日記
小さい頃から何度も挑戦し、その度に失敗した試みに日記がある。小学生の頃はまず、一週間と続かなかった。買ったままの姿で残っているジャポニカ学習帳の日記帳もある。つまり、決心はしたものの一日も付けていないのである。中学校の野球部で、毎日練習日誌をつけるよう指導されたが、提出を言い渡されると慌てて徹夜ででっち上げる始末だった。翌日のバッティング練習では球が上がらず、守備練習ではエラーばかりで尻(ケツ)バットの嵐。監督、コーチには練習日誌をつけていなかったのがこれでばれてしまう。
大学時代に、好きだった女の子に振られた(彼氏ができた)腹いせに、再度挑戦し(なぜ日記につながったのかは今でも理解不能)これは比較的長持ちして3ヶ月程続いた。秋口から始め、正月を迎えたところで安心して、そのままおしまいになってしまった。多分、このあたりで既に失恋の深手も癒えたのだろう。一応、目的は達したのだ。
会社に入って3年目から、また挑戦しこれは1年続いた。今度のきっかけは女がらみではない。始めたきっかけも止めた理由も覚えていない。止めた理由は多分、週に二度の大阪出張とか、仕事で遅くなりタクシーで帰宅するとか、珍しく8時か9時ごろに仕事が終っても営業のおじさんたちと連れ立って飲み歩く毎日が続いて面倒くさくなったのだろう。
6年目辺りからまた始めて、これは今でも続いている。三年半以上か。自分でも驚く。今回は、無理をしないことにした。書くことは、起床時間、始業時間、昼食、就業時間、帰宅時間、夕食、就寝時間。何か特別なことがあればそのことをメモ程度に認めておく。無理をしないというのは他にも、面倒くさいときは書かない、というのがある。例えばロンドンに旅行に行ったときは、日記なんか書く
暇もなく遊んでいたので「x月xx日〜x月xx日:旅行中に付き休み」。毎晩、帰宅時間が日付変更線を超えていた頃も、疲れると「激務に付き休み」。仕事でお客さんなり先輩となり喧嘩する。負ける。詰まらない上にあまり意味のない作業を一日掛かりでさせられる。「本日は不愉快なため書かない」。食事中に両親が喧嘩を始める。寝る前の日記を書く時間まで尾を引いている。とばっちりを食
らう。「父母共に馬鹿なため日記に書くべきことなし」。実に殺風景な日記である。
当然「霧の日記」は、プライベートな日記とは別物である。ファン(本当にいるかどうかは別として、「いる」と仮定しないと書いてて面白くない)サービスを考えて、本物の日記より面白く書いている。さすがに日記と銘打てば架空の出来事は書けなくて、実際にあったことばかり書いているが、表現をややオーバーにしたり、印象を逆説的に書いたり、金とか酒とか女(の子を交えて飲みに行った、食事
をした、程度しかないのが情けない)といった俗な部分、週刊誌の記事みたいなところも遠慮なく書く。
少なくともそれくらいの工夫を加えている。というより、どう書き換えても、書き換えた後の方が面白くなるくらい本物の日記は詰まらない。
日記が続いているのは、憶力の低下を自覚してのこともあるし、再び筆を執って物書きを始めたこともある。ただ、意外と紋切型に必要事項だけ書いていても、ある程度のことなら思い出せることがわかり、実はこれが便利でやめられないというのがが一番大きいのかもしれない。
そして今後は「霧の日記」のために書き続けなければならない。