2013

12月

12月8日(日)

降る光

 師走に入り、何やら今年の一年を振り返ったり、来年の事を思い考えたりするような時期になってきた。個人的には、反省することばかりなんだけどな。

 国内に関しては、とうとう行き着く所まで行き着いたように思う。
 樹木で例えれば、始めは小さな芽生えから、若木へと成長し、やがて見上げるような高木にまで育つが、同時にその頃には樹の内部にはウロが生じ、徐々に生命力を失い、虫やキノコが樹を蚕食するようになり、ついにはぼろぼろに朽ちて倒れる事になる。

 権力も似たようなもので、始めは実力のあるもの達が実績を作り、その実績が信用となり、権威となり、やがては権力へと成長する。しかしその頃には、実力も無いのに権力を濫用する事ばかりにしか知恵が無い人間が、そこで幅を効かせるようになり、実力が無いのだから当然、実績は伴わず、徐々に権威を失っていく。
 権力を濫用する事はできても、権力を生み育てる事は出来ない人間は、権威が落ちていくに従って、ますます権力を濫用する事によって権威を回復しようとするが、その行為が、ますます失敗事例を増やして、信用を無くし、権威を落としていく。

 最近、樹がめきめきと音を立てて、自重で崩壊しようとし始めたのを聞いた気がする。
 ホントに、行き着く所まで行き着いたねぇ。あんな法律を、あんなやり方で通しちゃア、まるで国民は政府の敵だと言い切ったようなものだ。今後は、政府がたとえまともな事をやろうとしても「裏でコソコソ悪事を企んでいるんだ」とか「国民を騙すつもりだろう」とか言われ続ける。
 これは自分で自分に烙印を押したようなもので、統治者としては、大義の喪失と言っていい。

初冬の木々

 「大義を失う」なんて言っても、「それがどうした」という人の方が多いかな。でもねえ、ホントの乱世になると、どちらの陣営に統治者としての大義があるかの競争になるんだけどね。
 国民にとって、この人たちは、真に協力しあって世の中をもり立てていける「仲間」なのか。それとも、自分達の利権と保身の為なら、国民の生命も犠牲にするような連中なのか。
 今回、いろんな人や組織が、そんな踏み絵を経験したみたいだ。中には、あまりにも経験が激しすぎて分裂した組織もある。でもまあ、これで明確に色分けできたのは結構な事だろう。「ああ、いつもはなんだかんだと立派な事を言っているけど、いざという時には、最終的にはあっちに行く人たちなんだな」、という事が明瞭になっただけでも。

 実は、大義がぐらついているのは何も政府だけではない。この事について興味深い事が先月あった。
 ある国会議員が園遊会で天皇に手紙を差し出したと言う事で騒ぎになったが、私はこの事そのものよりも、騒ぐ周囲の方に興味を覚えた。
 何でもこの議員、福島の子供達と、福島の事故原発の修復作業に従事している作業員の健康を危惧して、天皇に手紙を出したらしい。それに対して周囲は、「掟やぶりだ」と騒いだのだろう。

 確かに掟やぶりかもしれない。しかし問題は、「じゃあ掟を守っていたら、福島の子供達と、福島の事故原発の修復作業に従事している作業員の健康は守られるのですね」という問いかけに、今の世の中のシステムが答えられない点にある。

湖水

 何も政府だけではない。行政、司法、産業界、マスコミ、宗教界といった、この国を動かしている仕組みが、ちゃんと福島の子供たちと作業員の健康を守るように機能しているのなら、この議員の振る舞いも、単なる珍事で片付けられただろう。
 しかし、政府も行政も司法も産業界もマスコミも宗教界も、自分達の保身と利益の為なら、福島の子供たちと作業員の生命を犠牲にするようであれば、「この国を動かしている仕組み」そのものが大義を喪失している事になる。

「じゃあ、それ以外の権威を持ち出して、福島の子供たちと作業員を守ろう」という人間が出始めるのを、防ぐ事はできまい。今回はそれがたまたま天皇だったけど、例えば外国の政府や国際的な機関に助けを求める事もあるだろうし、海外のマスコミや宗教に助けを求める事もあるだろう。
 こんな事を言うと、「外国の力を借りて国内の体制を攻めるのか、なんと売国的な」という人もいるかもしれないけど、明治政府だって、天皇を担ぎ出して攘夷を煽り、イギリスの力を借りて政権を奪取したからねぇ。

 あの議員だって、もし福島の子供たちと作業員の健康に重大な問題が発生したら、「やはりあの議員の行動には、掟やぶりかもしれないが価値はあったのかな」という事になる。
 その国の体制そのものの大義が疑われ、ぐらついた時と言うのは、だいたい似たようなものだ。どこに大義があるのか判らなくなり、どこが官軍でどこが賊軍か判らなくなる。
 最後は、どっちに味方する人が多いかで決まるんだけど。

谷間

 自分の周囲には、「こんな悪法が通ってしまったら、ますます悪政が酷くなる」と心配する人が多いけど、実は私はその点はほとんど心配はしていない。
 むしろ心配しているのは、そうだなァ、来年の春、いやそれよりも早く、いろいろ動きが出てくると思うのですが、ちゃんと大義が担えるような組織が出来上がるまでには、時間が少な過ぎること。
 樹が崩壊するのは案外と早そうだけど、早すぎて、次の芽が育つのに間に合わない。

 これは、もしかしたら21世紀的な現象かもしれない。政党政治というものは、どうしても政党や議員の「欲望」で動かしている。政治家になるのも、政党が存在するのも、そこに欲望があるからだ。
 しかし、今現在必用とされている政党や政治家というのは、どこまで「虚心」になれるかが問われているように私には思えます。

12月15日(日)

もちつき

 もうすぐ冬至。太陽は真昼でも低く、弱い斜光が淡く窓から差し込んでくる。先日、自分も参加している田んぼの仲間で、もちつきをしました。今年の田んぼは、昨年みたいにイノシシの被害に遭う事も無く、ちゃんと収穫できたのは良かったです。やっぱり、こんなもちつきをしていると、いよいよ年の瀬だなァと実感してくる。

 そういえば最近、こんな取り組みについて教えてもらったんだけど。

米がつなぐ若者と農家の絆
奨学米プロジェクト
こちら>>

 基本的な仕組みや考え方については、こちらのサイトが分かりやすい。以下はそのページからの抜粋。
「奨学米とは奨学金を“お米“に置き換えて、農家が学生にお米を無償で提供し、食生活の面でサポートする仕組み。
 その代わりに、学生はお米をご提供いただいた農家の農業のお手伝いや地域のイベントに参加することで還元していきます。
 奨学米で学生・農家のつながりを創り互いの未来を育てて行きます。」

 面白い取り組みだと思うし、今後の発展を願いたい。
 ただ、私としては、これと似た手法が、様々な分野で、これから使われていくんじゃないかなぁと思っています。
 例えば、この「奨学米プロジェクト」は、農業の手伝いをしてもらう人に学生を選んでいるけど、この御時世、「農作業の手伝い」の対価として「農産物」がもらえるのなら、ぜひ参加したいと思う人は、けっこういるんじゃないかなぁ。

青い山

 昨年の11月下旬の日記で、こんな事を書いた事がある。

「生活保護の支給として、現金の代わりに現物を使ったらどうかという話が出ている。商品券か、もしくは食品券でも配るのだろうか。
 選挙が近いので(投票所の立会人をするハメになりそうだ・・・ぶつぶつ)、やれあの政党は原発に関して賛成だ反対だ、やれTPPに関してはどうだこうだと賑やかだけど、私にはあまりこういった話は、未来を考える上で枝葉の話としか思えない。
 それよりも、先にあげた生活保護の現物支給の話の方に、未来の方向を暗示する鍵があるように思えてならないのです。

 どういう理由かは判りませんが、世界的にお金では物事が回らなくなってきている。その機能不全を補うように、お金以外のモノも補完的に使わないと、世の中を運営するのが難しくなってくるだろう。
 最終的には、衣食住といった生存に直接関わる仕事を基盤にしたセーフティーネットを作って、窮民の救済策とするようになるのではないかと予想していますが、これが世の中全体の合意になるまでには、まだまだ時間がかかるだろうな。」

 私が特に思うのは、上の文のアンダーラインを引いた部分。今では、「お金では物事が回らない」というより、「お金が、世の中を上手く回すことを、かえって邪魔していないか?」と思うようになった。
 案外、この「奨学米」みたいに、お金を媒介にしない交流の方が、手っ取り早くて、それに関わる人々も幸せになれるんじゃないかとさえ思う。

冬木立

 まあ実際には、やってみないと判らない。ただ、どんな手法であれ、それが時流に乗ったものであれば、あたかも水が高い所から低い所へと自然に流れるように、特に苦労もなく、参加する人、真似する人が増えて発展するものだ。
 それになー、消費税の増税の話もあるしなー。消費税は国民に対して「あまりお金を使って、モノやサービスを売り買いするな」という圧力になってしまう。となれば、お金を媒介としない価値の交換にも人々の関心も上がってくる。

 さて、ここで話はガラリと変わるんですけどね。最近、こんな記事を読んだんですよ。

若者の内向きを嘆くオッサンをこそ嘆くべきだ
NPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹(7)
こちら>>

 題名は「オッサン批判」みたいだけど、中身はそんなに単純じゃないし、言っている内容はとても豊かだ。これからの日本の形、人々の関係、コミュニティーの在り方、最後のページには人としての生き方についてまで言及している。
 この記事の中盤に、「お金」を使って仕事をしてきた人々は、地域の事業をもり立てていく人材には向かない、という話が出てくる。

 お金を使った仕事には、どうしても「仕事を命じる人」と「命じられた仕事を実行する人」という上下関係ができるし、お金を払えば人は黙って服従して働くものだという前提がある。
 しかし、地域をもり立てていく事業には、こういった性質の人材は、もっとも不向きだ。その理由も記事に書かれている。

ススキ原

 「なかなか、お金では世の中がうまく回せない社会」になると、お金を使った「命令」と「服従」の上下関係も使いづらくなるし、それとは違った人間関係の作り方が重要になってくる。その中でも特に重要になってくるのは、人情の機微かもしれない。

 お金を使わなくても人を動かせる人といったら、私なんかには想像もできない人格者に思えるけど、これからはそんな人材が必用とされるのだろうな。

12月22日(日)

冬至

 関東の冬は明るい。空気は北風に洗われて澄み切り、空は一年で最も深い藍色になる。窓から入る陽射しで、部屋の中は予想外に暖かくなるが、残念ながら山里では、太陽が山に遮られて、陽が陰るのが早い。場所にもよるけど、2時頃には陽が当たらなくなる家なんてザラで、一日の内に陽が当たる時間は数時間だけという家だって珍しくない。
 もし、フジノのような山里で家を探そうと思ったら、夏だけの状態を見て「この家、気に入った」と決めない事ですね。ちゃんと、冬の状態も見ておかないと。

 ついでに付け加えておくと、冬の状態を見ておきたいのは家だけではなく、家の周辺の道とかも見ておくといいですよ。道路だって、日当たりの良い道路もあれば、ぜんぜん陽が当たらない道路もあるのです。その違いが、いざ雪が降った時の、雪の解け具合に響いてくる。
 除雪作業の行き届かない道なんか、一度、真冬に雪が降り積もったら、そのままガチガチに凍り付いて、春まで解けない所もあるし。

 シーゲル堂は27日(金曜日)で年内は終了。年明けの1月は、例年通り冬期休業で、営業の再開は2月からです。今月の企画展をまだ見てない方はお早めに。かわいらしい陶器が並んでいます。

森の中の光

 自分なりの、あまりあてにならない感覚の、ぼんやりした印象での話になりますが、この1年で起きた大きな変化の一つに、お金の暴走の鈍化があったように感じています。なんかこれまでは、世界中をお金が駆け回って、庶民を豊かにするよりは、庶民の素朴な生活をかえって破壊する有り様でしたが。
 やっぱり、昨年のアメリカで「おれたちゃ99パーセントだ」と、99パーセントの低所得者が、1パーセントの高額所得者を批判した頃から、雰囲気が変わってきたのかな〜。

 金もうけも結構だけど、民衆を貧乏に追い込むような形で、自分だけが金持ちになるような生き方は、たとえ金持ちになる事に成功しても、軽蔑されるだけで終わってしまう。
 1パーセントの高額所得者も、本人は天守閣のてっぺんから地上を見下ろす城主のような気分になったのかもしれないけど、99パーセントの民衆から指弾されるようになるとねえ。高い塔に自ら幽閉されたようなものだ。

 たぶん、欲望だけで突っ走るような経済も、行き着く所まで行けば終わってしまうものなのだろう。いずれは、「経済」の語源である経世済民・・・世の中を上手に運営して人々を救う・・・の精神にまで辿り着けばいいのだけど。

木々に張り付く氷

 今年話題になった本に、「里山資本主義」というのがあったけど、これからも似たような本は出てくるだろう。それらはいずれも、これまでのような、世の中をかえって破壊するような経済からの反省が込められ、逆に、どうやって世の中を暖かく育てるかに主眼を置いた経済の在り方を説く本になるはずだ。

 前々回の日記で、権力の発生から成長、そして衰退と破滅に至るまでを樹の一生に例えて書いたけど、経済の盛衰もそんなものかもしれないね。
 始めはだいたいみんなが貧しい状態ながら、助け合って経済を発展させて、みんなで豊かになっていくけど、いつしか、一部の金持ちがより金持ちになる為に、他の人から金や豊かさを奪う形で経済を動かしはじめる。しかし、これは経済の末期的な姿で、持続可能性は無い。

 世の中が、1パーセントの金持ちと、99パーセントの貧困者に分化した時、その経済はいったん終了して、今度は99パーセントの貧困者を幸せにする経済が、小さな芽から再出発するのだろう。

ススキ

 東京都の知事の選挙が来年の2月にも行われるとか。いろいろ争点はあるとは思いますが、2020年に開催が予定去れているオリンピックも、その一つになるんじゃないかなぁ。
 私なりのオリンピックについての考えは、「福島の原発事故の収束の具体的な手法も目処も立ってない」、「東京が震災に対応できる都市に生まれ変わっていない」、この2点において、客人を迎えるには礼にかなっていない、というものであることは以前にも書いた。

 東日本大震災の地震との類似性が指摘されている平安時代の貞観地震(869年)では、その後9年ごとに、相模・武蔵国の地震(878年)、仁和地震(887年)と大地震が続いて起きている。妙な偶然か、東京オリンピックが予定されている2020年は、東日本大震災の9年後だ。

 もちろん、オリンピック開催を良い機会に、東京を震災対応都市へと改造しようという考え方もできるが、果たして9年間でそれはできるのかどうか。
 そもそも、地震は9年間、待ってくれるのかどうか。

12月29日(日)

斜光

 昨年の秋だったか、確かこんな事を書いた覚えがある。
 今はまさに「21世紀のスープ」を作っている真っ最中で、いろんな食材を鍋に入れてコトコト煮込んでいるところ。そしたら、肉や野菜に含まれていた「あく」がプクプクと表面に浮かんでくる。
 いやあ、今年はずいぶんと沢山の悪が・・・じゃなかった「あく」が浮かんできたもんだ。
 こんなふうに、誰の目にも判るように世の中の表面に「あく」が浮かんでくると、そろそろ次の時代の幕開けという事になるんだろうけど、その幕開けは、決して華々しい賑やかなものではなく、静かなものになるだろうと思っています。

 静かな幕開けって、どんなんだ、と問われそうなので一例をあげますが、例えば次の時代のリーダーの登場の仕方も、「私はこういう事をやってみせる」と大声で主張するようなものではなく、もっと謙虚に、「みなさんが、世の中は、こうあって欲しいと望んでいる事は何ですか」と、優しく静かに問いかけるものになるんじゃないかと。

 易経に「功績をあげつつも謙虚な人間であってはじめて、終りを全うできる」といった言葉があった。そりゃまあ、功績もあげてないのに尊大で横暴だったら、その終わり方は想像つくだろうけど、持続可能性は期待できまい。ましてや有終の美など。

易経 謙卦九三 勞謙。君子有終、吉。

明るい谷間

 アベ首相が靖国神社に参拝したら、中国や韓国はもとよりアメリカも騒ぎだし、世界各国のマスコミも一斉に批判的に書き立てて、あっと言う間にアベ包囲網みたいなのが出来ちゃった。そう言えば昔、ABCD包囲網というのがあったね。今度はABEだけど。

 これはまあ、私のいいかげんな邪推ですけど、どうもこの動き、まるで事前に準備ができていたかのように手際がいい。アメリカ政府だってクリスマス休暇だったろうに、少しはぐずつくかと思ってたら、まるで対応にもたつきが無い。
 なんかなぁ、私は真珠湾攻撃を思い出しましたよ。日本が真珠湾を攻撃すると事前に判っていて、わざと日本から先にアメリカを攻撃させて開戦したように、靖国参拝したら即座にこういう手段を採る、と、アベおろしの準備をしていたんじゃなかろうか。
 まあ邪推です、邪推。

 あの首相は、「それでも私は正しい事をしたんだ」と言うかもしれないけど、この場合、正しいとか正しく無いとかは、あまり意味が無い。意味が有るのは勝つか負けるかだろう。
 あの人の主張を、アメリカもロシアもオーストラリアもアジア各国もヨーロッパ各国も納得させて、国際世論を味方にすればあの人の勝ちだ。

 どうもニホンは、「寄らば大樹の影」の性質の人間が多い割には、世界に対して負けるケンカをしたがる傾向がある。

 静かな小川

 実の所、個人的にはこんなゴタゴタよりも、もっと心配な事がある。それは経済に関する事ですけど。
 始めに書いた「21世紀のスープ」の例えで言えば、「バブル」もプクプクと浮かび上がったアクのようなものなのだろう。
 もうちょっと、経済を庶民的・家庭的な実感を伴った所から活性化していかないと、結局はバブルの崩壊を招くだけで終わるような気がする。

 もっとも、庶民的・家庭的な経済の再生なんて事は、国に頼らずに民間でなんとかしてしまうくらいで本物なのかもしれない。最近、ちょっと興味深い記事を見た。

従業員はほぼ全員ボランティア!ロンドン発、地域をつなぐ未来型スーパー「The People’s Supermarket」
こちら>>

 前々回の日記で、「どういう理由かは判りませんが、世界的にお金では物事が回らなくなってきている。その機能不全を補うように、お金以外のモノも補完的に使わないと、世の中を運営するのが難しくなってくるだろう。」と書き、お金を媒介としない価値の交換のあり方についてちょっと書いた。このロンドンのスーパーマーケットの事例では、月に4時間働き、スーパーの運営の仕方にも参加する事で、良質な商品を安価で入手できる場を作っている。
 こういうやり方が、今後、全世界的に広がっていくのかは判りませんが・・・。

 例えばこんな事はできませんかね。月に何日か家を建てる仕事を手伝う組合に加入すると、安価で家を入手できる、もしくは安価な賃貸の住居に住める、とか。
 旅館で何日か働くと、その旅館で宿泊できる券をもらえるとか、農繁期に農家の手伝いをすると、農作物がもらえるとか。
 いろいろ応用はできそうな気がするんですけどね。

光る竹

 お金を媒介としない価値の交換で真っ先に必用になるのは人間関係、それも善意と信頼のある人間関係だろう。逆の言い方をすれば、お金とは、善意や信頼のある人間関係が無い所で力を発揮する道具なのかもしれない。
 イヤ、別に、お金が性悪説の道具だとは言いませんけどね。

 ただ、お金がどんどん大きくなって、規模もグローバル化が進めば進むほど、お金の作用は非人道的で、平気で他人を踏み台にしてでも自分が豊かになろうとする欲望を、あらわにしてくる。
 もう一回、経済を庶民的・家庭的なところから再出発する必用があるのは、多くの人たちが実感しているのではないか。今回、リンクしたロンドンの事例も、そんな取り組みの一つなんだろう。