2014

1月

1月5日(日)

ススキ原

 静かに年は明けていった。観光地でもない山里の正月なんて、静かなもんだ。でも偉いのは、正月休みでも、道路ぞいに溜った落葉を採りに来ている農家の方々は、もくもくと作業を行っていました。
 このアホ日記。昨年は更新頻度が悪くなって、月に2回だけの更新なんて時期が続きましたが、このところ日曜日に更新するパターンが出来ている。単なる偶然だけど。
 このパターンもいつまで続くか判らないや。何だかこの日記ではやたらと世の中の持続可能性について書いて来たけど、このサイトの持続可能性も怪しいもんだから(笑)。

 でもまあ、性懲りもなく、また持続可能性について今回も書きますよ。正月休みで聞いたニュースの中で、一番、気になったのはコレでした。

橋・トンネル点検、自治体に義務づけ 老朽化に対応
国交省、71万カ所対象
こちら>>

 一応、リンクを張っておきましたが、会員でないと記事の全文は読めませんね。全文に興味のある方は、例えばこちらのブログとかを参照して下さい。
 さてこの記事、一見すると、今までにも多く見てきたような、「今後、老朽化が進む道路や橋やトンネルといったインフラを、どうしていこうか」という記事の一つとしか感じられないかもしれませんが。
 私には、大袈裟な言い方をすれば、時代が一歩進んだような感じがしました。

相模湖

 前の日記で、これからの時代の幕開けは静かなものだろう、といった事を書きましたが、たぶん、時代が変わる分水嶺を越える時というのは、華々しい国会での強行採決や乱闘騒ぎではなく、一見ありふれたように感じる記事の、ごく僅かな変化に現れるのだと私は思います。
 そういえば以前、高田渡の「値上げ」という歌を紹介したっけ。

高田渡 値上げ
こちら>>

 この記事の「ごく僅かな変化」は、危険な道路や橋やトンネルに関しては「通行規制」を命令できるようにする、という箇所だろう。
 始めは「老朽化したインフラをなんとかしなくちゃいけないね」「それにはお金がかかるね」といった雰囲気で話は始まり、「インフラの維持管理や補修にかかる費用は、調べてみたらこんなに必要だね」「なあに、新技術を使えば、その費用ももっと圧縮できるかもしれないね」という話も出てくる。

 そこへ、「おい大変だ、トンネルが崩落したぞ」「いよいよなんとかしなくちゃならないね」「誰がお金を出すんだ」といった話になり、そこでも「最終的には国が大規模な公共事業で補修を行うだろう」といった楽観論も出てくるだろう。
 だが、ここで紹介した記事の結びの文章はこうだ。
今後は人口減で需要が乏しい道路は閉鎖するなど、補修の対象を絞り込むことも課題となりそうだ。

 「維持できないインフラは、維持する事を諦めなさい。」そんな言葉が、いよいよ世の中の表面に出てきたかと思った。

さざなみ(相模湖)

 高田渡の「値上げ」になぞらえると、こんな感じなのかな。

 インフラは守らねばならぬ。インフラは維持しなければならぬ。インフラは補修しなければならぬ。インフラは今後も堅持していく。

 インフラの維持には金がかかる。国も自治体もインフラの維持に務めなければならぬ。インフラの老朽化対策は急務である。

 老朽化対策の新技術の開発も急がねばならぬ。インフラは長持ちさせねばならぬ。費用を抑えながら安全対策を進めなければならぬ。

 壊れて被害を出すインフラが出始めた。危険なインフラは通行規制をして、優先順位の高い所から直していかなければならぬ。

 優先順位の低いインフラを見捨てたわけではない。政府も予算を計上するし、補助金制度も新たに作っていく。しかし・・・

 社会保障費の増加で財政事情が厳しくなる。公共事業に回せる財源は限られる。インフラの維持は、優先順位の高い所をのぞき、諦めよう。

 文才がないので歌にはならないが、こんな流れになっていくのだろう。
 何だか、「年明け早々、最初の日記のネタがこれかッ。なんて不景気な、ネクラ人間め!」と言われそうだ。

冬木立

 ただねー、こういう問題って、一挙に解決できるような名案があるわけではない。高い人格と豊かな知性の持ち主がリーダーになれば解決できる問題でもない。太陽が昇れば落ち、夏が来れば冬が来るように、ある程度は従わなければならない大河の流れのようなものだ。
 インフラの老朽化の問題も行き着く所まで行き着けば、また再起の時期が来るだろう。それがどのくらい先になるかは判らないけど。

 いや、もしかしたら、そんな未来には車は空を飛ぶようになっていて、道路が今ほど必用では無くなっているのかな。
 まあこれは空想的過ぎる発想で、私自身、信じているわけではないけど、これから車が軽くなっていくのは間違いない。最大の理由は燃費の向上目的だけど、別の理由として、将来、政府の方から「道路維持の為、できるだけ軽い車を使って、道路の痛みの進行を遅らせる事に協力して下さい」と呼びかけてくるんじゃないかな、と想像しています。
 タイヤも、今の車に比べれば、だいぶ細くなっているんじゃないかなァ。

1月12日(日)

丹沢の雪

 冬本番の寒さが押し寄せてきた。これから2月初旬までが、一年で一番寒い時期になるのだろう。今年の冬は、例年の暖冬傾向を考えると、普通に寒い冬みたいですね。

 先日、フジノで持続可能な世の中を作っていこうと活動している「トランジション藤野」という団体の、近況の発表会みたいな場があり、私も行ってみました。
 ・・・とはいうものの、そもそも「トランジションって何よ?」と思う人の為の説明をした方がいいのかな。詳細は以下のページを読んで下さい。要するに、「今みたいに化石燃料をじゃぶじゃぶ使うような生き方はいずれ不可能になるね。だったら、それとは違う持続可能な世の中を、住民の知恵と実践で、町単位で作っていこうじゃないか。」といった運動です。発祥はイギリスですが、日本でも既に50以上の地域で「トランジション○○(←地域名)」と名乗って活動しているらしい。どんな地域があるかは、以下のサイトで判ります。

NPO法人トランジション・ジャパン公式ページ
こちら>>

 あー、「以下のサイトで判ります」なんて書いちゃったけど、このトランジション・タウンという活動は、その地域の住民が複数集まって「よし、やろう」と決めてしまえば簡単に成立してしまい、なにも上記の「NPO法人トランジションジャパン」に届け出なければ「トランジション」と名乗ってはいけない、というものではない。なので実際にはNPO法人トランジションジャパンが存在を把握していないトランジション・タウンもあるかもしれません。

光る木々

 で、その「トランジション藤野」での発表会ですが、この「トランジション藤野」の中にもいろんな部会があり、地域通貨を運営する人たちもいれば、電気やエネルギーの自給自足を目指す人たちもいれば、農業に関心がある人、医療に関心がある人、森林の整備に関心がある人、それぞれがそれぞれの部会を作って活動しています。
 これらの部会の活動をいちいち説明するだけでもくたびれるほど、それぞれの活動の内容は濃い。

 説明会が終わった後、参加者は幾つかのグループに分かれて「これからどんな事をしていきたいか」といったテーマで雑談の時間になったのですが、ここからが本題・・・というか、ずいぶん長い前置きだな(笑)。

 私は、このフジノ地域で綿の栽培を試みている方の話合いの席に居合わせたのですが、ここでの「綿の栽培を今後どう発展させていくか」のテーマから、会話の流れは大きく逸脱していきました。
「そういえば、綿の種から油が採れるんですよね」
「そうですね、綿毛から綿の種を採らないと綿として加工できませんが、来年の種まきに使う分の種以外の種は、余る事になります。それを絞れば油が採れるのでしょうか」

 便利なもので、最近はすぐにネットに接続できる端末を、みんな持ち歩いている。その場で調べてみたら、綿の実から採れる油って、良質な高級品みたいですね。
例えばこのサイトにいろいろ説明があります>>

峠にて

 そこから話はさらに脱線して、「そういえば私たちは、食用油について、実はほとんど知識がない」という事に気付きました。
「よく地産地消と言うけれど、食べる農産物の地産地消には関心があっても、食用油の地産地消については論じられていないね、というか、考えもしなかった」
「道の駅とかで、その土地で作った農産物とか、農産物の加工食品とか売っているけど、その土地で作った油を売っているのは見た事がないな」
「うーん、油で有名な土地っていったら、大島の椿油とか、小豆島のオリーブ油とかになるのかなァ」
「椿油って、髪の毛や皮膚に塗るやつだろう。食用になるのだろうか」
 どうも、話せば話すほど、油について知識が欠落している事に気付くありさま。

「フジノは昔はどうだったんだ」
「クルミから油を採っていたという話は聞いた事があります。クルミは食用というよりも、むしろ油が目的だったとか」
「菜種も当然、やってたんだろうなァ、どこで絞っていたんだろ」
「こうして考えてみると、そもそも油って貴重品だな。今みたいに、料理に揚げ物がふんだんにあるのは、当時から思えば相当な贅沢行為に見えるかもしれない」

 「トランジション・タウン」という活動が、石油をじゃぶじゃぶ使う世の中に対する反省から始まっているように、もしかしたら食用油をじゃぶじゃぶ使う世の中も、持続可能性が無いのかもしれないな。

山と雲

 自分で油を絞るとしたら、どんな機械を使うんだろう、と思って検索してみたらこんな記事があった。

搾りたての油は驚くほどうまい!
こちら>>

 こういう記事を読むと、ますます油って貴重品に見えてくるな。あと、油を採る方法にも、単に圧力をかけて絞る方法と、薬品で種を溶かして油だけを回収する方法がある事も初めて知った。前者の、昔ながらの方法で採った油の方が、風味が損なわれない高級品みたいだ。
 それと、カボチャの種から油を採れるという事も。

 このサイト、他にも興味深い油の記事が2つあった。

油専門店で我を忘れる
こちら>>

 一読して思うのは、やはり私は油について、ほとんど知識が無い、ということ。もう一つ考えさせられたのがこの記事。

巨大深海魚を釣って食べたら尻から油が!
こちら>>

 石油とは異なる生物由来の油でも、まるで人間には受け付けない油もあるんだなァと、不思議な気分になった。こういった、「食べてはイケナイ油」の事をまるで考えていなかった事も、私が油について何も知らなかった事の証拠だろう。

 まだまだ、油の話は、いくらでも続きそうな気がします。

1月19日(日)

竹林

 底冷えの寒さが続いている。インフルエンザも流行り始めたという話も聞く。日曜日の朝は、軽い積雪があった。たちまち消えて無くなるような雪だったが、こんな雪でも陽の当たらない日陰や北斜面だと、けっこう長く残り続ける。

 前回の日記で油について軽く書いたけど、これほど生活に密着しているものでありながら、どんな種類があって、どんなふうに作られているか、まるで自分が判ってないことに呆れるばかり。試しに、ウィキペディアで油について見てみた。


こちら>>

 ぱっと見ただけでも膨大な世界で、ちょっと途方に暮れる。もう少し範囲を絞って植物油だけを見てみたけど。

植物油の一覧
こちら>>

 これもまた膨大な大海のごとき世界。ますます途方に暮れる感じだ。
 前進があったとしたら、自分の無知さが更に明瞭になった事くらいかな。前回の日記で、「カボチャの種から油を採れる事」を「初めて知った」と書いているけど、どうも植物の種って、どれでも絞ればたいてい油が採れるみたいですね。ただ、どんな種でも食用の油に適しているというわけでは無く、むしろ食用に使える油は少数派で、なかには人体にとって有毒な油を作る植物もあるようだ。
 もっとも、有毒な油と言っても使い方次第では薬用としても使われているようです。

冬枯れの木々

 前回の日記で触れた、「トランジション藤野」の集まりでの話で、この油の話が出てきた時に、「北国では何から油を採っているんだろう」という疑問も出てきた。
「さあ、魚とか鯨とかですかねえ」と、私はトンチンカンな返答をしてしまったけど、植物油にも、北国でしか採れないものもあるようです。例えば亜麻から採られる亜麻仁油は、日本では北海道でしか生産できないようです。寒冷地向けの植物なのでしょう。

アマ(亜麻)
こちら>>

 亜麻はリンネルの原料でもある。燃料としての油もそうだけど、かつては植物に多くを頼っていた油同様、繊維も植物に多くを頼っていた。今では燃料も繊維も石油に多くを依存している。
 うーん。石油にあまり頼れなくなる時代が来たら、油にしても繊維にしても、また植物利用が復活するのだろうか。
 上にリンクしたアマの解説に、近年、北海道でアマの栽培が復活しつつあるとの記事があった。ネットで検索してみたらサプリメントとして亜麻仁油を生産しているみたいですね。
こちら>>

 確かに、大量生産・大量消費の油では広大な農地を持つ外国産にはかなわないけど、健康補助の為の「薬」としての油なら商売になるのかもしれない。
 あと、このサイト、亜麻の歴史や資料のページがあって、これも面白い。
こちら>>

 そういえば、前回の日記から油について書いたそもそもの出発点は、綿からだったな。繊維の話から油の話に脱線し、今度は油の話からまた繊維の話に戻った事になる。

昼間の森

 「トランジション藤野」の集まりでの雑談では、油について、こんな話も出てきた。
「フジノは柚子の産地らしいですけど、アロマテラピーでは柚子の精油を使う事がありますよ。」
 へー、と思い、こんな記事とかこんな記事も読んでみた。後者の記事では、柚子のオイルが「最近、イギリスで紹介され、注目を集めています」とある。
 前述の北海道の亜麻仁油もそうだけど、高付加価値の「薬」としての植物油なら、大量生産・大量消費の安売り競争に巻き込まれる事も無く、ちゃんとした商売になるかもな。

 それにしても、やれこれからは持続可能な社会を目指さねばならんとか書いてきたけど、これほど大きな存在の「油」について、今までまるで注目も注意もせず、無知でやってきたんだから、私の認識もそうとう怪しいものだ。
 そうそう、前回の日記で、「椿油って、髪の毛や皮膚に塗るやつだろう。食用になるのだろうか」と書いたけど、ちゃんと食用にもなるようですね。このサイトを見ると、

椿油はその希少性から高級ケアオイルとして頭髪・皮膚用と思われがちですが、ぜひ食用としてお使い頂くことをおすすめ致します。オレイン酸は血液中の善玉コレステロールを減少させずに悪玉コレステロールを減らす効果があるといわれ、その食味性にも優れています。熱伝導性が高く、油にコシがあることから、お料理に最適です。とくに揚げ物はサクッと軽い仕上がりになります。

とある。食用として使うには、なかなかの高級品らしい。

相模湖

 これだけ地産地消とかスロー・フードとかいった言葉が流行る御時世なんだから、油もいずれはその方向で盛り上がる気運もあるとは思いますが、さて、いつの事になるだろうか。
 試しに「地産地消 油」で検索してみたら、天ぷらなどの廃食油を回収してバイオディーゼル燃料にして車を走らせる・・・といった廃物利用の話ばかりで、油そのものを栽培して作るという話に関しては、まだその発想すら全国的には芽生えてないみたいです。

 最後に、今まで書いてきた事をひっくり返してしまうかもしれませんが、これから地産地消の「御当地の油」の復活を願いつつも、そもそも今の油を多用するライフスタイルって、まともなのか、という疑問もあります。食事にしても、揚げ物を多用するよりは、「煮る」とか「蒸す」を積極的に使う方が、健康的なんじゃなかろうか。

1月26日(日)

淡雪

 先週の水曜日の朝、軽い積雪で夜が明けた。これもすぐに消えて無くなる雪だったが、そろそろ2〜30センチくらいの雪が降る事もあるんじゃないかな。
 前回、前々回と、ここで油の話を書いてきたけど、一度その方面に興味が出ると、改めていろいろ目に入ってくるらしい。前回の日記で書いた椿油だけど、藤野でも売っていた。もっとも、藤野産の椿油じゃないけれど。

 藤野の芸術の家の手前にある「ふじのアートヴィレッジ」では、さまざまな分野のアート作品を展示販売するコンテナの店が並んでいますが(こちら>>)、昨年の11月から、その店の一つに、フェアトレード、オーガニック、エコロジーをコンセプトにした「藤野ライトハウス」という店ができた。
こちら>>

 その店の中にね、椿油のビンが置いてあったんですよ。
生しぼり椿油
こちら>>

 どうやら東日本大震災で被災した地域の復興も目的にした椿油の事業らしい。その話の流れは、以下の記事に詳しい。

東北の生命力に出会う
〜椿油プロジェクトの夢〜
こちら>>

 藤野ライトハウスに置いてあった椿油。100グラムと180グラムの2種類がある。

 お店にあったパンフレットには、この椿油について、こんな事が書かれている。

「椿油の搾り方にはいろいろあります。この椿油は熱を加えず、生のまま圧を加えて搾ります。成分が変質したり損なわれたりしないため、そのままの美味しさを味わって頂けます。フレッシュでマイルドな食感で。料理には最高の油です。

 ただ、ひと粒ひと粒種の殻を手でむくなどとても手間をかけ丁寧に作ることと、量がわずかしか取れないため、低価格にすることができません。お値段は少々高めでもそれだけの価値は充分あり、きっとご納得いただけると思います。」

 たしかになァ、豪勢にじゃぶじゃぶ使うようなお値段じゃないね。丁寧に作った料理に、大事に使うような用途に向いているのかな。

 ただなァ、震災の復興目的の事業なら、当面、こういった商品の消費税をゼロにしてもいいんじゃないのかとも思った。
 そういえば、東北、とりわけ岩手県は菜種油の生産も地道に行われている。例えばこれとか
 津波被害で、今後の土地利用の目標が見つからない沿岸の土地とかに、菜種とかで油の生産とかできませんかねえ。まあ、わたしのような素人の思いつきでは何ともなりませんが。

 菜種油の関連のホームページを見てみたら、だいたい「高級」菜種油の今の所の定義って、「国産」・「遺伝子組み換えでは無い」・「溶剤を使わない、昔ながらの圧搾法で搾る」・「無農薬」・「無添加」といった所か。いずれはお米の「魚沼産コシヒカリ」みたいに、油もブランドになると、こんな国産の植物油にも人々が注目するようになるかな。

冬木立

 東京で知事選が始まっている。原発の是非を筆頭に、いろんな論点が、それぞれの候補者から提出されているみたいですが。
 私個人としては、現時点で一番重要な論点は、「東京をどうやって小さくするか」だと思っています。でもこれは選挙向きの話題では無いですね。
 ただいずれ、この話は、どうしても真正面から向き合いざるを得ない時が来るでしょう。

 例えば東京を震災に対応できる都市にするためには、どうしても今の過密状態を緩和して、道路の幅を広げたり、緊急時の避難先である公園や緑地帯を作る必用がある。そのためには建物の数を減らしたり、人口の規模を縮小しなければならない。
 これは、従来型の「発展・拡大・成長こそ善」とした発想が多数派を占めている状態では、提案すら出来ない。ましてや、選挙の公約で「東京を小さくする」なんて、言える状態ではないだろう。

 でも今回の知事選で、それに近いことを言う候補者もいたのには、ちょっと驚きました。

北風の谷

 冬至から一ヶ月も経てば、だいぶ陽射しの位置も、力強さも変わってくる。福寿草も咲き始めた。

 この日記では、私はたびたび、この世の中の方向が成長や拡大では無く、縮退の方向に向かっていると書いてきたけど、縮退にも、行き着く所まで行けば、再び成長へと転じる時が来ると思っています。東京だって、一度きちんと過密状態から離れて、次の時代にあった形に生まれ変われば、新しいフロンティアが広がることでしょう。

 ただ、その新しいフロンティアと言うのは、20世紀のような、やたらとビルがニョキニョキと生えてくるような物質的なものでは無く、もっと精神的なもの(たとえば文化的なもの)になっていくと思っています。