2013

7月

7月17日(水)

里の市にて

 また更新が空いた。「もう少しやる気をだせこの野郎」と知人からハッパをかけられたけど、こっちにもいろいろやる事があるしな。
 あとねー、最近はこんなふうにダラダラと駄文をネット上に垂れ流すよりも、直接人と会って、いろいろ刺激的な話をじかにする方が楽しいし、やりがいもあるし。
「あー、今までとは違う未来の形って、こんなふうに始まっていくんだな」という現場を目の当たりにすると、いちいちそんな現場の「実況中継」なんて、やってるヒマがない。

 あ、誤解されそうなので付け加えますが、選挙活動をしているわけではありませんよ。

 選挙について軽く書くとしたら、まあ今回の選挙は、持続可能社会を作る為にはどうしたらいいかを考える人々の、最初の一歩になるんじゃないかと思っています。もっとも、こういった人々は、まだ世の中の主流ではないですけどね。
 それでも、議会に一定の地歩は得られるんじゃないかしらん。

 5月5日の日記で紹介した、篠原で建設中のパン屋。パンを焼く窯の制作中。こういう作業を仲間内でやってしまう所が凄い。
 全てが完成して、パン屋として営業を始めるのは秋になるとの事です。

 あの政治家はけしからん、あの政党はけしからんと賑やかだけど、最終的には、持続可能な社会の在り方を提示し、実践している勢力が主流になるでしょう。当たり前だ、何と言ったって「持続可能」なんだから。
 逆に言えば、持続不可能な社会の在り方を提示し続ける勢力が、持続可能なわけがない。

 実の所、私が見た範囲では、どの政党も「持続可能」には及んでいないと思っています。持続可能な社会、持続可能な自然、持続可能なエネルギー、農耕、産業、経済、コミュニティー、健康、教育、人情に満ちた気風・・・
 これらをとことんまで考え抜いた勢力が産まれるまでには、まだまだ勉強が必要なんじゃないかなァ。

 例を一つあげると、何度も書いてきたけど「100人の暮らしを支えるのに必要な仕事が10人で足りたら、残りの90人は何をしたらいい?」という問に、答えられる政党って、あるのかな。

 最近、読み返した本に、そんな問に答える一つの回答かな、と思われる文章があった。『21世紀は江戸時代』(農文協刊)の235ページから244ページまでの、「伸縮自在の江戸の村 変幻自在の百姓の生業」。前回に続いて長文の引用なので、こういうのって著作権とかに引っかかるのかなァと言う懸念もありますが、全文を読んでみたい方はこちらをどうぞ。

 この文章を読むと、江戸時代の農村が、時代の変化に合わせてしなやかに形を変えて行く様が、実に生き生きと浮かんでくる。米価の変動に従って、米よりも他の商品作物に移行したり、農村を出て都会に働き口を求めたり、また時代の変化によって農村に戻ったり。

里の市にて 綿から糸を撚る体験

 時代の変化によって、ある産業は発達し、ある産業は衰退した。また時代の変化によって、衰退した産業が盛りかえすこともあった。農村は、発達した産業に労働力を送り込み、また衰退した産業から溢れ出た労働力の受け皿にもなった。
 引用した文章からは、そこには悲愴感が、あまり感じられない。百姓は、その時代その時代に応じて有利な職業に就き、かといって故郷の農村と縁が途切れるわけではなく、失業した場合のセーフティーネットとしての役割も農村は担っていた。

 また、こうしたしなやかなセーフティーネットが在るからこそ、新しい産業も次々に産まれた。文章に出てくる木綿の産業の様子を読むと、昔ながらの「貧しい農村」という寂しい印象はない。老若男女の百姓が金もうけに精を出す活気が漲っている。なんか全体的に快楽主義的なのだ。
 一方で、博打に興じる百姓も多かったようだけど、これはちょっと困るかな。

道志川

 現代の産業の盛衰は江戸時代よりも遥かに激しい。今ある職業が、10年後、20年後に存在するか、確信が持てないのが普通だろう。「100人の暮らしを支えるのに必要な仕事が10人で足りたら、残りの90人は何をしたらいい?」という世の中も、どんどん実現に向かってしまうと思う。
 しかし、みんなが安心できるセーフティーネットが出来ると事情が変わってくる。残りの90人は、100人の「より楽しい暮らし」を支える仕事を見つけて、そこに従事する可能性が見えてくる。基本的に、21世紀は快楽主義的な時代になるのだろうし、快楽主義的でないと経済も回らないのではないか。

 今回あげた本『21世紀は江戸時代』は、他にも未来の世の中の形を想像するのに役に立ちそうな文章がザクザクと出てくるように感じられた。いつか、他の所も紹介したいけど、やはり著作権の問題が出てくるだろうな。なので興味のある人は買って下さい。

7月29日(月)

山百合

 この7月は妙な天気で、7月初旬に例年よりも早く関東では梅雨明けして、とたんに猛烈な暑さが来たかと思えば長続きせず、また梅雨前線が本州の上をうろうろしている。日本各地に集中豪雨の被害をもたらしているし、実はまだ梅雨明け宣言をしていない地域も多い(北陸と東北)。このまま立秋(8月7日)まで梅雨の天気が続くと、「今年は梅雨明けなし」ということになる。

 天気は不順だが、イノシシは例年通りの活動を始めた。毎年7月下旬から、そこら中の掘り返しが酷くなるけど、今年もあちこちで「爆弾でも落としかのか」と驚くような大穴を空けている。葛やカラムシの根を食べているのだろう。
 イノシシがここまで里山で暴れ回るようになった最大の原因は、里山の人口減少と高齢化で耕作放棄地が増え、そこに雑草が繁茂し、イノシシの格好の隠れ家と餌場に成っている事だと私は考えています。これではイノシシの牧場を作っているようなもので、イノシシに来るなと言う方が無理がある。

 じゃあこまめに草刈りをすればいいんだ、という話になるけれど、そもそもの原因の出発点が「里山の人口減少と高齢化」だからな。草刈りをする人がいないわけですよ。そこで、草をヤギに食ってもらおうという試みも、すでに全国的になってきましたね。

ヤギ飼育でイノシシ撃退 長崎、深刻な農作物被害
こちら>>

 里山に、普通にヤギが放牧されている光景が、これから増えて行くのでしょうか。

日連神社での「」(7月28日)

 イノシシの害の他に、フジノでは猿の害も深刻だけど、最近こんな記事を見かけた。

滝まで案内してくれる犬がいる
こちら>>

 この記事の中に「忠犬」という言葉が出てくる。猿を追い払う為に特別に訓練を受けた「モンキードッグ」だけど、猿には効果はあっても、イノシシには効果が無さそうですね(こちら>>)。
 興味深いのは、南木曽町で行われた、忠犬事業に対する住民のアンケート。
こちら>>

 半数は肯定的評価、8人に一人くらいは否定的評価。効果をはっきりと実感できている人もいれば、そうでない人もいる。「フンの後始末ができていない」とか「道路の真ん中で寝そべっていて車でひきそうになる」といった意見もあるけど、そりゃあ放し飼いをすれば、当然そういう問題も出てくるな。世の中には犬が嫌いな人もいるし。

 ただこれは私の勝手な想像ですが、将来、山里ではこんな犬の放し飼いを認める地域が、増えざるをえないんじゃないかと思っています。そんな犬が、道路の真ん中で寝そべっていても、車の方が注意を払うのが当然、という事になるんじゃないのか。

 だいたい、山道を車で猛スピードで走らせて急がなければならないほど、重要な仕事をしている人って、この世にいるのだろうか。

牧馬にて

 参院選の結果は、まあ予想の範疇。ただマスコミが与党の「圧勝」と言うほどには、勢いは無かったようだ。これでは、この政権では今後の波風を支えるには荷が重いだろう。理屈では、今後三年間選挙が無いという事になるが、そんなに甘いもんじゃない。年内にもガタガタになってくると予想して、知人と年末の食事を賭けた。
 前にも書いたけど、私は持続可能な社会の在り方を提示し、実践する勢力が世の表に出るまで、安定した政権の誕生は無いと見ています。

 まだ、そういった勢力は現れていませんが、今回の選挙では「おっ」と思った面白い人も出てきた。落選しましたけどね。
 何が面白かったかというと、人々に対する訴え方が、「魔女狩り的」ではなかった点。

 今までの政治家なり政党なりが、自己の存在を目立たせる為に魔女狩り的手法を多用してきた。あいつらを叩けば世の中は良くなるんだ、あいつらが抵抗勢力だ、あいつらを日本から追い出せ、という感じに。
 でもその人は、「原発に反対する人も賛成する人もみんな大好きだよ、一緒に話合おう」と、平易な言葉で語りかけていた。あはは、こういう人が出てくるようになったか、と興味深く感じましたね。

 ただなァ、この方には大変申し訳ないけれど、私としては落選して良かったように思っています。あんな永田町の石造りの負のオーラの漂った所には、不向きの人なんじゃないかなァ。この人のいう「マツリゴト」は、もっと晴れ晴れとした青空の下で、他の方法でやった方が良いような気がする。

夕空

 そろそろ政治の場にも、人々を無用に対立させて煽って自説を主張するタイプの人間ではなく、様々な考えの持ち主を全て愛し、優しく融和的に語りかける人間が求められて来ているのかもしれない。こういう人間は人格的な厚みが要求されるので、魔女狩り的な手法を好む人間よりも数はずっと少なくなるが。

 ただ、持続可能社会を作るリーダーのタイプは、こんな誰からも愛される人なのだろうという確信はある。逆に言えば、常に誰かから嫌われ、憎まれ、軽蔑されていると感じながら仕事をしたって、長続きできるもんじゃない。人間は、それほど悪党になれるほど強い生き物ではない。
 無理にそんな仕事を続けても、だんだん情熱を失い、精神的に枯れ果てて、自分を支持してくれる僅かな集団の中しか居場所が無くなり(これは自らタコツボに引きこもりになったようなものだ)、やがて何をやっても上手くいかなくなってしまう。

 まあ、こんな話はどうでもいいや。
 ここで重要なお知らせ。シーゲル堂は8月は夏季休業をいたします。再開は9月1日からです。
 とは言うもの、今回の日記の始めに戻るけど、この8月は果して夏季休業を必用とするほど、暑くなるのだろうか。