インターネットを使った授業(道徳)
生きる勇気と友情
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この写真は誰ですか。
桑田投手
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この写真は誰ですか。
清原選手
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2人に共通していることは何ですか。
2人とも巨人の選手。元PL学園高校の選手です。
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昭和59年、PL学園は、桑田投手がエース、清原選手が4番バッターとして、夏の甲子園決勝まで進みました。
試合は、PL学園が3対4とリードされたまま9回裏まできてしまいました。
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先頭バッターが「清水哲選手」でした。清水選手は桑田、清原選手の1年先輩です。
どんな結果だったと思いますか。
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2球目思い切って振ったバットはレフトスタンドへ吸い込まれました。
同点ホームランです。
しかし、延長戦に入り、桑田投手は調子が上がらず、ツーランホームランを浴びてしまいました。
その後、清水さんが桑田投手のリリーフをすることになりました。
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清水さんはどんな気持ちでしたか。
「小さいころからの夢だった甲子園のマウンドに、上がるこれ以上の喜びはありません。」
「試合には、負けましたが、9回裏の同点ホームランと延長戦での投球は、私が生きている限り決して忘れることがないでしょう。」
いまわしい事故が起きたのは、清水哲さんが同志社大学1年生のときの試合でした。
フォアボールで一塁に出た清水選手は、2塁へヘッドスライディングを試みました。
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相手のショートがセカンドに入ってくるのが見えます。
次の瞬間「ゴキン」と言う鈍い音がしました。
相手のショートのひざに清水さんの肩が当たり、頭からグラウンドの上に落ちました。
清水さんは救急病院に運ばれました。
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レントゲン結果をみるや、先生は告げました。
「首の骨の4番目と5番目が折れています。」
このとき清水さんはどのように思ったでしょうか。
「首の骨が折れているといっても、手や足の骨折と同じようにじきにくっつくだろう。
骨さえくっつけば、またもとどおり野球ができるだろう。」と考えていました。
事故から8日後、手術が行われ、成功しました。
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しかし、手術から2ヶ月が過ぎました。それでも指は動かないし、手足の感覚さえも戻りません。
そして清水さんは手術から3ヶ月がたって勇気をふるって主治医の先生に聞きました。
清水さんは病状はどうだったのですか。
「今の医学では治すことはできない。おそらく一生寝たきりですごすことになる。」
と言われました。
ほとんど錯乱状態でした。ただ、絶望が体の中を駆けめぐるだけでした。
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清水さんはこのまま絶望的な人生を送るのでしょうか。(Yes or No挙手)
リハビリしていく上で清水さんの支えになってくれた人がいます。誰ですか。
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清原、桑田選手です。
清原選手がプロ入りする前、高校の卒業式の日、面会に来てくれました。
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帰り際に「哲さん、僕もう給料もらっているんですよ。これ、その給料の中から哲さんに」
と言って、その封筒を置いていったのです。
桑田投手がプロ入り1年目、清水さんのところにやってきました。
「哲さん、これをもらってください。」
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見ると、憧れの巨人のユニフォームと帽子でした。小さいころから巨人ファンの清水さんにとって、このユニフォームに袖を通すことは夢だったのです。
清水さんは今も寝たきりの生活を送っています。
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しかし、1日数時間、口にくわえた鉛筆でキーボードを叩いています。
そして、全国各地で講演も行っています。
現在、清水さんには夢があります。何だと思いますか。
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桑田、清原選手と3人で社会に役立つことをしたいと考えています。
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