FEC自給圏

 だいたい藤野町のような山里が町起こしをしようとすると、決まって提案されるのが『エコツーリズム』ですね。この言葉、本来は『エコロジー』と『ツーリズム』を組み合わせた造語で、自然観察を主目的にした旅行を指した言葉でした。それが今では自然だけでなく、そこに住む人々が営んで来た文化も含めて体験する旅行を意味するようになって来ました。
 『エコツーリズム』と名前は横文字になりましたが、実際に行われている事といったら、昔ながらの『農村体験』と変わりはないようです。

 まあそれで悪いと言うつもりはありません。私だって、藤野でも佐野川地区のお茶栽培農家でエコツーリズムをやったら面白いんじゃないかなあ、などと思ったりします。相模湖町や津久井町では、育林体験ボランティアの参加者が年々増えていると言いますから、山に登って除草したり山の手入れをするキツイ仕事も、都会の人達がたまに体験するぶんには良い気分転換になって感動も味わえるのかもしれません。
(これが一生続く仕事だと思うとウンザリするかもしれませんが)

 しかし、私には『山里だからエコツーリズムだ』という発想には、不十分なものも感じます。例えて言えば、雪国の山里では『スキー場を作ろう』と考え、海辺の町では『海水浴場を作ろう』と考えるような、あまりにも当たり前な、誰でも考えつきそうな発想に思えてならないのです。
 エコツーリズムを本気でやろうと思ったら、それにプラスする何かが必要な気がします。私は、それは、エコツーリズムを行うに当たっての、基礎となる理想や目標、哲学だと思います。

 単に『山里だから農村体験』ではなく、それをする事によって、今までの社会に欠けていたもの、これからの社会に必要とされるものを再確認させ、未来に向かって進化していく実感を体験できる感動が必要になってくると私は思うのです。
 話が抽象的になりましたが、具体的なキーワードは既に沢山現れています。大量生産・大量消費社会に代わる循環型社会。「右肩上がり」の時代から「持続型」の社会。地産地消、「ファーストフード」に対する「スローフード」。私などは、これらのキーワードに『山里の素朴主義』も付け加えたいと思っているのですが・・・。

 エコツーリズムに限らず、山里を町起こししていく上で私が必要だと考えている事は、単に「都市の人々に山里を体験してもらおう」という発想を超えて、「行き詰まった都市型社会に代わる、更に先進的な社会を中山間地域に建設しよう」とする理想なのではないかということです。
 こんな事を言うと誇大妄想的に聞こえるかもしれませんが、真に都会の人々を山里に呼び込める魅力は、この理想以外にはあり得ないと考えます。逆に言えば、これくらいの理想が存在しない『山里の町起こし』では、すぐに飽きられてしまうと思えてなりません。人をワクワクさせるものが無いからです。

 私の住む藤野町の牧野地区の篠原に、パーマカルチャーホームページはこちら)という団体があります。「パーマカルチャー」とはパーマネント(永久の)とアグリカルチャー(農業)を組み合わせた造語で、化学肥料や農薬の大量使用とは異なる、持続可能な農業や土地利用による環境を作っていこうというものです。
 毎年、パーマカルチャーのノウハウの講習を受けに来る人で、多くの人で賑わいます。それも若い人達が多く、わざわざかなり遠くからやって来る人もいます。この団体が、単なる「体験農園」を目指していたら、これほどの賑わいは無かったでしょう。やはり基礎に理想や哲学があるからこそ、多くの人々を引き付けているのだと思います。

 FEC自給圏という考えを、経済評論家である内橋克人氏が提唱しています。この言葉は、近年、地方の活性化問題を考える上で、広く認知されるようになってきました。FECとはFood、Enerugy、Careの頭文字を採ったもので、食糧・エネルギー・介護を含めた人間関係の自給圏を作り、これらを「新基幹産業」にまで発展させて、地域の活性化を実現しようという考え方です。また、このようにして出来た社会こそが、人間を『勝ち組と負け組』に分けてしまう社会よりも、より人々を幸福にできると内橋氏は主張します。
 この言葉を私に教えてくれた人は、『藤野町はFEC自給圏を実現できる環境にある』と言ってました。私もそう思います。食料もエネルギーもゴミ処理も、多くのコストをかけて全て外部に頼っている都市に比べると、中山間地域は社会を維持していく上で、エネルギーも資金も割安で済む環境があります。大地震のような災害に対しても強さを発揮できるでしょう。持続可能な社会を考えていく場合、藤野町のような山里は、もしかしたら大都市よりも遥かに理想に近い位置にいるのかもしれません。

 あらゆるものが集中する大都市ならではの価値や利点を無視する事はできません。これからも大都市は大都市なりに、重要な役割を演じていくと思います。
 しかし、従来とは異なる形の『理想郷』を、これからの中山間地域に見い出す動きは確かに存在し、大都市に住む人々もこの理想を共有するようになりつつあるのです。
 そんな時代が来た今、藤野町がエコツーリズムをやるにしても、単に都会の人達に山里を体験してもらうという発想では無く、一歩進めて『都会の人々とも共同して理想郷を作っていく』くらいの目標を掲げても、それほど奇異ではありません。

 問題は、藤野町に住む人々自身が、どこまでこの理想像を自覚して賛同できるかなのですが・・・。

FEC自給圏について詳しく知りたい方は、内橋克人著、『もうひとつの日本は可能だ』(光文社)が参考になると思います。

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