ここで思うのは、他人の長所を発見するためには、自覚的に、他人の長所を発見しようという能動的な意識が必要だという事だ。人間は、他人の短所は好んで本能的に見つけるが、他人の長所については、そもそも関心もこだわりもないからだ。
前述の例を続ければ、私がAさんに対して、「そりゃあBさんは、あなたほど靴を綺麗にする事に関心はないかもしれないけれど、庭の手入れはよくしていて綺麗だよ。」と言った場合、Aさんはどういう反応をするか。
「ああ、あの人にはそんな長所があるのか。」と気づくのなら上々だが、「庭なんか綺麗にしてどうしようというんだ。庭の手入れなんて暇人の趣味だろう。くだらんこだわりだ。」と馬鹿にしてかかる人もいるだろう。
また、他人の長所が、人によっては短所に見える場合もある。石橋を叩いて渡る人と、時には危ない橋も渡る人は、お互いの個性が短所に見える。前者は後者を無謀な猪突と見るし、後者は前者を臆病な事なかれ主義と見る。正しいのは自分で、間違っているのはあいつだと考える。この二者がコンビを組んで仕事をしたら喧嘩が絶えないだろう。
この二人、自分の価値観のあなぐらの中でしか生きていないと言う意味で、やはりドングリの背比べで、自分とは異なる価値観の持つ長所や特質について、関心もなければ、それを活かそうという気持ちもない。他者の才能を開花させる力が無い。