!お尻が我々よりずっと上に有る、要するに足が長いのです、テレビ意外でも後楽園球場でサマーコンサートなどにも付き合いましたよ、大きな所ではつい大きな音になるんですよ、ギターやベースいわゆる電気楽器はスイッチ一つでボリュームが上がるのにわれわれ、なま音は大変でした。
郷ひろみさんも恰好良かったけれど彼が舌ったらずの声でヒットを飛ばしたものだからそれ以来歌手は特別声を研ぎ澄ます必要が無くなったかな?と思っています。無論テレビではよくご一緒しましたよ、優しいステキな人でしたね。
お二人とも華やかだったけれど、一人地味だったのが野口五郎さんでしたよね。
五郎さんは当時からギターが上手く自室に録音設備を備えギターに命を賭けているようでしたね。それで少し前、あのラテンロックで数々のヒットを飛ばしたカルロス、サンタナと一緒にレコードを(CD)を出しましたが・・・とにかく3人の内で一番歌も上手いのに評価されなくて
お気の毒ですよね、でも今は念願の三井ゆりさんとの恋も実ってご結婚、やっと春〜ですかね。その前の御三家とも当然会っていますよ、

美空ひばりさん


今日は美空ひばりさんの登場です・今は亡き大歌手ですね!
さわでぃーはミュージシャンと一言で言われていますが、その中を細分化するとスタジオミュージシャンと言うホントは地味な職人的な分野です、歌手のレコードのバック(今ではCD)のレコーディングが主で、誰が来るかも知らされていなくていつ何時に何処そこのレコード会社のスタジオ集合,で集まると譜面を出され一度チェックの為演奏、譜面の間違いなどは訂正して次にテスト(この時に歌手がいたら歌うし仮に別の人が唄う事もあるし全然歌無しでやることもある)もう一度テンポとかアレンジをチェックして次に本番、歌を聞いていなくても、そこがプロ、ヘッドフォンで皆の演奏を聴きながら譜面に書いてあること以上に演奏するんですよ。1時間に一曲、5曲有れば4時間くらいかな、で出来あがりです。
そこで出来たカラオケに後で歌手が何度も何度も歌って完成させるんですが(下手なポップス系のアイドルなんて継ぎはぎだらけで編集の力で完成させ、音程も悪い所は少しは機械が手直ししてくれる世の中だからねーCDは聴けるがテレビで生で歌うと下手さがわかりますよね・そこに大歌手美空ひばりさんは我々と一緒にレコーディングしちゃうんですよ。企画の段階でこんな物だとはご存知だろうけどスタジオへ来てからアレンジャーにピアノを弾いてもらい2〜3回歌って『あー解ったこうなんだねー』と言いながら本番は完璧。やりなおし無し。全く恐れ入る大天才ですね。
 
可愛い人達

今日は可愛い人達のお話しをしましょうか。
河合奈保子ちゃん、ほんと人柄の良い可愛い子でしたよね、歌も結構上手いほうでしたよ、テレビでもコンサートも付き合ったりしていたので、控え室などではよく話していて仲良しだったですね、彼女がなにかで入院した時もカミサンと二人でお見舞いに行ったものです、クリスマスにはプレゼントの交換をしたものです、私は確か動物の形をした石鹸などを
上げて彼女にはフアンに上げていた彼女の名前入りの時計を貰いましたよ所が何時の間にか無くして仕舞い残念です。

次に可愛かったホントお嬢さんの菊池桃子ちゃん。彼女が歌を歌っていた事を知る人も少なくなった今日この頃ですが・歌は正直言って下手でしたがどうして?と言うくらいヒットもあり熱狂的フアンも居て武道館のコンサートも超満員だったんですよ、一緒の飛行機で並んで九州へ行った想い出がありますよ。
あと『セーラー服と機関銃』を歌っていた頃の薬師丸ひろ子ちゃん、やはり歌番組でよく一緒になりジョークをかわしたりしたものです。
この3人はほんと可愛かった、凄い女性アイドルもいましたよ、バックバンドに当たり散らしたり、マイクの返りが悪いと言って足元のモニタースピーカーを蹴っ飛ばしたりするN.A・自分のお父さんくらいのマネージャーの頭を自分のスリッパを脱いでそれでぶっ叩いていた元ヤンキーのM・J芸能界もいろいろいますよ。だから余計前述の3人は可愛かった・・・


さわでぃーと芸能人 その5『スゴイ人々』

今日は副題で(凄い人々)の話しをしましょうか?
まださわでぃーが大阪のナイトクラブ(今のクラブではなくホステスさんが居てお酒を飲みながらダンスも出来るキャバーレーよりも高級な所)に自分のバンドで出ていた頃、いつも来れれたら私を席へ呼んでご馳走してくださるフランス系の紳士が(フランス大使かその関係の人?)『今度有名な人を連れてくるから』と言っておられ、その次こられた時呼ばれたので行って見るとなんと皇族の清宮様だったんですよ、宮様から手を出され『ステキな演奏で楽しませて頂きました』と握手をして頂いたんですよ。ずーっと前の話しですが宮様は今の女性に負けないようなすらーっとしたプロポーション抜群だったと記憶しています。
次に凄い人は、そのクラブで評判のバンドだったのでクラブが終った後深夜クラブ(横山エンタツさんの娘さん経営でクラブは北、深夜クラブは南と大阪の繁華街の両方で大評判した)へ出ていて、或る時近所の深夜クラブのバンドが急に穴があいて困っているから休憩時間に掛け持ちで出てくれと依頼があり『オーナーも行ってあげて』と言うので出かけ、大受けに受けて引き上げてくるとそこのオーナーは大有名山口組の大阪No.1の方でその時も確かタイガースのジュリーと後二人来て居ましたよ。その後、我々が気に入ったからそのクラブへ出てくれと再三の勧誘が有り、ノイローゼに成りそうなくらい強引な引っ張りが有って困ったものだったんですよ。有る時その親分に呼ばれて会いに言った時の勧誘の言葉。凄かったですよ結局その方のもっと上の方に手を廻してもらい断って貰ったんですが、その勧誘の名台詞を再現『カポネがジャズを育てた様に、俺がお前を育てたる!』でした。


その6『凄い人々シリーズ』Vo.2

前述の大阪のクラブで大人気だったもので、その噂から神戸に新開店のクラブへ引き抜かれそこでも大受け、やがてその店が地下に深夜クラブを作り請われるままに出演連日超満員、大阪から我々が居なくなったのでお客の追っかけが大阪からタクシーで連日来てくれるくらいだったんですよ、有る時各席にいつもに増して恐ろしげな人が居るな!と思っていたんですが丁度休憩に成ってステージを降りようとした時にその恐ろしげな人が上がってきてマイクを取って歌い出したんですよ。店側が気を利かせて電源を落としマイクの音が出なくしてしまったんですよ、そしたらその人が怖い顔をしてさわでぃーの胸倉を掴んで『お前がマイクを切ったのか?』と詰め寄ったのです、さわでぃー絶体絶命☆と思った時、日ごろ仲良くしていたホステスさんが『あんた!なにするんや?この子に手を出したら承知せえへんで!』と言ったんですそしたらその怖いお兄さんが『姐さん、わかりました、えらいすんまへん』と急に手を引っ込めてすごすご席へ帰って行きました、心の中で(あー怖かった)と思いながら控え室の方へ帰っていって私に、いつも我々にご馳走してくれるチンピラ風の人が『可愛そうに、いたぶられてたんやな?よし、これ持っていって来い』と手渡されたものは、な・なんと本物の拳銃だったんです、さわでぃー慌てて『いやけっこうです』愕きましたね・・・神戸は山口組の人の多いところで今よりもっと、取り締まりも緩やかだったんですよね。
でも今思い返すと普通の人では経験できないような事で、またこれも懐かしい想い出ですかね?

タノキントリオ

田原俊彦 野村義男 近藤真彦の三人が,出てきた時からTBSのタノキン全力投球と言う音楽番組ずっと一緒だったんです。今はそれぞれ違う方向に進んでいますが。当時トシチャンは人懐っこい良い青年で遠くから我々を見つけて挨拶をする礼儀正しさを持っていましたが,その内に眼をそらせ出来れば挨拶しなくて済むような態度に替ったのは残念ですね・・・
マッチは生意気盛りの少年で、あれはあれで可愛かったですね、今ではレーサーで大したものですね。
ヨッチャンは一番人の良い感じの人間で一番変わっていないように思えます。歌よりギターに生きがいを感じていましたね。

唄の上手い人(独断と偏見による)

好き好きを越えて言うと演歌の人たちは皆お上手ですよね。美空ひばりさんは言うに及ばず坂本冬美、藤あや子、香西かおり等はポップスも上手く歌いこなすんですよね。それから天城越えの石川さゆりの、女の情念を恐ろしいまでに表現する歌唱力・ほんと凄いですよね。所が普段は可愛い女性なんですよ全員集合の頃話して見ると家が近く(駒沢公園を挟んでお互いが住んでいた)て、その内にカミさんが、ケーキ作りなんかをコーチしに行ったり来たりしていました、子供の頃は歌のレッスン代を牛乳配達をして自分で稼いでいたそうですよ。今は家の中にエレベーターをお母さんの為に作ってあげていますよね。
由紀さおりさんも完璧の歌唱力でお姉さんとのデュエットも凄いですよね、余談ですが由紀さんも真冬に狭い我が家へ来て、水炊きなんかを食べてくれました。それから松田聖子ちゃんはほんと上手いですね、ここ10年ほどで彼女を抜くアイドルは出てきていないですね
男性では布施明、尾崎紀世彦,松崎しげる古い人達だけど、やはりお腹から声が出ていないとだめですよ、歌は!
最近の人では宇多田ひかるよりもミーシャ、後2〜3年先の小柳ユキ。アメリカで発声を勉強した本田美奈子要するにピアノフォルテがはっきり表現できる人・ドリカムの吉田美和、平井堅、ゴスペラーズこのへんもいいですね。今売れているから、と言うのは歌の上手さとは関係無いですものね。浜崎あゆみ、学芸会のようなモーニング娘があんなに売れるのはご時世ですかね?


勝 新太郎さん

ほんとに惜しい人を亡くしましたよ。大人物、意外に優しい人、豪快な割りに細かい気配りが出来る人。いろんな誉め言葉が思い浮かびますが勝さんを私なりに一言でお話しすると懐の深い人・とでも言いましょうか・・・
勝さんが多大の負債を返すべく歌を歌おうと(仕事として)決心された時からのお付き合いになります。ディナーショウ等で稼ごうと考えられてバックバンドを作られた(ベテランのスタジオミュージシャンで)ときに私も呼ばれたんですよ。その初めてのリハーサルの時に私はパーカッションなので荷物が多くコンが(キャンバスのケースに入れて)二つジュラルミンのトランク、ティンバレスと言う打楽器
等を持ってリハーサルスタジオのエレベーターに乗り込んだ所勝さんが先に乗っておられて私が乗り込むと一杯になるので遠慮しようとすると『良いから乗りなさい』と言って(無論初対面だったのに)満員になってコンガ一つの置く所を捜していたら勝さんが抱えて上まで行って下さったんですよ。感激しましたね怖い方だと思っていたのに、その一事で持っていたイメージが間違っていたことに気がついたんです。さて無事に(
リハーサルも終った時に勝さんのマネージャーが『申し訳無い今日皆さんに支払うギャラを忘れたので(当時はまだ我々の世界ではとっ払い(トッパライ)と言ってギャラはその日払いが多かった)小切手を皆さんにお渡しするから好きな額を書いて下さい』と言われて『いいえ今度で結構ですから』と全員お断りしたんですがその当時の勝さん流のやり方は『大きいな』と感じました。
(つづく)
写真説明 
右上 歌手のバックレコーディングは名前が出ないがこの場合は伴奏ではなく楽器主体のCDである
下段 2枚とも常陽銀行のコマーシャルに使われたもの
沖縄県
今帰仁村(なきじんそん)ビーチで撮影
   
本名 津野晴夫 B型 みずがめ座
19??/02/05 大阪生まれ 大阪1のフルバンド
北野タダオとアロ-ジャズオーケストラで
SAX・FLUTEを担当 やがて自身でラテン
コンボを率いて関西随一と評判を取る
大阪万博時はスタンリーブラック氏に招かれ
関西交響楽団とウエストサイドストーリーに客演
また邦楽の藤舎呂悦(鼓)氏とフルートで当時珍しい
コラボレーションを行う・のち
東京進出を考え単身上京・手始めに
アイ・ジョージのバックバンドで外人
ミュージシャンのリーダーを務めた後
フリースタジオミュージシャンに転向
ラテンパーカッショニストとしてテレビ・
レコーディング・タレントのバックを勤める
『8時だよ・全員集合』では早口言葉では
ボンゴ奏者として前面に出て人気を博す
他に『歌のゴールデンステージ』
『紅白歌合戦』『家族揃って歌合戦』などに
出演するかたわら、布施明 岩崎宏美 
菊池桃子 梓みちよ 由紀さおり 勝新太郎等のバックも努めレコーディングは美空ひばり初め数限りない曲数にのぼる。
2004年にバイク事故を起こし右手に障害を負い現役引退。