真の合気

 合気の定義は流派、会派によって様々であり、明確な定義がない。それは惣角が自分がやれる不思議な現象を全て「合気」の一言でくくり、それらを引き継いだ高弟たちがそれぞれ勝手に語ってきたことに由来する。

 とは言え、逆に言えば見ても理由の分からない現象でないと「合気」の名に値するものでなく、いわゆる「合気上げ」の中でも単純に相手を持ち上げたりすることや、見れば理屈がわかるようなものは違うということになる。

 他方、いわゆる「触れ合気」と言われるものにも、柔術由来のものと、合気の術由来のものがあるが、どちらも見ただけでは原理は分からない。

 普通、触れ合気をかけるには、相手に手首を持たせた状態からかけるが、実践の場において手首を掴まれる状況はあまりに考えにくい。手首を掴まれないと掛けられないでは、何の役にも立たない。

  私のユーチューブを見ていただければわかるように、合気の意味が分かっていれば、自分の指が相手に触れただけでも掛けられるし、もっと言えばどこかが相手に触れていれば、また相手の着衣をつまむだけでも掛けられるのである。

 そこで「合気」が掛かった状態とはどのようなものを言うのか。それは相互の「重心の共有」「軸の同調」「動きのミラーリング」とでも言う状態が成立していることが最低条件である。それらがない状態は、とても合気が掛かっているというレベルに達していない。

 どうやればそのような状態になるのか。ひとつのキーワードは「脱力」であり、もう一つは「瞬時のシンクロ」である。

 「脱力」もまた、定義が曖昧の状態であるが、単純に言えば「筋力」を使わず「靭帯や腱」だけでエネルギーを出す技術を言う。よく「力を抜け」という指導者はいるが、何の力を抜くのかという明確な指示ではないため、単純にエネルギーを出さないことと勘違いをし、何もできないという当たり前の結果になる。

 相手に何らかの効果を与えるためには、最低限のエネルギーは必要であるが、そのエネルギーを筋力で発生させると、相手の下位脳はそれを「攻撃」と解釈するので、防御か反撃行動に出て、「同調」という現象は起きない。

 逆に靭帯や腱のエネルギーを感じるだけだと、相手は筋肉の収縮の予備動作と捉え、次の筋肉の発するエネルギーに対処するために、下位脳が「いわば聞き耳を立てている」ような状態になり、同調が始まるのである。

 しかし、ただ同調が始まっただけでは不十分である。それにより重心や軸が「共有・同調」し続けることが必要であるが、そのためには立っている状態や体幹を維持する深層筋群のパワーダウンが必要となる。

それにより相互が「お互いに支えあう」関係を作り、身体力学的には無理のある「二足歩行」状態から「四足」状態に移行し、そのままそれを維持しようとする無意識の「もたれ合い」構造を作ることになる。

 それを可能にするのが自分の身体を「溺れる者は藁をも掴む」状態にすることで、このために「立つことをやめる」脱力(と言うよりは消力)の技術の稽古が必要である。

 つまり合気の技術とは、筋力の否定と、瞬時に相手の重心や軸と同調する技術ということになる。

 そして、そのための接触技術が「手の内」の技術であり、それは剣術の基礎である「刀の持ち方」なのである。
 「ぐい呑みの手」「朝顔の手」「猫の手」など、大東流には手の内に関する口伝がたくさんあるが、それは茶道の「茶巾絞り」に通ずる、手掌腱膜の高度な使い方である。
 その使い方を覚えれば、それを関節や腰などの身体の各所に転写し、どこでも合気が掛かる状態を作れるようになるのである。