2019

2月

2月3日(日)

雪の朝

 1月31日の夜に降り出した雨は、やがて雪に変わり、翌朝には積雪になっていた。やや激しい雨の降り方だったので、これは雪にはなるまいと思ってたけれど。
 この冬では、初めての雪らしい雪。牧馬では3〜4センチ程度だったけどな。牧馬峠でも一応、除雪車が出た。まあ今回の雪は、積雪量もさほどではなかったので、道路の雪もすぐに消えて行くと思うが。

 この冬は丹沢の雪の量も少ない。牧馬のような低山の所でも、例年だったら1月頃には20〜30センチ程度の雪が降り、その雪も、山の北斜面に積もったものは春まで解けずに残ったりするのだけど、今回の雪じゃあ、北斜面の積雪だって、早めに消えちゃうんじゃないかな。

 今日は節分。明日は立春。もう夕方の5時でもそれほど暗くない。これから徐々に光も強さを益していくだろう。

 明るい小川

 前回の日記で、人口密度の低い山里の公共交通機関では、停留所に人が出向くやり方ではなく、車が家まで迎えに来るものであても、それは決して贅沢でも優遇のされ過ぎでも無いのではないか、と書いた。
 また、その一方で、人口密度の高い都市部では、そのような公共交通機関は無いのだから、山里だけ優遇するのは不公平で、山里も都市部に合わせるべきだ、という印象を、市の職員の口ぶりから感じた、とも書いた。

 この問題。一言でまとめると、人々は、山里や島といった僻地に住んではいけないのか、という話になると思う。
 そのような僻地は、生活を維持するのにも、都市部と比較して余計な労力と費用が必要になるので、税金と国力の無駄だ、という意見もあるだろう。

 私は、人間という生き物は、不便な所でも生活の場を求めて行く、「開拓」の生き物だと思っている。

 山里や島だけでなく、人間は砂漠にも北極圏にも生活の場を切り開いて来た。もちろん、その中には平家の落人集落のように、僻地に逃げ込まないと生きていけなかった事例も多かったと思う。
 しかし、暑い土地では涼しくなる工夫をし、寒い土地では暖かくなる工夫をし、それらがその土地の文化になり、水のない所に水を引いて、土木技術の進化を招いた。「この土地には特産物がない」と嘆いたら、なんとか地場産業を創造しようと地域の人間が立ち上がった。

 人間に活力がある時、町や地域、国に活力がある時、人は苦境にあっても切り開こうとするが、活力が無くなった衰退期は、未来を切り開くよりも、苦境から逃げるばかりで、人間の活動領域は縮退して行く。
 活力がある時は「金がない」場合でも、どうやって金を作るかを考えるが、活力が無い時は、採算性の低い部門の切り捨てや人員削減しかできなくなる。

 丹沢の山を望む

 山里のような僻地には住むべきではない、という意見は、そのような雰囲気の中で力を持つ。その行き着く先は、人間の活動領域の縮退だ。
 そのような社会は、豊かで幸福といえるかどうか。
 山里には山里にしかできない事があるだろうし、島には島にしかできない事があるだろう。ミカンは育つがリンゴは育たない地域もあれば、リンゴは育つがミカンは育たない地域もあるだろう。

 豊かで幸福な社会とは、多種多様な地域で、多種多様な産業が開花して、多種多様な文化が育っているようなものだと思う。市町村や県や国といった存在は、そのような豊かさを維持発展させる事が目標になるだろう。
 行政の役割、行政に携わる人々の役割は、多種多様な地域や産業や文化に対して、それぞれの短所を補いあって、それぞれの長所を伸ばす事にある。決して、「お前の地域は、他の地域に比較して劣っているから、切り捨てられても当然」と開き直る事では無い。

川沿いの木々

 さて、ここまで、山里は都市部に比較して余計に金と労力がかかる、という前提を受け入れて私は文章を書いてきたが。
 はたして、この前提そのものは正しいのだろうか。

 山里は、山里なりの長所もあれば短所もある。同様に、都市部にも、都市部ならではの長所と短所がある事だろう。
 行政サービスにも、いろんな種類があると思うが、山里よりも、都市部の方が余計に金と労力がかかる部分も、あるのではないか。
 もしかしたら、未来に、都市の方が維持に労力と金がかかるから切り捨てよう、という意見が出る時代が、来ないとも限らない。

2月10日(日)

小雪の朝

 2月9日に時折降り出した雪は、降ったり止んだりを繰り返しながら、結局それほど積もる事も無く終わった。牧馬でも1〜2センチ程度だったか。さすがにこの程度の雪だと、牧馬峠だって除雪車を出さない。
 この冬は、なかなか降水の無い冬だったが、2月に入ると週に2回ぐらいの割合で天気が崩れる。やはり冬の天気が崩れ始めているのだろう。もちろん、これからも寒気が押し寄せる日々もあるとは思うが。

 前々回の日記で、牧馬も含まれる篠原地区の公共交通機関について書いた。
 バスの利用者が減り、バスの路線が維持できなくなり、市の助成を頼りながら、この地域に合った公共交通機関の形を模索している。その過程で、市と住民との間で認識のずれが生じたりしているのだが。

 ただ個人的には、山里の公共交通機関も、いずれは技術の進化で解決していくのではないかと思っている。前述したような、市と住民との間で長々と議論を重ねてきたのが笑い話になるような時代が来るのでは無いか、と。

 自動車の自動運転の技術は研究が進められているし、道路に子供がいきなり飛び出してきた時などに、車が衝突を回避するような事故防止の技術も進められている。既に、そのような技術を、部分的な形ながら搭載した車の販売もされている。
 5年後か、10年後か、あるいはもっと先かもしれないが、運転手を必要としない車も出て来る事だろう。私としては、技術的に未成熟でも、さすがに大都市では難しいだろうが、離島や山里に限れば、そういった車を動かしてもいいんじゃないかと思っている。

 そういった技術が当たり前の世の中になっている頃は、携帯端末の高度化も進んでいて、携帯電話にインターネットの接続ができる程度のものではなくなり、その持ち主の秘書のような仕事をこなしていると思う。

 例えば、こんな世の中になっているかもしれない。
 朝、秘書(携帯端末)から話し掛けられる。
「今日は午後3時に駅に行く予定がありますが、車の予約はしておきますか?。もし、相乗りでも可であれば、30分ほど予定よりも早い出発になりますが、自宅から駅まで同乗可能な車があります。こちらでしたら運賃は3割引きになります。」

川霧

「その相乗り可の車に乗っている人は、私の知り合いかい?」
「はい、○○さんです。この方は駅をさらに行き過ぎて市役所まで向かいます。」
「ああ、○○さんなら気兼ねもいらない。じゃあ予約を取っておいてくれ。」
「かしこまりました。」

 実はもっと予定に近い時間に、他の相乗り可の車があるのだが、その車は同乗者が●●氏で、あまり仲が良く無い事は秘書は知っている。なので、予定よりも30分早い○○氏が乗っている車を勧めた。
 やがてその時間になると、運転手のいない車がやって来る。車どうし、秘書どうしのやりとりも緊密に行われ、道路の一ケ所に車が集中して渋滞を引き起こすような事態は招かないようになっていて、正確な時間に目的地に着く。

 たぶん、これはもうSFではないだろう。やろうと思えばいつでもできるだけの技術はあるはずだ。
 ただ、万一、そのような車が事故を起こした時の保証はどうするのか、とか、社会の合意を得るまでには、いろいろと解決しなければならない課題もあるし、時間はかかるだろうな。

明るい冬木立

 いまちょっと余計な事を考えたのだけど。

 上に書いたような、「秘書」と自動運転の車が行き交う世の中で、「ああ、あの人とだったら相乗りでもいいよ」と言われるような人は、やはり人柄の良い人だろう。
「なんかあの人は日頃から、強引だったり、人を小馬鹿にしたり、人の不幸を喜ぶような話なかりしてて、苦手だな」
と周囲から思われているような人は、自然と、相乗りの相手からは避けられるようになる。酷い場合は孤立するかもしれない。

 私は大丈夫だろうか。

2月17日(日)

野の花

 2月も半ばを過ぎると、心も体も伸びやかになるような暖かい日も増えて来る。寒い朝でも、少し力仕事をしようとしたら、少し体を動かしたら汗をかきはじめて服を一枚脱ぎ、また少し体を動かしたら更に汗をかき始めて服を一枚脱ぎ・・・なんだかフランス座で仕事をしているみたいだ。

 ジャガイモの種イモの販売も始まっている。これも、早い内に買っておかないと、種イモを植える頃には販売も終わっている。自然の流れに即した生活というのは、次から次から自然の方から「この仕事をしろ」と迫られる。
 それでも、四季のなかでは冬は、時間が止まったような静かでやる事柄の少ない季節だが、そろそろ慌ただしい春が顔を覗かせてきた感じだ。

 醤油を絞るのも、本来はこの季節のものなのだろうか。牧馬で醤油絞りがあった。牧馬の住人の若手には、このような自ら手を使って昔ながらの作業をするのを楽しむ人々がいる。申し訳ないけれど、私はこの作業には全く加わってはいないのだけど。
 醤油作りって、一から作ろうとしたら大変な時間と技術と労力が必要だと思うけれど、偉いなぁと思う。

 醤油しぼり

 もっとも、全てを自分達の技術でやっているわけでは無い。土地の方々で、こういった作業を長年してきた方々の指導を受けながらやっている。
 それでも、何年も続けている内に、麹作りから始まって、様々な工程の場数を踏み、少しずつ慣れてきて作業がイタについてきたみたいだ。

 温度や湿度の管理、塩分の濃度の管理、少し間違えると出来に関わって来る。今回の出来は少し濃度が薄いらしく、ちゃんと保存が可能かどうか心配していた。
 醤油って、薄いと保存が効かないそうな。なんだか科学の実験みたいな、緻密な計測をしながら作らないと失敗してしまう、繊細な作業らしい。なんか日本酒の作り方の繊細さに似ている。

 昔は、醤油作りの専門家が、それぞれの集落を道具を持参して回りながら醤油作りをしていたと聞くが、いつ頃まで、そんな文化が残っていたんだろう。

 サワラの木で作った箱から、絞りたての醤油が少しずつこぼれてくる。何でサワラを選んだか聞いてみたら、風呂桶に使えるような水に強い木を選ぼうとしたらサワラになったとの事。水に対する強さならヒノキでもよさそうだけど、「ヒノキは重いから」と避けたのだそうな。
 作業のたびにあちこちに持ち出す道具だけに、軽量化も重要な要素なんだろうな。

 箱全体はサワラ製だったけど、圧力を加える材には固いケヤキを使っていた。適材適所で材を使い分けている道具の工夫を見るのは楽しい。

 そんな箱から流れ落ちて来る醤油は、なんだか宝石のように美しく輝いて見えた。お店で買う醤油を「美しい」なんて感じた事はないのに。
 時間をかけて丁寧に手作りした醤油だから美しく見えるのだろう、とは常識的には思うのだけど、この美しさの理由はそれだけでは無いような気がする。

 流れ出す絞りたての醤油

 私のような、何も作業に参加していない外野は、流れる醤油を見て「美しい、美しい」と勝手に感動できるけれど、実際に作る側はなかなか大変だ。この日だって、醤油を絞ること自体は、それほど時間がかかる作業じゃ無いけれど、準備やら片付けやらを含めると丸一日の作業になる。

 なるほどなぁ、これは冬の、農閑期の作業なのかもなぁ、と、そんな事を思った。

 そして、それぞれの季節にあった仕事を、たんたんとこなしていく山の人の暮らしも、その身になれば大変だけれど、外から見ると美しいものなのだな、と。

午後の光

2月24日(日)

開花

 牧馬の梅もほころび始めた。このところ嘘みたいな暖かい空気が入り込んだりして、もう冬が勢いを盛りかえす事なんてないんじゃないかなぁと思うほど。今回の春の到来は早そうだ。
 個人的には急に暖かくなったせいか、かえって体調を崩した。身体の方は、「まだまだ寒さに耐えていくぞ」と気を張っているのに、予想外の暖かさになると調子が狂うらしい。

 年度末が近付いてくると、いろいろと慌ただしくなってくる。牧馬と篠原の自治会でも、来年度への引き継ぎの準備が始まるが。
 以前にも書いたように、この地域の公共交通の仕組みが変わったり、一見、何の変化もないような山里でも、様々な変化は静かに進んでいる。

 先日、自治会の集まりの場で、「これはもう、秘密でもない、公開しても大丈夫な情報だけど」と、ある話があった。
 現在、東京から名古屋にかけて、リニアモーターカーの新線を建設しようと動きがあるが、実は牧馬も、そのルート上にある。ルート上といっても全て地中深くを通過するので、牧馬からリニアモーターカーの列車を見る事は不可能だが。

陽光

 ただ、トンネル工事をする以上、工事で排出される残土を出して運ばなければならない。当初、牧馬地区に、その残土を排出するためのトンネルを作る計画が持ち上がった。トンネル工事が終わって残土の排出が済むと、今度はそのトンネルは、万一トンネル内で列車事故が起こった際の非常口として使われるという。
 始めその話を聞いた時に、ずいぶん無茶な工事を考えたもんだと思った。

 何しろ、その残土排出の為のトンネルの予定場所というのが、大型車なんか通れっこない細道の奥にあり、まず、そこまで大型車の通行に耐えられるような道を作らなければならない。
 また、牧馬は列車の通るトンネルの位置に比べて標高が高く、残土を排出するにしろ、非常口として使うにしろ、かなり長い坂を牧馬まで登っていく事になる。

 さて、牧馬よりも標高の低い所に採石場がある。ここだったら、列車の通るトンネルまでそれほどきつい傾斜がなくても、残土の排出も非常口としての利用も可能になる。何より、もとが採石場なのでダンプなどの大型車が普通に出入りできる場所でもある。
 どうせ作るのなら、ここに作ればいいんじゃないのか、と素人ながらに思っていた。

青い屋根

 それが、先日の自治会の会議の場で、どうやら、やはり採石場の場所に、残土の排出口兼非常口を作る方向で話が進んでいるらしい、という話を聞いた。
 やはりな、と思うと同時に、なんで当初、牧馬にそれを作ろうと言っていたのか不思議だった。
 これは私の勝手な想像だけど始めっから第一希望は砕石場だったんじゃなかったか。ただ、いきなり正直にそんな事を言えば、採石場との間の交渉が難しくなると考えて、採石場を使わない計画を最初に提出した。

 実際、牧馬にその建設が行われるかもしれない、という話が出たとたん、牧馬の土地をやたらと購入しようとする業者が頻発した。実際に購入された土地や家もある。一時期、牧馬はそんな業者に翻弄されかけた事もあった。
 もしかしたら、牧馬は、そんな業者の注意を引き付ける「おとり」としての役割をあてがわれていたのかなぁ、などと思う。

 まあ、この話の通りに予定が運べば、牧馬の土地にダンプが一日に何十台(もしくは何百台)も走りまわる事は無くなるという話だが、それは歓迎したい。

山の梅

 牧馬に残土の排出口と非常口を作ると言うのは無理があると思ってたが、実の所、リニア新線そのものも、ずいぶん無理があると思っている。なにしろ、作っても利益が得られるとは考えられていない。

 私には、豊臣秀吉の朝鮮出兵を想像させる。とにかく成長と拡大、投資と利益追求だけで突き進んできた20世紀の勢いを、自ら制御して軟着陸させる事ができずに、徹底的な破局に直面するまで止める事ができなくなっているのではないか。

 朝鮮出兵は秀吉の死とともに終わり、出兵に参加しなかった徳川氏に天下は譲られる事になるのだが。