幻の時代(1999.9.30)
 信じていただかなくても結構だが、僕にもほんの一時期、もてた時代がある。中学二年生のときだった。
 中学では野球部に入っていた。病気や怪我が続いて、レギュラーにはなれなかったが、それでもファンは数人いた。肉離れと股関節炎で松葉杖をついていた頃、学校の行き帰りや教室移動のときは黙っていても誰かが荷物を持ってくれたものだ。中には家まで送ってくれそうな女の子もいた。
「邪魔だから帰れ」
 途中で無理矢理帰したのだが、今なら送ってもらうだけでなく、朝も鞄持ちに来てもらうだろう。惜しいことに、当時は硬派を気取っていた。実に馬鹿な真似をしたと思う。
 一番もてたのは、やはりキャプテンを務めてた男だった。彼はバレンタイデーに、義理も合わせて両手に余る程のチョコレートをもらっていた。1学年130人程度だった筈だから、これはかなりなことだろう。僕にもファンがいるくらいだから、他の部員にも当然のようにファンがいた。とにかく野球部かサッカー部に入ればファンが付くのは、僕のファンがいたというだけで証明できる。
 野球部に僕の学年は7人しかいなかった。野球は9人でプレーするから、年功序列だと絶対にレギュラーにならなければおかしい。それでレギュラーを獲れないのだから、かなり情けない選手だった。当時は今では想像もつかないほど痩せていた。体型からして、練習の厳しさでは区内一番と呼ばれた野球部にいるのが信じられない。多分、僕が必死に球を追っている姿がいじらしく見えたのだろう。判官びいきというやつだ。他に(自分で言うのもおかしいが)坊ちゃん顔の癖に一通りの悪さをして遊んで、しかも成績が良かったことも多少は魅力に映った筈だ。今はどうか知らないが、僕の中学時代は野球部とサッカー部は非行の巣窟だった。当時は危険な部分が魅力になったようだ。今では情けないことに、ただの「あぶないおじさん」に成り果てている。同じ「危険」でも質が変ってしまったのだ。
 多分、固定のファンは2人いた。他の野球部員やサッカー部員とのかけもちファンも含めると、総勢5人くらいだったろうか。今では考えられない。しかも、固定ファンのうち一人は、結構本気だったらしい。卒業してから噂で聞いた。小柄で、色白で、今だとロング・ボブというのだろうか、やや眺めのおかっぱ頭(と書くところがおじさんだね)の可愛い娘だった。単に僕のタイプに合っていただけでなく、卒業写真を高校の同級生に見せたら皆、可愛いと言ってたから間違いないだろう。
 高校の通学は同じ線を使っていた。最寄り駅は、一つずれていたが、通う方向がそれぞれ逆なのでときどき僕の乗車する駅で、ほんの一瞬すれ違うことがあった。ときどき、声を掛けてみようかとも思ったが、というより男子校で女に物凄く不自由してたので本能の赴くままに彼女の見えるドアに近寄るのだが、どうもタイミングが掴めない。そのうちに、来るべき者が来てしまった。彼女の隣に、いつも同じ男がいるようになった。僕としては、或いは一生に一度のチャンスを逃したことになるのかもしれない。僕の幻の時代はこうして去ったのである。
 話はもう少し続きがある。大学に入学したとき、クラスの名簿を見て僕の胸がときめいた。何と、例の彼女の名前があるではないか。割とありふれた名前だから別人に違いないが、可愛い娘だったら「中学の同級生で同じ名前の娘がいてね」なんて話しの糸口が掴める。期待は大きくなるばかりで、教室に入ってからもどの娘だろうと落ち着かない。自己紹介で、ついに彼女の番が来た。と思ったら、男が立ち上がって挨拶を始めた。
 彼女と同姓同名の、男だったのだ。
 教訓:幻は現実ではない

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「ムカツク」(1999.10.17)

 日本語で一番、美しいと思う言葉はと問われれば僕は迷うことなく「ありがとう」と答える。
 逆に醜悪極まりないと思うのが「ムカツク」である。無論、胃の調子が悪く胸焼けがする場合は、この限りではない。
 『広辞苑』にも「パニクる」などという単語が載る時代だから、「こくる」など若者の使う言葉についていけないだけかも知れない。僕が時代に乗り損なった過去の遺物なのも認めよう。それでもこの言葉だけは許せない。
 今書いたように、本来は「吐き気がする」とか「えずく」という意味だろう。ところが現在では「頭にくる」という意味で使われる場合が圧倒的に多い。これは別にそう新しい話ではなく、僕が小学校の低学年のときには既にこの語法が存在していた。もう20年以上も前のことである。その後しばらく耳にしなかったのでその間は死語に近かったのだろう。ところが5〜6年前あたりから、復活した。
 ちょっと気に入らないことがあると「ムカツク」。子どもが使うのならまだしも、いい年をした大人までが平気で使うようになった。これが大変に気がかりなところだ。
 そう。ちょっと気に入らないと「ムカツク」のだ。本来の語義通りに解釈すると「吐き気を催すほどの嫌悪感と怒りを覚える」ということになる。誰かに注意されると「ムカツク」。機械の調子が悪くなり思い通りに動かないと「ムカツク」。待ち合わせに遅れてくるやつがいると「ムカツク」。飯が不味くて「ムカツク」。ライターのオイルが切れて「ムカツク」。十二指腸に穴が二つ空いて、サンドイッチ一切れを食べるのがやっとのときでも、僕はこれほどの吐き気を覚えなかった。
「ムカツク」を連発する人たちは、胃癌なのではないか。心配になってくる。
 妹がときどきこの言葉を使う。その度に僕の表情が変る。自他共に認める「兄馬鹿」で妹にはかなり甘いの僕でも、このグロテスクな言葉を使わせない。
 そもそもが他人に向かって「気分が悪い」というだけでも失礼にあたる。何も自分の機嫌が悪いからといって他人の気分まで害することはない。そういう基本的なことすらわかっていない連中を見るにつけ、ああいう連中と同じ土地に住む人間と思われると気が滅入る。
 以前、夜のニュース番組でこの言葉を取り上げ「今の若者は一度、頭で受け止めることをしないで、いきなり身体にくる」という面白い見解を見た。「頭にくる」は文字通り「頭」の領域、「気分を害する」「気に入らない」の「気」は「ハート(心臓)」とみることも可能だろうが、半分は「脳」すなわち「頭」の領域だろう。「腹が立つ」になると身体の領域に入ってしまう。「ムカツク」は言わずもがなだろう。
 学力低下や学級崩壊など教育問題の諸現象と「ムカツク」が市民権を得る過程とが期を一にしている点が、今から思えば実に興味深い。考えることができないから、我慢を知らないから、ちょっとしたことに「吐き気を催すほどの嫌悪感と怒り」を覚えて、キレるのだと考えれば、えらく論がすっきりする。
 驚くのは飲食業や接客業の人間が平気でこの言葉を使うことだ。喫茶店などでたまたま店の奥やレジの傍に座り、ウェイターなりウエィトレスなりの会話が聞こえる。そんなときに「ムカツク」が耳に入ると「こら、われ、ほんまにゲロ吐かせたろか」と鳩尾を蹴りつけたくなる。面と向かっていわれたら、一度頭を押さえて、指を口の中に突っ込んで無理矢理吐かせてやろうかと本気で考えている。
 礼も詫びも「すいません」で済ませるデリカシーのない人間が「ムカツク」を連発するとき、それは本当に彼らの精神的吐瀉物を世の中に撒き散らしている。美しい「やまとことば」が理性の欠片も見えない連中のゲロゲロで汚されていく。その姿を見るにつけ、いずれこの国が滅んでもそれは仕方のないことだと思わざるを得ない。
 この言葉がいかに醜いか、実験をして欲しい。この言葉を発する自分の表情を見ていただくだけで構わない。そのときの顔の筋肉の動き、表情全体に嫌なものが走る筈だ。とってもチャーミングだったと思う人は、僕に金輪際、近付かないで頂きたい。

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メロン(1999.11.17)
 メロンは木に成るものだと、大人になるまで思っていた。メロンの樹があって、季節になるとプリンスメロンやマスクメロンが枝もたわわに成る姿を、ずっと想像していた。
 小さい頃からメロンが大好きで、フルーツ餡蜜などに入っている欠片のようなやつさえ、文字通り薄皮一枚ようやく残るくらいまで食べた。
 果物屋で見かけるマスクメロンは、緩衝材の敷物の上に鎮座ましましていて、横に箱が添えてあった。誰がどう見ても高級品だった。高価い品物はすべて高い位置にあるものだと考えるのが自然だろう。それならやはり、メロンは木に成っていると考えてどこがおかしいか。
 大学四年の時に、就職が決まった報告を兼ねて十数年振りに父の実家を訪れた。父方の祖父母は僕が生まれる前にあの世に行ってしまっていて、父の長兄が「いか飯」で有名な北海道は森の家を継いでいる。父方の親戚はこの森を中心に全員、道南(一人だけ小樽)に集まっている。北海道を離れているのはうちだけだ。行けばそれはもう珍しがられる。上野動物園のパンダか多摩動物園のコアラか。珍獣のような扱いを受けた。
 まずは本家で一泊して翌日は、父が一番可愛がった妹、僕から見れば叔母のところへ。最初の二泊で、体重がまず2kgは増えたろう。当時はよく食ったしよく飲んだ。不思議なことに、僕の親戚でほとんど酒を飲む人はいない。本家で用意してあったビールの大瓶半ダースを空けて驚かれた。新鮮な肉のジンギスカンや獲れたて茹でたての毛がにを山ほど出されれば、満腹中枢が狂ってもおかしくない。叔母のところでもほぼ同様。特に叔母は料理自慢なので、量も品数も本家を凌いだが、それでもほとんど全部、出されたごちそうは平らげた。
 三日目、兄弟中で一番やんちゃだった父をとても可愛がったという長姉、僕からみれば伯母のところへ、叔父と叔母に連れられて行った。国定公園になっている大沼というところで、農業を営んでいる。流石に二晩も牛食鯨飲をすれば多少、胃腸も疲れてくる。そこで昼飯に出された煮締めが実に上手かった。全部、自分の畑から獲れた野菜だというから凄い。
 満腹になり、腹ごなしに畑を散歩した。何でも気に入ったらもいで食べなさい、という言葉に甘えてキュウリ、トマト、ナス、ニンジンなどを全部生で食べた。獲れたてのナスは、果物のような食感がある。ニンジンも滅茶苦茶に甘い。そうしているうちに、一緒に来た叔父が突然しゃがんだかと思うと、何かを石にぶつけて割った。
「ほれ、食え」
 叔父が差し出したものは、見紛うことなくプリンスメロンだった。知識では知っていたが、メロンが地べたを這ってゴロゴロ転がっている姿を見ると少々、がっかりした。それでもメロンはメロンとばかりに石で割ったプリンスメロンに食いつくと、これが誠にもって美味い。八百屋で買った(と思われるもらい物の)メロンなど、贋物だと思った。何が美味いって、ほんのり漂ってくる土の匂いがメロンの匂いに混じると、あんなに美味くなるものだとは知らなかった。土になるものは土の匂いがして本当の味が出てくるものなのだ。ジャガイモ、ニンジン、大根、ゴボウ、西瓜。メロンは地べたに成る果物で、土の匂いが良く似合う。箱入りメロンは、土の匂いなど欠片もしないから贋物なのだ。こんなにおいしい体験をして、ただで済む訳がない。後で叔父から「お前、大学に入ってメロンがどこに成るかもしらねぇのか。大学は役立たずのことばかり教えやがる」などと馬鹿にされたのだから。
 一昨年だったか、ロンドンに遊びに行った。友人と入った和食レストランで定食を頼むと、デザートにメロンが出た。日本の安い食堂と違って、マスクメロンを三分の一くらいに切ったのがどかんと出た。「おお」などと感激していると、一緒にいた友人が「あのなぁ、日本と違ってこっち、メロン安いんや。みっともないから驚かんといて。貧乏臭い」。


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