例えば、鉄道模型を趣味にしている人達は、よく模型を走らせるための箱庭を作ったりしますね。
(こんな感じの箱庭>>)
こういう箱庭を作る時、その制作者が金持ちだろうと貧乏人だろうと、それほど作る景観に差は無いと思うんですよ。だいたいそこには、美しい自然と、風情のある町並みと、穏やかな暮らしをしている人々がいるんですよね。決して、たとえ金持ちが作っても、一軒の豪邸と99軒のスラム街みたいな世界は作らないでしょう。
つまり、私達が「美しい世界」と言う時、その理想とする世界には、それほど人々の立場による差は現れず、「だいたいこんなもんでしょう」という共通点がある。昔の山水画のように、自然と調和した穏やかな暮らしを描いた絵画も、同じようなものだろう。
ただ、基本的にはこのような「美しい世界」というイメージを人々が共有してても、いざ実生活となると、なかなかそうもいかない。働く人を搾り取るだけ搾り取ろうとする悪徳企業もあれば、人を人とも思わない発言を平気でする政治家もいるだろう。
なので、「美しい世界なんか無い、あるのは弱肉強食の競争社会だけだ」と開き直る人々も出てくる。
しかし、それも極まれば、そろそろ美しい生き方をした人が、美しい考え方を基に、美しい言動で、美しい世界へと具現化をしていく流れを期待する人々が多くなる。
そんな時期が来つつあると、感じています。