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7月14日(日)

雨の集落

 しとしとと雨は降り続ける。雨が止む日も、週に1〜2度はあるが、青空を見せるような晴天にはならない。洗濯物が乾きにくい・・・というか、なにか乾燥機でも使わないとカラリと乾かすのは難しい日々が続く。そういえば、最後に布団を干したのはいつだったか。幸い、布団乾燥機は持っているので、そろそろ使おうかしらん。

 除湿器は毎日のように使っている。これは部屋の除湿目的ではなく、除湿器から排出される、暖かく乾いた風を、洗濯物に当てる用途で使っている。これでけっこう、気持ちよく乾いてくれる。
 ひと昔前は、家電メーカーも、あまりそういった使い方を除湿器で推奨していなかったような気がするが、むしろ今ではこの用途を中心に推していますね。

 じめじめして、気分が落ち込むなぁ、という気持ちも判る。ただ、ゲリラ豪雨でもなくカラ梅雨でもなく、穏やかに災害もなく雨期が進行するというのは、有り難い事でもある。まさか、去年の西日本で何が起きたのか、もう忘れたわけでもあるまい。

 山百合やネムの花が、少し咲き始めた。

 山百合

 まあそれでも、せっかくの連休にキャンプに来たのに、連日雨続きというのはがっかり、という人も多いだろうな。こんな雨でも、道志川のキャンプ場には意外と多くの客が来ていた。
 屋外でのイベントを企画している人だって、雨にはやきもきもするだろう。

 そういえば次の日曜日に、牧馬の近辺で大きなイベントが有る。何でもオリンピックの予行的なモノらしく、自転車のレースを東京から富士山の方まで走らせるらしい。そのコースが、道志川沿いの山中湖へ至る道で、11時頃から午後3時頃までこの道は通行止めになる。
 これでは近所のスーパーに買い物にも行けないが、そこは商魂逞しく、スーパーの店内には「前日の内に買いだめしておきましょう」と張り紙があった。

 気をつけなければならないのは、通行止めというのは、その道だけではなく、その道を横断して向こうに行くのも不可能という事。

 その道を挟んで反対側に行きたければ、交通規制の始まる前に行くか、終わってから行くしかない。さすがに消防や救急といった緊急車両は通すだろうが。
 不便ではあるが、かといって迷惑だとまでは思わない。何か大きな行事をやろうとすれば、いろいろと我慢する事もあるだろう。それをいちいち迷惑だと騒ぎたてると何もイベントができなくなってしまう。

 実際、私自身も、地元の小さなイベントの手伝いをしてきたけれど、そんな小さなイベントだって、地元の住民からの苦情はあるからね。地元の理解があってのイベントなので、なるべく地元に迷惑がかからないように配慮はしているつもりでも、苦情が出る時は出るのです。

谷の雨

 ただ、苦情があるから何も出来なくなる・・・という状況もけっこう恐ろしく、これって、「何も新しい事が出来ない」、という状況に等しい。人口が減って行く一方の山里だったら、何も新しい事が出来ない状況は致命的だ。
 少々は、「騒がしい事をするなァ」とか、「何か妙な事を始めたなァ」とか、「あいつらが勝手にイベントをやったって、おれたちには一銭の利益にもならん」とか、不平不満は置いておいて、「まあ何でも、やらせてみよう」と、寛容な気持ちもないと、山里の未来は開けないだろう。

 ここ10年か20年の歳月が通過して、似たような地域なのに、あっちの地域は移住者も多くて活気が出て来ているのに、あっちの地域は沈滞しているね、という差が、全国各地に現れて来ているかもしれない。
 その差が出来た原因は、その地域に「まあ何でも、やらせてみよう」と、新規で新奇な試みを受け入れる寛容さがあったかどうかが、大きいのではないかと思う。

 ・・・とはいうものの、そういえば私は、東京オリンピックの開催には反対の立場だったなぁ。これは今でも変わっていないけれど。
 理由は、原発事故の解決が終わっていない状況で、客人を迎え入れるのは礼に反する、というものです。

相模湖

 自転車のレースが行われる道は、このところの連日の作業で、かなり念入りに草刈りが行われた。道路わきが草ぼうぼうだと、選手にとっても危険で不都合だし、世間に対しても見栄えが悪いという事なんだろう。

 ただなあ、本来だったら、オリンピックがあろうが無かろうが、道路沿いの草刈りはこまめにやっておくべきだと思うが(例年、草が道路に大きく張り出すようになる8月になって、やっと草刈りをする)、年に2回草刈りをするようなお金の余裕は、無いんだろうな。

7月7日(日)

 フラの発表。里の市にて。

 先日、篠原の里で、『里の市』があった。なんとか雨は降らない状態だったけれど、早い段階で屋内での開催が決まった。いつ雨が降り始めるか、ハラハラしながらやるよりずっと良いと思う。

 この地域の人たちが、いろいろと料理を出したり、イベントを開催したり、ヨガやマッサージがあったり、包丁研ぎがあったり、手作りの工芸品を売ったり、歌や踊りを披露したり。相変わらず盛り沢山だ。

 特に今回は料理の屋台の種類が多岐に渡って、それぞれが腕を振るっていた。その中には実際に自分のお店を持つプロもいたりするからなぁ。

 料理に限らず、それぞれの得意分野の芸を発揮しているのが面白い。こんな小さな廃校を活用した施設に、これだけ内容の濃いイベントができるのが凄いと思う。

 この『里の市』に限らず、藤野のイベントは、やっている人たち自身が楽しんでいるのが良い。地域の行事って、意外と「渋々とやらされている」ってのもあるしね。
 また、楽しんでいる大人たちを見て、子供たちも楽しみ始めるのがいいと思う。

 なんかこの世の中、我慢する事、苦労を耐える事を美徳とし、それを強要する傾向が有る。学校教育なんて、基本はその延長だろう。そりゃあ、私だって、努力や忍耐の重要性を無視するわけではないけれど。
 しかし、楽しく生きる、生きて行く楽しさを見つける、といった方向性は、あまり日本では流行らないみたいね。国民性なんだろうか。

このところ、ずっとこんな天気

 前回の日記で、組織が狂気に侵されて自浄作用を無くした状態について、少しだけ書いた。実は、私自身は、この国は数年前あたりから、その状態に入っていると思っている。これは政権だけの話ではなく、人々全体が、高度経済成長の時代の考え方をそのまま引きずっている状態そのものが、私には狂気に見える。政権の腐敗は、民衆の狂気の反映にすぎないと。

 こんな時、狂気を破壊するのに作用する力の形を、老子が書いていた。
「何かを縮めようと思えば、まず伸ばしてやれ。何かを弱めようと思えば、まず強めておけ。何かを滅ぼそうと思えば、まず栄えさせてやれ。何かを奪おうと思ったら、まず与えてやれ。

 老子は決して、田園の中で穏やかに無為自然を説いただけの人間ではない。時には露骨に権謀術数を語る。この章もそんな一つだ。

 自浄作用が無くなった組織に働く作用と言えば、こんな状態だろう。酒飲みで身を滅ぼしかけている人に、「もう酒を止めろ」と言ってくれる批判者がいる時はまだいい。しかしそんな批判者すらいなくなると、酒で身を滅ぼしかけている自分自身の不安を紛らわすためみ、ますます酒に依存するようになる。

 「そっちの方向にいくと滅びるから止めなさい」と言ってブレーキをかけて何とかなる時期が終わってしまったら、次は、かえって破滅を加速させる方向に力を与える。老子のこの言葉には、そんな無気味さが有る。

 ただ、自然界を見ると、生き物の終わりって、基本、そういうものなのかな、とも思う。木が老木になり、外界に対する抵抗力が無くなった時に、一気にキノコが生えて腐敗が加速していく様に。
 やがて、木を構成していた組織はバラバラになり、土に帰って行くわけだが。

 ヤブカンゾウ、夏の花

 案外、どんな組織であれ、その最盛期は批判者がいる時かもしれない。資本主義経済が、民衆全体を幸福にさせる装置として理想的に機能していたのは、一方の陣営に社会主義があった頃だ。それが崩壊して資本主義だけが残った頃から、むしろ幸福な人間よりも不幸な人間を増やす装置として機能し始める。

 対立者が滅んだ時から、自らの衰退が始まると言うのも皮肉だが。

雨 煙る

 ここ数年、ゲリラ豪雨だとか、あまり日本の梅雨らしい梅雨が感じられなかったが。今回の梅雨は、いかにも梅雨らしく、しとしとと降り続ける。まあこれから集中豪雨もあるとは思うし、実際、九州では大雨が既にあった。

 どうにか、被害を出すような大雨にならずに、梅雨を終えて欲しいものだけど。

※『老子』 三十六章

將欲歙之、必固張之。將欲弱之、必固強之。將欲廢之、必固興之。將欲奪之、必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脱於淵、國之利器、不可以示人。

6月30日(日)

山の雨

 梅雨らしく、しとしとと雨が降り続く天気が続くと思ってたけど、思ったよりも雨は少ない。週間天気予報では傘のマークがずらずらと並ぶ割には、「今日はほとんど雨は降らなかったなぁ」という日もある。雨が続くと肌寒い感じだが、雨が止まって晴れ間ものぞくようになると、急に蒸し暑くなる。
 とりあえず水不足という事はなく、水路からは豊富な水が田に流れ込めて、田植えは終わった。

 これから暑くなると、熱中症の危険も増して来る。私の経験では、特に梅雨明けの夏の暑さが始まった頃が一番危険だと考えている。その理由は、まず夏の暑さが始まった頃の暑さが、もっとも湿度と言う点では厳しい事。これが夏も8月頃になると、同じ暑さでも爽やかな暑さに変わって行く。梅雨明けの頃の暑さが、もっとも身体に堪えるようだ。

 もう一つの理由は、夏の暑さが始まった頃は、まだ自分の身体が夏向きに出来ていないから。それから日々、汗をかき、身体が夏に慣れてくると、少しは暑さに対する抵抗力も生まれて来る。

田植え後

 ずいぶん前に、この日記で熱中症について、自分の考えを書いた事が有る。あくまでも自分なりの直感で書いたもので、科学的な根拠はないのだけど。

 熱中症の恐い所は、「あれ、頭痛がするな」とか「気分が悪くなったな」と感じたときには、既に手後れだと言う事。なので、たとえ自分自身では健康で気分が良い状態でも、「あ、ここから先は、もう身体を休めて、身体を冷やさなければならない」と、自覚的に前もって対策を講じなければならない。

「気分が悪いから休ませて下さい」
と言い出した時は手後れ。その段階で休んでも、もう半日は身体は使い物にならない事が有る。
 ただなぁ、こう言った事が、学校の先生とか、職場の指導者とか、理解してくれているかどうか。
 ひいひい言いながらも、根性で仕事を続ける事が美徳と思っている人も、未だにいるからな。

 熱中症について考える時、よく思い出すコントがある。

「スネークマンショー」-「シンナーに気をつけろ!」
こちら>>

 塗装作業をしている職人が二人、お互いに「シンナー中毒にならないように気をつけて」と声をかけあっているけれど、いつしか二人とも中毒になってしまう。
 ただのお笑いに思えるかもしれないけれど、私には、ほとんど哲学的と言っていいほどの、深いコントだと思っている。

 例えば、こんな切り口で考えてみる。この二人が中毒にならずに済む可能性はあったのか。あるとしたら、どんな手段を二人は講じていればよかったのか。

雨の合間

 一番精神的に安定し、知性もあった時に、「●●に注意しよう」と確認しあっている仲間が、やがて同じ病に倒れて行く。病に侵され始めると、もはや精神の安定も知性も減少していき、自力で危機を回避する能力を失ってしまう。

 始めはまともだった宗教団体がカルト化したり、始めはまともだった企業がブラック化したりして、自ら滅んで行く。いつしか自分の所属する組織が狂気に侵されている事に、自ら気付く事は可能なのかどうか。

 このコント、狂気と正気の境界はどこなのか、狂気に落ち込まない手段とは有り得るのか、といった事を考えるきっかけになるし、自分なりにその答えを考えないと、気軽に「あはは」と笑えない所がある。気軽に笑える人は、狂気に落ち込む時のブレーキを持っていない人だろう。

 ブレーキを持っている人なら、「今の自分は、おかしくなっているかもしれない」という可能性について、いつも油断なく、懐疑的になっていると思う。

夕暮れ時

 リンクをした、だいぶ前の日記の後半に、たとえ部屋を冷房して気温を落としても、壁が暑かったら熱中症になる、といった事を書いてある。
 6月16日の日記で書いたけれど、家そのものを日陰に置いて、太陽の直射を避けるのは、熱中症を予防する点でも有効だろう。

 でもね、家の周りに下手に大木を生やしたら、今度は家に木が倒れかかった時に大変だし、そのあたりのさじ加減は難しい。

6月23日(日)

ホタルブクロ

 夏至も過ぎ、いかにも梅雨らしい天気が続いている。雨が降らない日もあるけど晴れ渡るほどにはならず、地面はずっと湿度を保ったままだ。家の周りの草刈りをしたいところだけど、土日に雨が降るとそれも延期になってしまう。来週になると、もっと草も伸びているんだろうなぁ。週間予報を見ると、次の土日も雨らしいが。

 カンカン照りの時の草刈りは、それこそ滝のような汗をかくけれど、曇り日は確かに労働にはありがたい。ただ、朝夕とか曇り日のような、猛烈な暑さではない時は、今度は虫に刺されやすくなる。夏は虫にとっても、あまり暑苦しい時よりも、少し涼しいくらいの方が活動的になるらしい。

 私の場合、あらかじめ虫よけスプレーを顔にかけて、麦わら帽子の上に網をかけて草刈りをする。網をかぶるのなら虫よけスプレーなんていらないだろうと思われるかもしれないが、蚊や蜂はともかく、ブヨのような小さな虫は網も通り抜けるんですよ。

 ブヨに刺されると蚊よりも厄介なんだよなぁ。酷い場合はパンパンに腫れるし、傷口からは体液がいつまでたってもタラタラと流れ続けるし。

 これも有効な草刈り

 昔は、朝夕とかの虫刺されしやすい時間帯の農作業の時は、近くの草むらで刈った草を燃やして煙をたてていた。私はあまりやった事はないけれど、これでもけっこう虫避けになるらしい。

 煙をモウモウとたてる為には、からからに乾燥しきった草ではだめで、刈って一週間は経った頃の、だいぶ乾いてきているけれど、まだ生の部分もあるくらいがちょうど良い。乾燥しきった草だと、煙もたてずに一気に燃え尽きてしまう。

 私が、稀に野原で草刈りをする時に火を使う事があるとしたら、あるゴミを燃やす時だ。これがまあ、草刈りをする時は天敵みたいなやっかいなゴミで、古い畳のへりなんだけど。
 これが恐ろしく強靱な合成繊維で、刈り払い機の刃が作業中に絡まると、たちまち機械が止まってしまう。

 当初、できるだけそのゴミを取り除こうとしたけれど取りきれず、今では、そのゴミがある辺りに刈った草を置いては、一緒に燃やそうと試みている。いずれは全て燃えて消えてくれると思うけれど。
 それにしても、やっかいなゴミを捨ててくれたもんだと思う。

 刈り払い機は便利だけど、ロープのようなヒモ状のゴミとか、樹を伐った後で放置された小枝とかがあると、とたんに作業効率が落ちる。言い換えれば、刈り払い機を使い続けるのなら、刈り払い機が使いやすい野原の状態を維持しておく必要が有る。
 一言で言えば、ゴミとかを置きっぱなしにしない、という事なんだけど。

道志川

 これが、意外に守ってくれない事が有る。「なんでこんなゴミを置きっぱなしにしておくんだよ」と泣きたい気持ちになりながら、草刈りをする事もあるからなァ。

 そういえば最近、こんな動画を観た。家庭用のロボット掃除機のように、自動的に芝刈りをしてくれる機械。

ロボット芝刈機 Automower (オートモア)グランドゴルフでの導入事例
こちら>>

 本来は芝刈り用だけど、背丈の低い雑草にも使えそうだね。でもこれを使うにしても、事前に岩とか枝とか、刃に絡まりやすいものとか、綺麗に片付けておく必要が有るのは同じだろう。

 こんな機械がさらに進化して、急な傾斜地も大丈夫になると、藤野みたいな山里でも使う人が増えてくるんじゃないかな。何しろ高齢化が進んでいるし。

夕暮れ

 刈り払い機は、機械を振り回しながら歩き回る作業だけれど、車に乗ったまま作業ができる機械もある。それなりにお高いけれど。

乗用草刈機を広い土地で刈りたい方に!筑水キャニコム 乗用草刈機 CMX227RC
こちら>>

 ある程度、お年を召した方が草刈りをしようとしたら、こんな機械に頼る時代が来ているんじゃないかな。同時に、こういった大型の機械を導入した、草刈りの代行業者も、増えて来るんだろう。

6月16日(日)

さつきばれ

 15日はわりとまとまった雨が降り、風も強く、嵐と呼ぶほどには強くはなかったが、雨上がりには輝かしいほどの晴天をもたらした。週間予報を見ると、しばらく晴れが続くらしい。雨は雨で大事だけど、晴れが続くと草刈りもしやすくて有り難い。

 22日には夏至になるが、日の出が一年で一番早いのは今頃で、夏至は少しだけ遅くなっている。逆に、日の入りの一番遅くなるのは、夏至を過ぎた6月26日から7月3日にかけて。
 山はすっかり夏の景色。天気が良いので原付きで遠出をして、いろいろと写真を撮って回った。山頭火の俳句に「分け入っても 分け入っても 青い山」というのがあるけれど、まさにそんな感じだった。

 前回の日記で、家の周りの植裁について書いた。
 住居、それも木造の住居は、腐敗やシロアリの被害から避けるためにも、できるだけ乾燥させた方が良い。というか、湿気の多いじめじめした状況下にさらされ続けると、寿命も一気に短くなる。

 かといって、じゃあ家の周りには一切の植物は生やさない方が良いのかと言ったら、そうでもない・・・といった事も書いた。

富士

 平地に住んでいると判りにくいかもしれないが、山里に住むと、山と家の位置関係で、家に陽が当たったり、山によって陽が遮られたりするのが常識になる。山里では、真冬に丸一日、日照に恵まれるような家は稀少・・・というか、そんな家は奇跡みたいなもので、大半の家は、午前中は陽が当たるけれど午後は早く日陰になってしまうとか、その逆とかだ。

 でも、夏涼しい家のあり方について考える時、このような「家そのものを日陰にしてしまう」という発想は有効になってくる。

 夏と冬とでは、太陽の出る位置と沈む位置が異なる。夏の日の出の位置と陽の入りの位置に木を植えると、朝と夕方は家を木陰にする事ができる。そして、これらの木々は、冬の日照は邪魔しない。

 じゃあ昼間は木陰は無理かといえばそうではなく、夏は葉を繁らせて陽を遮り、冬は葉を落として光を通す落葉樹を植えれば良い。こんな植栽で、夏涼しく冬暖かい家の環境が出来て行く。

光る緑

 ただ、家にとって大事なのは日照だけではなく、こうして家の周りに植えた木々そのものが、家にとって不利に働く可能性も有る。木々が大きくなり過ぎると、今度は台風などで木々が家に倒れかる危険だってあるだろう。
 夏の日射しを遮る目的の木には、どんな樹種が適していて、どこまでなら育てていいのか、どこから先は、育て過ぎてはいけないのか、といった知恵も必要になるのだろう。

 こんな事を考える機会を得られたのも、私自身、家と山の位置関係で、夏の午前中は家が山の影になり、冬は午前中も陽に当たる家に住んでいるからだ。
 午前中と言っても10時頃には陽が当たりはじめるのだけど、これだけでもけっこう快適で、朝方の涼しい空気を家に入れておけば、午前中いっぱいは、窓を開けないでおくと家の中は涼しいままだ。

 「夏を涼しくしたいというのなら、冷房装置を使えばいい」という意見もあると思うけれど、家そのものにカンカン陽が当たっている家と、家そのものが日陰になっている家では、冷房の効きは全然違うからね。
 こういう違いは、実際に体験しないと、なかなか判らないかもしれない。

山ひだ

 家の周りの植栽の工夫いかんで、夏涼しく冬は暖かく、湿気でじめじめせず、それでいてほこりっぽくなるほどには乾燥せず、風雨から家と人を守り、家と人の寿命を伸ばす手法も生まれて来る。
 ただ、こういった工夫は、気の長い継続的な管理が必要で、現代人向きではないのかもしれないな、とも思う。同じ家に、2〜3年も住まないという人だって多いだろうし、そういった人たちが、何十年単位での計画で、家の植栽を考えるとも思えない。

 私としては、こんなふうに、自然の歩調と合わせた、のんびりした知恵が生きる世の中になって欲しいと思うのだけど、果たしてそんな時代が来るだろうか。