2015

1月

1月7日(水)

冬の森

 私にとっての2015年の幕開けは、酷い風邪で始まった。せめて年初くらい、景気よく新しい気持ちで駆け出したい所だが、競馬馬がスタートダッシュで出遅れるどころか落馬した気分だ。
 今回の風邪は、高熱にうなされるような性質ではなく、寒気に震えるようなものだった。そこで、このタイミングで初めて試してみた事がある。

毛布の使い方で変わる、布団のあったか度
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 ネット上で話題になっていた「正しい毛布の使い方」。私も実践してみた。あまりに寒気が酷くて、普通の布団の敷き方では眠れそうもなかったので。
 私は羽毛布団ではなく、綿の布団なので、リンクしたサイトとは違った方法になった。敷き布団の上に毛布を敷き、その上に寝て、その上に毛布と布団をかけた。自分の体を、二つの毛布で挟む感じで、確かに暖かい。
 風邪が治りかけた今からすれば、ずいぶん暑苦しい装備だが、風邪が酷いときは、これでも震えてたよ。

 それにしても、毎年、年初には「今年は今までにない事もしてみよう」と決意はするけど、こんな事になるとはね。

朝霧

 今年、最初の気になった記事。

エコプロダクツ2014で見つけた! 最新エネルギー技術
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 昨年末に行われたエコプロダクツ2014の短めの報告。有機系太陽電池(色素増感太陽電池)の話や、アジア向けのエコハウスの提案や、藻類からオイルを作る話や、巨大なソルガム(コーリャン)の話とか出てくる。
 地道な研究開発はずっとむかしから行われてきてたけど、2011年3月11日以来、急に注目されてきた分野でもありますね。

 この記事には書いてないけれど、たしか巨大なソルガムでは、福島の放射能汚染物質の吸収にも使えるという話が合ったと思う。品種の違うソルガムかもしれないけど。
 スーパーソルガムについての詳しい記事は、以下のが参考になります。

日本で生まれた未来型資源、スーパーソルガムの可能性
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 なんか、こういう流れを観ていると、そろそろ「遷都」の季節かなぁと思いました。いや、別に首都を東京からどこかに移すという意味じゃないですけどね。

谷間の光

 その国が、何によって保たれ、何によって栄えるかの条件が変化すると、都の位置も変わってくる。
 戦国時代なら敵軍に攻略されにくい天険の要害に城を造る必用があったし、戦争が終わって商業の時代になると、道路や水運の発達した交通の要衝に首都を造るようになる。
 宗教で国民を統率しようとすれば、寺院の総本山が首都になるし、「どうも宗教家が政治に口出ししすぎる」と思うようになったら、平城京から平安京への遷都みたいに、寺院と坊さんを置き去りにするような遷都を断行する。

 新エネルギーへの遷都も、そろそろでしょう。そりゃあ、抵抗する人たちだって必死になって抵抗し続けるでしょうけど、どうかなァ。
 こういう時に抵抗する、いわゆる旧勢力を代表する人たちって、逆境には強くないと思うんですね。今まで、自分達が主流で本流で官軍であると自認して、その威光を最大限利用してきた人々ですから。
 自分が非主流の傍流の賊軍に転落したあげく、威光も無くなって丸裸になった状態で、自分よりも強い敵と戦う経験がない。

 ある意味では、運の悪い気の毒な話で、「もう少し生まれるのが早かったら、こんな苦境を見る事無く終えられたのにな」と慨嘆する人も多かろう。

 こんな事を考えると、時間の流れによって、自分が属する組織とか、もしくは自分自身が、調子のいい順境の時もあれば、向い風に耐えるしかない逆境の時もあるだろうけど。
 順境の時でも驕らず、逆境の時でも卑屈にならずに身を持していける人は、そりゃあ立派な人だろう。

 私の理想は、そこまで高くない。とりあえず、早く風邪が治ってくれないものか。

1月12日(月)

冬日

 穏やかな冬の日々が続いている。寒い事は寒いが、震え上がる程の寒さでもなく、風も厳しく吹き付ける事もない。
 年賀状の返事を書いて出し(こんなやつ)、風邪でつまずいた新年の勢いを取り戻すべく、ゆっくりと動き始める。頂いた年賀状を見ると、みなさん、いろいろと新しい動きを始めた人が多いみたいだ。みんなが元気だと、つい自分もつられて何かをやってみたくなる。今年は3月にシーゲル堂で小さな展示を行いますが、日本画の展示もどこかでやりたいな。

 今回は特に書く事もないので、どうでもいい事でも書きます。

 昨年、やたら使われた言葉で、もっとも程度が低い言葉だと私が思っているのが、ワールドカップ・サッカーの時にばらまかれた「負けられぬ戦い」というスローガンでした。
 もともと、スローガンとか標語といったものは程度が低いものになりがちな宿命がある。短い言葉で一気に言い放ってしまう性質のものなので、丁寧で正確な説明とは正反対の、乱暴で不確かで、非論理的な断定を強引に言い切ってしまう事も多い。

 有名なのが、「郵政民営化なくして改革なし」だろう。言葉だけが思慮もなく一人歩きし、なんで「郵政民営化」が、その後に続く「改革」にとって不可欠なのか、丁寧で正確な説明は顧みられない。
 スローガンとか標語といったものは、立ち止まって思慮深く考えを深めるためのものではなく、人々が考える事を放棄させるためにあると言っていい。

明るい日射し

 さて「負けられぬ戦い」という言葉だけど、この言葉には知性がない。そりゃあ、サッカーの試合なんだから負けたくはなかろう。しかし、サッカーのファンが「負けられぬ戦いだ」と言い、マスコミが「負けられぬ戦いだ」と言い、選手が「負けられぬ戦いだ」と言ったところで、何も変わらない。

 いくら呪文のように「負けられぬ戦い」と言ったところで、味方のチームが強くなるわけでも、相手チームが弱くなるわけでもない。
 もしかしたら、「負けられぬ戦い」と呪文のように言えば、味方チームの気合いがより強くなって、戦いに有利になるかもしれない、と言う人もいるかもしれないが、その程度の気合いなら相手チームだって負けるはずがない。

 「負けられぬ戦い」という言葉には、現実に変化を与える力はない。もし、現実に変化を与える言葉を使いたいのなら、「負けないためには、どうすればいい?」という問いかけと、それに対する回答をすることだろう。

 相手チームの力量と長所と短所、味方チームの力量と長所と短所を分析して、余裕をもって勝てる相手なのか、互角の力量の相手なのか、相手の方がずっと手強いのかを判断して、相手の長所を発揮させずに短所を露呈させ、味方の短所を露呈させずに長所を発揮させる戦法を組み立てる。
 そんな冷静な議論を積み重ねていくと、実際に現実を変えていく力が生まれてくる。

青空

 「現実を変えていく力」と言われてもピンとこないかもしれない。一例をあげてみる。
 昨年のワールドカップ・サッカーでも、試合前には様々な予想があったと思う。その予想の中でも、結果を正確に読みぬいていた人を、積極的に評価したらどうだろう。
 その人は、相手チームの力量と長所や短所、味方チームの力量と長所と短所、試合で使われる戦法の内容を、正確な情報収集で調べ、それぞれの試合の結果を正確に読んだのだ。
 これは、評価すべき人材と言ってかまうまい。

 こういう人間が評価されるようになると、日本のサッカーの選手の意識も、日本のサッカーを運営する団体の意識も、より緊張感が増してくる。正確な情報の収集と分析に、より磨きをかけようと考えるようになるだろう。

 言葉による「現実を変えていく力」とは、こういうものだ。これと比較すれば、「負けられぬ戦い」という標語が、ほとんど日本のサッカー界に、なんらの波風も起こしていなかった事が判るだろう。

 きつい言い方をすれば、「現実を変えていく力」を持った言葉は、人々に現実を直視させる力があり、一方で、人々を現実から目をそらさせる力を持った言葉というものもあるという事だ。「負けられぬ戦い」は、後者の一例だろう。

谷間の木

 さて、実際問題として、人々に現実を直視させる「現実を変えていく力」を持った言葉が、今後のサッカー界で使われるかどうか。
 もしかしたら、昨年のワールドカップ・サッカーでも、まさに今回の例にあげたような、正確な予想をした識者もいたのかもしれない。

 でもなー、たぶん、その識者って、周囲のサッカーファンから「なにを不吉な事を言うんだ」とか、「みんながこれからがんばろうとしている所に、水を差すような事を言うんじゃない」とか責められたんじゃなかろうか。
 酷い場合になると、「お前があんな、みんなのやる気をそぐような白けた事を言うから負けたんじゃないか」みたいな、無茶な言い掛かりを言われてたかもしれない。

 最後に白状しますが、私はサッカーについては、まったく判ってません。「オフサイド」の意味も判らないと言えば、私のサッカーの知識のレベルの説明は十分でしょう。

1月20日(火)

朝霧

 今日は大寒。一年でも最も寒い時期とのことだ。谷沿いの木々は朝になると、枝にこびり着いた氷が朝日にきらめく。
 今回の冬は、暖冬ではない事は確かだが、かといって、例年以上に厳しい「寒い冬」かと言えば、そうではない感じ。

 寒さ対策に「これは良いよお」と勧められたのが、この全身をすっぽりと覆うフリース。そりゃあ、暖かいだろう。
 でもなー、私の住んでいる家は、けっこう外から室内が見えるので、家の中にこんなのがウロウロしていたら、得体の知れない変態が住んでいるように見られやせんか。
 緑色のやつは、なんだかガチャピンみたいですね。

 昔の貴族の女性が着た十二単も、重ね着による防寒が目的ですけど、そろそろ現代の防寒着も、風情というか、美的洗練を求めても、いいころなんじゃ無いかなぁ。

 ただ、これからの省エネルギーの暮らし方を考える際に、暖房にかかるエネルギーをどのように減らすかを考える時は、いつも家の断熱とか、昼間の太陽熱を夜まで保存して暖房に使うとか、家の構造の改良ばかりが思い付くけれど。

 暖房の要らない「暖かいハイテクの服」という選択もあるのかもな、と思った。

川沿いの道

 先日、今月いっぱいでレストランとしての営業を終える「ポポの庭」に行ってきた。なんだか、廃止間際になって記念に乗りに行く鉄道マニアみたいで、申し訳ないような気もしたのですが。

おひさまレストラン〜ポポの庭〜
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 でも、お店で話を聞くと、レストランとしての営業の終了は、経営的に難しかったからでは無いとのことでした。それなりに、地域からの評価も得られて、運営そのものには問題はなかったとの事。
 じゃあ、なんでレストランを止めるかというと、「ポポの庭」の利用者がもっとたくさん参加できるような、麹から味噌を造ったり梅干しを作ったりするような、加工食品の製造所として再出発したいからだそうです。
 それはそれで、期待したい流れですね。今までも、地元の農園で採れたトマトを使ったケチャップとかも作ってきたそうですし。

 「NPO法人てくてく」が運営しているこのレストラン。「NPO法人てくてく」が地域との繋がりを深めるため、また「NPO法人てくてく」の利用者(体や心が少し弱い方々)が活動し、力を付けていく場として作られた。確かに、調理と給仕だけに参加者が限定されるレストランよりも、加工食品の製造所の方が、「NPO法人てくてく」の個性に合っているかもしれない。

雲間の光

 そのレストラン「ポポの庭」で、更に少し話したのですが。

 どうも、これからは、必ずしも大規模な企業体による、大量生産だから価格的に有利という事には、ならないんじゃないか。
 地元密着の丁寧にこしらえたパンは、確かに美味しいけれど、ちょっと高いというのがこれまでの認識でしたが、最近のコンビニとかで売られているパンの、「嘘だろう!」と言いたくなるような軽さ。たぶん、重量で換算すれば、大量生産のパンの方が高いと思う。

 ポテトチップスなんて、サギみたいに高価だよな。あれじゃあ、自分でジャガイモをスライスして、自分で油で揚げるなり電子レンジでフライにするなりして自作した方が、遥かに安いだろう。

 たぶん、経営が大規模になると、大量の社員を抱えたり、全国的に店舗や営業所を構築したり、広告費がかさんだり、株主への配当が求められたり、イロイロ難しい問題を抱えるのでしょう。
 なにより、「成長拡大」を続けて行くための経費も、負担になってくる。

 案外、地元の食材を普通に加工して、地域の人が普通に買うような小規模な小商いの方が、価格的に有利になる時代になっているんじゃないのか。

相模湖

 今年は何やら騒がしい。イスラム国を名乗る男に日本人二人が人質に捕られた映像が流され、殺害を予告されているという。人質の日本人の一人は、こんな方だそうな。

【インタビュー】国際ジャーナリスト・後藤健二
〜それでも神は私を助 けてくださる〜
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 ソーシャル・ネット・サービスが普及した時代と言うのは凄いもので、「知り合いの知り合い」程度の距離に、意外な人物がいるのが判る事がある。
 無事を祈ろう。

 こういう事件で採るべき態度・・・政治家であれ民衆であれ・・・というものは、「心をざわつかせない」という所にあるのではないかと思っている。
 というのも、暴力で目的を達成しようとする人々にとっては、暴力によって人々が心をざわつかせて右往左往するだけでも大成功だからだ。

1月26日(月)

会議後の発表会

 先日、地元で持続可能な地域社会を作り上げていこうと活動している「トランジション藤野(フェイスブックページはこちら>>)」の話し合いがあり、その話し合いのテーマというのが「妄想会議 稼ぎ合い・助け合いをカタチにミーティング」というので、興味が湧いて行ってみた。

 トランジション藤野も、既に多くの分科会が生まれていて、地域通貨を実践したり、自分達で農作をしてみたり、太陽電池でエネルギーの自給をしてみたり、森に手を入れて健康な森林の再生に取り組んでみたり、その他いろいろ、それぞれ興味のある人が興味のある活動をしている。

 昨年あたりから、これらの活動全体に渡って盛り上がりつつある気運として、どうやってこれらの活動を、仕事や経済に結び付けていこうか、という話。今回の話し合いでは、その事が大きなテーマになった。

 さて、いろんな活動をしている人たちが集まると、「既にそんな話も進んでいたのか」と驚くような初めて聞く話も多い。
 森林資源を有効に使って、地元の薪ストーブ利用者に薪を供給する事業が、かなりの段階まで進んでいたり、活動を休止していた製材所を再生して、集成材の製作に取り組もうと動き始めていたり。

 前回の日記で紹介した、地元の農産物を使って、地元で加工食品を作ってみようという計画も、そんな一つ。これには、近年、この地域に若い新規就農者が増えた事も、後押ししている。

漏れる光

 地域の空き家をどうやって再生させて、活かして行くかについても話し合われた。この問題は、もはや全国的な問題で、同時に、地域の衰退を押しとどめる手段として空き家の再生と移住者への利用を促す取り組みも、全国的になっている。藤野も例外ではない。

 観光についても話は進み、同時に、この地域が観光を事業として盛り上げて行く際に、力不足になっている点も浮かび上がってくる。
 今回の話し合いで浮かび上がった問題点の一つに、宿泊型のイベント会場の少なさが出てきた。

 都会に近い割には色濃い自然に恵まれている藤野は、心や身体の健康を取り戻したり癒したりするセラピーのイベント会場として理想的な位置にあるが、さてそういったイベントを行うのに向いている宿泊可能な施設となると、案外少ない。また、あることはあっても、そういう施設があるという情報が、都会に向けて発信されていない。
 こういったイベントを企画している人が、直接こんな苦言を呈しているのを目の当たりにすると、藤野は、まだ藤野らしさの長所を、ぜんぜん活かしきれていないんだなぁと思った。

 他にも、いろんなテーマで盛んな話し合いがあったらしい。こんな話し合いから、新しい事業が地元から育って行くといいですね。

丹沢の雪

 これから持続可能な地域社会を作っていこうと考えたら、どうしても、地域が、地域の力を使って仕事を作って行く能力も育てていかなければならなくなる。
 逆に言えば、地域の「外の力」に頼って仕事をしていると、「外の力」が無くなったとたんに、地域は持続不可能になってしまう。巨大な企業を誘致した町や、公共事業や補助金に依存している町などは、今後の世の中の変化に、もろに影響を受ける。

 「持続可能社会」なんて言葉を聞くと、省エネ省資源の自然と調和した穏やかな暮らしを思い浮かべるけれど、案外、なかなかの「実力主義社会」なのかもね。自ら事業を生み出す力・・・それも「成功する事業」を生み出す力が問われるのだから。

 「成功する事業」と言ったって、お客を満足させる実力も必要なら、お客が何を求めているかの正確な情報収集と分析も必要なら、そんな事業を継続できるような人材の育成も必要だろう。
 何より、(夢のない話に聞こえるかもしれないけれど)先立つものは金ですねぇ。どんなに、「私は事業を成功させる実力がある」と自負する人だって、事業を始める最初の一歩には、どうしてもまとまった金額が必要になりますよ。

 トランジション藤野にもその傾向はありますが、持続可能社会を目指す人々は、「お金」に対して距離を置き、できればお金がなくても安心して暮らせる世の中を理想とする所がある。もちろん、理想は理想として、それは素晴らしいと思うし、最終的にはそんな世の中になるといいと私も思いますが。

 ただ、「成功する事業」を正しく見極めて、そこにポンと投資する、人道的で博愛的で未来に理想があって利己的でない金融機関が、これから必要になるかもな。

オオイヌフグリ

 重ねて言うことになるけど、持続可能社会って、実力主義社会でもあるんですね。

 まあ、そりゃあそうか。何ごとにせよ、「持続」させる事ができるのは実力のある人たちで、実力のない人が物事を破滅させたり失敗させたりして、持続不可能にしていくのだから。

 こうなると、もはや理屈じゃないな。世の中には「私の言っている事が正しい」と言う人は多いけれど、そう言う人は、成功する実力・人々を幸福にできる実力が実際にあるのかどうか。
「あなたの主張する御説は伺いましたが、実際の話、あなたは実生活で成功しているのですか?」
 こんな問いかけをされたら、「私の言っている事が正しい」と言う人の、何割が残るだろう。私は残らないが。