合併特例債の問題点
この借金を前提にした行政の危険性について
わたしなりの結論

 さて、どうでしたか。合併特例債について少しは実感的になってきたでしょうか。

 私自身、この例え話が良く出来た比喩だとは思っていません。比喩というのは常に危険で、おおまかな説明には使えても、決して説明したい対象と正確な対応はしきれないのが普通です。ですから、この例え話も不完全な箇所も多い事でしょう。だいぶ簡略化しましたし。
(借金の返済を「祝い金」をすべてもらった翌年から始めたり。
 実際は、最初の年にもらった特例債は、3年程度の据え置き期間を過ぎると返済がはじまります。)

 私としては、この例え話を見て「これなら私にも判る」と感じてくれた方々が、今度は改めて御自身で「こういう場合はどうなるだろう」と例え話を作ってもらえればと思います。

 私がこの例え話を作りながら感じた事は、合併特例債は、決して世間で言われているほど「使わなきゃ損だ」と言えるようなものではないと言う事でした。とにかく、政府も三位一体の改革で、どこまで地方交付税を削減して、どこまで自治体に税源移譲して、どこまで地方に仕事を任せるのか、未だ明確な見通しがついていないようです。
 こんな時に、交付税制度を前提にした借金は危険だと思います。たとえ7割は国が負担してくれると言っても、その7割も、最悪の事態を想定した場合、自前で払わなければならないとしたら、あまりにも町の財政の将来に、不確定な不安要素を持ち込んでしまうのです。

 借金をした方が得だったインフレ基調の右肩上がりの時代ならともかく、明らかな収入増が見込めない状態では、たとえ合併するにしても、合併特例債を使わないで済むのなら、使わないほうが良いと思います。借金は未来の資産を先に食いつぶしてしまう行為である事は、合併特例債に関しても同じです。

おまけ

 最後に、合併特例債も、こういう使い方ならまあいいかな、という事例を私なりに想定してみました。 

 文化的にも産業的にも環境的にもよく似た、どう転んでも不交付団体にはなれない貧しい町どうしが合併する場合で、合併特例債を、必ず必要になる事業に使うか(例えば老朽化した橋の架け替えとか)、真に町の活性化に繋がるような事業(確実に観光客が呼べる施設とか)に使う場合。
 使い方は、できる限り控えめな額に留める事が望ましい。

 でもこれはあくまでも『合併特例債』だけを想定した場合で、地方交付税の減額を考えた場合、貧しい町どうしの合併は、15年後の地方交付税の減額をまともに受けて、一番悲惨なケースでもあるのですが。