橈骨と尺骨
関節技にしろ「合気を掛ける」にしろ、小手のどこを目標とするのかという場合に、単純に小手を一つの目標と物と考えるのではなく、腕の中の橈骨と尺骨を意識し、捉えられるようにならなくてはならない。
小手を単に一つの「丸い筒」ととらえるのと、中に二つの骨がある動かしやすい物体ととらえるかでは、力のかけ方が全然違ってくる。
関節技をかけるときには、関節とそれに繋がる骨のきしみを感じられるようにならないと、本当の事がわからない。
例えば一ヶ条「肘押さえ」の場合に、肘をしならせるために強大な力をかけているのを見かけるが、技術を進めれば肘関節の中の骨の突起にわずかな梃子をかけるだけで成立することに気づいてくる。そこではほんのわずかな力しか必要としない。
四ヶ条(八光流でいう雅薫)でも、力任せに小手に技をかけ痛めつけるのが初歩のやり方だが、本来は肘関節と肩関節をつかんだ所から制御できるか、ということが技の本質であり、痛み自体は結果論でしかない。無駄な力を使わなければ柔らかく相手を崩せるのである。その場合にも、小手の中のどの骨のどこの部分に力をかけていくかが重要になる。
その意味で橈骨と尺骨を仮に「下げる骨」「上げる骨」と呼ぶことにするが、それぞれ別の攻め方があり、合気を使った受けなどで「松葉」と呼ぶ技術とともに大きな要素をなしている。
実際の使用例としては、別項「合気による受けについて」の中で、外受けの動作として「親指を伸ばすようにして「掛け」を行い、肘を内側に操作して相手の肘・肩を一瞬に柔らかく固めてしまう。」という一文中「掛け」という言葉を使っている。さらに続けて「手のひらを返し「小指」を相手の小手や手首に軽く掛け」という表現を使った。
この「掛け」をどこに施すかである。「小手や手首」と大雑把に書いたのだが、細かく言うとその部分の橈骨(親指側)に「45度の角度」で掛けていくのである。これにより橈骨が「下げる骨」であることが良くわかる。
この骨に「掛ける」ことができれば、相手は下げらないようにするため「無意識に」肘や肩がこわばり、結果としてその場に「居着いて」しまうため簡単に腕だけでなく肩・腰・膝までも下に引き下げることが出来るようになるのである。
逆に尺骨は「上げる」ために使う。相手が正面打ちで攻めてくる場合に、真正面で受けず下から擦り上げるように受けるが、相手の尺骨に対して45度の面を作って押し上げれば、存外簡単に相手の腰まで浮き上がらせることが出来るのである。
これは空手でいう「あげ受け・上段受け」と同じであるが、通常スポーツ空手で見られるような自分の尺骨側で受けるようなことはしない。型の稽古が誤解を生むのだろうが、最初から尺骨側を接触させると「上払い」になってしまう。
相手の突きを下から橈骨側の小手で支えるように受け、手首を返しながら接触点を尺骨側に替えていく過程で受け流すのである。この場合に相手の腰まで引きずりあげていく力は、肘を外側に捻転させていく捻りの力と胸を上下に開いていく力を相乗的に複合させたものである。
なぜ尺骨側を攻めれば簡単に「上げる」ことができるようになるかは、精妙な理合いもあり詳述は別の機会に譲るが、研究の価値のある技術である。
いずれにせよ橈骨と尺骨の使い分けがきっちり意識してできないうちは、関節技も力任せスピード任せになりやすく、ましてや合気を掛けて相手を固まらせるレベルには到達できないといってよいであろう。