2013

11月

11月14日(木)

色付く谷

 ここへきて急に冬の寒さがやってきた。牧馬の野原も朝には霜が降りて白い景色になる。霜が降りるようになると、木々が葉を落とす勢いも加速する感じだ。風がふくと、バラバラと雪のように枯葉が落ちてくる。
 上の写真は、前回の日記(10月31日)の3番目の写真と同じ場所。だいぶ木々の紅葉も進んできた。藤野駅前の観光案内所「ふじのね」のブログを読むと、今年の藤野の紅葉は綺麗だと感じている人が多いとか。
 このブログの他の記事を見ると、牧郷でのお祭りの話とか、遊覧船から紅葉を眺める企画とか、いろいろ面白そうな話が出てくる。

 今年は紅葉が綺麗という話もあれば、今年は山のドングリが豊作という話も聞く。だからだろうか、今年の秋は、例年に比べれば、イノシシが集落に降りてきて農作物に被害を与える数が少ないのではないか、という話も聞く。
 牧馬に関しては、確かに、秋のイノシシの猖獗ぶりは控えめです。

 私は、あるご縁で、有害獣除けの網を販売している三友漁網有限会社から「モニターとしてうちの網を使ってみるか」を声をかけて頂き、大喜びで使わせてもらっているのですが、この夏から網の一部を、地元フジノで、地元の森とどう関わっていくかを模索している団体の「トランジション藤野 森部」に使ってみてもらいました。

チカラシバ

 この団体、荒れた森の整備とかを主な活動としているのですが、その活動の一環として田んぼも作ったのですが、やはり、夏からイノシシにやられ始めました。
「それなら、私が使わせてもらっている網を使ってみますか」という話になった次第。(こちら>>

 私も現場に行って網を張る作業のお手伝いをして、網を使う上での注意点も伝えておきました。特に、「網の上を歩く時は、細心にも細心の注意を払って歩く事、さもないと足が引っかかって転ぶよ。それも、手に鎌とか刃物を持っている時は危険ですから。」という点は強調して助言しておきましたが、やはり転ぶ人がいたみたいですね、ブログを読むと。

 白状しますとね、網を張ったのはいいけれど、この田んぼは網を張った程度では、イノシシは防ぎきれないかな、とも内心では思ってました。何しろ、人家からはけっこう離れた所にある小さな田んぼなので、イノシシがその気になれば、さすがの網も、網の下を掘られるか、もしくは強引に網をなぎ倒すかして突破されるかなぁと心配していたのです。
 何しろ、ヤツは時間と体力は有り余っている連中ですからね。でも、どうやら防ぎきったみたいだ。まずは目出たい。

 網の威力もあったとは思いますが、もしかしたら、田んぼの周囲に、他に美味しいものがいくらでもあったのかもしれませんね。

牧馬谷

 せっかくの機会ですから、以前ここで書いた、自分なりの網の使い方の文章をアップしてみました。昨年の9月14日と18日の日記です。
こちら>>

 網にせよ電気柵にせよワイヤーメッシュにせよ、それを設置すれば安心というわけでは無いんですね。こまめに草刈りをするとか、「ここは人間が絶えずウロウロしている所だぞ」とイノシシに警戒させるような手段を講じたり。複数の手法を併用して使う事が効果的ですし、また、たとえ何らかの手段を講じてもそれで安心せずに、継続的に日々、田んぼには足を運ぶ事です。

 イノシシだって、最初から大胆に畑を荒して掘り起こすわけでは無い。始めは少しずつ掘り返して、どうも人の気配が無いなと思うようになってから、だんだん行動が大胆になってくる。
 なので、始めの「小さなちょっかい」の段階で即座に手を打つ。例えばその周辺の草刈りをするとか、夜になると自動で光る照明を付けるとか。
「いつだって、お前らイノシシの事を、こっちは警戒しているぞ」
というメッセージは、とても大事です。

 ただこれは、この日記でも何度も書いてきましたが、究極のイノシシ対策は、その集落が一丸となってイノシシと立ち向かう覚悟を決める事ですね。

ススキ原

 あーしかし、一年前はこの馬鹿日記も、4日間隔で更新してたんだなぁ。パワーがあったな〜、あの頃は。

 昔、相撲取りに向かって「感動した」と言い放った変なおじさんが、今度は「原発なんて即座にやめちまえ」と言い放って混乱を招いている。まあ、この人の話はよく判らないけど。

 来年はどんな年になるかなァと思い巡らした時、「やっぱり、ちゃんと人々を感動させられるかどうかで、人々を導けるか否かが別れる時代になるかな」と思った。
 恐ろしい事に、もはや「景気対策」という言葉も、人々を感動させるには賞味期限が切れかかっている。そりゃあ、景気対策をやっても、潤うのは一部の業界だけで格差はさらに広がり、おまけに消費税の増税が待っているとなったらね。

 しかし、21世紀的な感動って、なんだろう。どんな未来像を提示したら、人々は感動するのかしらん。

11月30日(土)

山道にて

 季節も晩秋から初冬へと移りつつある。今までは小さな電気ストーブでも事足りていたが、そろそろ朝晩は石油ストーブの出番になってきた。道路には枯葉が積り、それを畑の肥やしにする人たちが回収している。もうしばらくしたら、色付いた山々も、すっかり葉を落として茶色く枯れていくだろう。

 季節の巡りによって、木々は葉を繁らせる時もあれば、葉を落として沈黙する時もある。最近、人間も似たようなものなのではないかと思うようになった。ガツガツと「アレも欲しい、コレも欲しい」と欲望のままにモノを買い集めて所有したり、あちこち旅行や遊びに出たりする時期もあれば、そんな欲望が枯れて、「考えてみれば、これはいらないな」とモノを処分したり、趣味も、本気で夢中になっているもの以外は止めて数を少なくしたり。

 今までも何度か書いてきたけど、今の時代は、次々と葉を繁らせるような夏の時代では無く、葉を落として静かになっていく秋の時代だと私は思っています。
 ただ問題は、そんな秋の時代になりつつあるのに、秋の時代の「法」のようなものが、未だに明らかになっていない。「法」なんて言うと偉そうですが、まあ、その時代の人々が、共通して尊守する理念とか理想です。
 この日記でも、自分なりに至らないアタマで考えて、8月と9月の頃に、それに近い事を書いてみたけど。

篠原のひだまり

 この国で改憲論議となると、いつも九条の話ばかりが出てくるけど、もはやそんな時代でさえ無くなっているような気がする。
 とりあえず、改憲するとしたら、真っ先にしなくちゃいけない事は、「日本的欠陥」をうまく予防できるような仕組み作りだろう。どうもこの国は、一度破滅の方向に向かい出すと、政府も官庁も司法も産業界もマスコミも宗教も、そして(実に恐ろしい事に)国民の大多数も、みんな揃って破滅を防ぐどころか破滅の後押しをする仲間になってしまい、徹底的な破滅に行き着くまでブレーキが効かない。太平洋戦争しかり、原発しかり。
 なにか良い、暴走時の「非常ブレーキ」とかないものか。

 その「非常ブレーキ」の仕組みができたら、ようやく21世紀的な憲法論議になるだろうな。たぶん、21世紀的な憲法論議というのは、こんなものになるんじゃないかと想像しています。
 例えば、「欲望は正しいのか、それとも矯正すべき悪徳なのか」とか、「強いものは弱いものを助ける義務があるのか否か」とか、「地球にとって、人間は地球そのものを破壊しかねない、宿主を殺す寄生虫に過ぎないのか。それとも、地球に何らかの肯定的な役割を果たす価値をもった生き物なのか。もし、後者だとしたら、その役割とは何か」とか。

 こういう論議って、今まであまり、全国民的にはしてこなかったね。

ススキ

 欲望でガツガツしていた夏の時代が終わり、少し欲望が醒めた秋の時代になったら、憑き物が落ちたように精神的に落ち着いて、改めて、この星で生きていく為の相応しい生き方を、じっくりと立ち止まって考える時代になれば良いなあァと思いますが、まあ私の予想なんてあてにならないけど。

 とにかく、ここらで一度、全国民的に冷静に立ち止まって、今後の生き方の方針とか「法」のようなものを考えざるを得ない時期にきているのは、間違いなかろう。
 こういう作業は、誰でも参加できたり、誰でも見る事ができるような状態で行う事が望ましいし、その方が上手く行く。ちょうど、何も視界を妨げるものが無い広々とした野原で、人々が集まって話合いをするようなものだ。

 何で、こういう方法の方がイイかと言えば、この方が「仲間が増えていく」からだ。だいたい、仲間が増えていく流れは「開かれた場」で行われ、逆に仲間が減っていく流れは「閉じた場」を好むようになる。
 現政権が秘密を作りたがる法律を作っているのを見て、いよいよ自らタコツボに入ろうとしているなァと、なにやら気の毒な気持になった。郵政民営化とか市町村合併とかTPP推進とか、このところ、かつての仲間・政権の支持基盤を犠牲にして、それらを安っぽく切り売りして自己の権力の延命を図ってきたけど、仲間を増やす事はしてこなかった。

牧馬谷

 「仲間を増やす」とか「仲間を育てる」という事に成功している所って、今この世界にどれくらいあるんでしょうね。

 私が、次の時代を作るルネッサンスの種子は、都会とか中央では無く、地方の田舎から芽生えると確信しているのは、「仲間を増やす」「仲間を育てる」という努力を重ねざるをえないのは、地方の田舎だからです。逆に、中央の都会は、そんな努力の必要性すら忘れてしまう人間ばかりになってしまう。
 「仲間を増やす」「仲間を育てる」ノウハウを蓄積した所から、次の流れは始まっていくのだろうと思っています。