2019

1月

1月10日(木)

山の朝

 またずいぶん久しぶりの更新になってしまった。半年以上、空けちゃったね。ま、いろいろと忙しくて、こんな日記どころじゃなかったからだけど。
 今後も続くかどうか、ちょっと自信ないや。

 昨年の後半の半年を振り返ると、災害の年と言ってもよかった。大阪で地震があったり近畿圏を猛烈な台風が襲ったり、西日本が豪雨に見舞われて甚大な被害を生じたり北海道で地震があったり。
 台風24号は関東にも被害を及ぼし、藤野でも停電被害があった。場所によっては、まる一日以上停電が続いた所もあったとか。牧馬は数時間の停電ですんだけどな。

 藤野のあちこちで木々が風で倒され、そんな倒木は今でもあちこちで見る事ができる。小さな山道では、今にも道路に倒れかかりそうな倒木が、けっこうそのまま残っていて、道を行く車や歩行者にとっては、いつ落ちるか判らないロンドン橋状態になっている(笑)。
 こういった、倒れかかった木々が、すべて無くなるのは、もっと先の話になるんだろうな。

これは少し前の、晩秋の頃

 道志の道の、青野原から青根に至る道は、台風の際の崖崩れで今もなお壊れたまま。けっこう長い間、完全に通行止めになってしまい、道志の道が使えなくなって、その迂回路として牧馬の道が賑わった時期がある。
 今は、道が壊れた所をバイパスの道が仮に使われていて、とりあえず青野原から青根に行く事はできるようになった。

 バイパスといえば、西日本の豪雨の際に、山陽本線が被害にあって貨物列車が通行できなくなった際、伯備線と山陰本線を使った迂回線で貨物列車を通行させた期間があったとか。
 赤字路線はどんどん廃止してしまえ、という現代の鉄道の雰囲気だけど、災害に強い国土という見地からなら、少々赤字路線でも、いざ災害でバイパスが必要になった場合の備えとして、残しておくのもアリなんじゃないか。

 災害が多発すると、いろんな事を考えさせられるね。
 個人的には、昨年の夏から秋にかけての災害多発を見て、まず第一に考えさせられたのは、人はどういう場所に住むべきか、もしくは、人はどういう場所に住んでは「いけないか」、という事だった。

冬木立

 そのことについては、これからもいろいろと書いてみたいんだけれど、一つ例をあげると、今まで私は、日当たりの良い家に住めたらいいなあ、と単純に思っていた。
 でも、台風の被害を目の当たりにすると、日当たりの良い家って、風当たりの良い家でもあるんですね。そんな家は、強風の被害に遭いやすい。
 日当たりは良くて、それでいて強風の被害には遭わなくて、それでいて夏には風の通りが良くて快適な場所・・・なんて言うと、欲張りすぎだろうか。

 家を強風の被害から守ろうと考えたら、家の周りを防風林(屋敷林)で囲う、というやり方がある。ただこの防風林も、防風林が風で倒されて家を直撃したら目も当てられない。実際、台風24号では、庭の木が家に倒れかかって大騒ぎした所も多かったようだ。

 じゃあ、強風から家を守る屋敷林で、なおかつ、いざ強風に負けて家に倒れかかっても大丈夫な屋敷林とは、どんな樹種を選択し、どんな剪定をすればいいのだろう・・・と、考え出すと、江戸時代に作られたような、伝統的な屋敷林の形に、結局行き着くんだろうな。

 あまり手間ひまも金もかからずに、自然の恩恵は受けて、それでいて自然の攻撃はしなやかにかわす家の形を考えると、徐々に、21世紀的な「伝統建築」という新しい型ができてくるのだろう。

 そんな時代が来るまでに、あと何十年かかるだろうか。

1月19日(土)

雲間の光

 この冬が暖冬だというのは、もうほぼ確定だと言っていいのだろう。これから先、例年以上の低温が少々続いたって、全体を見れば「暖かい冬だった」という事になるのではないか。
 たいがい、暖かい冬というのは、西高東低の冬型の気圧配置が緩みがちで、晴天が続かない印象があるのだけど、今回の暖かい冬は、暖冬にしては関東の冬らしい晴天が続く。雨らしい雨といったら、先週一回だけ降ったかなぁ、という程度。

 まあ布団や洗濯物を乾かすのには有難いが。
 普通の冬だと、たとえ日照に恵まれた関東でも、布団を干しても吹き抜ける風が冷たくて、布団が全然暖かくふくらまない日も多いんだけどね。この冬はそれがない。
 晴れてても冷たい風が吹く日は、部屋の中の、陽の当たる場所に布団を置いておきます。こっちの方が暖かく乾く。

 そういえば、この冬は、まだ雪も、少し降ったのが一回だけだね。
 まあ、2014年の2月の、2度に渡る恐ろしい豪雪の時も、暖冬だったけどな。油断はできないけど。

 倒れたままの樹

 前回の日記で、台風で折れて道路に倒れかかった樹について書いた。今でもそんな木々が、無惨な姿をさらしている。あの台風では、このような樹が電線や電柱を破壊して各所で停電を引き起こした。

 昨年の台風での電線の破損は、確かに大きな被害だったけれど、実の所、こういった被害は毎年のように発生して慢性化している。

 以前から同じ事を書いているけれど、道路沿いの木々は、強風や積雪で倒れる前に、あらかじめ伐採させておいた方が良いように思う。
「そのための費用がかかるじゃないか」
と、言う人もいるかもしれないが、木々が倒れて被害を出してから対策を講じるよりも、あらかじめ伐採しておいた方が、全体での費用は安くあがるんじゃないのか。

 できる事なら、そのようにして伐採した木々の、無駄にならない利用法もあれば良い。手っ取り早い利用法となると、燃料にする事ぐらいだが。

 そもそも、藤野の山では、かつては木々はここまで高く、太くはならなかった。木炭作りが盛んだったので、広葉樹が程よい太さになったら、伐採して木炭に加工される事が多かったから。
 木炭の生産がすっかり少なくなって、太さが30センチとか50センチになるような広葉樹が、道路沿いにも普通に存在するようになった。こんな時代の変化が、道路に木々が倒れかかる被害を慢性化させている原因の一つには違いない。

 かといって、今から木炭の生産を復活させても、事業として成り立つかどうか。

夕月

 広葉樹だけでなく、針葉樹も台風で倒れている。倒れ方としては、針葉樹の林の方が派手だ。
 杉のような植林された針葉樹は、案外、根が浅く、まるで根こそぎ風に煽られたかのように倒れている。それも、一ケ所の木が倒れると、それによって風当たりが強くなった隣の木が倒れ、それによってまた風当たりが強くなったその隣の木が倒れる、という具合に、将棋倒しのようにまとめて倒れていく。

 こんな光景を見ると、植林された針葉樹林は、防災の観点から言えば、風の通り抜ける場所とか、地盤の緩い所には、あなり作らない方がいいな、と思ってしまう。
 家のそばに高い針葉樹があったら、恐いんじゃないのか。家に倒れて来たら一発で終わりになる。

 あー、でもなぁ。防災上危険だから、針葉樹林を伐りましょう、なんて言ったら、反発も多いだろうな。それらの木々の苗を植えた人々にしてみれば、高く太く育った針葉樹は資産でもあることだし。当然、「伐るのなら買ってくれ」と言いたくもなるだろう。

湖水

 まあ一つ判った事もある。前回の日記で、家を強風から守る手法の一つに、家の周りに木を植えて、防風林にしたら、といった事を書いたけど。
 少なくとも、家のそばに植える防風林としては、針葉樹は不向きだな。針葉樹を防風林に使うのなら、倒れても建物にかからない場所に限定しなくちゃ。それも、木の成長する未来の事も想定して。

 「屋敷林」で画像検索してみると、なるほど、こういう木を使って、こういう手入れをしているのか、と改めて分って興味深い。でも意外と、私が心配している、針葉樹を家のそばに植える屋敷林も多いね。大丈夫なのかなぁ。

1月27日(日)

 大寒を過ぎた頃から、真冬らしい冷え込みが来るようになってきた。空気がピンと張り詰めたような寒さと言ったら伝わるだろうか。暖冬気味だったこの冬とはいえ、そりゃあ、冬将軍の襲来は何度もあるだろう。やはり日本海側は雪らしい。
 乾燥が進んだのと、冷え込みが進んだのが理由だろうか。インフルエンザも含めて風邪が流行っているそうな。

 気の早い梅がけっこう咲いていた。もっとも、この梅がやたらと気が早いだけで、まだ一輪も花を付けない梅だって多い。同じ梅でも、ずいぶん開花時期に幅があるようだ。

 先日、地元の人間と市役所の職員と交えて、篠原地区周辺の公共交通を来年度からどう運営していくかについての話し合いがあった。いよいよ来年の4月から、これまで長い間、篠原に通い続けていた神奈川中央交通のバスが通らなくなる。

 山道を行くバス(篠原からやまなみ温泉へ)

 かつては藤野駅から直通で篠原まで運行していたバスも、利用者の減少により、藤野駅からやまなみ温泉までの便と、やまなみ温泉から篠原への便の二つを乗り換える形になった。

 その後も利用者の減少は進み、やまなみ温泉から篠原までのバスの便は「神奈川中央交通」が運営する路線バスとしては終了した。ただ、その終了を受けて、相模原市が「乗り合いタクシー」という形態の公共交通を導入し、その車両の一部として神奈川中央交通の路線バスの車両が使われたので、篠原への道のりを黄色にオレンジの線が塗られた路線バス車両が走る光景は続いていた。

 しかし、この乗り合いタクシーという制度も篠原の実情にあわず利用者が伸び悩み、来年度から地元のタクシーの車両を使って、この地域の公共交通を行おうと決まった次第。
 少し、従来よりも利点が増えたのは、これまでのように1日何便とダイヤが決まってた運行ではなく、利用者が望む時間を使える事。

 ただ、従来の乗り合いタクシーでその不便さで問題になっていた、「篠原から駅まで直通で行けない事」は、来年度もそのまま引き継がれる。やはり、行けるのは、やまなみ温泉か赤沢のバス停までで、そこから藤野駅までは路線バスに乗り換えて行くことになる。
 なんでこんな面倒な事をするかと言えば、市が運営する公共交通が、地元のバス会社、タクシー会社の仕事を奪う事はできないという制約があるからだ。相模原市としても、下手に市が、便利な公共交通を作って、それによって地元の路線バスやタクシーが廃業になるのは避けたいという気持ちがある。

道志川

 この話し合いの席で、もう二つ問題になった事がある。一つは、牧馬の集落に来る便が設定されてなかった事。
 今後はバスの車両ではなくタクシーの車両を使うのだから、一部、大型車の通れない狭い道幅のある牧馬の道でも、今後は便を設定しても問題なかろう。これは今後も改善を訴えて行く事になる。

 もう一つの問題は、これまで市と住民の間では、新たな公共交通機関として、バス停のような停留所に利用客が乗りに行くのではなく、それぞれの住民の家の所まで来てくれるものを要望していた。
 この要望は、市から、他の地域との比較から見て、篠原地域だけ優遇するような不公平な制度は難しい、と否定されて来た。篠原地域だけ贅沢だ、と、他の地域から言われかねないのだろうか。

冬の雲

 私は、山里の公共交通機関のあり方として、それぞれの家まで車が来るあり方が、贅沢とは思っていない。実際の所、現状だって、高齢者には、停留所に行くのも大変な道のりになる家だって少なくはないのだ。
 もっとも、この問題は、地域の公共交通のあり方の問題と考えるべきなのか、高齢者福祉サービスの問題と考えるべきかで、整理も必要になってくるだろう。
(バスが頻繁に走っているような都市部でも、高齢者には、家の玄関まで迎えに来るタイプの公共交通が必要になると思う)

 気になったのは、市からの説明で、人口密度の高い地域ではやっていない行政サービスを、人口密度の低い地域でやるのは優遇のされ過ぎで、不公平感がある、という論理を展開しがちだった事。「だから、人口密度の低い地域も、人口密度の高い地域に合わせるのが当然」という理屈が垣間見えた。

 この理屈は本来、行政に携わる人間がすべき発想とは、正反対のものだが・・・。
 また次回にでも、その事を書いてみたい。