2013

10月

10月26日(土)

秋の実り

 また一ヶ月も更新が空いた。秋はただでさえ芸術系のイベントが多いけれど、個人的にも絵の展示が複数あったりして、いろいろ忙しかったのです。
 藤野のイベントでは、11月に「サニーサイドウォーク」というのがありますが、これは藤野の日連地区全体を会場にした、様々な分野の作家による作品展です。サニーサイドウォークのサイトには、ブログも併設されてますが、それを見ると、今回出品する作家の情報とかが出始めてますね。
 同じく日連地区で、11月10日(日曜日)には、日連神社で「1ichi=un=市」があります。
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 まあ、これ以外にも、小さなイベントは沢山あるんですけどね。

 以前、この日記で、数年前からフジノではイベントの「爆発期」が来たと書いた事がある。それほどまでに、藤野のあちこちで、大小様々なイベントが増大した。でも、さすがにそれにも限度があるので、そろそろ「安定期」に入っていると思う。
 ただ、この「安定期」にも、いろいろ興味深い流れが生まれているように、私には感じました。

 10月5・6日に行われた村歌舞伎にて。普通、ネット上に、人物の顔を大きく掲載する事は控えているのですが、この化粧なら、個人の特定なんて出来っこないからいいか(笑)。

 地元密着型の小規模なイベントが繰り返されると、地元の人たちに、地元の人材についての再発見が起こる。
 「あの人は料理が上手い」「あの人は畑で美味しい野菜を作っている」「あの人は楽器が弾ける」「あの人は大型車が運転できる」「あの人は電気に詳しい」といった具合に。

 で、イベントの「安定期」の興味深い流れ、についてなのですが、近年、建物を自前で作ったり改築したりするような活動が、増えて来たようなのです。
 例えば、今年の5月5日に日記で紹介した、パン屋の建設もその一つかなァ。これも、イベント等を通して知り合った、様々な得意分野の持ち主が協力しています。
 5月5日に日記には「秋ぐらいには完成する予定」と書いてあるけど、実はまだ完成はしていません。内装も含めて、もう一息といった所。

 木工や金属加工、コンクリートの作業なんかが出来てしまう人の輪が生まれると、建物を自分達で直したり改装したりするのも、それほど難しくはなくなるようだし、それぞれ、素人ながらも楽しみながら建物をいじっている。
 他にも、空家を改造してアトリエを作ったり、廃業して解体されたホテルの跡地(と言っただけで、どこだかバレバレだけど)を、いろんな分野の作家の展示場へと手を加えたり。

 考えてみれば、空家は余っている。なかには朽ち果てるままに放置されているような家も多い。かといって、本職の大工に修繕を頼むのも高価すぎるし、そこまで金をかけて再利用するあてもないし。
 そういった家なんかは、こんな風に、半分しろうとみたいな集団が自前で手を加えて利用させてもらうという使い方もいいかもしれない。

北からの雲

 ただ、こういった建物をいじっている人たちに共通しているのは、決して、それが安上がりだからとかいった理由で行っているわけではなく、建物をいじる事それ自体に、楽しさもあれば感動もある、という気持でしょうか。やっぱりそこは芸術家の多い土地柄なのかな。自分の手足を使って何かを創造していくのが好きな人が多いみたいだ。
 なんかなァ、こういう現象を見ても、これからの世の中は経済的な利益追及だけでは回らないように思える。どうしても、そこに感動とか喜びがないと、人々は動かないんじゃないのか。

 さて、もしフジノで、こんな感じで建物を自前でいじる気風が盛んになったら、こんな建物ができないかなあというのがある。たとえばこんなの。

糸島のシェアハウス
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 複数の人たちが住むシェアハウスであり、同時に安く泊れる宿みたいな施設。

ススキ

 言ってみれば、「そこにずっと住み続ける家」でもなく、かといって「宿泊施設」でもなく、その中間みたいな家。シェアハウスとして住む事も可能であれば、数週間、数カ月だけ住みたいという用途にも向く家。「この土地に住んでみたい」と思う人が、「試しに住む」事を可能にする家。
 前々から、フジノにはこんな家があったらなあと思っていました。

 いや藤野だけではない。全国のどこにでもこんな施設があったら、様々な人々の交流や情報の共有も加速して、面白い現象が起きてくるんじゃないかなと私は思っています。

10月31日(木)

牧馬谷

 「紅葉」と呼べる所までには、まだまだな感じですが、少しずつ藤野の木々も色付き始めてきました。今年も後二ヶ月といった所ですが、まだこの一年を振り返るには気が早過ぎるかな。
 今回は、藤野の話はありません。

 最近、「世界はこういう方向に向かうのかな」というイメージがあるのですが、まあ、私のイメージですからあてにならないのは保証済みとして。
 どんなイメージかと申しますと、近年、ニホンでは「地方の時代」だと言われる機会が増えました。地方で、その土地ならではの何かを発掘し、育て、盛り上げていこうと言う気運です。
 これと同じ事が、世界でも起きてくるのではないかと。

 今までの世界が、とかく欧米のライフスタイルを全世界が理想とし、そこに追いつく為に、産業を育成したり、鉄道や道路といったインフラを整備したり工場を作ったり、人々は電化製品や車を買ったり。
 ただそんな流れも、だいたい終りが見えて来たし、世界の経済を推進してくれるほどの力は持ってないみたいだし、肝心の欧米も、今までのライフスタイルが本当に理想なのかと自問自答し始めたり経済がぐらついたり。

 そこで、何も欧米だけが目標じゃない、砂漠なら砂漠で、密林なら密林で、ツンドラならツンドラで、その土地ならではの何かを発掘し、育て、盛り上げていくしかないんじゃないかという気運が広がっていくんじゃないのかしらん。

谷の向いの集落

 その土地に住む人々が、その土地ならではの何かを発掘し、育て、盛り上げていこうとしたら、いろいろと人徳が必用になってくる。
 これが、何か明確な目標(・・・例えば明治時代の日本が、欧米に追いつけ追いこせと頑張っていたような・・・)があると、それほど人徳は必用ではない、と言い切ったら乱暴過ぎか(笑)。ただ、こういった明確な目標があると、みんなそれに向かって疑わずに突き進んでくれるので、人々の合意形成も楽だ。

 でもねえ、その目標そのものを、自分達の内側から見つけだして発掘しようとすると、人々を束ねるだけでも大変だ。というか、何よりもまず、人々を束ねる所から始めなければならない。
 最初は宴会でもやって、みんなで御飯を食べて酒を飲んで、和気あいあいとした仲間と、そんな仲間が集まる「場」を作り、やがては「私たちで何か面白い事ができるんじゃないか」と思えるような雰囲気を作っていく。
 ここまで行くだけでも大変なんですけどね。

 利権とか経済的な利益だけだと、こういった「場」も雰囲気も生まれにくい。どうしても、ゼニカネ以外の人を引き付ける力・・・、感動とか、喜びとか、まあ金にはならないけれど、とりあえずこの場にいると楽しいし落ち着くという安心感とか。
 そんな精神的な力が必用になる。

道志川

 ここまで簡単に書いちゃったけど、世界全体でこんな気運が盛り上がる為には、大変な困難が立ちはだかるのは容易に想像できる。民族対立や宗教対立、経済格差、これまでの戦争や迫害といった暗い歴史の記憶。これらを乗り越えて「和気あいあいとした場を作る」なんて、『いったい何百年後の話をしているんだ』、と怒鳴られそうな地域だって、世界にはゴマンとある。
 ただ、確かに絶望的な話かもしれないけど、一方で、結局、そっちの方向に向かいざるを得なくなるんじゃないカナとも、思っているのです。ていうか、これから人類がやる事って、他にあるのかね。『世界各地での、魅力ある地域作り』ですよ。

 これは、どうやって自分達の住んでいる所が、観光地として魅力的かを創造していく行為になりますが、同じ国家間の競争なら、経済や軍事の競争よりも、観光地開発の競争の方が良いに決まっている。それに、どうもこのところの世界の様子を見ていると、経済の競争も軍事の競争も、あまりパッとせずに冴えない結果になったり、かえって国の衰退を招いているように私には見える。

 「これからは、外国の人々から魅力的な観光地と思われるような国でないと、栄えない」といった意識が世界的に広がれば、世の中、だいぶ面白く、人道的で平和的な方向に行くと思うんですけどね。
 まあ、願望半分ですが。

谷間の秋

 こんな事を私が考えるようになった最大の理由は、ユーチューブとかで世界各地の映像、それも、ごく普通の市井の人々が撮影した、その土地の日常の風景の映像とかを、気軽に見られるようになったからだと思う。「ああ、この土地の人々は、面白い事を上手にやっているな」と感心する事も多い。

 もっとも、この逆もあるだろうな。「この土地の連中は、酷いやつらだ」と告発するような映像もあるし。

 もし、これから世界各地で、自国を魅力的な観光地にしていこうという気運が生まれた場合、目立つのはその国の良いところだけではない。あの国は子供達を奴隷として使っているとか、あの国は残酷な男女差別があるとか、あの国は観光開発と称して自然破壊を行っているとか、あの国はやたらと自殺者が多いとか、その国の「恥」も目立ちやすくなる。

 まあ、それも悪い事ではない。それがきっかけになって自浄作用が働くのなら。