陽 光 州 記

 ここは,2002年4月8日から2003年3月23日まで,オーストラリアのブリスベンに滞在している,わたし(康博)のつぶやきのページです。わたしは,2002年度の文部科学省在外研究員として,ここブリスベンにあるグリフィス大学(クイーンズランドの州立大学)に単身赴任中なのです。所属は,オーストラリア環境研究学部という妙な名前の学部(英語では,Australian School of Environmental Studies:訳がおかしい??)で,その附属のエコセンターという,小さくてちょっと他の多くの建物から離れているところにわたしのデスクがあります。
 ブリスベンはクイーンズランド州の州都で,オーストラリア第三の都市です。人口は150万人程度。「陽光州」という名前は,クイーンズランド州の愛称である"sunshine state"を無理やり邦訳してみたものです。
 それにしても,日本を発つとき,成田で遥菜に大泣きされたのはまいった。正直言って,けっこうジンと来た。


記録を残す 5月7日(火)
 ふう。4月7日の晩に成田を発ってからちょうどひと月になった。当然この間いろいろあった。このような日記というかメモのようなものを書こうと思ったことは何度かあった。
 でも,いろいろな理由というか言い訳から,書けなかった。一つは,こういうことを部屋で書いているより,リビングでテレビを見たり,シェアメートと話したりした方がいいと思ったということがある。ま,できるだけ英語の環境に浸りたいということ。
 そうそう,こっちは一つの家を他人同士でシェアするというのが珍しくない。わたしは今,マーシーという40過ぎの女性の家に,その女性の彼氏(30過ぎ)と3人で住んでいるのだ(年齢はいずれも推定:後日判明し,マーシーがこの11月で41,ケンが8月でちょうど30)。もう一つの理由は,睡眠時間をたっぷり確保したかったということ。おそらくほぼ毎日8時間は寝ていると思う。駿斗(下の子:1歳半)が生まれてからはほとんどなかったことだ。よくいえば健康管理だけど,実際は毎日けっこうバテてるからだ。それなりに神経を使っている気がする。


なんのための傘? 5月7日(火)

 ちょっと前に,とあるメーリングリストにこっちの感想を書いたので,それを多少アレンジしていくつか書いてみる。
 こないだ,同居人のケンに連れられてシティ(市街地:市の中心部)まで行ってきたんだけど,あいにくの雨。ところが,こっちの人は雨が降っても傘をさす人が少ない。かなり本降りに近くてもささない。傘を持っていたとしてもささなかったりする。どうして持ってるのよぉ。


ルーズな事務処理 5月7日(火)

 こっちの人は時間にルーズ。プライベートな部分だけでなく,いわゆる公務員の事務処理がひっじょーーーに遅い。たとえば,4月1日に大学に着いている私からの郵便物が,人事の担当者のところに届いたのは,10日。実はその間,イースターがあったから,1日から7日まではかりに仕方ないにしても,何で2日も3日も大学内(同じキャンパス:ちなみに建物のあるエリアはそれほど広くはない)でかかるんだ?? メールアドレス取得に関しても同様。間にわたしの所属する事務の人が入ってくれたおかげで,かえって面倒。自分で動けばよかった。


車だけは高い 5月7日(火)

 こっちは生活に必要なものの物価が安い。食料品や不動産がその典型。ところが,自動車だけは例外。
 とにかく中古車がいっぱい売られている。「only 150,000km」なんていうのはあたりまえで,20万キロを超した車もいっぱい売られている。当然故障は多く,あちこちで故障車を見かける。日本と違って10年以上たっていてもけっこうな値段で売られている。よく言えば,ものを大事にするということだけど,10%の古い車から出される排気ガスが,オーストラリアの大気汚染の50%を占めているという話があり,ことは単純ではなさそう。いまどき有鉛のガソリン(とはいえ鉛の代替物を使っているらしいけど)が売られている。
 一方,ガソリンスタンドでは天然ガスを給ガス(?)できる。それだけ天然ガス車が多いということ。トランクにガスタンクを積んでいるらしいので,事故があったら危ないらしいけど。


青と緑 5月7日(火)

 こっちは空が広い。ちょっと郊外に行くと高い建物はほとんどなく,空が広いと感じられる。これは小笠原でも感じたことだけど,ここは一応150万都市。
 緑もやたらと多い。どこの家にも芝生の庭があるし,けっこう大きな木がわたしの住んでる家の庭にもある。木が見えない場所が果たしてあるんだろうか,っていう感じ。もちろん,アウトバック(内陸部)に行ったら赤茶けた土ばかりになったりするんだけど。
 いうまでもなく,庭も広い。わたしが住んでるところは,シティから10キロ程度のところだけど,100坪はあるだろう。夕方,デッキで飲むビールはとってもおいしい。
 このように,こっちの人はすっごくゆとりのある生活をしているように思うんだけど,ニュースを見ると,子どもへの虐待が問題になってたりする。緑の多さや庭の広さは関係ないのか?(笑,いや笑えない)


生活スタイル 5月7日(火)
 そもそも,なぜ,ブリスベンを在外研究の地に選んだのかと言えば,小笠原と気候が似ていることや環境科学が盛んだということもあるけれども,わたしが通っているグリフィス大学の大学院生(現在休学中)であるXさんからの具体的な情報によるところが大きい。実は,わたしの同居人であるケンは,彼女のボーイフレンドのCさん(Xさんと一緒に東京に住んでいる)の元同居人で,その縁でシェアさせてもらっているのだ。
 でもって,たまたま4月13日にCさんの親友の結婚式があって,わたしがブリスベンに到着する直前からCさんもこの家に泊まっていたのだった。Xさんも結婚式の前日に到着。おかげで二人にいろいろとフォローしてもらえた。
 Cさんは1年半ぶりに帰ってきたというのもあって,友人の家にしょっちゅう行っていたようだった。そのうちの何回かは一緒に連れて行ってもらったのだけど,行った先の人たちの関係を把握するのがとにかくたいへん。まず,その家のオーナーらしき人はわかるけど,その隣にいるのは奥さんなのか,なんなのかよくわかんないことが多い。結婚しないで事実上結婚生活をしている人たちが多いということと,見かけと実年齢にギャップがある(必ずしも老けているわけではない)ということがあるからだ。
 それに,ここの人たちは友達づきあいをことのほか大事にするらしく,しょっちゅう友達の家に出入りしているらしい。勝手に台所に入ってビールを飲んだり,そこらへんのものをつまんだり。なかなか日本では考えにくいように思う。あっても近所づきあいでだと思う。ちなみに,こっちでは近所づきあいはほとんどないに近い。


食生活 5月7日(火)
 こっちは予想を遥かに超えて食生活が充実している。町の至る所に,さまざまなレストランやフードコート(簡易レストランで持ち帰りもできるような店が集まった場所)がある。とりわけ,アジア系のレストランが数多くあり,中華系はもちろんのこと,日本料理,ベトナム料理,タイ料理にインド料理,などなど。もちろん,マクドナルドやケンタッキーフライドチキンもあるけれども,幸いなことに今まで一度もお世話になっていない。
 そうそう,マーシーもケンもクリスもみんな箸を使うのが上手。マーシーは日本食がけっこう好きなようで,こっちの回転寿司に週に1,2度行っているらしい。とはいえ,巻きずしが好きらしいから,安上がりだけど。こないだの日曜日,マーシーに連れられてシティに行ったときに,回転寿司に初めて行ったんだけど,たこ焼きやイカフライが回っていたのには笑った。すしネタは意外と悪くなかった。さすがにトロはなかったけど,店の人に聞いたら,ほとんどのネタがオーストラリア近海でとれるらしい。たこ焼きも食べてみたけど,日本でもっとまずいのがあるだろうな,という程度。


ゴールドコースト 5月7日(火)

 5月2日の朝から5日の朝まで妻の依子がブリスベンに来ていた。彼女の仕事の都合で,こっちには3泊しかできなかったけど,ゴールドコーストに宿をとって,けっこう充実した時を過ごせた。
 2日はまず,空港で車を借りて,私のすみかを案内し近くの森をちょっとだけ散歩。そのあと,コアラを抱っこしにローンパイン・コアラサンクチュアリへ。そのあと,グリフィス大学へ行って,わたしのデスクを案内し,大学でとっても世話になっているアキ(25歳の日本人男性)を紹介し,ちょっと喉を潤す。夕方にゴールドコーストの宿へ移動。夕食はホテルのレストランで。わたしはステーキ,依子はエビ。いずれもすごいボリューム。肉も軟らかくて予想以上においしかった。わたしは前菜にカンガルー肉も食べた。ワインも飲んで,二人で一万円程度。おなかが破裂しそうだった。
 3日は,車で国立公園となっている亜熱帯雨林へ。天気がよかったのですぐ近くのビーチをまず散歩。すごく細かい砂。それに,なんといっても30キロも続くビーチ。また明日来ようということで,すぐに車に戻った。運転中,車から眺める景色は絶景。断崖絶壁の上に立って,下に広がる芝生の緑を大パノラマでみるっていう感じか。さっきまでビーチにいたのが信じられない。こんな間近に美しい海と山や森があるなんて。途中で細い道を入っていくと,ラミントン国立公園のオライリーズゲストハウスに到着。カラフルなインコが餌付けされている。木の上を渡り歩くツリートップウォークというところも歩いてみた。あいにく午後から雨が降ってきてしまったが,それなりに満喫。
 その後,ナチュラルブリッジに移動。そこで土ボタルを見た。土ボタルというのは,ホタルではないんだけど,夜,暗いところで小さな光を発する虫の仲間。ナチュラルブリッジの小さな滝の下にある洞穴のなかでは何百何千もの土ボタルが一斉に光を放ち,さながら小さなプラネタリウムのよう。土ボタルは,オーストラリアやニュージーランドで数カ所見られるだけらしい。わたしは15年前にニュージーランドで見たんだけど,依子は初めてだったというのもあって,けっこう喜んでいた。それにしても,駐車場から洞穴までの道は懐中電灯がないと真っ暗。
 道に迷いながら宿に到着。夕食はやっぱりホテルの中だけど,ちょっとカジュアルなレストラン。わたしはパスタ,依子はステーキ。値段は安かったけどやっぱりおいしいし,たらふく食べられた。カジノのあるホテルだったので,部屋にいったん戻ったあと,カジノに行ってみた。初挑戦。依子が勝ってくれたおかげでトントンに。
 4日はショッピングデー。パシフィックフェアーという巨大ショッピングモールに行き,そのあとサーファーズパラダイスへ。予想通り日本人と日本語が多い。ここでも依子が土産を買い,ビーチサイドの通りで夕食。やはり思ったよりおいしかった。帰りは雨がすごかった。途中酒屋によってビールを買い,ホテルへ戻る。
 5日は4時半に起きて,空港へ。高速の入り方を間違えロスがでたが,7時過ぎに空港に到着。日本人のツアー客で大にぎわい。チェックインするのにすごい行列。
 短かったけど楽しかったね,依子さん。
 空港から,住まいの近くにあるレンタカーの営業所に返すことにし,ガソリンスタンドから電話でレンタカー会社に営業所の住所を確認。何度も聞き直してやっと理解。マーシーに営業所まで迎えに来てもらい,わたしのツアーも終了。
 こっちについてからは,近所のスーパーまで一度運転しただけだったので,けっこう緊張した。睡眠も十分にとれなかったし(遊んだせいもあるけどホテルのバーがクラブ状態で夜中遅くまで音楽が部屋に響いてたというのもある)。


誕生パーティー 5月11日(土)

 ゆうべ,マーシーといっしょに,ルーという女性の40歳を祝うパーティーにシティのホテルにあるレストランのようなところに行ってきた。ルーは,先月,クリスたちに連れて行ってもらったドミニックの家で会った女性だ。
 行ってみると,パブのようなカウンターで,パブのように各自でビールやワインを注文し,各自で勝手に支払う。司会がいるわけでもなく,本人が挨拶するでもなく,ただひたすら飲んでダベるという催しであった。
 その後,ディナーを食べたい人だけ,5段くらい階段を下りた,まあちゃんとしたレストランで食事を取り,当然各自で勝手に払った。
 ところで,ホントか嘘か知らないが,パーティーに来ていたドミニックによれば,オージーイングリッシュは,すごく速くて,英語を母国語とする人もたじろぐらしい。アメリカ人がとくにそうだとか。わたしをフォローしてくれたんだけど。


芝刈り機と掃除機 5月11日(土)

 今朝,3日ほど泊まりに来てた,マーシーの義理の弟夫妻(なんか複雑)が,ニュージーランドに帰っていった。そのため,今日も早起き。
 ケンとマーシーは早々にスーパーにお買い物。そのあと,ケンは芝刈りに,マーシーは洗濯にと,どっかで聞いたことあるような展開。どうもたいていの家には芝刈り機があるようだ。ケンが芝刈りをしている間,わたしは家の掃除。この掃除機がでかいんだ,また。


料理番組 5月19日(日)
 こっちの料理番組がおもしろい。大柄でスキンヘッドの黒人が,「Lovely!!」を連発しながら,いかにもおおざっぱに料理していく。それより,こっちの人はエプロンをしないようだ。料理番組でもしないんだから,ふつうなんだろう。
 それから,こっちは庭が広いから,ガーデニングがとってもポピュラー。ゴールデンタイムにガーデニングの番組がある。一般の家におじゃまして庭を大改造したりするやつ。
 そのほかにテレビを見ていて気がついたことは,ニュースが始まるときの音楽は独特で日本と変わらないとか,家具のコマーシャルがずいぶん多いということ。


サンデーマーケット 5月19日(日)
 今日,先週日曜に引き続きマーシーと朝市に行ってきた。前回はマーシーの友人と3人だったが,今回は英語学校で知り合った,近所の日本人夫婦と4人で。マーシーによるとサンデーマーケットというらしい。とにかく,何でも売ってるっていう感じ。野菜や果物は破格。フリーマーケットのような感じもするけど,新しいものも売っている。「これを売るわけ??」と思うようなものもあるけど。マーケット自体はおそらく午前中いっぱいは開いているんだろうけど,駐車場が混むからといって,私たちは7時に出発。今日は先週行ったCannon Hill Marketではなく,Rocklea Marketに行った。マーシーがこの2つが隔週で充実するからと言ってそうしたのだが,Rockleaに行ってみたら,卵以外の食料品がほとんど売られてなかった。マーシーもさすがに不満だったのか,8時半にRockleaを出て,再びCannon Hillへ。行ってみたら,こっちは野菜や果物が今週も充実してた。隔週っていうのは以前の風習だったのか。まあいい。これで日本人夫婦も満足してくれたと思うし。


カカドゥ 9月16日(月)

 すれてなくていい。国立公園税として,$16.25取られた。日の出前のドライブでは,ディンゴを発見。日中は,えりまきトカゲを引きそうになったり,カンガルーが道路を横切るところも見た。滝ツアーの帰りにもディンゴを見た。泊まっている宿の周りにも野鳥がたくさんおり,来た当日にはワラビーも見た。


エコツーリズム 9月16日(月)
 英語を理解しない人に対しては,教育効果がないだろう。日本では英語ツアーをすべきだということになるのか?? もちろん,身体障害者などに壁を設けることについてもどうするか考えるべきだ。


カンガルー,ワラビー 9月17日(火)
 昨朝は今までで一番危険だった。カンガルーかワラビーかわからないけど,ちょっと前方で道を横切りそうだったので,アクセルから足を離したんだけど,車に気づいたかのように横切る直前に止まってこっちを見た。そこで,もう一度アクセルに足をかけようとしたら突然道を横切り始めたのだ,そいつが。あわててブレーキを踏んだ。なんとか轢かずにすんだが,直後,ゴム臭いにおいがしたくらいけっこうな急ブレーキだった。エアバッグが作動するほどではなかったけど。

 でもって,今日だけで,道路脇や道路上で5頭以上カンガルーの死骸を見た。
 カカドゥでは,襟巻きトカゲを轢きそうになった。その他,ディンゴも見たけど,ビデオに収める余裕はなかった。


カカドゥの問題 9月18日(水)
 インフォメーションでカカドゥの問題は何か聞いてみたら,一番の問題は,豚とバッファローだといっていた。いずれも在来種であって,ここには本来いない動物だそうだ。それから,キャンプ利用者の問題も言っていた。キャンプはコンクリートの建物を必要とせず,光熱費も圧倒的にかからないだろうが,ごみなどの管理がしにくい面もある。環境保全という点からは,必ずしもキャンプが自然に優しいとは言えないという現実もあるのだ。


カカドゥとキャサリン 9月19日(金)

 カカドゥでは,川の魚に人の食べ残しをあげないようにガイドが指導していたが,キャサリンでは,逆に,食べ残しをあげるように言っていた。キャサリンのこのガイドはたばこをパコパコ吸っていてあまりいい感じがしなかった。少なくとも一部は吸い殻を捨てていたように思う。ちなみにこのガイドはアボリジニ。


アボリジニが座っている 9月19日(木)
 キャサリンの町では,メインストリートにたくさんのアボリジニが座っている。たくさんとは言っても十数人ってところだけど。彼らは職を持てないのか持たないのか。


国際化 9月20日(金)
 日本人の国連職員はどれほどいるのか。拠出金に応じて配分されるよう求めてはどうか。
 参議院議員は,任期中の2年間をアジアを中心に赴任することを義務づけてはどうか。
 英語を話せることももちろん,できるだけ現地語を話せるようにしたほうがいい。


トラック 9月20日(金)

 こちらでは鉄道が発達しておらず,圧倒的に車社会。トラックには3両連結があったりして,まさに鉄道の代わり。road trainとかってトラックの側面に書いてあった。


人口密度 9月20日(金)
 今日の午後,エディスフォールという滝に行ってきた。メインの通りから20キロほど入ったところにある。旅行会社のツアーもないせいか(あとで調べたらありました),ほとんど車が通らないにも関わらず,舗装されていた。金曜の昼間ではあったが,4,5家族が泳ぎに来ていた。キャンプもできるようだ。それより驚いたのが,kioskと呼ばれる売店があったこと。この滝の最寄りの町が50キロほど離れたキャサリンという人口1万人あまりの町。その次に近いところはおそらく300キロ離れているダーウィン。ダーウィンの人口も10万人未満(ノーザンテリトリーのなかでは最大だけど)。しかもその他にも泳げる川や滝壺などはたくさんある。自然資源に比した人の少なさが,ある種の豊かさを保証している感じだ。


IT 9月20日(金)
 オーストラリアの方が,ネットバンキングが普及しているようだし,大学をはじめとする学校でのIT技術の活用は進んでいるかもしれないが,それをもってこっちの方が進んでいるとは言えないと思う。環境に対する意識や行動についても同様だけど,表面的には立派だけど,肝心なところというか一般レベルではさっぱりという感じ。ITでいえば,ATMでの送金や預け入れが不調になることが多いことなど,もってのほかだし,事務効率の悪さを見たら,表面的なものが完全にかすんでしまう。


フレーザー島 9月24日(火)
 久しぶりに書く気になった。アップするのにずいぶん時間をかけた上に,書いた日が不明なので,とりあえず24日としたが,かなりいい加減である。
 ところで,フレーザー島とは,世界遺産,世界で最大の砂の島。フレーザー島は,キングフィッシャーリゾートを中心としたエコツーリズムでも有名だが,実際に行ってみると,関心することばかりではなかった。私の場合,大学の授業の一環として,14人でツアーに参加して行ったのだが,夜の乱痴気騒ぎ(ってほどでもないが)を許す環境があったのには,どうにかならないものかと思った。簡単なバーにカラオケなのだが。もちろん,きれいな島だし,いろんなところで環境に配慮しているみたいだけど,たとえば,カカドゥに比べてすれた感じがしたのは事実で,もっと素朴なのを期待していた。



バージンブルー 10月17日(木)
 木曜島へ行くために,ブリスベンからバージンブルーでケアンズへ飛んだ。ところが,これが1時間以上遅れて出発したせいで,ケアンズからホーン島までのフライトへの接続が30分しかなくなってしまい,空港内で走るハメに。前回バージンブルーに乗ったときは,シドニーからブリスベンへのフライトが,前夜突然キャンセルされ,2時間近く早い早朝便に回された。今回,ケアンズからブリスベンに帰る便も予定が変更されたとのメールが入っており,予定通りが一回もない。安い運賃を維持するためにはいろいろとやりくりが大変なのかもしれないが,乗客の立場からするとかなり困ることは確かだ。


オーストラリア大陸の先端 10月18日(金)
 木曜島を6時15分に出発し,1時間かけて内地のセイシアというところまで小型船に乗り,そこからは4駆に乗り,オーストラリア大陸の最北端へ向かうというツアーに参加した。186ドルという高いツアーだったが,そのうち78ドルは往復の船代。同行者は2人。2人は夫婦だったのだが,奥さんの方がなんと日本人だった。ケアンズに8年住んでいるらしい。アジア系の人がそのツアーに参加すること自体珍しいらしいのだが,3人のうち2人が日本人だったのだ。私もまさかそのツアーで日本人に会うとは思っていなかった。でもって,木曜島の宿までいっしょであることが判明し,宿に戻ってからいっしょにビールを飲み,そのあと夕食をいっしょに食べに行った。実は,ビールと間違ってアップルサイダー(5.5度)を6本買ってしまっていて持て余していたのだが,もらってもらうことができた。といっても,実はツアー中にビールを2本もらっていたので,そのお返しという感じだけど。いや,あとからビールがあまっていると言ってまた2本もらったから,お返しにもならないや。
 旦那の方のオージーが言っていたのだが,ヨーク岬というオーストラリア大陸の最北端に来るのが少なからぬオージー(たぶん男)の夢なのだそうだ。


木曜島 10月18日(金)

 ケアンズからプロペラ機でホーン島へ2時間。それからマイクロバスとフェリーを乗り継ぎ,1時間かけて木曜島へ到着。南緯10度と11度の間。こんなに赤道に近づいたのは初めてと書こうとしたが,ガラパゴスに行っていたのを思い出した。
 木曜島はずいぶん素朴な感じだ。旅行者も少ない。唯一の島のインフォメーションは,民間のものだった。6世代この島に住んでいる人が経営しているらしい。


木曜島つづき 10月19日(土)
 今朝,1時間半の島巡りのツアーに参加した。島巡りと言っても,結局は,Green hill fortという小高い丘の上からの展望と,その地下のようなところにある博物館がメインで,他は,ちょっとバスを止めてガイドが説明する程度だった。
 丘の上からの眺めは悪くなかったが,ちょっとこういう眺めに麻痺している感じがする。
 ともあれ,木曜島は,他の島々に囲まれたところに位置しており,風がそれほど強くなく,人が住むには適しているらしい。ただ,水は他の島から運んでこなければならないらしいが。
 ちなみに,火曜島から金曜島まであるが,土日月はない。


トレス海峡人 10月19日(土)
 この訳語が適当かどうかわからないが,いずれにせよ,オーストラリア原住民としてアボリジニと並んで保護されている民族である。迫害差別の歴史はアボリジニが有名だが,トレス海峡人も同様なのだろう。トレス海峡人も黒人だ。白人の人が言っていたのだが「black」というだけで差別になるから,「dark」と言わなければならないらしい。
 おそらく,連邦政府やクイーンズランド州が多額の補助金を出しているのだと思うが,人口4500人の島に小学校が2つ(1つはカソリック系),高校もあるし,TAFEという専門学校まである。今日参加したバスツアーのバスもえらく立派な大型バスだったが,たった1時間半のツアーだし,あんな大きなバスが必要なのか,という感じだった。とはいえ,私も含めて参加者が23人もいたのには驚いたが。
 キャサリンでも思ったことだが,少なくとも一部の差別を受けてきた黒人たちは,ずいぶんとのんびりと日中を過ごしているように思った。怠け者ということもできるかもしれないが,そもそも,西洋風の労働スタイルがなじまない文化だということもできる。また,誤解を恐れずにいえば,補助金漬けでスポイルしすぎて,労働意欲をそいでしまっている可能性もあると思った。
 もちろんだからといって,白人系オーストラリア人が勤勉かっていうと,そうとも言えず,東アジア圏の人たちや他の欧米の人たちから見ると,オーストラリア人はかなり怠け者の人が多い。


豪州心理学会以降 10月19日(土)
 オーストラリアの心理学会に参加した感想を複数のメーリングリストにアップした。次の通り。

 先週の金曜日から昨日まで4日間,こちらの心理学会に参加してきました。実は今日が最終日なのですが,いくつかの理由で今日は参加してません。会場は,ゴールドコーストにあるホテルで,私の家から車で一時間弱のところでした。このホテルはゴルフ場を併設していて,日本人客が多いようです。あちこちに日本語の案内を見ましたし,日本食のレストランもありました。
 今日参加しなかった理由の一つに,5日間車で往復するのはしんどいというのがありました(実際,4日でも十分しんどかった)。その他,最終日のプログラムがあまり興味のないものだったというのとか,最終日に参加しないことで参加費に若干ディスカウントがあるということとかがありました。
 以下にいくつか気づいたこと(日本の学会とは違うこと)を書きます。私は国際学会やAPAなどに参加したことがないので,少なくとも日本とは違うっていうことだけです。国際学会やAPAでも同じだ,というのがあれば教えてください。
1 シンポジウムなど,定刻に始まることが少ないが,とくにあわてるふしがない。一方,定刻過ぎまで議論が続くということもない。だいいち,休憩なしで同室で次のセッションがプログラムされていたりする。
2 一つのセッションで必ず(というといいすぎだが,それに近い)1回は会場内でケータイがなっている。あるシンポでは,同じ人が二度ならしたりしていた。
3 発表はシンポジウム,フォーラム,ワークショップ(ポイント獲得の場となっていて会費とは別に参加費が取られる。大会直前にサイトをみたら,ワークショップによってはFully bookedとか書いてあって,人気の有無が露骨にわかる),講演が中心で個人発表(ポスターのみ)は少ない。全体的に応用志向がきわめて強い。日本でいう分科会のようなもの(こっちではcollegeといいます)がシンポなどの企画に協力するという感じでプログラムが組まれていて,「今日は○○の日」(日によってちょっと強調の度合いが違うのだけど)というのがあるのだが,その「○○」が,日本人の私の目から見るとかなりすごい。
 金曜日 「組織心理学」
 土曜日 「カウンセリング心理学」
 日曜日 「健康心理学」と「臨床心理学」
 月曜日 「裁判(forensic)心理学」
 火曜日 「臨床心理学」
 おわり。
 もちろん,上の分野以外の発表もあるけど,「社会」「教育」「発達」「認知」なんてのが出てこないってのはすごいと思いません? ちなみに,豪州心理学会のcollegeはつぎの9つ。

Clinical Psychologists
Clinical Neuropsychologists
Community Psychologists
Counselling Psychologists
Educational & Developmental Psychologists
Forensic Psychologists
Health Psychologists
Organisational Psychologists
Sport Psychologists

 他にもいろいろあるけど,とりあえずこのくらいにしておきます。
 個人的には,こっちの心理学者の知り合いがいなかったので(私は環境関連の学部に所属),そうとう無口でしたし,ひたすらまじめに発表を聞いてました(とはいってもパワーポイントやOHPがない発表はかなり「英語が」わからなかったですけど)。発表聞きに行かないと,やることないので。というわけで,かなりしんどかったです。へとへとです。

以上。

 これは本当に大変だった。2日目の夜,一睡もできなかったのだ。相当疲れてるはずなのに。かなり興奮していたんだろう。これまでは,寝付けないときでも,たいてい5時とかには眠っていた。眠れなかったので,いっそのこと,車が混むかもしれないからということで,6時に家を出て,学会会場の駐車場で寝ようと考えた。ところがそこでも眠れなかった。じゃあつぎはきっと,発表を聞きながら寝るだろうと思ったが,これもまた眠らなかった。すごい覚醒状態だ。帰りの運転は,自分でもけっこう心配だった。でもその翌日バタンと爆睡したというわけではない。
 それ以来,寝付きが悪かったり,夜中目が覚めたあと眠れなかったりという日が続いている。徹夜した日をのぞけば,5,6時間は最低でも寝ているけど。
 木曜島とケアンズへの旅が,いい気分転換になってくれるといいと思っている。


国際エコツーリズム学会 11月1日(金)
 実は,木曜島に行ったあと,ケアンズで開かれた国際エコツーリズム学会に参加していた(10月21日夜〜10月25日まで)。国際とはいっても,毎年豪州で開かれているし,参加者も豪州人が中心ではあった。400人程度の参加者だったようだ。最初に感じたことは,会場となったコンベンションセンターのエアコンが効きすぎて寒いってこと。日本だったら,「エコ」のつく学会なので通常よりも2度温度を上げるようなことを,たとえ表面的であれしそうなものであるが,と思ったりした。いずれにしても,エコツーリズムの認証(つまりエコツーリズムの善し悪しの判定)に関する発表が多いのには驚いた。おかげでどれを聞こうか迷うことが少なかった。エコツーリズムの認証,格付けについて非常に興味があるからだ。
 豪州では,すでに複数の認証機関があり,一部対立しているようでもある。一方,そもそも認定料を払ってまで認証してほしくないという業者も当然いるわけで,なかなか事態は単純ではない。とはいえ,すでに数年の蓄積を持ち,多少は社会的認知もされつつあるようだから,日本に比べたら格段進んでいるとは言える。儲けるためではないとはいえ,評価する対象からお金をもらうというやり方は,どうしても業者よりの判断へと流されやすいのではないかと思う。
 それにしても,23日にあったフィールドトリップにはしてやられた。学会の協賛企業であると思われるところを回され,本来の目的であると思ったケープトリビュレーションには行かなかったのだ。ふつうならモーニングティーで済ますはずのところを,朝食を用意されたり,エコロッジを案内されたり,ツアーとしては相当不満が残った。だいいち,ふつうのツアーよりお得とか謳っていながら,ふつうのツアーとは全然比較できるようなものではなかったし,けっこうな額とられたのだ。
 環境教育学会の時のフィールドトリップもさんざんだったし,次からは注意しようと思う(って次はあるのか?)。


夜行性動物探検ツアー 11月1日(金)
 学会が終わった翌日,つまり26日は,午前中スカイダイビングに初挑戦し,夕刻,夜行性動物探検ツアーに参加した。スカイダイビングは,怖いという感覚はあまりなく,あっという間に終わったという感じだった。大きなパラシュートが開くまでは,落下するときの空気抵抗の音が「ガァーーッ」となっていて,パラシュートが開いた瞬間は,ググッと上にいったん持ち上げられ,その後ゆっくりと降下する。降下するとき,たまにコントロールの関係で気持ち悪いときもあったが,ま,いい経験というところ。ちなみに一人でダイビングしたわけではない。
 それよりも,夜のツアーはいろいろ考えさせられた。最初はカモノハシ探しに行ったのだが,カモノハシが神経質だというのもあって,非常に細かな指示をされた上,カメラ撮影も禁止された。見えることは見えたのだが,ちょっと遠かったので「カモノハシ」といわれなければよくわからないという感じであった。でも,自然を相手にしている以上,しかたがないと思えた。しかし,次に行ったロックワラビー探しでは,事情が違った。おそらく毎日同じ場所で餌をあげているせいで,ワラビーもよくなついていた。同伴した日本人ツアー客たちは喜んで餌をあげ,写真を撮っていたが,これではちっとも自然のワラビーを探したわけではない。ワラビーからしたら,夕刻あの場所に行けば餌がもらえるとわかっているんだろうから,かなり野生の力がなくなっているのではないか。餌は天然のものを使っているとガイドが言っていたが,そういう問題ではないだろう。あのツアーがなんらかの事情でなくなったりしたら,ワラビーたちは生きていけるのだろうか。ロックワラビーは数が少なくなっているとそのガイドは説明もしていたのだが。


パース 11月2日(土)
 ブリスベンから5時間半かけてパースに着いた。飛行機はずっと陸地の上。大陸横断だ。今回の旅は,オーストラリア滞在中で最長のものになる予定。実は,パースはクリスマス島,ココス諸島というインド洋上に浮かぶ熱帯の島に行くための経由地。15年ぶりにパースに来たが,前回のことはほとんど覚えてないので比較できない。何せ旅の形態が違いすぎる。前回はドミトリーにしか泊まらなかったし,食費をケチりにケチった。今はパソコンを持ち歩き,毎晩ビールを飲んでいる。それにバストイレ付きに泊まっている。
 ともあれ,今日は久しぶりによく歩いた。公園を歩くと人口密度の低さを実感する。日本の大都市と違って,こちらは,町の中心から離れればどんどん人は少なくなる。だから,100万都市といっても混み具合が全然違うんだと思う。
 最高気温が20度のところに半ズボンとビーサンで来てしまった。明朝は10度を下回るらしい。「来てしまった」と書いたが,一応覚悟の上ではある。荷物を極力減らそうとして靴を持ってこなかったのだ。さて,2週間後のカンガルー島,その後のメルボルンはどのくらい温かくなっているやら。


カンガルーでもカエルでもなくカニ 11月3日(日)
 パースからエクスマウス,ココス島を経由してクリスマス島へ。乗り継ぎ時間を含めると,8時間の長旅。インドネシアの方がオーストラリア本土よりも近い島ということもあって,マレー系,中国系の人がけっこう住んでいるらしい。レンタカーを借りて運転している道すがら,何度もカニをひきそうになった。ここはカニがたくさんいるらしい。本土だとカンガルーやカエルがひかれることが多いが,ここはカニの死骸があちこちにある。
 さすがに日本人観光客も見ないが,驚いたことに日本人経営のダイビングショップがあった。おそるべし。



オーバーヒート 11月4日(月)
 生まれてはじめてオーバーヒートを経験した。しかもレンタカーで。しかもクリスマス島で。観光客が少ないところで,ちょっと奥まったところに行っていたときに,やばい感じがしたので,とにかく,交通量のある程度ある幹線道路まで出るのに必死になった。もしも車をおいて助けを求めようとしたら,何十分,あるいは1時間以上,酷暑のなか歩かなければならなかったので,本当に必死だった。とは言っても祈るだけだったけど。
 本当に悲惨な経験だったけど,代車を持ってきてくれたあと行ったところはよかった。潮吹き穴は予想以上にすごかったし(特に轟音が),そのあと行ったLily Beachの遊歩道では100羽を超える海鳥たちを見た。


クリスマス島のダイビング 11月5日(火)
 ダイビングをした。午前中のダイビングでは,なぜか水がちょっとずつ入ってきて,そのせいでちょっと焦ったというのもあって,すぐに浮上。こんな経験ははじめてだ。どうもマスクが合わないとわかったのは,昼食後にシュノーケルをしたとき。およその感覚がつかめた午後は1時間近く潜った。サンゴ自体はかなりよかった。大物は見られなかったが,帰りがけにイルカと二度遭遇し,そのたびにシュノーケリング。そのあとなんとマンタも見つけ,さらにもう一度シュノーケリング。1.5Mほどの小さいマンタだったが,ベテランダイバーによれば,きれいなマンタだという。
 そういえば,今回のダイビングは日本人5人のベテランダイバーと,オーストラリア人女性1人と潜り,私だけがビギナー。
 日本人5人のうちの1人はお茶大の生活科学部の3年生で,休学して,ココス島のダイビングショップに勤めるらしい。勤めるとは言っても,部屋代とダイビング無料で,ダイブの手伝いをし,部屋の掃除とかするらしい。
 ふたたび,日本人恐るべし。


楽しいひととき 11月7日(木)
 昨日もう一度ダイビングをし,そのあと,お茶大の子を除く日本人ダイバーと,ダイビングショップのオーナーとともに夕食をともにした。日本人ダイバーはみんな小笠原に行ったことがある人で,こんなところで小笠原の話で盛り上がったりした。「リーダー」と呼ばれる男性が3人の女性にこき使われたりいじめられたりしていて,妙に安定した関係を築いていて,彼のエピソードを聞くたび大爆笑となった。こんなに笑ったのはオーストラリアに来てはじめてかもしれない。ひとりの女性は7年前から彼とダイビングに行っているらしく,もうひとりは5年前,もうひとりは数ヶ月前だと言う。おもしろいグループに出会えてラッキーだった。ちなみに彼は東京都職員で小笠原に配属になるかもしれないとのこと。小笠原でまた会えるかもしれない。


ココス諸島 11月10日(日)
 ココス諸島のウェスタン島に滞在中。ココス諸島で人が住んでいるのは,この島ともう一つホーム島だけ。この二つの島は小さな船で30分ほどの距離にある。一番近くの島であるクリスマス島から950km離れている静かな島だ。クリスマス島と違い,珊瑚礁に取り囲まれている複数の島が環状に位置していて,その中は非常に穏やかでシュノーケリングに適している。昨日は週1回だけダイレクション島という無人島に行く船がある日だったので,その船に乗ってシュノーケリングをしてきた。おとといもシュノーケリングをしたのだが,とにかくこの島の近辺は魚の数が多いらしい。大きい魚も意外と浅いところにいた。魚の名前を覚えると本当に楽しいだろう。


ココス諸島つづき 11月10日(日)
 ココス諸島へはクリスマス島早朝5:40発というとんでもないフライトでやってきた。3時起きだった。ココス島は,パースより1時間半遅く,クリスマス島より30分遅いので,1時間半のフライトだけれども,到着時間は6:45分。果たして,ホテルにチェックインできるか心配だったけれども,全く問題なかった。
 ここのところ,観光客は週に10人に満たないらしいから,希少な観光客らしい。そういえばクリスマス島の日本人経営のダイビングにやってきた日本人は昨シーズン12人だったそうだ。もちろん,ダイビングをしない観光客もいるだろうが。ココス諸島はクリスマス島よりもさらに不便なので,日本人来島者もぐっと少ないだろう。
 ココスのビジターセンターは,パンフレットを見ると,金曜日は8時から12時となっているが,入り口の案内では8時から9時半,実際は9時10分頃閉まった。なぜ閉まった時間を知っているかというと,シュノーケリングギアを借りるのに,そこのおばさんに9時に来るように言われていて,行ったらまもなく戸締まりして,家まで車で連れていってもらったからだ。その家は夫婦でダイビング経営をしているらしい。ダイビングは予約で6名の定員がすでにうまっていた。クリスマス島でおもわず2日ダイビングしてしまったし,出発前はそもそもココスではシュノーケリングのつもりだったのでそれほど悔しい思いはしなかった。


ココスの観光 11月10日(日)
 ココス諸島は,観光客が少ないけれども,海はきれいでビーチも結構あるし,シュノーケリングすれば魚はいっぱいだし,椰子のみが落ちてくるので注意せよという掲示があるほど,椰子の木だらけだし,楽園という名がふさわしいと思う。でも,ダイレクション島に行ったとき,やはり,食べ物のかすをその辺に捨てて「カニが食べるから」と言うオーストラリア人がいたり,なぜか鶏が何羽もいたりした。観光客が少ないからさほど大きな問題にならないし,少ないから管理するためのコストも負担できないのかもしれない。いずれにしても,ごみ,食べ物の残りかす,そしてたばこの吸い殻の扱いは,おそらく世界共通の問題だろうと思った。特に,食べ物の残りかすがその場の生態によくない影響を与えうるということを知らない人が多いように思う。


エスキー 11月12日(火)
 エスキーとはクーラーボックスのこと。こっちの人にとっては必需品。この単語は以前マーシーに教わっていたと思うが,忘れていた。クリスマス島から同じ便で来て同じ便で戻ったオージーに教えてもらった。ダイレクション島では,その彼がエスキーによけいにビールを持ってきていたらしく,昼食時にビールをもらった。二本目は半ば強制的。前日もバーでおごってもらった(そのときは一応おごり返したが)。そういえば木曜島からケープヨークのツアーのときもオージーにビールをもらった。多めに持っていっているのか,気軽にくれる。カカドゥで滝巡りのツアーに参加したとき,帰りの車のなかでコーラをもらったことも書きながら思い出した。


モンキーマイア 11月13日(水)
 イルカの餌付けで有名なモンキーマイア。今朝,一頭のイルカがやって来た。たった一頭のイルカに対して,人は100人くらい。レンジャーの説明のあと,ボランティアの指名により,4,5人が餌を与えた。ボランティアは日本人。もうひとりのボランティアもやっぱり日本人だった。いろんなとこに日本人がいる。
 シェルビーチとストロマトライトに行くツアーにも,私の他に3人の日本人女性が参加していた。オーストラリアで日本人がいないところはないかも。

モンキーマイア(あとから追加) 11月13日(水)
 ストロマトライトってのは,35億年生きてる最古の生物らしい。私が行ったところはそれが広大な土地に広がっているところ。その大きさの故に世界遺産になったらしい。
 シェルビーチは,砂の代わりに小さな貝でできたビーチ。どうも,4000年くらい前から,地形の関係で,その近郊の海の塩分が通常の2倍くらいあり,それら小さな貝の天敵がいなかったために貝たちの天国になったらしい。11キロ続くビーチで,貝の深さは10メートルに及ぶらしい。



オーストラリアのフィールドワーク 11月14日(木)
 在外研究としてオーストラリアにいるわけだが,研究の面ではさほど大きく前進しているとは思えないし,3月に帰るまでの間大きな成果が上げられるとも思えない。もちろん,学会やワークショップに参加して,それなりに刺激を受けたし,これからやりたいことも見えてもきた。ただやはり,英語に振り回されてしまっていると言わざるを得ない。
 とはいえ,私生活の面では,同居人に恵まれたおかげでずいぶんと助かったし,こちらの実際の生活を知るのに役立っていると思う。受入教官がいまいち不親切なので,自ら知り合いを作っていくしかないのだが(とはいえ何人かのキーパーソンは紹介してもらってはいる),そういう意味で,非常にボトムアップな形で知り合いを作っているし,生活しているように思う。オーストラリアをフィールドワークしている感じだ。


エクスマウス 11月16日(土)
 13日から15日まではエクスマウスに滞在した。ここはニンガルリーフというリーフが300kmほど連なっていて,なおかつ陸地からそれがほど近いということで,ダイビングやシュノーケルが盛んなところ。それでも,グレートバリアリーフほどの華やかさはなく,エクスマウスも本当に小さな町。
 パースに移動する日の午前中には,グラスボトムボートで珊瑚礁や魚を見たあとシュノーケリングをするというツアーに参加したが,そのツアーガイドのおじさんが6年間鍵をかけたことがないというくらい小さな町なのだ。そのツアーは,おじさんがマイクロバスに乗って,エクスマウスのホテルで客を拾い,船着き場まで行き,ビーチにほど近いところにある手漕ぎボートで,2,30m沖にあるグラスボトムボートを取りに行き,そこで乗り換え,ビーチまでグラスボトムボートを持ってきて,お客さんを乗せるという,非常に素朴な感じのするものであった。
 そのおじさんはまた,ツアーの途中で,ボートで釣りをしているカップルに対して,錨でサンゴを傷つけていることを注意してもいた。こういうのを見るのは気持ちのいいものだけど,オーストラリアでもなかなかお目にかからないように思う。ツアーの帰りのバスでは,見晴台にも寄ってくれ,11時半に戻る予定が1時過ぎになった。地味だけど感じのいいツアーだった。


クリスマスとココスについて思い出したこと 11月16日(土)
 クリスマス島にはパースから週3便(うち1便はココス経由),ジャカルタから週1便の飛行機が飛んでいるが,以前はジャカルタから週6便飛んでいたらしい。国内線ももっとあったのかもしれない。その理由はカジノ。以前クリスマス島にはカジノがありそれなりににぎやかだったらしい。
 ココスもそのあおりを受けたのかどうか知らないが,観光客の数はずいぶん減ったらしい。以前は週に60人も観光客が来島したこともある一方,最近は10分の1程度らしい。


カンガルー島 11月19日(火)
 セスナ機以外では今までで一番小さい飛行機に乗って,アデレードからカンガルー島にやってきた。フリンダースチェース国立公園の入り口にある宿に泊まっているのだが,そこのオーナー・カップル(結婚しているかどうかは不明だがそれぞれに子どもがいるらしい)はずいぶんとフレンドリーで,いずれも日本に滞在した経験があるという。男性のアレンは,英国航空やキャセイパシフィックのパイロットをしていたらしい。女性のジェニファーは化学のPhDを持っていて,東大の理化学研究所に短期留学した経験があり,日本のいくつかの大学とかで講演したらしい。
 3泊のうちの最初の2晩は,バーでビールやワイン,日本酒(豪酒というこっちで作っているもの)まで,ごちそうになった。
 また,1日ツアーと半日ツアーに参加したのだが,それがいずれも私のみ参加という贅沢ツアー。前者はジェニファーに,後者はアレンにガイドしてもらった。

カンガルー島(追加) 11月19日(火)
 わたしが訪れる1,2週間前にカンガルー島で大火事が発生したらしく,その名残が至る所に見られた。まだ根の部分が燃えているところがあり,そのせいで焦げ臭いらしい。なんと5000haが焼けたそうだ。
 また,この島でロブスター漁をしている業者があるそうで,どうやら年間100万ドル売り上げがあるらしい。従業員は全員で3名,ロブスターはすべて日本に行っているそうだ。そのロブスター漁をしている船の桟橋は,第二次世界大戦中,3倍の長さがあったそうだ。当時,ここの住人は,日本軍がここから上陸することをおそれ,その長い桟橋にダイナマイトを仕掛けていたらしい。
 それからアシカ(sea lions)について。全豪で3000頭いるうちの600頭のアシカがカンガルー島にいるらしい。アレンによると,オスは200キロくらいの行動範囲があるのにたいして,メスは20キロ程度,その分(?)オスの方が体は大きい。また,老化につれて泳ぐ速度が遅くなり,鮫の餌食になりやすいらしい。

カンガルー島のカンガルー 11月19日(火)
 昨日は半日ツアーに参加したあと,レンタカーで国立公園内の見所を回り,いったん夕食をとりに宿へ。その後,夕暮れ時に(サマータイムなので8時過ぎ),ペンギンが見られるというビボンベイというところまで車を走らせた。
 ところが,カンガルーがうじゃうじゃ車に飛び出してくる。帰りは注意しなければと思っていたが甘かった。夕暮れ時で十分カンガルーは活動的になっていた。しかも連中,とろいというかのんきというか,クラクション鳴らしてもキョトンとしていたりする。途中で本気で帰ろうかと思ったが,スピードを50キロ程度まで落として何とか目的地にたどり着いた。
 が,しかし,しんどい思いしてやってきたのに,ペンギンが見あたらない。懐中電灯が小さいせいもあって遠くまではっきり見えないというのもあったが,他の観光客がいないと手がかりもない。それより,すっかりドライブに興奮していた。もう運転したくないのだが,早く宿に戻ってゆっくりしたいという気持ちが強く,早々に退散。帰路は,多少恐怖感は減ったが,40キロから50キロで運転して帰った。帰りには,カンガルーだけでなく,多分ポッサムも見た。というより連中のおかげでスピードダウンを余儀なくされた。途中で私の車を抜いていく車があったが,あのスピードでカンガルーをひかずにすむのだろうか。大型トラックが対向車線を走ってきたがあのスピードではまず間違いなくひくだろう。
 日中,島内を走っているとき,車にひかれたカンガルーをかなりの数(10頭どころではない。10キロあたり1頭は確実という感じ)見ていた。だからたしかに,夜走ることに迷いはあった。が,予想以上にしんどいドライブだった。ジェニファーがこの島のカンガルーの数は100万頭以上といっていたが,文字通りカンガルーの島なのであった。これぞ「夜行性動物探検ツアー」と,まとめることで落ち着くことにしよう。


カンガルー島のインフォメーションセンター 11月19日(火)
 今,アデレード空港にいる。その前に乗ったエミュ航空の飛行機が行きよりもさらに小さく,パイロットを含めて10人乗りというものだった。窓が広く,景色はよく見えた。預けた荷物もパイロットが自ら運んでいた。
 それよりも,カンガルー島を出る直前に,インフォメーションセンターで少し質問してみようと思っていたが,一番の町であるキングスコートのインフォメーションセンターは,土産屋のなかにあって,パンフレットのおいてあるデスクには人がいないという状況だった。空港のインフォメーションにいたっては,開店休業状態。観光客の多くが船で来るせいかもしれないが,それにしても観光に力を入れている感じがしない。


スカイバス 11月22日(金)
 メルボルンでは,モナッシュ大学で在外研究中の日本人と会い,彼にキャンパスを案内してもらったり,いっしょにテニスをしたり(私はビーサンで),トラムレストランで食事をしたりした。食事は彼の知り合いのオーストラリア人の学者ともいっしょだったのだが,そのオージー学者はこれまでにあったオージー学者とは感じが違い,どんどん関わってきて,ちょっと面食らった。たとえば,そのオージー学者は,食事のあとホテルまで私を送ってくれるのはいいのだが,そのまま部屋まで来て,紅茶をほしがり,一休みしてから帰って行ったのだ。
 昨日はグレートオーシャンロードのツアーに参加し,今ブリスベンに戻る飛行機。
 メルボルンの空港へのアクセスにはスカイバスというのがあって,スペンサーストリート駅と空港を往復しており,市中のホテルとは小型のバスがその駅との間を結んでいる。今朝,前日予約していたその小型バスをフロントで待っていたら,なんと,目前を通過していった。受付の人に電話してもらったが,もはやその小型バスは戻れないとのこと。予約の電話をするのを私は見ていたから,予約できていなかったことは考えられないので,間違いなくスカイバス側のミス。スペンサーストリート駅まで歩いて15分から20分で行けると受付で聞き,何とか小走りすれば間に合いそうだったので,荷物を抱えて駅まで急いだ。何とか間に合ったので事なきを得たが,こんなこと日本では考えられないだろう。事務作業の遅さもそうだが,オーストラリアの後進性を感じた。おおらかでいい,という次元の問題ではないからだ。



生活に密着していない 12月2日(月)
 今日は,エコセンターのクリスマス・ランチパーティーがあり,アルコールを飲んでしまったので仕事にならない。だいたい,土曜日はマーシーの誕生会第二弾(第一弾は彼女の父親が来られた26日(火)の誕生日当日),日曜日は急に日本人院生Aから電話があって,彼の家でパーティー,そのあとボーリング,と本当に久しぶりの遊び疲れの感あり。ボーリングの料金システムは,貸し靴と,2ゲーム,それになんとホットドッグとポテトを入れたパックになっていた。食べ物がいらない人は飲み物に変えられたが,これじゃ太るわけだよね。
 それはともかくとして,今日のパーティー会場に向かうとき,エコセンターの人たちが当然のごとく車で移動したのには驚いた。5人乗りの車に私も入れて6人乗ったので,効率はいいのだが,会場は歩いてもせいぜい5分のところだ。環境を専門にしていて,子どもたちに教えている先生にしてこうなのだから,オーストラリアではごく自然な,そして意識しづらい行為なのかもしれない。車の利用の問題と前にも書いたエアコンの問題は,日本の方が敏感かもしれないと思った。


あづい 12月3日(火)
 暑い! 蒸し暑い!
 とうとう本格的な夏が来た。夕べは夜もちょっと暑かった。これから正月にかけてどんどん蒸し暑くなるらしい。もうこのくらいで十分だけどなぁ。



やられたぁ 12月5日(木)
 今度は自分の車がオーバーヒート。今日明日で直りそうな感じじゃない。車で移動することになれてしまっているので,明日から相当不便を強いられそう。トホホ。


そういえば 12月9日(月)
 車はエンジンにも問題があるらしい。かなりの出費が予想される。
 それはともかくとして,5月から9月の間に書いてないせいで,家族との旅行話がないことに気づいた。8月に妻子,および義理の両親が来てくれて,ハミルトン島に3泊,ゴールドコーストに7泊した。いずれもコンドミニアム。日本でいう貸別荘のようなものだが,こちらではかなり普及していて,とくにゴールドコーストは高層ホテルの多くがこのタイプ。
リビングはかなり広く,ベランダもあって,くつろぐには十分。
 義理の両親が喜んでくれたのは,グレートバリアリーフ上空の観光フライトと,モートン島そばでのホエールウォッチング。その他,ハミルトン島で移動に使ったバギー(時速20キロくらいで走るゴルフ場とかで見るやつ)とか,駿斗がラミントン国立公園(世界遺産)で,小雨の中,七面鳥を追いかけたシーンが印象に残っている。後半天気がイマイチだったけど,ゆっくりできたし,いい気分転換になった。


ついてないことが続く 12月11日(水)
 オーストラリアに来る際に世話になったC(オーストラリア人)が,わたしが前回の旅から戻ってきたときから,同じ家に暮らしている。
その彼が彼の実家から母親の車を持ってきてくれたおかげで,再び彼と車通勤をすることができた。ところが,この際買い物をしようとガーデンシティに行く途中,警察に呼び止められ,車の登録期限が切れてると指摘された。そういえば,朝方Cがそういうことを言っていたが,軽く流してしまっていた。60ドルが飛んでいく。


夏休み 1月5日(日)

 大学院時代の友人たちが20日,21日の朝にブリスベンにやってきた。宿がゴールドコーストだったので,わたしも3日間,ゴールドコーストに泊まった。レンタカーを借りて,バカ話をしながらあちこち観光をした。
 24日からは家族がわたしの両親とともにやってきた。サンシャインコーストに7泊,エアーズロック,シドニーにそれぞれ2泊という日程で,しかも,エアーズロックでは初日の出を見たりしたので,後半ちょっとばてた。生まれてはじめて,暑い正月を迎えた。こちらはクリスマス休暇が夏休み。この時期は,海外からの観光客だけでなく,オーストラリア人も旅行をするので,宿を予約したりするのが大変のようだ。
 いずれにしても,久しぶりに家族と過ごすことができた。子どもはそれぞれに成長していた。駿斗などは,こちらに来てからいくつかのことばをしゃべるようになったようだ。
 オーストラリアでの生活も,残り2月半。あまり英語のこととか考えず,前向きに楽しくすごそうと思っている。


ノーフォーク島 1月5日(日)
 1月4日の朝に家族を見送り,そのままノーフォーク島へやって来た。シドニーからの飛行機では,離陸したのに気づかなかったほど熟睡してしまった。島に着いてからもかなり眠く,やはり熟睡。にもかかわらず今日もまだ眠い。ツアコンのようなことを続けていたのでけっこう疲れているのかもしれない。
 ノーフォーク島は,シドニーのサマータイム時間よりさらに30分早く,日本時間と比較すると2時間半進んでいる。ココス諸島が,日本時間より2時間半遅れていたから,この2つの島の間には5時間の時差があることになる。おそらく,オーストラリア領の人が住んでいる島の最東端と最西端に行ったことになると思う。

 ノーフォーク島は,クリスマス島同様,国際線扱いなのだが,クリスマス島にあったテルストラ(日本のNTTのような会社)がないので,オーストラリアのメインランドにかけるときにも国際電話をかけなければならない。オーストラリアから通常使っている,日本への安い国際電話も無理。
 地形はクリスマス島に似ていて,急坂,断崖絶壁が多い。しかも,日本にだったら絶対あるであろう柵がなかったりする。たとえば,コックピットフォールズという滝に行ったときには,足を滑らせたらかなりの確率で死ぬであろうような狭い道を,他の観光客が一人もいないなかで歩いたりした。
 ただ,クリスマス島に比べて,緑が多く,放牧されている家畜(特に牛)が多い。パインツリー(松)は,この島のシンボルでもあり,もとからあるものだが,芝は移入種らしい。それから,今日ドライブをしてみて,観光用の案内板が少ないように思った。地図上には見晴台のマークがあっても,道路にはそれを示すものが非常に少ない。案内板が小さいのはこの国の特徴のような気がするが,それがないことはこれまであまりなかったように思う。観光客が多いわりに不案内なのはなぜだろうか。民家や宿は島内各所に散在している。

 これまでオーストラリアのいろいろな島に行った。ロードハウ島,フレーザー島,木曜島,クリスマス島,ココス諸島,カンガルー島,ノーフォーク島。2月にもう一度ロードハウに行き,その後タスマニアに行くことになっている。場合によってはもう一度フレーザー島に行くかもしれない。いずれにしても,これらの島,とりわけ,へんぴな島を中心にいくつかの観点から小笠原と比較してみなければと思っている。わたしが行った島はすべて空港がある。空港がなく,船で10時間以上かかるような(人の住む)島はおそらくオーストラリアにはないと思う。



エアコンがない 1月5日(日)
 今日の夕食は,宿のお薦めのフィッシュアンドチップスのレストランに,宿の人も含め10人あまりで行った。話した人の何人かが日本に行ったことがあると言っていた。接している人の層によるのかもしれないが,オーストラリアに来てから,日本に行ったことがあるというオーストラリア人にたくさん出会っている。
 そのときに,宿の(共同)オーナーとおぼしき女性に聞いたのだが,この島ではエアコン,電気ストーブの使用が認められていないらしい。クリスマスやココスにはエアコンがあった。ロードハウにもあったように思う(来月確認しなくては)。人口1800人なので,確かクリスマスよりも少ないはずだが,それでも,電力使用を制限しなくてはならないのは,観光客の数が,クリスマス島などよりもずっと多いからだろう。



雨 1月6日(月)
 オーストラリアでのひとり旅で,はじめて雨にたたられている。今日は風も強いので,海はけっこうしけていると思う。国立公園の散策も,スキューバダイビングも難しい状況。毎日よく寝ているがそれでも眠いので,ゆっくりしたらいい,ということにしよう。


広い家 1月8日(火)
 昨晩,ディナーのツアーに参加した。ディナーのツアーがこの島にはいくつもあり,わたしが参加したのは,コース料理を4軒の家を巡りながら食べるというもの。メインがコンビーフなのには驚いたが(とは言っても缶詰ではなくステーキ状のものだが),それより驚いたのがどの家もとっても広かったということ。そういう家を選んでいるのかもしれないが,たとえば,小笠原にはあんな広い家はないだろう。小笠原の場合,広い家どころか集合住宅がほとんどなのが実態だ。こちらのように,小笠原でも内地から来た人が羨むような家がいくつもあってもいいのではないかと素朴に思った。


やっと太陽が 1月9日(木)
 ノーフォーク島に来てはじめて,日中雨が降らなかった。午前中は4WDのツアーに参加。いっしょに参加したオージーが言っていたのだが,こちらの住民は観光客に対して家を開放している。先日のディナーもそうだが,今日のモーニングティーのときも同様だった。そのオージーは,メルボルンでは考えられないと言っていた。
 午後はダイビングをした。ダイビングのときとしては,今までで一番小さいボートだった。それでも,天候がよかったので,ダイビングを満喫することができた。



日本車 1月9日(木)
 ノーフォーク島の車のほとんどは日本車だ。今は日本の中古車を輸入しているらしい。ニュージーランド経由で船で運んでいるようだが,1台あたり1500豪ドル程度らしい。運搬費用に人件費を足しただけだろう。かつては輸入ディーラーがあったようだが,今はインターネットを使って買っているらしい。「トヨタオート愛知」などといったステッカーが貼ってある車を見ることができる。


ノーフォーク島の観光 1月10日(金)
 今日がノーフォーク島の最終日。とうとうブリスベンに戻る。ノーフォーク島の出発時間はなんと夜の10:50。ブリスベン到着が11:45だが,クイーンズランドはノーフォークよりも1時間半遅れているから,ノーフォーク時間の深夜1:15に到着することになる。何でこういう時間設定をするのか謎だ。ココス島からクリスマス島へ移動する飛行機も深夜の4時頃だった。空港が混雑している,とか国際便であるとかいうならまだしも,どうしてオーストラリア国内便(国際便扱いだけど事実上国内便)でこんな時間に飛行機を飛ばすのだろう。経済的理由とかあるのだろうか。
 ともあれ,今日,午後に参加した国立公園散策ツアーはなかなかよかった。ツアーガイド(インタープリター)からいろいろ学ぶことができた。まず,ノーフォークは以前,二週間滞在するのが最低条件だったらしく,それと今(最低5泊)とを比べると,1週間でも2週間でも観光客は同じことをしようとするから,環境への負荷は今の方が高いということ。それから,1971年からノーフォークでの観光が事実上始まったらしいが,業者によるツアーはバスを使って大人数を対象にするので,あまり自然散策のようなことをしないので,皮肉にも環境に負荷を与えていないということ。生態系の問題でいえば,外来種のグアバが森のそちこちに生えてしまっていること。彼はweed(直訳すれば雑草)の問題と言っていた。さらには,ロードハウには以前水上艇が飛んでいてラグーンに着水していたということまで教えてもらった。
 今6時半。宿の人に送ってもらう時間が9時。さて,これから何をしようか。



ノーフォーク島(追加) 1月10日(金)
 ノーフォーク島もクリスマス前は雨が降らなくて大変だったらしいが,クリスマスに7インチ,約180ミリの雨が降って,その後しょっちゅう降っていたらしい。雨が降るだけでなく,わたしの滞在中はけっこう涼しく,というか夜中はけっこう冷え込み,毛布2枚かけても寒いくらいだった。それから,観光案内所は他の島に比べて大きく,従業員も複数いた。旅行代理店も少なくとも3つあり,観光業がかなり“発達”している印象があった。


帰国後のこと 1月23日(木)
 もはや,こちらでの滞在も2ヶ月を残すのみとなってしまった。日本からは来年度の授業時間割の確認とかその他もろもろのメールがやってきて,いやが上にも帰国後のことを意識せざるを得ないようになってきた。来月早々,ロードハウ島とタスマニア,シドニーに行く旅が最後の長期の旅となる。それから帰ってきたら残り1ヶ月だ。3月には同居人のケンとCなどとキャンプに行くことが決まっている。あっという間に帰国の日が来てしまいそうだ。


車 1月23日(木)
 つい先日も,また車の修理にお金がかかった。これで修理だけで2500ドルかかってしまったことになる。ついてないけど,もはやあれこれ言ってもしょうがない。残りの時間を楽しもう。



二度目のロードハウ 2月2日(日)
 昨晩は大学院生Aの家で新年会。わたしはそこに泊めてもらって,今朝ロードハウへの飛行機に乗った。ロードハウは,ブリスベンより1時間進んでいてシドニーなどと同じ時間。ちなみに冬は30分進んでいる。

 7月以来二度目だが,さすがに今回の方が観光客が多い感じだ。宿のそばのビーチでシュノーケルをしたが,4時くらいだったのにも関わらず,何人かシュノーケルしている人がいたし,散歩をしたり,BBQをはじめようとしたりする人たちもいた。前回来たときは日中誰もいなかった。
 この島は時速25キロが制限速度。いい車を持っている人もいるが,宝の持ち腐れという感じか。観光客はもっぱらレンタルバイク(自転車)だけど。



ロードハウのごみ 2月3日(月)
 昨日,ごみ処分場を訪ねた。きさくなお兄さんが親切にあれこれ説明してくれた。今,この島の店では,求められない限り買い物用のビニール袋を出さない。島民のほとんどが自分の買い物かごや袋を持っているそうだ。
 リサイクル用のビンや缶,ペットボトルはすべてメインランドに送られる。3ヶ月に一度ほど,段ボールなどを燃やすようだが,2年半前に処分場ができるまでは毎日燃やしていたそうだ(生ごみ以外)。世界遺産ということもあり,連邦政府からの補助もそれなりにあるようで,年々,状況は改善しているらしく,いずれは焼却しないようになるだろうと言っていた。また,同じオーストラリアのノーフォーク島は全部燃やしていること,メインランドもごみ問題の改善のスピードが遅いことを(笑いながら)嘆いてもいたし,NZからいろいろ学んでいるとも言っていた。


インフォメーションのおばさんと再会 2月5日(水)
 ビジターインフォメーションが,博物館の一角に移転していた。このことは前回来たときに,インフォメーションのおばさんに聞いていた。そのおばさんはわたしのことを覚えていてくれ,今回また話を聞かせてもらった。
 まず,レンジャーの話。現在は2人のレンジャーがいて,ひとりはフルタイムでもうひとりはパートタイムだそうだ。かつてはもう一人いたそうだが,補充されてないらしい。学校の環境関連の授業では,彼らにサポートしてもらっているらしい。だいたい各学期(年4学期制)に一度ほどその手の野外授業があるようだ。
 観光客について。2001年は,13,000人の観光客が訪れたようで,その数は年々増えているらしい。このおばさんはこの数字でもう十分だと言っていたが,隣に座っていた博物館の受付のおじさんは,冬にも観光客が来た方がありがたいというようなことを言っていた。この島は1日につき400ベッドという上限があるが,その上限に達するのは,クリスマス休暇とイースターの時期の数日のようだ。どうも3月が晴れの日が多く,風もあまり強くなく,しかも暖かいということで,観光のベストシーズンと言っていた。
 数ヶ月前,日本人観光客がこの地のクワガタを日本に持ち帰ろうとして,シドニー空港で捕まったというニュースがあったが,日本人は年に30人程度来ているらしい。


ヘトヘト 2月6日(木)
 昨日は,朝,ブッシュ・ウォーキングで汗をかき,夕方は,宿のそばの峠を越えてノースベイというビーチまで行きスノーケリングをしてしまった。そもそも,もうスノーケリングはしないつもりだったが,昼過ぎに天気が良くなってきて,やっぱりスノーケリングしようか,と思い至ったのだ。ただ,こちらに来てずっと自転車に乗っているのと,朝の散策でけっこうばてていて,スノーケリングにいく途上,膝がガクガクいっていて,引き返そうかと思ったほどだった。歩いて1時間程度なのだが,坂がかなり急なのがきつかった。休み休みなんとかビーチにたどり着き,スノーケリングを楽しんだ。非常に遠浅な海(2,30メートル沖まで行っても,深さ1メートルあるかないか)のあちこちにサンゴがあって,その周りを小型の魚がいっぱい泳いでいた。


カモノハシをめぐる物語 2月8日(土)
 今回のオーストラリア滞在中の目的の一つに,カモノハシを見るということがあった。見ることがけっこう難しいといわれているのでますます見たくなる。
 10月にケアンズに行った際,カモノハシツアーというのに参加し,どうも見たらしいのだがあまりに肉眼では小さかったので,「あれはカモノハシだ」と言われなければカモノハシとはわからなかったほどだった。
 でもって,今回,確実にカモノハシを見ることができるというツアーに参加しようと意気込んでタスマニアにやって来た。スタンレーというタスマニア北西部の町でそのツアーがあるというので,7日の夜のツアーに予約を入れていた。二人以上参加者がいないとツアーが催行されないのだが,なんとわたし以外に参加希望者がおらず,キャンセルになったという電話が入った。どうしてもカモノハシを見たかったので,しばらくしてから電話を入れ,1.5倍払ってもツアーはキャンセルなのか,聞いてみた。一応はったりのつもりで,もし,2人分払えばいいよ,と言われれば,それをのもうと思っていたのだが,全然だめだった。おそらく,働きたくなかったのではないかと思う。「前日は10人の参加があったのに」とか言われても困るだけだ。全くついてない,とそのときは思った。
 スタンレーから車で一時間ほどにあるバーニーという町の宿に戻って,パンフレットを眺めていたら,バーニーでカモノハシのツアーがあることがわかった。それから近くでペンギンが見られるらしいことも。フロントで聞いてみたら,ペンギンもカモノハシも車でさほど遠くないところだということがわかり,自分で行ってみることにした。
 まずカモノハシ。水面にポチャンと浮かんできた亀にしては細長い,いかにもカモノハシっぽい物体を立て続けにみたが,ちょっと暗すぎて確実なところはわからなかった。
 そのあとペンギンを見に行ったが,とりあえず一匹,暗がりの中で見ることができた。
 翌朝,ふたたびカモノハシにチャレンジ。前日の晩,見たように感じた場所にずっといたが,現れず。3,40分してから場所を変えてみた。散策道を歩いていたら,カモノハシがそのあたりで見ることができるという案内板があり期待が高まった。ところが,その辺を30分以上歩き回ってもやはり見ることができなかった。昨晩見たのをカモノハシということにしようか,とあきらめて車の止めてある場所に戻りはじめた。そのときだ。あれはカモノハシじゃないか? また浮かんできた。これは絶対カモノハシだ。すごく近くだ。「シュウーッ」っと(たぶん)息を吸う音まで聞こえてきた。形もはっきり見える。ビデオが録画できない状態になってしまっていて焦った。せっかくこんなに間近に見えてるのに。
 この一匹のカモノハシをしばらく追うことができ,そのうちビデオも復旧し,肉眼でもはっきりと,ビデオにも確実に録画することができた(と思う)。
 やっぱ
人生何があるかわからないものだ。


柵がない 2月8日(土)
 今日,昼過ぎから,クレイドル山のすぐそばのドーブ湖の周りを散策している途中,マリオンズ・ルックアウトという展望台にちょっとしたはずみで寄ってみた。予想以上に,坂が急で歩きにくい道だったのだが,何とかその展望台にたどり着くことができた。その展望台もそうだし,湖の周りの途中にあった岩(Gracier Rock)もそうだし,オーストラリアの他の場所でもそうなのだが,足を滑らせたら確実に死ぬであろう,相当危険な場所に柵がない。日本だったら確実に柵があるか,立入禁止にしているところだろう。わたしはそういう場所はけっこう好きなのだが,さすがに足がすくむ。でも,このすくむ感覚がけっこうよかったりするんだけど。


クレイドル山 2月9日(日)
 クレイドル山で滞在している宿は,ネットが使えるということだったのだが,なんと端子がイーサーだった。ということで,明日までネットはお預け。この宿にはもちろん一人で泊まっているのだが,部屋にはなんとエキストラの二段ベッドまでついている。一人で泊まるにはずいぶんともったいない。
 ところで,今日はクレイドル山に登った。駐車場(海抜920メートル)を9時45分頃出発。頂上まで3時間ほどかけて到着。日本でもふだん登山などしないのだが,頂上までのおよそ600メートル(標高は1545メートル)をなんとか登り切った。ほんとに“なんとか”なのであって,とりわけ最後の1時間ほどは岩登りになり,かなりきつかった。頂上からの眺めはほんとうによかったけど。頂上からの眺めは,カカドゥを彷彿させるものがあった。頂上からの帰りもけっこう大変だったが,通算6時間ちょっとでなんとか駐車場まで戻ってこられた。ともあれ,天気が良くて風もあまりなく,非常にラッキーだったと思う。


ゴードン川の色 2月12日(水)
 おととい,ストローンというタスマニア西海岸の町で,ゴードン川クルーズのツアーに参加した。途中2度上陸し,そのうちの1つは世界遺産の一部になっている。ゴードン川の色は,黄色というか茶色というか,いずれにしても色がついているのだが,これはbutton grassのタンニンの成分が溶けているせいらしい。色がついているといっても,濁った色ではなく,透き通ってはいるのだけど。
 タスマニア南西部の世界遺産の森は,とにかく木の密度が濃いのと,高い木が多いのが特徴のような気がした。世界遺産になるような森はみんなこんなものかもしれないけど。


タスマニアのドライブ 2月12日(水)
 昨日,今日と,あわせて850キロ程度運転したので,ちょっと疲れた。ただ,カカドゥのときと違って,景色が変わるし,あちこちに見所があって,道もくねくねしたりアップダウンがあったりするので,それほど飽きないですんだ。
 ちなみに,オーストラリアの道は一般道でも,制限速度100キロのところがあるが,100キロ出せと言われても出せないような道がけっこうある。
 それから,タスマニアドライブ中,車にひかれたカンガルーをたくさん見た。カンガルー島に匹敵すると思う。昨日やっとその死骸をビデオに撮ることができた。これを撮るのはけっこう精神的にしんどいし,何よりも,見つけたときにはけっこうなスピードで走っていて,その地点まで戻らなければならないというのがあって今まで撮れないでいたのだ。ジャーナリストにはなれそうにないな,やっぱり。


長期の旅も終わり 2月19日(水)
 
昨日,ロードハウ,タスマニア,シドニーの旅(取材調査含む,一応)から帰ってきた。タスマニアでは丸8日で2300キロも運転した。これで,こちらでの長期の旅も終わりだ。のこり1ヶ月。これからも,日本から知り合いが来たり,キャンプやパーティーなどがあるので,あっという間に帰国の日を迎えそうだ。



小学生時以来のキャンプ 2月25日(火)
 
20日から3泊,フレーザー島にキャンプに行って来た。たぶん小学生の時以来だと思う。最終日の夜に大雨が降って1つのテントが浸水する被害にあったりしたが,おおむね天気に恵まれ,自然を満喫できた。2日目の晩はビーチで寝ることもできた。参加者は,わたしを含め,日本人7人,タイ人1人。タイ人は幹事をしてくれた大学院生のAのガールフレンド。4駆の車を使って,きれいな湖や川で泳いだり,切り立った崖の上から,サメやマンタを見つけたりして楽しんだ。何よりも,日本語で4日間べらべらとしゃべれた(しゃべらせてもらった?)のがよかった。日本人同士でも,こちらにいると,年齢の壁を感じずにつきあえる(ことがある)のがありがたい。参加者全員(とりわけA)に感謝!


土地の値段 2月25日(火)
 
こちらでは土地の評価額が各家に届くようで,昨日その通知がわたしの住まいにも届いていた。ちょっと見せてもらったのをここで紹介することにしたい。面積は546平米。およそ160坪強。2001年10月1日の評価額(翌年6月30日まで有効)が$72,000(500万円強)で,1年後の2002年10月1日は$86,000(600万円強)。約2割の値上がりにマーシーも驚いていたが,それにしても,ブリスベン市街地から車で10分から15分のところでこの値段は,日本人の感覚からすると破格に安い。坪単価3−4万円だもんね。