2013

4月

4月4日(木)

檜の花粉(3月29日)

 杉の花粉がピークを過ぎたら、今度は檜の花粉が出血大サービスときたもんだ。こんな光景を目の当たりにすると、花粉症ではない私でも鼻がムズムズしてくる。今年の杉や檜の花粉は、当初は例年よりも少し多めという予測だったけど、私が見る感じでは、かなりの当たり年なのではないかと思う。

 3月18日の日記で、山の影響で地上デジタル放送が受信できない環境にある牧馬地区で、「こんなアンテナ設備を住民で共同で設置すれば大丈夫ですよ」と関東広域地上デジタル放送推進協議会が提案しに来た事について書いた。
 あわせて、その提案が費用の点でも労力の点でも、牧馬の集落には明らかに荷が重過ぎるものだった事も書いた。
 更に、こんな事も書いた。

『ただ個人的には、この説明会を黙って聞きながら、内心ではニヤニヤと笑っていた。今、大騒ぎして「あと2年もしたら地上波のテレビが見られなくなる」と慌てなくても、いずれインターネットの光回線でテレビが普通に見られるようになるんじゃないかなァ。』

 どうやら、「いずれ」ではないらしい。

ここ数日、けっこうまとまった雨になりました

 先日、自治会の総会があり、この牧馬地区の地デジの問題も俎上に乗った時、総会の参加者から、
「今、牧馬や篠原に通じている光ケーブルでもテレビは見られるだろう」
「既に、住民で共同のアンテナを立てるのではなく、光ケーブルで見る事にした集落もあるそうだ」
「だいたい、うちにも営業にくるぞ、『あなたもテレビを光ケーブルにしませんか』って」
「うちは電話も光ケーブルだ」
 こんな話がわんさかと出て来た。

 どうも話を聞いてみると、国としては政策的に極力、光ケーブルよりもアンテナでテレビを受信して欲しい理由があるらしい。理由の一つは、確かに光ケーブルでもテレビは見られるけれども、そうしたらインターネット利用者だけが早々にテレビを見られるようになり、あまりインターネットに馴染みが薄い高齢者が置き去りにされてしまう。
 そうなると、取り残された高齢者だけで高価な共同アンテナ設備を設置したり維持したりしなければならなくなる。なので、できるだけ集落の全ての住民が共同してアンテナを作って、住民一人当りの負担を減らして欲しい・・・というのが理由の一つ。

 あと防災上の観点からも、いざという災害時には、ケーブルよりも電波の方が強いという事もあるだろう。

花と夕暮れ

 ただまあ、これは私の邪推だが、NHKの受信料の問題もからんでくるのかもしれない。NHKの受信料の正当性・妥当性に関しては既にいろいろ議論があって、ネットでちょっと検索してみてもゴロゴロと出てくる。
 NHKの受信料は、NHKの電波が届く所にいる人で、電波を受信できる設備を持つ者には、あたかも支払うのが義務であるかのような論理で動いているが、この論理の法的根拠となると、ちょっとあいまいになる。
「NHKは見たくないし、今後も見るつもりもない」と断言する人に対して、対価を先払いで要求する権利はあるのかどうか。

 もっとも歴史的には、NHKの受信料制度が支えて来た恩恵もある。戦後の荒廃期から、「日本全国どこでも」テレビを見られる環境を作る為には、「日本全国だれでも」お金を払う制度が有効に働いた時期もあったのだろう。
 もう一つ、受信料で成り立っているテレビなのだから、政治や企業の圧力に左右されない良質な番組と報道が可能だという言い分もある。

 ただなぁ、これも2011年3月11日以来の原発報道のゴタゴタぶりを見ちゃうとなぁ。福島第一原発の3号機はプルサーマルだけど、「プルトニウム」という言葉が出るまでに何日かかったかね。まあこれはNHKに限らないけど。

牧馬峠 今は片側交互通行です

 話を光ケーブルテレビに戻すけど、ケーブルテレビとNHKの受信料制度は、あまり相性が良くない。本来なら、その人がNHKを「見てる」「見てない」があいまいな電波よりも、「見てる」「見てない」が明瞭になるケーブルの方が受信料制度向きといえる。
 恐らく、国としてもNHKとしても、逆に、明瞭になっては困るのではないか。市民一人一人が、自分の意思で見る・見ないを明確にできる状態ではなく、「電波が届く所に住んでいる人なら誰でもNHKを見ているもの」という前提の方が、好ましいのだろう。
 それになー、今さら「光ケーブルがこれだけ普及するのなら、スカイツリーなんて作る必用はなかったんじゃない?」なんて言われるのもイヤだろうし。

 いろいろ書いてきたけど、私自身はNHKが無くなるのは寂しいなぁと思う人間だ。もっと真剣に自浄作用を発揮して欲しいという条件付きだけど。
 それに、「全国どこでもテレビを見られるようにする」という大義にかなう行動をしている。前述の牧馬に提示された共同アンテナ建設案でも、牧馬の集落に住む一世帯あたりに、10万円ずつNHKの助成金が見込まれていた。受信料を取るだけあって、テレビの見にくい環境に対して支援して行く役割は担っているわけだ。

 しかし、その支援の方法は、牧馬のような限界集落に2000万円近い施設を要求するものではあるまい。光ケーブルテレビの普及の支援で十分だろう。

4月11日(木)

 今年の藤野の牧野地区の桜は綺麗に咲かなかったと話題になっている。咲き方も、枝だの先に少しだけ咲いているという感じ。牧馬も同じ状態だ。
 他の場所の桜は判らないが、牧馬の桜の原因はよく判っている。早春の頃に、ウソが桜の芽をあらかた食べ尽してしまったのだ。実際、この目で見ていたので間違いない。
 あ、「ウソ」って、鳥の名前ですよ。(こんな鳥>>

 春になっていろんなイベントが加速してきたフジノだけど、単なる遊び目的のイベントだけでなく、地域作りや社会に対する問題提起を目的にしたものも増えてきたような気がする。これもその一つかな。

市民勉強会 リニアってなに?
リニア新幹線と私たちの暮らし
こちら(PDF約650K)>>

 興味があるけど平日(4月16日火曜日)の夜7時ですかー。ちょっと難しいな。
 JR東海が考えているリニア新幹線に対する私の認識は、「高度経済成長時代の幻影が忘れられない旧世代による、時代にそぐわない事業」といったものだが、2011年3月11日以来、もう一つの認識が加わった。それは、「アレほどの巨大地震が起きた事によって、今後も更に連鎖して地殻変動が予想されているのに、よりによってそんな時期に長大なトンネル工事なんて、正気の沙汰だろうか」。
 ちょっと工事をしたら完了する前に地震でやり直し。また工事を再開したら、また地震でやり直し、なんて事になりゃせんか。

西日を浴びる山

 まあこの所、「なんと無謀な」「またイカロスが飛んで行くわ」と思わされる事例なら枚挙にいとまが無い。ニホンもいよいよ札を大量に刷ってばらまき始めた。花咲か爺さんにでもなったつもりか。
 デフレにはデフレになった理由がある。円高には円高になった理由がある。その理由の根本に手を入れるわけでもなく、相場で何とかしようとしたって長続きするものではない。
「じゃあ君は、この政策は何年ももたないと・・・」
「何ヶ月ももたないね。もって4月いっぱいなんじゃないのか。」

 だいたい、既にニホン一国でどうにかなる問題ではない。もはや、ヨーロッパも中国もアメリカも南米も、すべて救うくらいの発想から始めないと、世の中の安定が見えてくる事はないと思います。

 興味深いのは、札を大量にばらまいてインフレ誘導を起こしても、世の中は幸福にならないと明瞭になった場合、人々はいよいよ本気で考えざるをえなくなるんじゃないのか。
「今の世の中を追い詰めている原因は何だろう、その解決法はなんだろう。」と。

谷間の木々

 さて、そういう状態になってしまいますとね、どうしても『正義』という言葉が、じわじわと世の表に出て来ざるをえなくなると思うんですね。まあ、カタ苦しい言葉ではありますが、正義という言葉に抵抗があれば『善』でもかまいません。
 原発事故に対する東京電力の姿勢は正義なのか。放射能汚染地域に住んでいる子供たちに対する政府の方針は正義なのか。震災で生じたガレキを全国広域で処理しようとした行為は正義なのか。そもそも、あらゆる予算の使われ方は正義なのか。

 こういう話になると必ず、「この世の中には様々な考え方があるので、一口に『正義』と言っても単純じゃない」という意見が出てくる。そりゃあ判っていますよ。
 私が期待しているのは、各人一人一人が、「『正義』とは、こういうモノなのではないか」という自分なりの考えを持つ状態です。決して、世の中の全ての人が、同じ『正義』に塗り固められる状態じゃありません。
 確かに「正義」って、ヤバい言葉でもあるんですよね。だいたい、ファシズムも恐怖政治も、始めは正義の名の元に行われるんだし、「正義の戦争」という言葉だって今までさんざん使われてきた。

 そんなヤバさに十分に警戒しつつ、世の中に自浄作用が発揮し始めるには、やはり人々のココロに、素朴な「正義」に対する感情が芽生えた時なのではないかと思うのです。

光る屋根

 やっぱりねー、なんだかんだ言っても、今までは「経済優先」の時代だったんですよ。「経済優先」という言葉には、「経済は正義よりも優先する」という意味も、大っぴらに公言しているわけでは無いにせよ、含んでいる。

 さて、確かに取り扱いが難しい「正義」という言葉だけど、さすがにこれは万人が「正義」として認めてくれるだろうというモノを一つ選ぶとしたら、「持続可能性」かな。これは当たり前と言えば当たり前で、倫理学は必ず存在論から積み上げて行く学問ですから。
 今では広く使われるようになったロハスという言葉ですが、これも健康と持続可能性を重視する生活様式の意味でしたね。

 一方で、これは意見が分かれるだろうなぁという正義の議論もある。例えば、「欲望」は正義か悪徳か。簡単に悪徳と決めつけるわけにもいかない。「欲望」の中には、「将来こういう職業につきたい」とか「こんな家に住みたい」とか「こんな国に旅行に行きたい」といった『夢』や『希望』も含まれる。
 では、「欲望」の中には、正しい欲望と間違った欲望があるのか、その両者の境界はどこなのか。

 こんな思考が、各人一人一人の中で始まると面白い。前述したように、私が期待しているのは、各人一人一人が、「『正義』とは、こういうモノなのではないか」という自分なりの考えを持つ状態であって、決して、世の中の全ての人が、同じ『正義』に塗り固められる状態じゃありません。

4月18日(木)

道志川

 4月も後半に入り、まさに山笑う季節。実は私自身はといえば3月下旬から体調を崩し気味で、春を楽しむ余裕なんてないのだけど、自然界は順調に若葉を繁らせています。病んだ身体には、ちょっと眩し過ぎる光景だな。

 猟期が終わったら「待ってました」とばかりに翌日からイノシシが里に降りて乱暴狼藉の限りを尽す。どうもあいつらはカレンダーを見て行動しているらしい。
 とはいうものの、牧馬や篠原のイノシシにとっての春は、終わろうとしているのかもしれない。先日の自治会の総会では、いよいよイノシシに泣かされ続けてきた住民が声を上げて、「地元の猟遊会とも全面的に協力して、イノシシに対抗しよう」と決まった。
 イノシシの害を押さえる手段にはいろいろあるけれど、最大で最高の手段は、なによりも「その土地の住民が一丸となってハラを決める事」だと私は思っています。ここ数年、年を追う毎にイノシシの行動が大胆になり、平然と集落の中にまでうろつくようになったけど、とうとう人間の反転攻勢に出る時が来たか。

 私としても、「一匹残らず殺(ヤ)っちまえ」と内心では思っているけれど、自然を愛する心優しい人がこんな言葉を聞いたら、「なんて残酷な」、と思うんだろうなぁ。まあ私も、人前では猫をかぶって「野生の生き物とも共存の道を探るべき」とか言ってますが(笑)。

わかば

 前回の日記でリニア新線について触れた時に、「アレほどの巨大地震が起きた事によって、今後も更に連鎖して地殻変動が予想されているのに・・・」と書いたが、その後も淡路島で大きな地震が起きたり、三宅島で地震が頻発したりしている。箱根での地震活動も盛んだ。

 平安時代の貞観地震(869年)は東日本大震災の地震との類似性が指摘されているが、この地震と前後して、日本各地で地震や火山の噴火が続いている。
 富士山の噴火(864年)、播磨国の地震(868年)、貞観地震(869年)、鳥海山の噴火(871年)、開聞岳の噴火(874年)、相模・武蔵国の地震(878年)、そして仁和地震(887年)。これは東海・南海同時発生の地震と言われ、大阪湾の津波や八ヶ岳の崩壊などを引き起こす大地震だった。
 地球も生き物だからねえ、穏やかな時もあれば、やたらと地殻変動が激しい時もあるのだろう。

 上記のように、貞観地震から9年ごとに巨大地震が起きているが、9年という年数は、世の中全体を次の震災に備えるための年数としては短か過ぎる。まあ短か過ぎるとしても、大地震が起きても大丈夫な家、町、暮し方、世の中の形を考えて、少しでもその方向に進む行動を起こすしかないんだろうな。
 それに、これから目指すべき持続可能な世の中のあり方(・・・省エネ、省資源の暮し、エネルギーや食料の地産地消、コミュニティーの助け合いの強さ・・・)は、震災に強い世の中のあり方と一致する所が多い。

夕暮れ

 そういえばこんな記事を見かけた。

日本初の「ゼロ・ウェイスト宣言」を行った徳島県上勝町にて、分散型処理システム「エコ・サニテーション」の実証研究報告会
〜 汚泥発生量の削減・河川保護の観点で効果を確認 〜
こちら>>

 ふーん、いずれ「トステム」なんかでも浄化槽を売るようになるのかなぁ。
 ごみの焼却や埋め立てを2020年までに無くすべく努力をしている徳島県の上勝町と株式会社LIXILが協力して、汚泥を生み出しにくい浄化槽の実験をしている。この記事を見ると、一般に普及している合併浄化槽と異なり、生活雑排水とし尿を分けて処理している点が興味深い。上勝町は「し尿や雑排水を地域で処理し、有用資源としてリサイクル可能とする新しい仕組みづくりを目指しています」とある。

 そうだよなー、本来は浄化槽の汚泥だって、上手にリサイクルすれば、焼却して埋め立てなんかしなくても、有用な堆肥にだってなるかもしれない。
 それに、こういう設備だったら、いざ大震災が起きてライフラインが寸断されても、小さな太陽電池があれば、さほど心配せずにトイレも使い続けられるだろう。

 それにしても、望ましい未来の形を目指して、着々と研究と行動を進めている自治体や企業もあるんですねぇ。
 残念ながら、望ましい未来の形を目指して、自分で考えて着々と研究と行動を進めている自治体は、この国では少数派だろう。その多くは、単に上からの命令に思慮も無く追従するだけで、それで自治体の将来も安泰と考える所が多いのではないか。確かに、10年前までなら、それでも何とかなったかもしれない。
 でももう、さすがにそれでは限界でしょう。

山笑う

 「貞観」という元号が出たついでに書くと、この貞観では隕石の落下も記録されている。861年、福岡県直方市に落下した隕石で、直方隕石(のおがたいんせき)と呼ばれている。これは世界最古の落下の目撃記録のある隕石でもあるそうだ。
ウィキペディアの解説>>

 2月にはロシアで隕石の落下があって騒ぎになったけど、もし、人間がここまで積み上げてきた科学技術を、真に地球の為に有効に使う道があるとしたら、大きな隕石が地球に落下して全ての生物が破滅しないようにする事くらいなのかな、と思う。どうも今までは、人間が科学技術を使えば使うほど、かえって地球を破滅させかねない勢いだ。