よくある質問(メールでのご質問と回答です)
(質問1)
大東流を習っております。当ホームページを初めて拝見致しましたが、合気についてここまで力学的に解明された論文に出会い、衝撃を受けました。もちろんこの通り行えば誰でもすぐに合気が習得できるというほど簡単なものではありませんが、修行する者として、いかに今自分が行っている動作のひとつひとつを確認していく姿勢が大事か、目から鱗が落ちる思いです。今後の稽古にとりいれて合気の習得に役立てていきたいと考えております。
私は都内在住の者のため、残念ながら八景学院およびカルチャースクールに習いに伺うことができません。都内で当術理を習うことができるところがあれば教えて頂きたく、お願い申し上げます。
(回答)
どの派の大東流を習われておられるのでしょう。堀川師範系列の方でしたら、私の理論はわかりやすいと思います。いわゆる「触れ合気」の稽古をされている方なら、かなり細かい感触を育てられているはずですから、それを理屈にすれば、私の説明よりももっと巧緻になるはず(私はその伝を習ったわけではないので、そうおもっているだけですが)です。
たしかにHPを見ただけで身に付くものではないにしろ、初級の合気は簡単な原理で説明が出来るので、修得するのに時間がかかるものでありません。
例えば、いわゆる「合気あげ」は、その攻めるべきポイントが相手の人差し指と中指の側面ということと、支点が肘ではなく接触点にあること、接触面内に何カ所の接触点を作れるかさえわかれば、素人でも1時間程度でやれるようになるものです。
「合気あげ」を単純な稽古方法ととるか、基本術理の修得ととるか、色々な考え方がありますが、出来るようになるまで何年もかかるようでは、118本それぞれの合気を修得するのには膨大な年月が必要となります。
「合気あげ」がわかれば他のこともわかるようになると言われる師範方が多いです。たしかにその通りなのですが、「練る」工程を考えるとその一部でしかありません。「合気あげ」だけに時間をかけている暇はないと考えています。
さておたずねの件ですが、定例稽古で私の術理を稽古しているのは八景学院(これは実は小規模なカルチャースクールです。名前がまぎらわしいですね。)しかありません。日本伝の他の道場ではやっていないのです。申し訳ない。
ただ現在、東京で不定期に出稽古をやっておりますので、タイミングがあえばお見せできるかもしれません。詳細をご希望でしたら、ご連絡先をお教え下さい。
(質問2−1)
本で見るたびに思うのですが、片手で技をかけて相手は手を離さないのですか。合気をかけると手を放せないのですか。それとも練習の為にわざと離さないのですか。映像2でやってるように技をかけたら相手が手を離して逃げられるように思えますがどうなんでしょうか。合気は相手が手を離さないことが前提なのですか。僕のやっている武術には合気などないので片手で技をかけて相手が手を離したら逃げられてしまう気がするし、それなら柔術技法で両手でやった方が逃げられる確立が少ない気がするのですか、もしよろしければ教えてください。そんなに凄いものなら習ってみたいですし。
(回答2−1)
合気をかけている間に相手が手を放してしまうのではないか。これが合気道や合気系武術をやる人にとって、最も根本的な問題です。
映像を見てる限りでは、相手が協力しているのではとか、相手の反応より早くやらなくては出来ないのではないかと思われる方も多いと思います。実際のところ、そういう説明で逃げてしまう道場や指導者も多いですしね。
この場合、初手に相手の手の内を固めてしまって、技をかけ終わるまで指が離れないままにしておく細かな技術があるのです。これには相手の協力やスピードは必要ありません。
大まかな説明をすると、まず肘の操作で相手の人差し指の付け根を押さえます。同時に通称「朝顔の手」と呼ばれる掌の形で、親指の付け根の「魚腹」の部分や小指の先端の部分を捕まえてしまいます。これで最低3カ所のポイントを押さえることにより、相手の手の内に「力の三角形(慣れてくると多角形になりますが)」を作り上げます。
これが出来れば相手の手の内は固まってしまって離れなくなってしまうので、色々なことができるようになります。てっとりばやく体験したければ、映像1でやっている「玉磨き」を誰かとやってみられれば疑似体験が可能です。
玉を持った両手首を相手に持たせ、玉を絶対に動かさないまま肘を横に張り出します。その際、手のひらが玉から離れそうになりますが離してはいけません。手首が柔らかいままでなければならないので、力を入れられずいわゆる「脱力」の初歩を学ぶことにもなります。
映像2も片手で持てる玉があれば、独習は可能です。「力の三角形」を維持したままどうやって相手の手首にかけていくかは、玉を持ったままの方がやりやすいのです。玉を持ち続ける自分の手の形が、合気をかけ続けるのに必要な技術を指し示してくれます。
まず仲間と試してみる、わからない所をゆっくりと再現してみる。それが大事です。力とスピードに頼ると、たまたまできた場合にも再現ができません。自分が何をやれているのか、その動作が相手の身体にどう作用しているのかを見極めるには、じっくりと「実験」をやるように一つ一つ確かめながらやらねばなりません。
そうやって「練った」技に実用品としての速度と力を付加していけば良いのです。
よちよち歩きも出来ない内に、最初から実用レベルで動こうとするには無理が生じます。
以上雑ぱくですがご質問への回答とさせていただきます。技術を言葉で語れるようにしたいというのが私の想いですが、一つの技術に含まれている要素を語るには大変な説明が必要です。
「百聞は一触に如かず」が合気系の武術の特徴ですが、遠方の方は見学に来られるだけでも大変なことでしょう。まずご自分で研究されてはいかがでしょうか。そんなに大変な技術ではないのですよ。映像1・2とも私の道場では1〜2回で身につけていただかなければいけない初歩技術です。「合気」をかけることが「合気柔術」の根幹ですから、そんな事に何年も費やしていると技を一通り覚えるのに何十年もかかることになります。
簡単な物理的技術がわかれば(これを喩えに変えたのがいわゆる「口伝」ですね)、だれでも出来ることなのですが、「発想の転換」が必要なので難しく思えるのです。
(質問2−2)
前回の質問に対して返事を頂きありがとう御座います。メールだけで何度も質問するのは失礼かと思いますが、またいくつか質問させてもらいたいと思います。
基本的な合気の練習をとやかく言っても仕方ない所もあると思いますが、前回の返事で手が離れないようにする方法を答えてもらいましたが、映像2のような状態でも、手が離れないのでしょうか。
古武道をやる前に少林寺をやっていたのですが、少林寺の技で映像2の状態で関節技をかける事があったのですが、もう片方の手で抑えないと離れて掛からなかったのです。しかし、映像2ではまったく離れていない。なぜ?これもいわゆる練習の為ですか?合気上げや合気下げの為の練習かなにかなのか、それとも朝顔の手によって離れないのか。柔術技法では力のある人には掛かりにくいと思えるときが多々有ります。
雑誌で合気関連の記事を読むたびに、「相手の力を無力化できる。」と言う言葉に惹かれます。相手の力を無力化できるということは、相手が、例えK-1やPRIDEの選手のような力持ちでも掛かるということですよね。どうなんでしょう?最後に、玉磨き斜めのような合気の掛け方では、相手は倒れないように、歩を進めて抵抗しないのですか、これもまた合気を理解する為、また練習する為に、相手が動かないのか?、それとも動けないのか?
質問が多いですが、答えてもらえないでしょうか。お願いします。
(回答2−2)
映像2では離れません。そもそも指に合気を掛けているので、指が緊張して離れなくなるのです。その際に相手の手首や肘・肩を押し下げようとして、余分な力を下方にかけるのでその緊張が壊れるのです。
映像2はいわゆる「2カ条」の形ですが、大半の方が手首あるいは肘への圧力で相手が下に沈んでいると思われているようです。全然違っています。説明しにくいですが、指への圧力で相手が防御反応として、無意識に必死で逃げているのです。そのことが体感出来ない限り、体得は難しいですね。
「玉磨き」は初心者用のために、疑似「合気」を体感させるための方法論の意味合いがあります。そのため相手は基本的には逃げないのが「お約束」となります。そこが映像2との違いですね。実際に「使う」ためにはもっと色々なことをやって相手を崩しておいて、逃げられない状態にしておくことが必要です。
「相手の力の無力化」には様々な技法があるのでお答えしにくいですが、「技術」は相手との「力」や「スピード」の差を埋めるためのものです。「技術」と「力」と「スピード」の三要素の総和が、圧倒的に相手の負けていればそもそも勝てる訳がありません。初心者と上級者の差と同じ事です。基本的に相対論で考えるべきで、絶対論で「無力化」を偶像視すると大変なことになります。その意味では「無力化」ではなくて「省力化」とでも言うべきなのでしょうか。
例えば「相手の力を無力化」している最中に、相手の「力」が先に来てしまえば、「技術」を使えないことになってしまいます。ですからその前に合気を掛けて一瞬、相手の力と動きを止めることが必要になります。その技術が無い人では、「無力化する技術」をもっていても宝のもち腐れになりますね。
完全な「無力化」を実現させるためには、相手の重心を完全に制御しうる技術がないと無理でしょう。しかし相手がプロであればその技術に対抗する術を体験的に掴んでいるはずですから、そう簡単には行かないと思われます。がっちりと組んだ状態で崩されるのと違って、接触した一部分から崩されるわけですから、とまどいはあるでしょうが。
いずれにせよ「合気」は技術です。その技術的側面ゆえに限界もあるのです。「超能力」なら限界も無いのでしょうが。
ただ「合気」に力とスピードは必要条件で無いことは確かです。私の道場では「合気」をまず「力」で意識させて理屈を体感させて、その後「力」を削ぎ落とす作業に入ります。「技」に必要な最低限の「力」を割り出すためです。
また「技」はゆっくりとかける稽古をします。はやく行ってしまうと自分で何が出来たのか、何が出来なかったのか、分からないことが多いからです。
「頭」ではなく「身体」で完全に理解できたら、「力」と「スピード」を付加していきます。「実戦化」ですね。
細かすぎるくらい「細かい」技術と、辛気くさい「理屈」の総和が「合気」です。
(講習会参加者の方との通信)
(岡本)
遠方からのご参加ありがとうございます。講習の中身はおわかりいただけたでしょうか。空手とは違う畑で少し戸惑われたかもしれません。ただ懇親会の中で合気道のことはお知りになっているなと感じましたので、少しはお役に立てたかなと思っています。
合気は師範の方々によって定義からして違っているという、不思議なものにように思われています。しかし、基礎の合気は純然たる技術論で説明がつきますし、またそうでなくてはと思っています。
私見ですが芦原先生が目指された捌きは、単なるかわしとかいなしや交差法を超えたものを求められたのではないかと思います。
数多くある「合気」の定義の一つに「気を合わせるから・・・・・・・」というのがありますが、私は相互の力の構造体をどう組み合わせるかという観点で理解したいと思っています。
私のところで「合気」を受けに使う際に、接触した面(実際には点)をどれだけ相互の中心に出来るかという稽古をやることがあります。
それは「受け」ている部分をどうしても梃子の作用点にしがちな防御態勢を、支点に置き換えることによって体の居着きを防ぐと共に、その受けの動作がそのまま次なる攻防へ繋がるようにし、同時に合気による崩しを行いたいと考えているからです。
合気による崩しは、自分だけが力やスピードにまかせて「独りよがり」で行うことは不可能です。相手からの力やスピードを接触面から即時に判断しながら同時に、自分の避けていく動作がそのまま相手への圧力となっていくことが必要です。またそのためには腕の力で崩していくのではなく、胸筋や背筋の力を一瞬のうちに使うということが重要になっても来ます。
言葉ではなかなか説明しにくいのですが、そのようなことも一度試されてはいかがでしょうか。
(参加者の方)
先日はありがとうございました。懇親会でもいろいろと有意義な話を聞かせていただいた上に、わざわざこうしてアドバイスをいただき、感謝に堪えません。
> 私のところで「合気」を受けに使う際に、接触した面(実際には点)をどれだけ相互の中心に出来るかという稽古をやることがあります。
講習会の後、改めて芦原空手のビデオを見直してみました。私が思っていたほどがっちりと掴むことで相手を引き崩したりはしてはおらず、「引く」といいながらも手よりもむしろ体が動いて近づいていくような動きをしていました。
また、投げの時も、自分の体軸を中心に回転して相手を動かすのではなく、体ごと移動して互いの共重心の周りを回転しているように見えました。
円の中心を体の中におかないこの動きは合気道のビデオでもよく見られるように思います。「接触点を動かさない」、「接触点を中心にする」、「体を居着かせない」というのはこういうことなのでしょうか。
> 合気による崩しは、自分だけが力やスピードにまかせて「独りよがり」で行うこと は不可能です。相手からの力やスピードを接触面から即時に判断しながら同時に、自分の避けていく動作がそのまま相手への圧力となっていくことが必要です。
「独りよがりではできない」ということに似ているように思うのですが、最近、「相手をある方向に動かす為には、自分の力をそちらに向けてはいけない」と言うようなことを考えています。
相手の前蹴りを下段払いで受け流すという動作の時、以前は蹴りを後ろに流すために自分の手で一生懸命後ろに払っていたのですが、これだと相手の足に引っ張る力が掛かるため、よほど深い、押し込むような蹴りでなければ反射的に引き戻されてしまいます。
むしろ相手に向かって押し込むように受けて、受け手で蹴り足を支えるようにしながら入り身転換するとうまく蹴り足を誘導できるようです。
力をぶつけないと言うことと矛盾するようですが、攻撃を完全にかわして横に払うよりも、一度正面から軽くぶつけて押し返させ、そこからいわば押し負けながら横方向への力を加えてやると、相手がうまく崩れるように感じています。
相手の反射を利用するという点で合気と共通点があるのでは、と思っているのですが...
> またそのためには腕の力で崩していくのではなく、胸筋や背筋の力を一瞬のうちに使うということが重要になっても来ます。
これは、懇親会でお聞きして、さっそく妻を実験台にいろいろと試してみました。上袖を掴んで肩口を斜め上に押しあげて反発を誘い、腕が伸びきったところで、腕はそのままに胴体をたわめて(猫背気味の姿勢になる)引き込むと、うまく相手の反発を利用して引き込めるようです。
押す力と引く力の出所が違うためか、腕だけで押し引きするよりも力の方向の変化が読みにくいようです。
タイミングが難しくてまだ成功率は低いですが、自然に使えるようになれば、スムーズなサバキに一歩近づけそうです。
それにしても、今回の講習会を通じて、自分はまだまだ腕力で相手を投げようとしていたのだということを痛感しています。
「腕や、掴まれたその場所の力は相手の反射を誘い、自分と相手の重心を結びつけるためにのみ用い、崩し、投げる力は重心の落下や移動、胴体の屈伸など、出所のわかりにくい遠い場所から持ってくる。」これから、こういうことを考えてサバキの稽古をしていきたいと思います。
(岡本)
拙いアドバイスがお役に立てるかどうか。
おっしゃるとおり、ビデオを見返されて気づかれたことは正鵠を射ています。
また腕の力は最後に使うべきだと思います。捌きにしろ崩しにせよ、腕力だけでは到底なしがたいことはお気づきだと思います。
実際の攻防はさておき、稽古の中ではどれだけ接触面を固定できたままにしておけるかで、効果の測定が深まります。合気ですらなかなかフィードバックがわかりにくいのに、素早い空手の攻防ではその効果を確かめるのは大変です。
例えば突きの受けを下に流す場合に、腕は一切使わずに胸筋と腹筋の引き込みだけで、どれだけ瞬発力を生み出せるかという稽古が最も簡単なものでしょう。その際、「接触面は掴むことなくスプリングボードとして使う」と意識してください。講習会でやった「体を乗せる」ことを瞬間的におこなう要領です。
また捌く力は相手の攻撃を動かすのではなく、自分の体をその場所から逃がすことに使うということも大事なことです。空手の受けははじくことから始まりますが、さわることから始めてだんだんに誘導していくという稽古をすると、かわすということの意味がわかります。
古い空手の受けは、合気の攻防に大変近い構造をもっているように思えます。