続き

7月10日(日)の続き

 この町長選。今にして思えば、「ポジティブ」と「ネガティブ」の戦いだった。

『こんなにイイ町じゃない!、ここで頑張ろうよ!』
と言う人と、
『いや藤野はもう駄目だ。諦めよう。』
と言う人。
 藤野に夢を見る事ができる人と、できない人。

 まあ、町は人が住む場所に過ぎないと言えば、そうかもしれない。町に住む人の、皆が皆が、町を好きにならなければならない、町に夢を見なければいけない、などと言い出したら、それこそ戦前の『愛国心』同様、最悪の全体主義にもなりかねない。

 だから私も無理は言わない。
藤野が好きになってくれる人が、好きであり続けてくれればいいと思っている。藤野が嫌いでも、仕方なく藤野に住んでいる人もいるだろう。藤野に対して、嫌いと言うほどでも無いが、好きと言うほどでもない住人であれば、その数は更に多くなるはずだ。

 ただ、少しでもこの町に愛着がある人、ここで藤野町が消えてしまう事にしのび難い気持ちを持つ人ならば、子供達のようにもう一度藤野町に対して「夢」を抱いて欲しいと思う。
『そりゃあ、子供達が簡単に「自立がいい」と言えるのは、彼等がまだ世間を知らないからさ。実際の、問題の難しさが判る年齢になったら、そう脳天気な事は言えなくなるよ。』
 そういう答えが返ってくるかもしれない。
 一理はある。
 私だって、世間を知らずに単純に夢ばかり語る人間の薄っぺらさは好きではないし、何度も挫折を経験して、世の中の複雑さ、一筋縄では解決できない難しさをわきまえた人間の方を信頼するだろう。

 しかし、私がビラを配ったりして感じた印象として、どうもこの世の中、あまりにも『物事は複雑で、思うようにはいかないよ』と考え過ぎて、考え方がネガティブな方向に進み過ぎているのではないかと感じた。
 その結果、いつのまにかこの国には『何かに挑戦する』人が、すっかり減ってしまったのではないかと思うようになった。

 人口530万人のデンマークでは、年間1万7千人を超える若者達が、事業を起こしている。人口1億2千万の日本では、その数は7千人を切る。
 デンマークの人口530万人と言えば、北海道の人口(570万人)とほぼ同じだ。 

 どうもこの国は、『世の中、そううまくいかないよ。』『それはちょっと無理なんじゃない?』と言い過ぎて、あまりにも自分達を、無気力な方向に飼いならし過ぎたのではないかと思うようになった。
 『世の中そんなに甘くないよ』と深刻な顔をして言えば、いかにも世間を知っているかのような「ふり」ができる。挙句の果てには、「夢」を語る人間は「世間知らず」のレッテルと貼られて冷笑される始末だ。

 しかし、もうここらで「ネガティブ」に行き過ぎたネジを、「ポジティブ」な方向に回してもいい頃ではないか。


余談

『どうもよく判らない。どっちに投票したものかね。』
ビラを配っている私に相談されても困る。私は自立派だし、それは相手も知っている。私が『是非、自立派の候補に!』と言っても説得力がないだろう。
『最後は人物で決めてくれ。私は合併するにしても「幸福な合併」と「不幸な合併」があり、自立を選ぶにしても「幸福な自立」もあれば「不幸な自立」もある。ある程度から先は、人物次第だと思う。』
とその場では言っておいた。

 人間を見る基準で、一番好きな言葉を右隣に挙げておきました。

 パソコンに無い字だ。广(まだれ)に叟で、「かくす」の意味。
 以下の文で、(广叟)とあるのは、この文字の代わりです。

子曰、
視其所以、
観其所由、
察其所安、
人焉(广叟)哉、
人焉(广叟)哉。
『論語』 為政

 その人が今まで何をしてきたかを観察して、今何をやってるかを見て、これから何をしようとしているかを想像してみればいい。そうすればその人の正体なんて隠しようがない。