2017

11月

11月7日(火)

牧馬峠北側の工事

 少しずつ、晩秋らしい寒さがしみ込んで来るようになった。気の早い木々は既に葉を落とし、他の木々も、風が吹けば雨のように葉を降らせる。今日は立冬だ。

 前回、この日記で、牧馬峠の北側の道路で、斜面のコンクリートの吹き付けを直す工事が始まった事を書いた。今では道路に鉄の支柱を埋め込み、板で壁を作っている。たぶん、斜面の工事で土砂や石が道路に崩れてしまうのを防ぐ目的だろう。これからしばらく、工事中は交互通行になる。

 また、牧馬峠の南側の道路でも、最近、工事というか作業があった。
 道路の両脇には、長年に渡って落ち葉とかが溜り、それが土になり、そこからも雑草が生えるようになっていた。そんな土を、重機を使って削り取るように除去していった。こんな作業は、私が牧馬に住んで20年近くになるけれど、初めて見た。

 この作業、夏に雑草が道路に伸びて通行の邪魔をしてきた状態が常態化していた事を思うと、かなり効果的な仕事なんじゃないかと思う。
 あとなー、これから道路脇に落ち葉が溜ると、それを畑の肥やしにしようと袋を持って回収しに来る人がいるけれど、そんな方々にとっても、落ち葉を拾いやすくなったんじゃないか。

色付く秋

 前回、人は弱肉強食を容認する派と、助け合いが大事だと考える派に分けられるのではないか、という事を書いた。そして、その二派は決して固定的なものではなく、同じ人が二派の間を行ったり来たりする事もあるし、弱肉強食を容認する人だって助け合いを否定するものでもなく、 助け合いが大事だと考える人だって、際限の無い助け合いは不可能だとは知っている、という事も書いた。

 結局これも、中道の話でもあるのだろう。厳しく限られた現実の中で、どうやって助け合いを維持して行くかという。どちらか一方の派に属してればいいという話ではなく、中道の立場から両方を考えて最良の解を導く努力が必要なのだろう。

 ただ、実際の歴史では、なかなかこの点で中道を行くという事はなく、波のように、この二派の勢いが揺れ動く。
 判りやすい例は、豊かな時は助け合いが大事だと言い、貧しくなったら弱肉強食を容認するようになる事。羽振りが良くて気前がいい状態の時は、助け合いにかかる手間や費用もそれほど気にならなくなる。むしろ、それによって周囲から褒められて良い気分にもなれるだろう。

陽光の道

 ただこんな状態も豊かな内だけで、貧しくなったら助け合いに関わる余裕も無くなって来る。
「すまないねえ、今の私には、人助けをする余裕が無いんだよ。」
と、言っている内はいいが、それが弱者に対して「自助努力」を求めるようになり、弱者が弱者になってしまったのは「自己責任」だと言い出したら、もう弱肉強食容認派の入り口に立った事になる。

 また、これとは矛盾するようだけど、その逆の例もある。貧しい時ほど助け合いを重視し、豊かになると弱肉強食を容認する場合が。
 例えば、ここに一つの貧しい村があったとする。貧しいので、何でも自分達でやらなければならない。田畑を維持するための用水路を作るのも道を作るのも村人の共同作業で、誰かが家を作ったり修理する時は、村びと総出で手伝う。

 これは、一歩間違えば閉鎖的な村社会の全体主義に陥る危険があるし、実際、そんな村も多かったが、「人は助け合わないと生きていけない」という意識は、村人全体に染み付いていただろう。

 しかし、時代が変わり、世の中が豊かになってくると、何も隣近所で助け合わなくても、自分だけで生きていけるようになる。

相模湖

 かつて日本は、「一億総中流社会」と言われ、ほとんどの人が自分達を中流と自認する現象があったが、はたしてそれは、良い事ばかりだったのか。
 「私は中流だ」と人が言う時、その時の心理には、「私は下流(弱者)ではない」という要素も含まれていただろう。
 果たして、その時から日本人は、中流の人こそが弱者を救うべきだと考えるようになったのか、それとも、弱者も自己責任で自助努力を行うべきだという弱肉強食容認派になったのか。
 私は、後者の時代がずいぶん続いたと思っている。またそんな時代の気風が、ここまで政治を腐らした原因だとも。

 ただ、いつのまにかそのツケが回って、中流を自認していた人々も弱者の仲間入りを始めたり、「まだ自分は中流のつもりだけど、自分の子や孫たちは弱者の仲間入りをするかもしれない」と不安にかられるようになってきた。

 弱肉強食容認派は、「この世は弱肉強食こそが正しい」と言った時に、「そうだ、その通りだ」という反応が来る間は元気が良いが、その反応が無くなると、急に元気が無くなる。なぜなら、弱肉強食容認派というのは、自分が弱者になる事に耐えられないから。
 自分の意見が少数派(つまり弱者)だと気付いた時に、それでも、あくまでも弱肉強食肯定論を続けられる孤高の精神の持ち主とは、思えないのです。

11月14日(火)

しぐれ

 一雨ごとに、着実に冬は近付いているらしい。今週の後半には、寒気の流入があると天気予報は言っている。どうも、あの恐ろしい大雪(2014年の2月)を経験してしまうと、今回の冬は大丈夫なんだろうな、と考えてしまう。

 先日、牧馬にサルの群れがやってきて、畑を荒そうとしていたので、慌ててロケット花火やら爆竹やらを使って追い払ったけれど、鹿やイノシシなら柵でなんとかなるけれど、サルは柵を平気で登って越えたり、網の下をくぐったりするからな。始末が悪いや。
 それでも、最近はサルにも有効な柵の提案もあるみたいで、今後の展開に期待したい。自分の実感としては、ようやく、県や市といった公的機関も、地元の住民も、総力をあげてケモノの対策に取り組む気運が沸き上がってきたように感じている。

 そりゃあ、もっと早く沸き上がってくれればなァ、という気持ちも無いではないけれど、こういうのって、やっぱり時間がかかるね。大勢の人が被害にあって、大勢の人が悲鳴をあげるようになって、ようやく世の中は動き始めるのだろう。

 病気が軽微の内に早期治療をするのではなく、こじらせてから医者にかかるみたいで、あまり賢い光景ではないかもしれないけれど、仕方がないのかなァ。

相模湖

 このところ、夜に寝る前に、こんな映像を見る事がある。
こちら>>

 ギリシャの、テッサロニキからラリサへ至る鉄道の走行画面。もちろん、1時間を越える動画を全部見るほどヒマじゃないので、所々、つまみ食いしながらの鑑賞だけど。
 なんだか、妙に新しい路線のような雰囲気があるので、グーグルマップで航空写真を見てみたら、どうやら路線のあちこちで新線に切り替えている。かつては、くねくねと曲がりながら、山を避けたり勾配を避けたりしては走っていた路線が、高速化と輸送力の増強を狙って、曲がりくねった路線を短絡化した新線を造って、旧線を廃止している。どうりで、カーブのゆったりとした直線の多い路線だと思った。

 Leptokarya駅(58分頃)からは、一気に長大なトンネルを使って直線で駅と駅を結ぶようになり(特に1時間10分頃のRapsani駅から)、確かに列車は速くなったのだろうけれど、そのかわり、エーゲ海に面した光景や、ピニオス川沿いの渓谷を眺める事は出来なくなった。

「便利にはなったのだろうけれど、そのぶん、旅情には欠けるようになったなァ」
 などというぼやきは、私の傲慢なエゴだとは判っている。その土地の人々にしてみれば、不便で遅い鉄道よりも、そりゃあ今の方が良いに決まっている。

山の午後

 こういった、鉄道の新線化は、私の住む近くの中央本線でもある。例えば、鳥沢駅から猿橋駅までは、今でこそ長大な橋梁と長大なトンネルで、直線的に結んでいるが、かつてはそのような橋梁やトンネルを造る技術が無く、国道20号線に沿うように、現在の路線の北側を迂回するように結んでいた。

 近年は、廃線跡を散策する趣味の方も多いらしく、ネットで検索しても、いろいろなページが出てくる。例えばこれとか。

 話をギリシャの鉄道に戻すけれど、ギリシャって、つい近年は、経済的な破綻で騒ぎになった所だ。この動画の公開は2017年の11月4日で、つい先日だが。
 動画を見てみると、新しい高速道路の建設工事の光景が出てきたり、なかなか活気もあるようなんだけど、どうなんだろう。

 あとなぁ、経済的な危機に直面していたとはいえ、ギリシャというお国柄の光景を見ると、のどかで明るくて、なんだか日本の方が追い詰められているような感じがしてしまう(笑)。

谷間の光

 これは公開されたのは2年前の動画で、セルビアのベオグラードからギリシャのテッサロニキに向かう列車の動画だけど。
こちら>>

 動画の35分頃に、マケドニアの国境の駅で、マケドニアの国境警備の警察官が、移民が列車に乗ろうとしているのを防いでいる・・・というより制圧している場面が出てくる。
 移民の目的は、やはり出稼ぎだろうか。日本みたいな島国だと想像しにくいけれど、生活のために故郷を離れて、暮らして行くすべを求めようとする光景は、あちこちの国境で見られるのだろう。
 2年経った今、この人たちはどうなっているのだろうか。ギリシャも大変だったけれど、その北隣りのマケドニアも、いろいろと大変なんだろうな。

 いや、実際は日本だって、昭和の中ごろまでは、世界のあちこちに移民をしてきた。そんなに昔の話ではない。
 自国の中に、ちゃんと生活を継続させていくすべを作って行くという作業は、これから世界的に大事なテーマになっていくのだろう。

11月21日(火)

谷の秋

 11月も半ばになって、ぐっと冷えてきた。
 これは昨年も同じ傾向で、おまけに昨年は11月の末頃に、とても11月とは思えない大雪が降ったんだっけ。もう忘れている人も多いと思うけれど。
「うわー、車のタイヤを冬用に換えてない」と、あちこちで大慌てだったな。あの時は。

 もっとも昨年は、12月は穏やかな気温が続いたけれど。今年はどうだろう。
 このところの暖冬傾向で、12月中旬頃までは小型の電気ストーブでもなんとかなる感じだったけど、今回は11月半ばから灯油ストーブを使い始めました。明日は二十四節季の「小雪」。大雪にならなきゃいいが(笑)。

 あちこちでクリスマスの電飾が始まり、そろそろ、この一年を振り返るような季節になってきた。
 個人的に、いろいろ考えた話の一つに、こんな出来事がある。初秋の話なんだけど、もうすっかり忘れてしまった人も多いかな。

 日野さんというジャズトランペット奏者が、自身が指導している中学生のドラム奏者を、コンサートの実演中に往復ビンタをしたとかで騒ぎになった事件があった。何でも、そのドラム奏者が、勝手に暴走的に演奏を続けて、日野さんの注意も制止もきかずにドラムを叩き続けようとしてたから、とか。
 この件、日野さんが悪いとか、その中学生が悪いとか、いろいろ意見があるようだ。

小春日

 この話、いろんな切り口から考えが可能だけれど、そのドラム奏者も暴走だったかもしれないけれど、観客が注視している晴れの舞台での暴力沙汰も、十分に暴走行為といっていいだろう。その意味では、このドラム奏者も日野さんも、似た者同士とも言える。

 個人的に、いろんな切り口で語ってみたいのだけど、まず一つ。晴れの舞台で自分の能力を存分に発揮して、周囲を驚かせてやろうという若者の姿勢は、否定できるものなのか。
 その姿勢は、時には暴走し、周囲の迷惑も顧みず、集団の調和を乱し、自己の利益だけを追求する我がまま勝手な悪事として捉えられる。
 しかし逆に、すべての若者が、年上の指導者の意見に逆らう事無く従い、集団の調和を守る行為しかしなくなったら、それは、その芸術の分野は死んだといってもいい。

 予定調和からの反逆精神は、芸術に限らず、文化や科学の進歩の原動力で、大事なのは、その反逆精神を押さえつけるのではなく、社会にとっても、その人自身にとっても、幸福な形に反逆精神を活かせる道を探る事だろう。

山道の家

 さて、我が身を省みて。
 もし、私が、この時の日野さんの立場だったら、どう行動しただろうか。
 たぶん、とりあえず、5分でも10分でも、1時間でも、そのドラム奏者に暴走させるままにしたと思う。

 周囲の仲間もしらけるだろう。観客もしらけるだろう。そこで、どんな才能の発揮のさせ方でも、客の気持ちを台無しにする事もある事、そして、自分の評価も台無しにする事もあることを、これもまあ、いい機会だと思って、学んでもらおうと思う。
 逆に言えば、たとえ暴走でも、客を沸かせてしまったら、その人の勝ちだ。これはもう、実力の世界なんだから。

 以下の動画は、映画「天使にラブソングを 2」の一場面。
こちら>>

 ここで歌う少年は、最後の方で、声を一段と高く張り上げるが、これはこの少年のアドリブだったらしい。映画の監督も、周囲の役者も、この少年がそこまでやるとは想像もしていなかった。
 しかし、一見、暴走行為かもしれないが、周囲を沸かせてしまえば、その人が勝者だ。どうも日本よりもアメリカは、そんな若者の、時には「調子に乗りすぎる」くらいの暴走にも、寛容な気がするし、その寛容さが、新しい才能を育てているようにも思う。

だいぶ葉も落ちてきました

 組織は、大きく分けて二つの種類がある。
 一つはピラミッド型。最高権力者がそれ以外の人々を従わせるやり方。
 もう一つは横型。その組織に集う人々には上下の身分差はなく、それぞれが協調して何かを成し遂げるやりかた。
 この二つには、それぞれに長所と欠点があるが。

 集団で音楽を奏でる場合、ピラミッド型がいいのか横型がいいのか。
 これもにわかには判断しかねる問題だ。偉大な指揮者が指揮をする音楽は素晴らしいものだろうけれど、指揮者不在の室内楽もあるからね。
 そこで有名なのが、オルフェウス室内管弦楽団なんだけど、ここの組織論が、音楽界の中でも実に独特で、そして、個人的には最も先進的だと思っている。まあ、横型組織の理想型のモデルといっていい。
 興味のある方は、以下のサイトをご覧ください。
こちら>>

 それにしても、世界にはこんな組織もある一方で、やれ音楽に体罰は是か非かといった議論を聞くと、なんとも日本の音楽が、中世的な野蛮さを残しているように見えてしまう。
 かといって、日本の伝統音楽の雅楽は、指揮者不在の音楽でもあるというのは興味深い。

11月28日(火)

雨の紅葉

 一週間に一日くらいの割合で、雨が通り過ぎ、山の木々は落葉を加速させて行く。今年の紅葉は、特別綺麗な当たり年という程ではないけれど、例年の平均からすると、綺麗な方なんじゃないかなぁと思う。

 自分が参加している田んぼの仲間たちとで、稲の脱穀をして、麦の種を播く。陽の当りの悪い畑では、午前中でも大きな霜柱がごつごつと伸びていて、今回の冬は霜柱の成長も早い感じだ。
 秋の藤野はいろんなイベントや祭りが各所で毎週のように行われるけれど、こんな農作業をやってると、なかなかそんなイベントに顔を出す事ができないや。なにしろ相手は生き物なので、こちらの都合なんて待ってくれない。畑が主で、人間が従の関係になる。

 言い方を換えれば、人がみんな農作業をするようになれば、みんな、少しずつ謙虚な性格になるということなのかな。少なくとも、世界は自分を中心にして回っている、などといった尊大な感覚は薄れると思う。

 今年の田んぼの作業も、あとは年末に仲間と餅搗きをするだけだね。

雨雲と山

 年末に向けて、そろそろ大掃除の季節にもなるのだけど、今年、いろんな事を考えた中の一つに、「ゴミ屋敷」がありました。家の中がゴミだらけになっている家の事です。テレビとかでも取り上げられる機会が増えたようだし、そんな家の片付けを行う業者も増えたようだ。ネット上の動画なんかでも、時々、見る事があるのですけど。まあ、ユーチューブで「ゴミ屋敷」で検索するとごろごろ出てきます。
たとえばこんなの>>

 なんでこんな現象が気になるかと言うと、こういった光景が、これからの未来を象徴しているように思えるから。
 一つは高齢化。お年寄りの一人暮らしというのは、体力の衰えと共に、家を綺麗に維持できる領域が小さくなってしまう。始めは二階が物で埋まり、やがては自分が暮らす最低限の動線以外の所に物が埋まって行く。
 ただ、こういった現象はお年寄りだけではないそうで、仕事がきつすぎる生活をしている若者でも、同じ事が起こるそうな。

 自分が暮らしている環境を、常に綺麗に整理しておくというのは、その人に体力的・精神的・時間的な余力が必要らしい。生活をしていればどうしてもゴミは発生する。しかし、生活に余力が無いと、日々生まれるゴミの量に対して、片付けるゴミの量が追いつかなくなる。結果、ゴミが増え続けて、どこかで生活が破綻して、清掃業者にお願いする日に至ってしまう。
 いや、それはまだ良い方で、たまったゴミが火災の原因になってしまう事もあるとか。

ススキの谷

 世の中の持続可能性については、今までさんざん書いてきたけれど、身の回りの環境を常に綺麗にしておくというのも、持続可能性の問題だろうし、持続可能性を喪失したところから、ゴミ屋敷は発生するのだろう。
 これは個人だけではなく、会社や町といった組織でも、持続可能性を失ったところから、綺麗に整理された場所が減って行き、処理が追いつかなくなったゴミが目立つようになるのではないか。

 あと、ゴミ屋敷って、未来に対して夢や希望や志を失った時にも現れる現象らしい。
 私の心に強く残っている話がある。ある家族が住んでいる家が、何らかの経済的な事情で、家を手放さざるを得なくなり、家が競売に出されることになる。すると、たいてい、その家は、住んでいる家族が掃除や整頓をする気力がなくなり、家の中がゴミだらけになる事が多いとか。

 似たような印象を、町のあちこちにスプレーで描かれる落書きについても感じている。「来年の自分は、今年の自分よりも確実に良くなっている」という自信と確信のある人や、これから世間と堂々と渡り合って生きて行こうという意欲のある人なら、そんな落書きなんてすまい。

晩秋の陽

 高度経済成長期であれば、東京タワーが立ったり新幹線が開通したりテレビや洗濯機やクーラーを買ったりとか、誰にでも判りやすい夢や希望に満ちた明るい未来像を描けたかもしれないが、今はなかなか難しい。
 ただ、「難しい、難しい」と言っている間にも、心の空虚と荒廃は徐々に進み、ゴミ屋敷やゴミ会社やゴミ市町村が増えて行ってしまう。

 この流れを止める一つの方法として、綺麗に整頓する気風を、文化として尊重するようにしたらどうかと思う。
 いい仕事をする職人は工房も綺麗で、道具も整備されて整理整頓が行き届いているとか。何代も続いているような老舗は、いつも掃除がなされて清潔感があるとか。

 続く人、続く家、続く企業、続く町は、いずれも共通して掃除も行き届いているし、整理整頓を心掛ける気風があるものだ・・・という文化が定着すれば、少しは状況が変わってくるように思う。