2015

4月

4月11日(土)

桜と雪

 絵の展覧会が終わって。いろいろ片付けに追いまくられて、ようやく日常が戻って来た。絵の展示で忙しいのは会期前の一週間と、会期中の一週間と、会期後の一週間なのです、わたしの場合。
 その三週間の間に、山里はすっかり変わっていた。梅は終わり、モクレンも終わり、桜も終わり、山は既に新緑の季節を迎えている。

 とはいえ、一直線に春に向かうわけでもなく、4月8日には雪が降った。藤野みたいな山里では4月半ばまで雪が降るのは珍しく無い。雪から顔を覗かせているツクシなんかの写真も、何度も撮った事がある。
 ただ、ここまで「桜と雪」が同居した光景というのは、あまり記憶にないな。

 前回の日記では地域でのイノシシ対策について書いてみたけど、その後、こんな団体がある事を教えてもらった。

甲斐けもの社中
こちら>>

 イノシシや鹿などの獣害に対して、どう地域が対応していくのか、その支援のための提案や実践を行う団体らしい。言ってみれば、映画『七人の侍』のサムライの役割をするのだろう。相手は野武士ではなくイノシシや鹿だけど。
 獣害と言ったら、すぐに行政に対策を求めがちだけど、そうか、こういう民間の組織も現れるようになったんだな。

春の雪

 絵の展示の期間中、いろんな人と話す事もあったのですが。
 そんな話の中に、「そろそろ、美しいものを観たい」という気持ちが、人々の中に生まれて来ているんじゃないかと、思う事がありました。もしかしたら、世の中全体が、そんな心理になりつつあるんじゃないかと。

 もちろん、絵の展示に足を運ぶような人々は、そもそも「美しいもの」を積極的に観ようと行動する人なので、この人たちだけを例示して「世の中全体が、美しいものを観たいという心理になりつつある」と主張する事は出来ない。世の中全体では、美しいものなんかどうでもいいと考えている人だって多いだろうし、そっちの方が主流かもしれないし。
 なのでこれは、私の個人的な印象だと言ってしまえばそれまでなんですが。

 ただこれは、数十年単位の時間の流れで考えてみると、必然もあるかなァとも思います。

 私が山里に引っ越して、その翌年に阪神淡路大地震が起こり、地下鉄サリン事件が起きた。バブル崩壊後、社会は徐々に活力を失いつつ、政治も経済界も、その活力の低下を阻止するよりも、むしろ助長する形で行動を続けた。

 そろそろ、人々が「美しい世の中の形」を考えはじめる時期に来ているんじゃないかと思っています。

野の花

 例えば、鉄道模型を趣味にしている人達は、よく模型を走らせるための箱庭を作ったりしますね。
こんな感じの箱庭>>

 こういう箱庭を作る時、その制作者が金持ちだろうと貧乏人だろうと、それほど作る景観に差は無いと思うんですよ。だいたいそこには、美しい自然と、風情のある町並みと、穏やかな暮らしをしている人々がいるんですよね。決して、たとえ金持ちが作っても、一軒の豪邸と99軒のスラム街みたいな世界は作らないでしょう。

 つまり、私達が「美しい世界」と言う時、その理想とする世界には、それほど人々の立場による差は現れず、「だいたいこんなもんでしょう」という共通点がある。昔の山水画のように、自然と調和した穏やかな暮らしを描いた絵画も、同じようなものだろう。

 ただ、基本的にはこのような「美しい世界」というイメージを人々が共有してても、いざ実生活となると、なかなかそうもいかない。働く人を搾り取るだけ搾り取ろうとする悪徳企業もあれば、人を人とも思わない発言を平気でする政治家もいるだろう。
 なので、「美しい世界なんか無い、あるのは弱肉強食の競争社会だけだ」と開き直る人々も出てくる。

 しかし、それも極まれば、そろそろ美しい生き方をした人が、美しい考え方を基に、美しい言動で、美しい世界へと具現化をしていく流れを期待する人々が多くなる。
 そんな時期が来つつあると、感じています。

 一つ注意しておきたいのは、そのような「美しい世界」というのは、一人の強力なリーダーシップで作られるようなものではないという事だ。
 それぞれの地域で、「美しい世界」への理想を共有した人々が集まって、作り上げていくのでないと本物ではない。強力なリーダーが、「何も考えない大衆」を強引に「美しい世界」へと引きずって導くようでは、また地下鉄サリン事件と同様な事が起きるだろう。

 「美しい世界」は、その作り方も美しいものである必要がある。人々の意見のまとめ方、合意形成の仕方、実践の仕方も美しい必要がある。
 さて、それはどのようなものだろう。

4月18日(土)

日連神社での市

 4月12日の日曜日に、日連神社で年に何度か行われる市があった。藤野では同様なイベントは他にも各地で行われるけど、この市は古道具や古本、それも、単なる古道具や古本ではなく、センスのある店主が選んだものが並ぶので、不要品のバザーとは違ったお洒落な雰囲気がある。

 この4月12日の前日は雨で、翌日の4月13日も雨になった。この市は幸運にも天気に恵まれた事になる。屋外のイベントは、いつも主催者は天気に神経をすり減らす。
 この市の当日は、神社の桜も盛りを過ぎて、花びらが吹雪のように舞っていた。今は遅咲きの桜や、八重桜やしだれ桜が咲いているが、これもたちどころに姿を消していくだろう。山はすっかり新緑の季節に突入した。

 この市の日は、統一地方選挙の投票日でもあった。この地でも、県知事や相模原市の市長と市議会議員の選挙があり、藤野でも各候補の選挙カーが回って来ましたよ。
 そんな選挙カーのウグイス嬢を引き受けた人から、ある話を聞いて、こんな話を思い出した。

 確か四国のどこかの県の話だったと思う。山の奥に分け入った所にある施設に、仕事で出かける人がいた。砂防ダムか送電線の鉄塔か気象観測設備の点検か、とにかくかなりの山奥にある現場に早朝から車で出発した。

もえぎ色

 道路を進むにつれて山はどんどん険しくなり、幾つもの集落を通り過ぎながら現場に向かった。何時間もかけて現場に到着し、そこで作業を終える頃には、すでに陽は暮れかかっていた。

 今度は現場から町まで車で山道を降りて行く事になる。出発してしばらくして、その人は妙な事に気付いた。
 山道を下りながら、幾つかの集落を通り抜けている。しかし、どの家も灯りがついていない、というか、灯りのついている家が無い。始めは気のせいかと思っていたが、通過する集落、次の集落も、その次の集落も、家はあっても灯りの漏れる窓は無い。

 その人は、なんとも言えない恐怖を感じ始めた。そして、「次の集落には人がいてくれ」と念じるようにしながら車を走らせ続けた。それでも、その次の集落も、そのまた次の集落も、まるでゴーストタウンの様に窓には灯りが無く、静まり返っていた。

 だいぶ長い時間をかけて車を走らせ、初めて見る窓の灯りを見つけた時、その人は心底からホッとしたという。

 この不気味さ、私にも判る気がする。

春の山

 で、選挙カーに同乗していたウグイス嬢の話だけど、これと似た経験をしたそうな。相模原各地、時には山里にも念入りに車で走りながら支持を訴えて行く。町から離れた所にある集落もマメに回ったとか。

 選挙期間中、ここは既に回った所だけど、改めて回る事が合った。前回は昼間に車を走らせたが、今回は夕暮れ時だった。
 そこで、家の数こそけっこうあるのに、窓から灯りが漏れている家が意外に少ない事に驚いたという。

 夜になって、初めてあらわになるその土地の実情というものがあるのだろう。家は並んでいる。一見、数十人は人が住んでいそうな集落に見える。しかし、実際はひと桁の数しか人はいない。
 相模原市の旧津久井郡には、そんな集落がいつのまにか増えているのかもしれない。ただでさえ人口減少社会が始まっているのに、地方の山里から都市へと住処を移す人も多いしな。

 ただ、果たしてこれからも山里から都市へと人口が流れるだけかと言えば、私は必ずしもそうは考えていない。都市よりも山里の方が暮らすのは楽だ、という事になれば、この流れも変わってくるだろう。

菜の花

「『都市よりも山里の方が暮らすのは楽』だなんて、そもそも山里に仕事が無いから人口が流出するんじゃないか。仕事も無いのにどうやって暮らしを楽にできる。」
 そんな反論もあるだろうな。まあ、私も確信があるわけじゃないけど。

 例えば、最近こんな記事を読んだ。

これからの農業は発電も!
里山とエネルギーの新しい関係をつくる「ソーラーシェアリング」
こちら>>

 畑の上に太陽電池を置き、畑もやりながら発電もするという話。畑の上に太陽電池なんて置いて日陰を作ったら、農作物が出来ないんじゃないかと思ったら、必ずしもそうではないらしい。中には、日陰を作ってやった方が収量が伸びる作物もあるようだ。

 山の畑だって、未来には今とは違った役割を担っているかもしれない。今とは違う、新しい役割を担うようになれば、山里の仕事も増えていくかもしれない。

 それにしても、畑が発電所になるというのは面白い。いずれ電力自由化が進んだ時、「うちの電気を買ってくれたら、おまけで、うちで採れた野菜も付けますよ」なんて商売をする、畑の発電所も現れるのだろうか。

4月28日(火)

山の若葉

 山里は怒濤の勢いで季節が巡っている。花の季節が過ぎ、もえぎの季節も過ぎ、新緑の季節もたちまち過ぎてしまうんじゃないのか。既に藤の花も咲き始めている。
 どうやら世間では連休に入っているらしい。平日でも、けっこう行楽の車が行き交っている。この4月は長雨が多かったけれど、連休に近付いた頃から爽やかな好天が続き、もはや初夏という言葉が相応しい感じになって来た。

 藤野でもイベントの季節が始まっている。大きいものでは町全体を使ったものから、小さいものでは数人の有志が主催するようなものまで。とはいえ、そんな小さなイベントでも中身はなかなか濃厚だったりします。

 先日、人から教えてもらった記事に、こんな興味深いものがあった。

1人の外国人が、過疎の村に新しい命を吹き込む…
古民家再生の第一人者が大切にした「何もないがある」という考え
こちら>>

 記事を読みながら、そうだよなぁ、これからの地域起こしとか観光なんてものは、こんな感じでやればいいんだよなぁ、と思いましたね。

湖水

 何も派手な観光資源を無理矢理お金をかけて作る必要なんてない。田舎に数多くある、見捨てられたような古い民家を改造して、安く泊れる宿に再生し、「とくにこれといったものもない土地だけど、のんびりしていきな」という旅行の形だって、いいと思う。

 あと記事にはなかったけど、最近は農家民宿というグリーンツーリズムも流行っているらしいから、農業の体験ができる民宿とか、さらには、農繁期に農作業を手伝ってくれるのなら、タダで泊れるとか・・・、いや、これはもはや住み込みのバイトかな。

 日本人って妙に勤勉すぎるのか、観光する時も「あそこにも行こう、あそこにも行こう、あれも食べよう、あれも土産に買おう」と詰め込みすぎて、のんびりする暇もない。のんびりするための休暇なんじゃないのかなぁ。もっと「穏やかな時間」を享受するような観光を目指してもいいんじゃないかと思うのですが。

 いや、こう思い直した。
 日常の生活が、高度経済成長期の「モーレツ」な生き方だと、観光も「モーレツ」になってしまうんでしょうね。観光で「穏やかな時間」を体験できるような人は、日常でも、穏やかな時間を味わうような生活をしているんじゃなかろうか。

宮ヶ瀬

 昔、妄想半分で、こんな事を考えた事がある。藤野のような山里には、風情のある古い民家も残っているが、その多くは、立て替えの際に現代的な家に変わって行く。昔の趣のある家の形を活かした改築は、滅多に行われない。そんな事をしたら、かえって高くつくからだろうし、住んでいる人にとっても、現代的な家の方が快適だという理由もあるだろう。

 そんな、立て替えの際に取り壊される古い家を、ある場所に少しずつ移築して行く。やがて、そんな移築された家も数が増えてくると小さな集落のようになってくる。ちょうど、愛知県の明治村のように、その地域版の明治村なり大正村なり昭和初期村を作って行くわけです。

 移築の際に、建物の風情を壊さないように配慮しながら、断熱性とか耐震性とか、現代的な建物としての機能の向上もやって、ある建物は旅館にしたり、ある建物は農業体験の拠点にしたり。なかなか面白い観光資源になるんじゃないかなんと思うのですが。

 あー、その村に行くためには、自家用車は禁止した方がいいかな。村の隣に広大な駐車場なんか作ったら風情が壊れるし。昔風のボンネットバスとかで行くような演出が欲しい。
 あと、携帯電話も禁止ね。

相模湖の岸辺

 それにしてもなぁ、こういった未来型の観光が、まず外国の人から提案され、実践されるというのもなァ。
 日本人って、歴史的に自分の文化を無造作に粗末に捨てる事が多い。そして、外国の人からその価値を指摘されて、慌てて保存に走り出したりする。江戸時代の浮世絵なんて、その代表例だろう。

 まあ、こんな記事が表にでるようになってきたのだから、そろそろ日本人自身が、その地域の普通の文化を穏やかに楽しむような観光のあり方にも、関心を持ちはじめるかもしれない。