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2月12日(月)

オオイヌフグリ

 心配していた週末の降水は、結局、雪にもみぞれにもならず、暖かい空気を連れた雨となって、山の残雪を溶かしていった。まだ寒波の訪れもあるだろうが、どうやら寒さも峠を越えたらしい。
 日本海側はかなり大変な事になっている。交通機関が動かず、お店に並ぶ商品が減る事態もあったとか。受験生も大変だろう。
 世界的に見て、太陽電池の値段はどんどん下がっているとか。冬でも日射に恵まれた太平洋側で発電して、日本海側の道都や屋根をヒーターで温めるような仕組みとか、できないものかねぇ。

 日射しは徐々に高く、力強さを加えている。真冬の時は、夕方の5時なんて暗くて屋外での作業は難しくなるけれど、今だったら余裕だ。

 この時期、あちこちの小中学校で入学説明会があったりするわけだけど、たいがいそこで、学校指定の制服やカバンや体操着に、けっこうな額のお金が必要と通知される。自治体によっては所得の低い家庭やひとり親家庭には援助もあるらしいが。

 そしたら、東京は銀座にある区立小学校で、高級ブランドの制服を新たに指定した話が出てきた。帽子や靴下など全部揃えたら8万円にもなるとか。冗談みたいな話だ。

丹沢を望む

 なんかなぁ、日本人は金持ちなんだから、この程度の金は簡単に払えるでしょ、と思っているのかな。いや、話題になった区立小学校だけじゃなくて、日本全国の全ての小中学校が。
 本来なら、いかに義務教育を無償にできるかを問わなければならないのに、こうも金を次々と要求されるような世の中じゃあね、少子化が止まらないわけだ。
 これから少しずつ、「払えるかい、こんな金額」と噛み付いて来る保護者も増えてくるだろうし、減る事はないだろう。学校も自治体も、いずれはこの問題と向き合いざるを得なくなるだろうな。

 日本は豊かな国になったのかもしれないけれど、その「豊かさ」のレベルに合わせるだけで収入のほとんどが無くなって、貯蓄のできる余地がない、という人々だって多いだろう。
 いずれ、調整をしなければならない局面がでてくるだろうな。もう少し簡素に、金のかからない生き方を日本の標準とする時期が。

 ただそうなると、学校用の教材を作っている企業とか、制服を作っている企業なんかが、不景気になるんだろうね。ランドセルなんて、未来の小学生は使っているだろうか。

雲ひとつ

 一つ、気になる事がある。まあ、例の区立小学校の話で連想した事だけど。
 なんか日本って、ブランドを借りる事はしても、自らブランドを作るということは、しなくなっているんじゃなかろうか。
 いや、ひと昔前は頑張った時代もあったわけで、そのためにニコンのカメラとかホンダのバイクとか、世界に名の知れたブランドを作ってきたわけだけど。
 自分で何か価値のあるものを作り上げるよりも、価値のあるものを金で買う方が、そりゃあ簡単には違いない。

 これは「権威」についても当てはまり、自らが権威として認められるような実力と実績を積み上げるよりも、既にある権威の配下になって、虎の威を借る狐になる方が楽だろう。
 以前、この日記で、「保守」という言葉に輝きを感じなくなった、といった事を書いた事がある。
 たいがい、「私は保守だ」と自認する人は、「私は保守本流だ」という意味を含んでいる事が多い。私はそこに、脆さを感じている。

 私は本流でいたい、傍流ではいたくない。そんな気持ちが、どこかにないか。
「私は、100人中99人が私の考えに反対しても、私は私の志操を貫く」
 そういった覚悟を決めて、実際に、そんな経験に身を置いた人が、どのくらいいるのかどうか。

山の夕暮れ

 ブランドを作るにしろ、権威を作るにしろ、そういった人には、一度は本流から外れ、傍流の苦境に生きた底力が必要になるのではないか。考えてみれば、江戸幕府は出発点は三河の武士団だったわけだし、明治の新政府だって、江戸幕府から冷遇された薩長の外様大名が源だ。
 日本の工業製品が世界に評価されるまでに至ったのは、かつて、欧米の製品と比べて品質で劣り、なんとかそこに追い付こうという悔しさがあったからだろう。最初から本流にいたわけではない。
 女性のウエストをコルセットで縛り付けるのに反逆したのが、シャネルがブランドになった理由の一つだそうな。

 独り、荒野を往く。そんな個性は、今はもう流行らないのかな(笑)。
 しかし、このままでは、世界から珍重されるような価値を産み出す可能性は、日本から減って行くばかりになるんじゃないのか。

2月5日(月)

丹沢の雪

 1日の夕方から降り出した雪は、翌朝には15センチほどの積雪になっていた。前回の雪が解けきっていない所に、また雪が降るのかぁと不安な気持ちにもなったが、その後、わりと暖かめな空気になり、雪は速やかに解けて行った。前回の雪も、一緒に溶かしてくれるような雪だった。
 4日は立春だったが、寒中も過ぎて、どこか春めいた気配は確かに進んでいるようです。まあ今週は寒波が厳しいようですが。

 前回の日記で、牧馬から中沢に至る道のような、県道から枝別れした細道は、除雪がされていない、と書いた。
 本来、牧馬も含む篠原の自治会では、そのような細道であっても、人家のある所までは除雪をする、と市と取り決めている。なので、たとえ担当の業者が廃業したと言っても、その後継の業者を決めて除雪はするものだと思っていたので、今回の件では不思議に思っていた。

 牧馬の住民が、役所に問い合わせてみたら、「予算が無いのでそのような細道は、今回は除雪できない」という返答があったという。にわかには信じられないが、嘘をつく人とも思えないので、そのような雰囲気の会話はあったのかもしれない。まあこれは、ちゃんと確認しなければならない話で、下手をすると、住民と役所の間で、「そんな事は言っていない」「いや、言った」の、言い争いになりかねない。

夕空

 だいたい、「予算が無いから除雪できない」という理由は、どう考えてもおかしい。何しろ、まだ初回の雪なのだ。たいがい例年、数回分の除雪の費用は予算に組んでいるはずで、初回の雪で予算切れなんてはずがない。
 またたとえ、酷く何度も雪が降って、除雪用の予算が切れたとしても、このような生活に(というか生存に)直接関わるような問題なら、予備費なり何なりからお金を引き出すだろう。

 結局、再度役所に問い合わせてみたら、どうやら手違いがあったらしい、というところで落ち着いた。篠原の自治会に対しても、今後も今まで通り、支線の除雪も行って行く、との回答を得たとのこと。

 ただなぁ、今回の件。住民と役所と業者の間の会話に行き違いがあったのかもしれないが、「予算が無いから●●できなくなった」という表現が、簡単に信じ込みやすい環境が整っていた、という側面もあるのではないか。
 実際、市の財政は楽観できる状態ではないらしく、あちこちの場で「今年は3割カット」みたいな話は多く聞くし、公民館も有料化になるそうな。

 なんか、取れる所からは取る、切れる所は切る、みたいな雰囲気になってきたからねえ、相模原市は。

あかね雲

 人口減少で、篠原が岐路に立たされている話題がある。最近、新聞にも記事が出た。

「乗り合い」取りやめ危機 山あいの相模原・牧野地区 自家用有償運送も検討
こちら>>

 かつては藤野駅から篠原までは、路線バスの直通便があったが、利用者の減少で、やまなみ温泉で乗り換える、という形になり、そのやまなみ温泉から篠原までの路線も、赤字がかさんで経営できないという事で「乗り合いタクシー」という形態に代わった。

 相模原市が路線バスの無い地域に、乗り合いタクシーを導入する地域は各所にある。順調に地域の足として稼動している所もあるが、篠原は乗り合いタクシー方式には不向きな土地柄だったようで、実績はあげられぬまま、それでは他の手法を模索しましょうという事になる。

 その手法の一つとして浮上したのが、記事にもある通り、地域の住民が作る組織が運営主体となって、自ら交通を担って行くというやりかた。

午後の相模湖

 記事では「残されている時間は長くない」と結んでいるけれど、まあそこは、どうかなぁ。時間切れだからといって、その地域の公共交通が翌日から皆無になって、はいそれまでよ、とは市も言えまい。

 ただ、人口が減少した集落では、住民自らが知恵を絞って、工夫をこらして、何らかの手法をあみ出す必要に迫られて来る。今回の乗り合いタクシーの件も、そんな現象の一つだと思う。

 ここまで事態が深刻化して今さらだが、市には、もうちょっと観光開発に力を注いで欲しかったなぁ。
 丹沢の山々を広く紹介して登山を盛り上げたら、藤野駅や、三ヶ木のバスターミナルから北丹沢の登山口までのバスの乗客が増えるだろう。仕事を退職された高齢者の登山者だったら、平日だって山登りを楽しむはずだ。
 そんなバスの利用者が増えたら、路線バスだって衰退の一途とはならなかったろうに。人口減少社会ではあっても、交流人口の増加を狙う事はできたのではないか。

 神奈川県の最高峰が、相模原市にあるなんて、どの程度の市民が知っているだろうか。

1月29日(月)

牧馬の雪(23日朝)

 22日の雪は、夜半には止んで、結局、牧馬では積雪は35センチ程度で終わった。ここまで降られると、さすがにスタッドレスの四輪駆動の車でも、よほど車高の高い車じゃないと走れなくなる。それでも、車の通ったあとのわだちを走れば何とかなるだろうと、峠越えに挑戦する猛者もいたが。
 けっこう無茶する人がいるなァ。

 牧馬の県道の除雪は、23日の夕方には終わったが、牧馬峠の北側の除雪は手こずったらしい。峠の通行が可能になったのは25日までずれこんだ。
 気になるのは、県道から枝別れした道の除雪で、牧馬から中沢へ至る道は、未だに除雪が行われていない。何でも、例年この道を除雪している業者が、無くなったとかで。
 普通、雪が降る前に後継の業者を選定すると思うのだが。

 気象庁の予報通り、雪が通り過ぎてから本格的な寒波が押し寄せてきた。牧馬でマイナス10度に迫る温度というのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。藤野のあちこちで水が出なくなったと悲鳴をあげる家が続出し、中には水道管が破裂する家も多かったとか。しばらく、水道屋は修理の依頼でてんてこまいだろう。

雪の稜線

 こんな例年に無い寒さで思う事がある。
 夏の暑さで高齢者が熱中症になってしまうのを避けるために、冷房の効いた部屋に退避してもらうように、冬の寒さに対しても、暖房の効いた部屋に退避してもらうような心がけが必要になるのでは無いか。
 断熱の性能の良く無い家に住んでいる高齢者の場合は、部屋の断熱工事を支援してもいいと思う。金がかかると思うかもしれないが、既に高齢者には多額の医療費が投じられているだろう。病気を未然に防ぐと言う考え方ならば、案外、たいした出費ではないかもしれない。

 そう言えば『孟子』では、理想の社会を語る時に、人々に養蚕と家畜を飼う事を奨励していたな。
 養蚕を奨励する目的は、お年寄りに絹の衣類を着せるため。家畜を飼う目的は、お年寄りに肉を食べさせるため。どちらも、高齢者は体温が冷えやすいから、体を暖めるのが目的だそうな。
 絹の衣類で体を暖めると言うのは判るけれど、肉食が体を暖めると言う発想は、いかにも医食同源の中国らしい。

 実際、北風に当たって体温が冷えると、風邪をひきやすい。お年寄りに限らず、インフルエンザが流行っているそうだ。

牧馬の山

 前回の日記で紹介した、地域通貨と仮想通貨に関する講演を聴きに行ってみたのだけれど。

幸せのコミュニティ経済カンファレンス〜地域通貨とデジタル通貨の可能性
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 話された内容は多岐に渡り、私の頭ではついて行けない所も多かったが、講演を聴き終わって、漠然とこんな印象を感じた。
 「お金」という存在が、今後どのような変化をしていくのかは判らない。今後も、デジタル技術の進歩にも影響されながら、変化は続けて行く事だろう。あるいは、変化の果てに、お金という存在が無くなってしまう世の中の可能性もあるかもしれない。

 ただ、ここで「法律」を例に採ると、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、と法律できめる必要があるということは、人間と言う生き物が、あれやこれやらをしかねない生き物だと言う事でもある。
 学校の校則で、「廊下に大便をしないこと」と言うものが無いのは、さすがにどんな酷い人間でもそこまではしないという事であり、もし、実際にそんな校則があったとしたら、その学校の生徒は、その行為をする可能性を抱えていると言う事でもある。

 相模湖

 つまり「法律」というのは、その法律をしている人々の集団の性格の、正直な反映で、「法律」とは、人間的で、人間臭いものだという事だ。

 同じ事は、「お金」についてもあてはまるのだろう。お金という存在を悪く否定的に捉える事も、良い方に肯定的に捉える事も可能だが、結局、お金というものは、人間という生き物の性質を正直に反映した、人間的で人間臭い存在なのだと。
 人間が悪徳に走ればお金も悪徳を体現した働き方をするし、その逆もありうるだろう。

 人間と言う生き物が、生物学的にそう変化するわけではないけれど、知恵と努力によって、文化的にも野蛮にもなれるくらいの変化は、自ら創りだせる。
 人間と言う生き物の中に潜む野蛮さを、冷静に観察して、上手に飼いならして、文化的な存在へと導けるような世の中の仕組みを考えて実践すれば、お金も文化的な存在になるのかもしれない。

1月22日(月)

この冬最初の雪

 この日は、お昼頃から雪が降り出した。なかなか勢いのある雪で、どんどん積もって行く。気象庁は豪雪だと警戒を呼び掛け、早く帰宅するように、無用な外出は控えるようにと勧めている。やはり、4年前のとんでもない大雪を思い出すのだろう。
 さすがに、今回の雪は、あれほどの積もり方はしないとは思うけれど、油断はできないな。4年前は、2月に2回の大雪があって、どちらも酷い豪雪だったけど、2度目の方が凄かった。

 もう一つ不安なのが、この雪を境に、かなり厳しい寒気が押し寄せて来るらしいこと。もしかしたらこの雪、簡単には解けずに、日当たりの悪い所では春まで残るようなカチカチの雪になるかもしれない。

 この日記を書いているのは22日の午後8時頃で、その時点で牧馬の積雪は35センチくらい。ここまでくると、除雪車の出動を待たないと、車で外出するのは困難だな。そりゃあ、ジープみたいな悪路に強い車なら別だけど。
 つまり、除雪車が来るまで家に閉じ込められる事になるが、いつ頃、家を出られるようになるだろう。4年前の2月14日の雪の時には、除雪車が来るまで3日間、家から出られず買い物にも行けなかったが、さすがに今回はそこまで酷い事にはなるまいが。

 でも、日頃から、せめて1週間ぶん程度の食料の備蓄は心掛けておくべきだね、と、こんな時に思い返す。

霧の相模湖

 今月の下旬、藤野で地域通貨に関する、興味深いイベントがある。

幸せのコミュニティ経済カンファレンス〜地域通貨とデジタル通貨の可能性
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 藤野では「よろず(萬)」という名前の地域通貨があり、けっこう有効に使われて、定着している。地域通貨には、実際に独自の貨幣を作る物もあれば、通帳式と言って、お互いに通帳を持ち合い、誰が誰にモノやサービスを提供し、その対価として誰が誰に地域通貨を渡したかを、お互いに記録させる方式もある。藤野で行われている「よろず」は通帳式だ。

 今回のイベントでは、どうやら地域通貨をデジタル通貨にしたら、どんな可能性が開けるか、という話になりそうだけど。
 現在、藤野で使われている地域通貨の通帳が、そのまま携帯電話に入るような未来になるのだろうか。たぶんそれは、そんなにハードルの高い技術的な困難さは無いだろうと思う。
 ただ、それによる便利さの拡大とか、思いもよらない利用法の発展とかも、あるんじゃないかな。まあ、そういった話を聞けるイベントなんだろう。

雲間の光

 以前から、地域通貨と、インターネットのようなデジタル技術は相性が良いと思っていた。
 実は、藤野で「よろず」が始まるもっと以前に、藤野でも地域通貨をやってみようという動きはあり、勉強会なども行われていた。結局、それは実現には至らなかったけれど、「よろず」が始まった頃は、人々が普通に携帯電話を持つ時期に入っていた。
 これは、地域通貨が使いやすい状況を作る上で、劇的な状況の変化だったと思う。

 何しろ、地域通貨の参加者がネットに接続できる状況であれば、誰が、どんなモノやサービスを欲しがっているかが即座に判り、「そういう要望なら私が解決できますよ」という応答もすぐに出来る。
「子供が大きくなってチャイルドシートが不要になったけれど、誰かいる?」とか、「誰か草刈りを手伝ってくれませんか」といった依頼はもちろん、「車がバッテリーがあがって動けなくなってしまった、誰か助けて」みたいな依頼でも、即座に誰かが応答し、誰かが支援の手を差し伸べられるのは、インターネットの普及があってこそだろう。

 また、「よろず」のメールのお知らせでは、そういった依頼の話ばかりではなく、依頼がどんな形で解決されたかも知らされて来る。そんな「物語」の数々が、見ていて面白い。

牧馬の雪(1月22日)

 仮想通貨の現状としては、近年は投機的な目的で過熱気味に扱われ、荒々しい値動きをしていて、こんな物騒な通貨を信用していいのかと疑念ばかりがつのるような状況になっている。
 ただ、こういった現象を、単に投機だけに原因を求めるわけにもいかないだろう。国の発行する通貨を信用できない人々は世界中にいるし、国境に縛られずに自由に送金できる資産を持っておきたいと考える人々も世界中にいる。そんな人々にとって、デジタルの仮想通貨は、まさに答えの一つになっているのだろう。

 私の思いとしては、お金だって生活を円滑に動かす道具の一つに過ぎないのだから、人々を幸せにする道具であって欲しいと考えている。これから、仮想通貨も含めて、いろんな通貨が出てくるとは思うが、世の中の幸福がより増大するような通貨が広まって、世の中の不幸が増大するような通貨が縮退して行けばと願っています。
 つまり、その通貨に倫理や人徳があるか、という話になるのですが。

 たぶん、これからの未来には、あのお金には徳があり、あのお金には徳がない、といった話も、出て来るんじゃなかろうか。

1月15日(月)

梢の光

 今回の冬は、どうやら「暖冬ではない」という点では確定したのではないか。後は、「普通に寒い冬」か「例年になく寒い冬」の、どちらになるかだろう。
 こういった、いかにも冬らしい冬になると、関東は雨が降らなくなる。代わって日本海側では気の毒なくらいに大雪になるが。
 そのせいか、丹沢の山々は今でも雪をかぶっていない。昨年に、少し冠雪する程度の雪はあったけど根雪になるような降りではなく、すぐに解けてしまった。なので丹沢は茶色いままだ。

 今週は、少し寒さが緩むそうだけど、来週はかなり寒くなるらしい。早くも気象庁が警戒を呼び掛けている。
 こんな時は、お年寄りや体の弱い方々は、エコだとか省エネとか一切気にしなくてもいいから、思う存分に暖房を使って欲しい。気のせいか、車で道を走ってても、なんだかよく救急車とすれ違う気がする。風邪が流行るのもこれからだろう。

 小川

 このまま科学技術が進んで、どんな世の中になるんだろうな、と考えた時に、ふと思い出した話が荘子にあった。

 ある人がいて、その人は自分の影を怖がり、自分の足跡ができるのを嫌がった。影と足跡から逃げようと走ったが、足跡は足を動かせば動かすほど増えて、影は体から離れない。その人は、これは私の走る速さが遅いせいだと考えて、ますます速く、休み無く走ったが、ついに力尽きて死んだ。
 日陰で休んでいれば、自分の影におびえる事も無く、足跡を増やす事もなかったろうに・・・という話。

 一般的な解釈は、ことさらに自分で悩みごとの種を作り、みずから好んで(当人は好んでいるつもりはないが)精神的に追い詰められる人の例え話という事になっている。

 ただ私は、それとは少し違った解釈をしていて、この話に出て来る「影」とか「足跡」というのは、「自意識」なのではないかと思っている。

 自分と他人を比較し、こんな自分では駄目だ、こんな自分では恥ずかしい、もっと目指すべき自分にならなければならぬと焦燥感にかられ、焦燥感にかられるほどますます自分を追い詰めてしまい、ついには力果てる。
 ここでは、「影に入って休んでなさい」という言葉は、「いっそ『自分』なんて、捨ててしまいなさい」といった、禅的な提案になってくる。

 それが最近、この話が、また違った寓話に感じられるようになった。

 科学技術の進歩によって、ますますコンピューターの性能は上がっていくだろう。これからの人間は、そんなコンピューターが作り出す世界を生きていく事になる。

冬枯れ

 コンピューターが処理する情報量も膨大なものになってくるし、その膨大な情報を使って、様々な分析をコンピューターがするようになって来る。
 インターネットのオークションでは、出品者がどのくらい信用ができる人なのか、過去の履歴からその人の信用度を数値にして公開するようになっている。似たような事が、他の分野にも応用されるようになってくるだろう。

 その人が、過去にどのような行動をして、どのような発言をしてきたのか。その発言も、どの程度、嘘をつき、どの程度正直だったか。
 つまり、その人が人間として、どの程度、信用のおける人なのかも、数値化して公開される時代になるかもしれない。

 その人の「足跡」がモノを言い始める社会。その人の「影(評価)」が、その人以上にモノを言い始める社会が、来るかもしれない。
 そんな時代、人々は焦るように、世間から信用されるような行動と発言を、率先して繰り返し、そんな追われるような生活に疲れ果てるようになるのだろうか。

夕暮れ時

 荘子の寓話に従えば、そんな暮らしに心身を消耗させるくらいなら、「日陰」に入って休んでいれば良い、ということになるだろう。ここで言う「日陰」とは何か。
 おそらく、人から信用されようなどと考えず、無私、無心、無我の境地で生きろ、それが「日陰」の在りかだ、というところだろうか。

『荘子』漁父編
 『荀子』解蔽編にも同様な話がある。広く使われた寓話なのだろう。