2019

6月

6月2日(日)

谷の夕暮れ

 関東はまだだけど、各地で梅雨入りの話が聞こえて来た。今年は春から雨は全体的に少なめで、畑も乾き気味になってきている。そろそろ一雨欲しいところだ。田植えも始まる時期だし。

 この季節の山は、すっかり緑一色。山に咲く花も、ホオ、ウノハナ、エゴノキ、ニセアカシア、ミズキ、他にも幾つかあると思うけれど、どれも白っぽい花が多く、春のような鮮やかに咲き誇る感じでは無い。これには、何か自然界の理由があるのだろうか。

 畑にとっては雨が少ないのは困りものだけど、山に入る作業には有難いところもある。冬に向けて薪を用意するために、山で切り倒された丸太を運んで、薪の大きさに割って乾燥させる。こんな作業も、近年のようにやたらとヤマビルが動き回るようになると、あまり好んで湿気た山に入る気がしなくなる。まあそれでも、こう何日も雨が降らない日々が続くと、日当たりの良い山の斜面なら、ヤマビルの活動も目立たなくなるね。

 もちろん、ヤマビルにとって居心地の悪い環境を作って、それを維持しておく必要がある。一言で言えば、こまめに草刈りをして落ち葉も除去する事だけど。

 次の冬用の薪

 ヤマビルって、ナメクジ同様に、太陽の光が直接差すような所は苦手なので、そんな場所からは逃げるけれど、たとえ晴天が続く乾燥した頃でも、草むらの中にはいるからね。草むらの下は日陰だし湿っているし。

 なので、その土地からヤマビルを駆除したければ、草刈りをこまめにして、刈った草は所々にまとめておく。そうすると、ヤマビルはまとめておいた草の下に隠れるようになる。そして、草が乾いた頃に燃やしてしまえばいい。

 このやり方、効果的ではあるのだけれど、その後にイノシシやシカが入ってくると、また新しいヤマビルを拡散させる。こいつらはヤマビルの運び屋なのだ。
 だから、イノシシやシカに入られない対策も合わせて行わないと効果が無い。

 昔みたいに、人が山の木を木炭を作るために定期的に伐り、またイノシシやシカも狩っていたような環境は、ヤマビルにとっても居心地の良く無いものなのだろう。

 上の写真の薪、妙に黄色いのがある。斧で割った時は、これよりもずっと鮮やかで、嘘みたいなまっ黄色だった。今ではだいぶ色も落ち着いて、黄色と言うよりは朱色っぽくなってきたけど。

「これ、何の木かなァ」
 人に聞いたり自分で調べてもみたけれど、どうやらウルシらしい。弱い人なら、生の木を触ってもかぶれたりするそうだが。幸い、私はウルシに対して鈍感な体質だったのか、これといった体調の変化は無かった。
 もちろん、「この木はウルシでは無い」、という可能性もありますが・・・だとしたら何だろう。

 軽めの木だったので、薪ストーブ用としては、それほど向いた木ではないかもしれない。基本、軽めの木は、簡単に燃えて簡単に燃え尽きてしまう傾向がある。まあこの木の場合、実際に燃やしてみないと判らない。

 トチの花。これも白い花だね。

 前回の日記で、これからの世代は、これまでの世代よりも、礼儀正しい人が増えるんじゃないか、といった事を少し書いた。その事は、こんな昔のテレビのコマーシャルをみても思うのだけど。

懐かし車CM集1964〜1983
こちら>>

 この頃の車のコマーシャルを見ると、みんな、いかに高機能に憧れ、より高い機能を目指す上昇志向があったんだなぁと思わせる。「●気筒 ●ccエンジン 最高出力●PS」、こんなセリフ、最近の車のコマーシャルでは特に強調しなくなったね。

相模湖

 上昇志向そのものは悪く無いんだけれど、たいてい、上昇志向には「自分は下層ではいたくない」「下層は恥である」という気持ちが副産物として生まれる。自分よりも下だと思う人をバカにして、自分自信を安心させる心理も生まれる。
「となりの車が小さく見える」というセリフは、そんな心理を垣間見せる。

 たぶん、これからの世代は、上昇志向もあるし、その人なりの夢もあるけれど、かといって威張ったり他人をバカにするような上昇志向とは、違う感じになるんじゃないかなぁと、思うのです。

 願わくば、上昇志向はあっても、弱い人への優しさも合わせ持つ人格であってほしい。

6月9日(日)

雨に煙る

 どうやら関東も梅雨入りらしい。連日、しっとりとした雨が続いている。東海地方では水不足が深刻だそうだけど、これで一息つけるのだろうか。
 先週まで暑い夏日もあったが、雨が続くと梅雨寒にもなる。夏服では肌寒い感じで、藤野よりも標高の高い所ならストーブが欲しくなるだろうな。もっとも、藤野でも高齢者には暖房が必要になる涼しさだ。

 これは以前から「皮肉な現象だなぁ」と思うのだけど、断熱のしっかりした、夏涼しく冬暖かい家は、近年になって充実して来たので、案外、高齢者は住んでいない。新しく建てた最新式の家は、新しい世代が住むのが普通で、高齢者は昔ながらの家に住み続けている。
 そんな旧式の家が生まれ変わるのは、家主の高齢者が寿命で亡くなって、新しい世代が「じゃあ自分達で住もう」という状況になって、今風に立て直す時だ。

 高齢者向けの住宅の改造工事と言うと、バリアフリー目的だけが注目されるけれど、夏は涼しく冬は暖かな家への改造なんて、規模が大きくなり過ぎて、なかなか手が出ないんだろうな。

霧雨

 それでも、新しい世代が家を改造して住み続けてくれるだけ、マシかもしれない。山里には、祖父・祖母の代が亡くなって、そのまま次の世代が家を手入れする事も無く、朽ちて倒壊していく家だってあるし、この傾向は今後、さらに悪化して行くだろう。
 一見、倒壊はしていないし、外観はまともに見える家でも、一歩中に入ると、「ああ、この家はもうダメかな」と思う家もある。家の構造を成している木材が、腐り始めている独特の臭気が立ちこめているようじゃ、ねえ。

 そりゃあ、そんな状態でも「私なら立派に立て直してみせる」と言い切れる、腕に覚えのある職人もいるだろうけれど、そんな状態になってしまったら、一度解体して立て直した方が、いいんじゃないかシラン・・・と個人的には思う。
 もしくは、痛んだ家の改造にしても、残して補修する部分と、綺麗に解体して立て直す部分を分けて改造するとか。

 家を立て直すにしても、健康的な家を目指して改造をするべきだろう。下手にかび臭いような家に住むと、アレルギーとか病気が心配だし。
 漠然とした、非科学的な言い方になってしまうけれど、「気」の悪い家には、住むべきではないと思う。

やまなみ

 言い換えれば、自分の住む家も含めた環境の「気」を良くする努力が、必要になるんじゃないかな、と。
 家が健康的になっても、周囲の植栽をどうしていくか。草ボウボウの雑草まみれの家だと、湿気が多くなって家の痛みも早いだろうし、風通しも悪くなる。木々が家に覆いかぶさるような家だってそうだろう。
 かといって、じゃあ家の周囲は、一切の草も木々も存在を許さない、となったら、それも健康とは言い難い。適度な木陰と、適度な湿り気が必要な場所もあるとは思う。

 中国由来の風水って、そんな研究の集大成なんだろうな。興味深いことに、風水って、家が散らかってたり汚かったりする事も「気」が悪いとしている。これは、私にもなんとなく共感できる。
 家の作りもしっかりしているし、家の周囲の食裁も問題ないけれど、住んでいる人の発する「気」が悪いと、家そのものの気も悪くなっていくんだろう。

 住んでいる人の「気」という話になると、話は一言では済まなくなってくる。「気」の良い食べ物を食べ、「気」の良い生活習慣を行い、「気」の良い心で暮らして行く・・・という話になって行くだろう。こうなると宗教に近い。

緑の山

 車やバイクで山道を行くと、なんかここらへんの集落は「気」が良いな、とか、ここらへんは妙に暗い感じだな、と思う事がある。
 いつごろの未来になるか判らないけれど、良い「気」のある町づくり、地域づくりを目指す取り組みなんかが生まれるかもしれないな、と思った。

6月16日(日)

さつきばれ

 15日はわりとまとまった雨が降り、風も強く、嵐と呼ぶほどには強くはなかったが、雨上がりには輝かしいほどの晴天をもたらした。週間予報を見ると、しばらく晴れが続くらしい。雨は雨で大事だけど、晴れが続くと草刈りもしやすくて有り難い。

 22日には夏至になるが、日の出が一年で一番早いのは今頃で、夏至は少しだけ遅くなっている。逆に、日の入りの一番遅くなるのは、夏至を過ぎた6月26日から7月3日にかけて。
 山はすっかり夏の景色。天気が良いので原付きで遠出をして、いろいろと写真を撮って回った。山頭火の俳句に「分け入っても 分け入っても 青い山」というのがあるけれど、まさにそんな感じだった。

 前回の日記で、家の周りの植裁について書いた。
 住居、それも木造の住居は、腐敗やシロアリの被害から避けるためにも、できるだけ乾燥させた方が良い。というか、湿気の多いじめじめした状況下にさらされ続けると、寿命も一気に短くなる。

 かといって、じゃあ家の周りには一切の植物は生やさない方が良いのかと言ったら、そうでもない・・・といった事も書いた。

富士

 平地に住んでいると判りにくいかもしれないが、山里に住むと、山と家の位置関係で、家に陽が当たったり、山によって陽が遮られたりするのが常識になる。山里では、真冬に丸一日、日照に恵まれるような家は稀少・・・というか、そんな家は奇跡みたいなもので、大半の家は、午前中は陽が当たるけれど午後は早く日陰になってしまうとか、その逆とかだ。

 でも、夏涼しい家のあり方について考える時、このような「家そのものを日陰にしてしまう」という発想は有効になってくる。

 夏と冬とでは、太陽の出る位置と沈む位置が異なる。夏の日の出の位置と陽の入りの位置に木を植えると、朝と夕方は家を木陰にする事ができる。そして、これらの木々は、冬の日照は邪魔しない。

 じゃあ昼間は木陰は無理かといえばそうではなく、夏は葉を繁らせて陽を遮り、冬は葉を落として光を通す落葉樹を植えれば良い。こんな植栽で、夏涼しく冬暖かい家の環境が出来て行く。

光る緑

 ただ、家にとって大事なのは日照だけではなく、こうして家の周りに植えた木々そのものが、家にとって不利に働く可能性も有る。木々が大きくなり過ぎると、今度は台風などで木々が家に倒れかる危険だってあるだろう。
 夏の日射しを遮る目的の木には、どんな樹種が適していて、どこまでなら育てていいのか、どこから先は、育て過ぎてはいけないのか、といった知恵も必要になるのだろう。

 こんな事を考える機会を得られたのも、私自身、家と山の位置関係で、夏の午前中は家が山の影になり、冬は午前中も陽に当たる家に住んでいるからだ。
 午前中と言っても10時頃には陽が当たりはじめるのだけど、これだけでもけっこう快適で、朝方の涼しい空気を家に入れておけば、午前中いっぱいは、窓を開けないでおくと家の中は涼しいままだ。

 「夏を涼しくしたいというのなら、冷房装置を使えばいい」という意見もあると思うけれど、家そのものにカンカン陽が当たっている家と、家そのものが日陰になっている家では、冷房の効きは全然違うからね。
 こういう違いは、実際に体験しないと、なかなか判らないかもしれない。

山ひだ

 家の周りの植栽の工夫いかんで、夏涼しく冬は暖かく、湿気でじめじめせず、それでいてほこりっぽくなるほどには乾燥せず、風雨から家と人を守り、家と人の寿命を伸ばす手法も生まれて来る。
 ただ、こういった工夫は、気の長い継続的な管理が必要で、現代人向きではないのかもしれないな、とも思う。同じ家に、2〜3年も住まないという人だって多いだろうし、そういった人たちが、何十年単位での計画で、家の植栽を考えるとも思えない。

 私としては、こんなふうに、自然の歩調と合わせた、のんびりした知恵が生きる世の中になって欲しいと思うのだけど、果たしてそんな時代が来るだろうか。

6月23日(日)

ホタルブクロ

 夏至も過ぎ、いかにも梅雨らしい天気が続いている。雨が降らない日もあるけど晴れ渡るほどにはならず、地面はずっと湿度を保ったままだ。家の周りの草刈りをしたいところだけど、土日に雨が降るとそれも延期になってしまう。来週になると、もっと草も伸びているんだろうなぁ。週間予報を見ると、次の土日も雨らしいが。

 カンカン照りの時の草刈りは、それこそ滝のような汗をかくけれど、曇り日は確かに労働にはありがたい。ただ、朝夕とか曇り日のような、猛烈な暑さではない時は、今度は虫に刺されやすくなる。夏は虫にとっても、あまり暑苦しい時よりも、少し涼しいくらいの方が活動的になるらしい。

 私の場合、あらかじめ虫よけスプレーを顔にかけて、麦わら帽子の上に網をかけて草刈りをする。網をかぶるのなら虫よけスプレーなんていらないだろうと思われるかもしれないが、蚊や蜂はともかく、ブヨのような小さな虫は網も通り抜けるんですよ。

 ブヨに刺されると蚊よりも厄介なんだよなぁ。酷い場合はパンパンに腫れるし、傷口からは体液がいつまでたってもタラタラと流れ続けるし。

 これも有効な草刈り

 昔は、朝夕とかの虫刺されしやすい時間帯の農作業の時は、近くの草むらで刈った草を燃やして煙をたてていた。私はあまりやった事はないけれど、これでもけっこう虫避けになるらしい。

 煙をモウモウとたてる為には、からからに乾燥しきった草ではだめで、刈って一週間は経った頃の、だいぶ乾いてきているけれど、まだ生の部分もあるくらいがちょうど良い。乾燥しきった草だと、煙もたてずに一気に燃え尽きてしまう。

 私が、稀に野原で草刈りをする時に火を使う事があるとしたら、あるゴミを燃やす時だ。これがまあ、草刈りをする時は天敵みたいなやっかいなゴミで、古い畳のへりなんだけど。
 これが恐ろしく強靱な合成繊維で、刈り払い機の刃が作業中に絡まると、たちまち機械が止まってしまう。

 当初、できるだけそのゴミを取り除こうとしたけれど取りきれず、今では、そのゴミがある辺りに刈った草を置いては、一緒に燃やそうと試みている。いずれは全て燃えて消えてくれると思うけれど。
 それにしても、やっかいなゴミを捨ててくれたもんだと思う。

 刈り払い機は便利だけど、ロープのようなヒモ状のゴミとか、樹を伐った後で放置された小枝とかがあると、とたんに作業効率が落ちる。言い換えれば、刈り払い機を使い続けるのなら、刈り払い機が使いやすい野原の状態を維持しておく必要が有る。
 一言で言えば、ゴミとかを置きっぱなしにしない、という事なんだけど。

道志川

 これが、意外に守ってくれない事が有る。「なんでこんなゴミを置きっぱなしにしておくんだよ」と泣きたい気持ちになりながら、草刈りをする事もあるからなァ。

 そういえば最近、こんな動画を観た。家庭用のロボット掃除機のように、自動的に芝刈りをしてくれる機械。

ロボット芝刈機 Automower (オートモア)グランドゴルフでの導入事例
こちら>>

 本来は芝刈り用だけど、背丈の低い雑草にも使えそうだね。でもこれを使うにしても、事前に岩とか枝とか、刃に絡まりやすいものとか、綺麗に片付けておく必要が有るのは同じだろう。

 こんな機械がさらに進化して、急な傾斜地も大丈夫になると、藤野みたいな山里でも使う人が増えてくるんじゃないかな。何しろ高齢化が進んでいるし。

夕暮れ

 刈り払い機は、機械を振り回しながら歩き回る作業だけれど、車に乗ったまま作業ができる機械もある。それなりにお高いけれど。

乗用草刈機を広い土地で刈りたい方に!筑水キャニコム 乗用草刈機 CMX227RC
こちら>>

 ある程度、お年を召した方が草刈りをしようとしたら、こんな機械に頼る時代が来ているんじゃないかな。同時に、こういった大型の機械を導入した、草刈りの代行業者も、増えて来るんだろう。

6月30日(日)

山の雨

 梅雨らしく、しとしとと雨が降り続く天気が続くと思ってたけど、思ったよりも雨は少ない。週間天気予報では傘のマークがずらずらと並ぶ割には、「今日はほとんど雨は降らなかったなぁ」という日もある。雨が続くと肌寒い感じだが、雨が止まって晴れ間ものぞくようになると、急に蒸し暑くなる。
 とりあえず水不足という事はなく、水路からは豊富な水が田に流れ込めて、田植えは終わった。

 これから暑くなると、熱中症の危険も増して来る。私の経験では、特に梅雨明けの夏の暑さが始まった頃が一番危険だと考えている。その理由は、まず夏の暑さが始まった頃の暑さが、もっとも湿度と言う点では厳しい事。これが夏も8月頃になると、同じ暑さでも爽やかな暑さに変わって行く。梅雨明けの頃の暑さが、もっとも身体に堪えるようだ。

 もう一つの理由は、夏の暑さが始まった頃は、まだ自分の身体が夏向きに出来ていないから。それから日々、汗をかき、身体が夏に慣れてくると、少しは暑さに対する抵抗力も生まれて来る。

田植え後

 ずいぶん前に、この日記で熱中症について、自分の考えを書いた事が有る。あくまでも自分なりの直感で書いたもので、科学的な根拠はないのだけど。

 熱中症の恐い所は、「あれ、頭痛がするな」とか「気分が悪くなったな」と感じたときには、既に手後れだと言う事。なので、たとえ自分自身では健康で気分が良い状態でも、「あ、ここから先は、もう身体を休めて、身体を冷やさなければならない」と、自覚的に前もって対策を講じなければならない。

「気分が悪いから休ませて下さい」
と言い出した時は手後れ。その段階で休んでも、もう半日は身体は使い物にならない事が有る。
 ただなぁ、こう言った事が、学校の先生とか、職場の指導者とか、理解してくれているかどうか。
 ひいひい言いながらも、根性で仕事を続ける事が美徳と思っている人も、未だにいるからな。

 熱中症について考える時、よく思い出すコントがある。

「スネークマンショー」-「シンナーに気をつけろ!」
こちら>>

 塗装作業をしている職人が二人、お互いに「シンナー中毒にならないように気をつけて」と声をかけあっているけれど、いつしか二人とも中毒になってしまう。
 ただのお笑いに思えるかもしれないけれど、私には、ほとんど哲学的と言っていいほどの、深いコントだと思っている。

 例えば、こんな切り口で考えてみる。この二人が中毒にならずに済む可能性はあったのか。あるとしたら、どんな手段を二人は講じていればよかったのか。

雨の合間

 一番精神的に安定し、知性もあった時に、「●●に注意しよう」と確認しあっている仲間が、やがて同じ病に倒れて行く。病に侵され始めると、もはや精神の安定も知性も減少していき、自力で危機を回避する能力を失ってしまう。

 始めはまともだった宗教団体がカルト化したり、始めはまともだった企業がブラック化したりして、自ら滅んで行く。いつしか自分の所属する組織が狂気に侵されている事に、自ら気付く事は可能なのかどうか。

 このコント、狂気と正気の境界はどこなのか、狂気に落ち込まない手段とは有り得るのか、といった事を考えるきっかけになるし、自分なりにその答えを考えないと、気軽に「あはは」と笑えない所がある。気軽に笑える人は、狂気に落ち込む時のブレーキを持っていない人だろう。

 ブレーキを持っている人なら、「今の自分は、おかしくなっているかもしれない」という可能性について、いつも油断なく、懐疑的になっていると思う。

夕暮れ時

 リンクをした、だいぶ前の日記の後半に、たとえ部屋を冷房して気温を落としても、壁が暑かったら熱中症になる、といった事を書いてある。
 6月16日の日記で書いたけれど、家そのものを日陰に置いて、太陽の直射を避けるのは、熱中症を予防する点でも有効だろう。

 でもね、家の周りに下手に大木を生やしたら、今度は家に木が倒れかかった時に大変だし、そのあたりのさじ加減は難しい。