博眺康論

大公開時代

 これは,“NEWS 23”の多事争論でも紹介されたほどなので,うまいこと時代を表しているものだと思っています,われながら。いうまでもなく「大航海時代」がもと。1996年に,わたしが筑紫哲也氏に学会のシンポジウムでのパネリスト依頼のための手紙を書いたときに使った用語です。当時,このことばをサーチエンジンで調べたら,どこかの高校だか中学だかの文化祭のキャッチコピーにもなっていました。ま,思いつきやすいんでしょうけど。
 このことばに込めたわたしの本意は,これからの時代,とりわけ(会社や官僚)組織は,公開していかないと行き詰まってしまうのではないかということです。時代が変わりつつあるときというのは,暗黙のうちに組織内で合意されていた事柄(内輪の常識)が,とくに新たな世代によって非常識になりかねず,表面化され,問題化されやすくなるように思うのです。歴史のある組織は,暗黙の常識なり規範を変えるのは大変でしょうけど,ちょっとずつでも変えていけるかどうかがとても大事だと思います。公開が社会的に常識となっているような事柄はできるだけ公開すべきですし,公開ができるように変革していくべきだと思います。それができないと,内部告発の可能性をはらみ続けることになります。また,公開しないことは外部からの不信を招きかねません。

プロフェッショナルが問われる時代

 以前に比べて,素人が専門的な情報まで手に入れやすくなった時代なので,セミプロのような人の層が各分野で厚くなっていると思います。専門家(プロ)は,どれほどそういうセミプロとは違うのか,それが問われる時代になったように感じます。大学の教員も同様。とりわけわたしのやっている心理学などは,年齢層を問わず,セミプロが多いと思います。

国際化戦略

 これは,オーストラリアに滞在中に思ったことです。外国にいると日本のことを改めてまじめに考えちゃいます。
 まず,参議院の国際化。参議院不要論もある中,もしも残すのであれば,徹底的に国際化して,衆議院との差別化を図ったらどうかと思ったのです。具体的には,在任中の3年は外国に赴任するというものです。治安情勢の悪化などを除けば,基本的にはずっと同じ国にです。また,在外公館のない国から優先的に。国連加盟国はたしか200ヶ国にも満たないはずですから,今の参議院の定数でも,すべての国に派遣できることになります。赴任後は,国際的視点からの議論が期待できます。現状では,国会議員はどうしても地元(地盤,選挙区)を見てしまいますから,一方の院が外に目がいくようになれば,議論の質も高まるように思うのですが,甘すぎるでしょうか。
 また,国連職員の数を,分担金に比例させたらどうかと思いました。国際的発言力を高めることにどれだけ意味があるのか,ということはとりあえず脇に置きますが,金だけでなく,軍事力でない面で国際貢献してもいいように思うのです。というより,国連の官僚をたくさん輩出することで,政治家や外交官僚以外の側面からの国際政治力がつくような気がするのです。
 また,より直接的に国際貢献に結びつくものとすれば,諸外国,とりわけ,アジア地域を中心に人的協力をするための人材を育てる,ということが思いつきます。そこで大事なのは,英語だけでなく,現地のことばでコミュニケーションできるように,派遣前から派遣者をある程度教育することです。上記参議院議員も同様。現地の人にとっては現地のことばをしゃべる人をとりわけ歓迎することが多いですし,他の諸外国の人たちがまだまだできていないことでもあるように思うのです(もちろんNGOの人たちをはじめ,現地のことばをしゃべっている人がたくさんいることは知っているつもりです)。