野球観戦(1999.8.15)

 野球は自分でプレーするのも観戦するのも好きだ。観戦するときは野球選手みんなが好きになってしまい困ってしまう。普段は巨人ファンで、例えば巨人がサヨナラ・ホームランを打たれて負けたとする。ホームランを打った相手チームのバッターを姑くのあいだ罵倒するが、それでも時が経つと、凄かったと思う。いや実は、凄かったと思いたくなくて罵倒をするのだ。自分でも多少、本格的にプレイをしていた時期があるので、選手のちょっとした動きにもプロの上手さを感じてしまう。野球選手がみんな好きだというのは、要するにこういうことだ。
 今、特に肩入れしているのは、選手が三人と監督が二人。巨人の後藤選手、松井選手、横浜の駒田選手、ダイエーの王監督、千葉マリンズの山本監督である。
 松井選手は、巨人に入団するときのコメント一発でノックアウトされた。「子どもに夢を与えられるような選手になりたい」当然、一流選手になる自信を自覚しての発言だろう。普通の一流選手候補は、せいぜいプロ野球界で、自分がどうあるべきかしか語らない。大抵は「チームのために」で終ってしまう。松井選手のコメントはスケールが大きい。こういう選手がいないとプロ野球界自体もどんどんスケールが小さくなってしまう。
 駒田選手は、巨人時代、中畑選手の控えのころから好きだった。デビューのサヨナラ満塁ホームランは彼にとって悲劇だったろう。本来は中距離ヒッターなのに、巨人ではホームラン量産を期待され、一本足打法に変えさせられたり、いろいろとフォームをいじられたようだ。横浜に移籍してから、本当に自分のバッティングができるようになったのではないか。「恐怖の七番打者」のキャッチフレーズ、現横浜の権藤監督が巨人のヘッドコーチの時代に「味方だとちょっと頼りないけど、絶対に敵にはしたくない」と言わせてしまったところに不気味さがあり、勝負師の本来の面白味を見せてくれる。
 後藤選手はついつい自分を重ねてしまう。レギュラーを目指して苦節十年、ようやく勝ち得た地位がが守備固め要員であり代打の切り札。それでもまだレギュラーを諦めず、全力でプレーするところが良い。俺はだめだったけど、お前はがんばれよ、じゃんじゃん補強されるエリート選手に負けるな、そんな気になる。彼が良い働きをすると、僕まで明日、良い仕事ができそうな気分にさせてもらえる。案外、自分は仕事ができると錯覚して、中堅と呼ばれる頃に本当の実力と対峙させられ、がっかりしたサラリーマンにファンが多いのではないかという気がする。
 王監督は現役時代から大ファンだから仕方がない。監督としては三流だと思う。正直な話、ダイエーが監督を要請したときは、人寄せパンダの感が否めなかった。その三流の監督が、今、首位のチームを率いている。誰が予想しただろうか。
 山本監督も巨人の代打屋でくすぶっていた。同じポジションに王貞治がいたのだから仕方のなかったことだ。ライトの守備固めに入って打順がまわってきたときなど、ついつい力を入れて応援した記憶がある。どうも僕は昔から判官びいきの傾向があったらしい。選手としての全盛期が過ぎたと思われた頃、いつの間にかロッテに移籍して、新聞をみたらクリーンアップで活躍している。選手として最後の数年は、それは幸せなものだったろう。だから千葉マリンズで監督を務める姿が、よく似合って見える。現役時代の下積み生活が、選手の起用に良い影響を与えているに違いない。
 スポーツ観戦に関して、好きな話がある。
 男はスポーツ選手を見て、三度、自分の年齢を意識するそうだ。最初は高校野球を見て、選手の顔が急に幼く見えたとき。あぁ、俺はもう子どもじゃないんだな、と思う。次は自分と同世代の大物力士の引退の時。三十代そこそこなのにもう「年寄」か、などと思うらしい。三度目は同世代の野球選手が引退するとき。もう現場で、現役で働くには無理が来てるんだな、と悟るのだという。僕はまだ最初のしか来ていない。大学四年の夏休みだった。いずれ書く機会もあろうが、直前にやはり自分の年令を感じさせる事件があったので特に印象深く覚えている。
 二度目がやってくるときに引退する力士は、一体誰だろう。


関連事項
「霧の博物誌」目次へ

呼ばれ方(1999.11.27)

 ジャズメン(に限らずミュージシャン全体か)にはとんでもないことをやってのける人が多い。チャーリー・パーカーは音楽的にも奇行にしても別格だ。マックス・ローチは日本講演でインタヴューを求められたとき「俺にものを話すときはちゃんとした英語を使え」と言って、インタヴュアーを叱ったそうだ。チャールズ・ミンガスはサイドマンを殴って歯を折ってしまったなど、やはり話題が絶えなかった一人だ。彼の数々の逸話の中で一番好きなのが「気軽にチャーリーと呼ぶな」という発言だ。本名「チャールズ」の愛称で、時に「チャーリー・ミンガス」と呼ばれるのを嫌ってのことである。
 何故この逸話が好きなのか。かくいう僕も本名の名前で呼ばれるのが嫌いなのだ。ここで使っている「霧小舎捕人」を本名とすると「捕ちゃん」はおろか「捕人さん」すら気分が悪い。無論、「霧小舎捕人」は本名ではないからこの名前で呼ばれる限りは別に気にはしない。
 大体、日本の習慣では、例えば家族や親戚、幼い頃を知っている人間とそれに準ずる間柄でしか、名前で呼ぶことは失礼にあたる筈だ。僕はそうやって育った。いかにも親し気な様子で名前を呼んで近づいてくる人間は、まずそこで警戒する。だいたいそういう輩は図々しい。僕に頼み事があるときには「俺たち友達だろ」と平気で無理を言うくせに、僕が困って頼み事をすると「お前を本当の友達だと思うからこそ、そう簡単に手を貸せない」という奴らだ。
 ほんの短い間、カナダで生活した。向うの文化は名前で呼ぶ文化だから、別に「捕人」(本名で)と呼ばれても気にならなかった。何も場所柄や文化的背景を無視してまで自分の流儀を通す必要はないと思っている。
 まず僕の本名を知ったとして、名前で呼んで良いかどうかの判断は、知り合ってから最低一年を経過しているかどうかが一つの目安になる。ただし、一年は最低であって、これはかなり僕の方から気に入っている人に限る。自信のある方は挑戦してみては如何か。
 現に今、僕のことを「捕ちゃん」(本名で)と呼ぶのは、霧小舎歴10年以上の手強い面々ばかりだ。
 最近、ところどころのサイトに出没して下らない話を書き込んだりしているが、その中で頂戴するレスでは「霧ちゃん」の呼称が一番多い。一昔前なら「俺のことを気安く『霧ちゃん』なんて呼ぶんじゃねえ」などといきまいていた筈だ。今は大丈夫。ややこしいHNを使っているから、皆さん呼び方に困っているのだろうと思うとこれで丁度良いという気になる。ただ「トレちゃん」にはやや辟易している。悪い遊びをしすぎて鼻が「トレちゃん」になったような気分になる。
 昔から家族同様にお付合いいただいている先輩や友人には「捕ちゃん」(本名で)と呼ばれても、気にならないどころか非常に嬉しい。中にはご両親まで僕のことを「捕ちゃん」と呼んでくれて、ときどき遊びに伺うととても一人では食べきれない量の食事と酒を用意してくれていたりする。そうやって家族同様に扱ってもらうのが嬉しく、また出されたものは全部頂くのが礼儀なので、僕はかなり無理をして平らげるのだ。


関連事項
「霧の博物誌」目次へ