住民投票の結果を受けて

 住民投票の結果、1市4町の合併に賛成が3398票、藤野町単独を選択した人が2045票で、合併を選ぶ民意が勝ちを占めた。投票率は65.23%。投票率が50%を切って有効投票数に満たずに、住民投票そのものが無効になって流れる事はなかった。
 私にとっては残念な結果だ。相模原のような、顔の見えない、寝に帰るだけのような、人口だけが過密で個性のない町が嫌で、藤野町に住んでいる私にとっては。(もちろん、相模原のような町こそ、私は大好きだ、という人がいる事も私は認めています。上述の表現は、あくまでも私の好みの問題です)

 相模原に限らず、住宅が密集し、道路には車がひしめき合い、道端には大型店のケバケバしい看板が立ち並ぶような町が嫌で、藤野町に引っ越してきた人も多いと思う。藤野には、山の緑に包まれるように集落が点在し、隣近所との交流も健在で、都会にはない静けさがあり、夜は星がちゃんと見えるほどに暗く、ホタルが静かに飛び交う。

 しかし、昔から藤野に住んでいる人の中には、『静か』とか『暗い』という町の現実を、『開発から取り残されている』と苦々しく感じている人も多いようだ。八王子や相模原のように、絶えず開発の槌音が響いている状況こそが『幸福』だと。
 そういう人達には、藤野ならではの良さが、かえって欠点に映り、藤野の良さを残そうと言う発想など毛頭も浮かばなかったのかもしれない。さっさと相模原と合併して、藤野も相模原のようなベットタウンになることが『幸福』だと考えたのかも知れない。
 なにより、今までの町政が酷すぎた。民意を平然と無視するやり方に町民がすっかり絶望し、いっそ藤野町なんか消えてしまって、政治の担い手が相模原市議会になったほうが、遥かに民主的になると考えた人も多いと思う。

 それでも3対2の割合で、藤野町を残そうとする人々が居たと言う事は、以前に比べれば、前述した藤野ならではの良さを明確に自覚している人達が、ここ数年でかなり増えてきた事を意味しているようにも見える。この住民投票も、もう数年遅ければ、結果は変わっていたかもしれない。藤野のような山里に住む事に憧れて、空家を探しに来る人達が年々増えているのだ。

『俺は住民投票自体を無効にするために、投票には行かない。』
そういう人がいた。彼は、藤野町が単独でやっていく事には否定的で、近隣の4町との合併を望んでいる人だった。しかし相模原との合併には強く反対している人だった。
『でも相模原との合併に反対なら、住民投票で意志を示さないと、 1市4町の合併が成立するかもしれませんよ。』
『そんな事はない。この住民投票は必ず流れる。』
彼は自信満々でそう言っていたが、この結果を見てどう思っているだろうか。

 投票に行かなかった35%の有権者の中には、このように敢て投票に行かなかった、相模原との合併には反対の人達がいる。ある町議に至っては、住民投票を無効にする為に支持者に投票に行くなと言い含めていたという。
 それに合併を選んだ人達の中にも、相模原との合併には不安を感じるけども、藤野町が単独でやって行くのも不安だから、仕方なく相模原との合併を選んだ人達もいることだろう。
 実は合併賛成派にも様々な希望合併案がある。隣の相模湖町との2町の合併、津久井郡の4町の合併、県境をまたいで八王子市との合併、これらの中でも、相模原との合併案を支持する人は少数派だった。

 この住民投票、そもそも無理がありすぎた。
 出し抜けに日程が決まり、決まってから投票日まで1ヶ月もなかった。町の住民に対する説明会も1回の講演で済ませ、住民に配った2枚の資料だけで合併に対する賛否を求めた。

 町には『合併しないと大変な事になる。合併しないとやっていけない』という不安の嵐だけが吹き荒れ、単町独立を唱える人には『 単町でやって行けなくなった場合、お前は責任をとるのか』と恫喝まがいの攻撃的意見が飛び、落ち着いて考えることもかなわず、建設的な議論もなく、思考停止の状態のままで住民投票に突入した感がある。 選択肢も『1市4町の相模原への合併か、単独か』の二つだけ。この選択肢の設定にも不満の声は多い。もし選択肢が3つだったら、例えば『 1市4町の相模原への合併か、津久井郡4町の合併か、単独か』でやったら、合併賛成の3200票が割れて、単独が決まったかもしれない。

 住民投票と言えば、民主主義の正しいあり方のように見えるかも知れないが、やり方次第で、いくらでも非民主的になり、民意の反映に結びつかない事が今回の住民投票で判った気がする。早くも、『いくら住民投票の結果がこうなったとはいえ、このまま合併にすんなりとは進めないだろう。まだまだ紆余曲折があるのではないか。』との声が聞こえる。
 実際、城山町の町長選挙では合併に慎重な姿勢をとる候補が、合併を押し進めてきた現職を破って当選したし、相模湖や津久井でも住民投票を行おうとする運動が、合併慎重派から持ち上がっている。 1市4町の合併案自体、先行きが不透明になってきた。何しろ、合併したらどのように生活環境が変わって行くか、住民レベルでの話し合いは、いままで相模湖でも津久井でも無かったに等しい。ほとんど各町の首長の集まりだけで話が進んできた。

 とにかく市町村合併推進が国の方針になっている。人と違う事をするのは誰だって怖い。寄らば大樹の影ではないが、全国的な潮流が合併に向かっている今、単独自立を主張する事自体、けっこう勇気がいるし、逆風に曝される運命にある。単独自立を唱える人間は小泉首相の言う『抵抗勢力』として烙印を押されかねない有り様だ。

 今、日本全国で行われている市町村合併というのは、だいたいこんな物なのだろう。政府が期日を決めて、それぞれの自治体に合併を迫り、『アメ』の補助金をちらつかせ、『ムチ』の地方交付税の将来の減額をほのめかし、急かし、追い立てる。市町村では民意の合意形成もできないまま、首長の話し合いだけで、どんどん合併が決まって行く。これでは地域社会が崩壊しないほうがおかしい。

 町というものが本来あるべき望ましい形とは何か。町が抱える問題点が見えやすく、また解決もしやすい町の大きさとはどの程度のものなのか。犯罪や少年非行の起こりにくい地域社会とは、どの程度の大きさが望ましいのか。住む人を幸福にする町の大きさとは、そもそもどのような物なのか。
 今行われている合併運動では、『とにかく合併しろ』というかけ声ばかりで、『合併すればこのように住み良い町になる』という意見は聞こえてこない。ただ『不安だ』『このままでは破滅だ』『大きくなった方が安心だろう』という心の動揺から合併が進められているようにしか見えない。大きくなれば安心と言うのなら、700兆の借金を抱えた日本は将来が不安だから、どこかの国と合併してもらった方が安心できるのだろうか。

『相模原市になった方が福祉が充実する。』
 そう期待する人がいる。しかし、藤野の牧馬から毎日相模原を通過して八王子に仕事に行く私の目には、とてもそうなるとは思えない。橋本などでは巨大な開発が次々と行われているし、高層マンションも造られ続けている。それに伴い、交通の渋滞も激しくなってきた。素人目にも、『この道は4車線に拡幅しないといけないな。』と思う道路が幾らでもある。こんな相模原市を見てしまってから藤野町を見ると、
『藤野町は何の問題も抱えていない。車の渋滞も無いし、人口の増加に対応して小学校を改めて造る事もないし・・・』
と言われても文句を言えないなと思えてしまう。
 藤野町には数百人単位で困っている人がいるかもしれないが、相模原には数万人単位で困っている人がいるのだ。合併したら、どちらが優先されるか判りきっている。本来、藤野の町民が払った、藤野の町民に使われるはずの税金が、全て相模原の開発事業に投入されかねない。はたして、今以上の福祉など期待できるのだろうか。

『大きな自治体になった方が、財政基盤が安定して安心だ。』
という声を聞いた。私には決してそうは思えない。むしろ大きくなればなるほど、行政サービスのきめ細かさは失われ、『何でこんな施設を造ったのかなァ。』と呆れるようなハコモノばかりが造られ、そんな行政のあり方に文句も言えなくなって、政治がどんどん市民から遠くなる。相模原市の前回の市長選挙での投票率は、なんと29パーセントだ。

 藤野町はバブルの時に、これといった巨大開発をしなかった。本当は、したかったのだと思うが、今ではこの事がかえって幸いしている。各自治体が、バブル期に行った巨大事業の負債にあえぎ、施設の維持費に首が回らないような状況の中で、藤野町はたいした施設もない分、コンパクトな財政支出で事が済んでいる。
『大きくて、いろんな物や施設がある自治体』は一見幸福そうだが、将来不安が大きいのは、むしろこんな自治体だ。私は今でも、これからは、『コンパクトで、施設などの維持費のかかるものは最小限に抑えた、身軽な自治体』のほうが、遥かに将来性があり、また問題を抱えた時に自浄能力を発揮しやすく安全だと思っているし、住む人を幸せにすると考えている。

 なんとか、藤野町が残ってくれないかと思う。とても相模原との合併で藤野町が幸福になれるとは思えない。