『石に泳ぐ魚』裁判で思うこと(1)(1999.7.18)

 作家の「表現の自由」に関して制限を加える判例が出来たことで、霧小舎がが吠え出すに違いないと思っていた方もいらっしゃることでしょう。やはり、吠えます。
 その前に、あらかじめ申し上げておかなければならないことがあります。僕はこの作品を読んでいません。さらに、この件に関する資料は1999年6月23日付け『読売新聞』朝刊及び夕刊に掲載された記事しかありません。決定的なことには、法学の素養がまったくなく、専門家からみたら無謀とも思われることを多々書いてしまうことでしょう。要するに、一作家としての見解でしか書けないのです。事実関係や法学の領域で決定的な間違いがあれば、ご指摘ご鞭撻をお願いしたいと思います。
 作家が表現に制限を加えなければならない場合というのは、作家自身が何かの考えを持って自分で制限を加えるときに限られる、というのが僕の一貫した考えです。
 作家が作品に取組むとき、正も負も含めて、必ず何かに感動するというきっかけが必要です。そのきっかけの何に感動したか、何故感動したか、その感動をどう読者に伝えるか。作家個人が能力をフルに稼動させてこれらを熟慮し、肉付けし、いろいろな仕掛けを施して、出来上がってきたものが小説という作品なのです。例えば同じ出来事に感動した二人の作家がいたとして、二人ともそれをきっかけとして作品に取り掛かるとします。二人とも彼ら個人の力を最大限に発揮すれば、切り口も違えば手法も違う、全然別の作品が出来上がるのです。しかし、一人の作家に、一つのきっかけから、能力を最大限に発揮して二つの「最高」と考える作品を生み出せというのは無理というものでしょう。どちらか必ず一つからは、最高の切り口なり手法なりが抜け落ちるはずで、結果一つの作品しか「最高傑作」は生まれないのです。
「最高」が二つというのも、そもそも矛盾しそうですが。
 要するに作家は作品を生み出す場合、表現方法は作品に特有のものでなくてはならず、その選択は作家個人に委ねられているはずです。
 無断で小説の登場人物のモデルにされた原告は、柳美里さん(と新潮社)に対して「無断で小説化されてプライバシー権を侵害された」などとして、損害賠償と単行本化の差し止めを求めたようです。原告からすれば、作品を発表することによって蒙った精神的苦痛に対する損害賠償と、これ以上精神的苦痛を大きくしたくないという意味で出版差し止めを求めたとしても不思議はありません。判決は、原告の請求を全面的に認めました。前者に関しては納得できます。果たして後者はどうでしょう。
 僕の知る限りでは、日本国憲法で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する」(二十一条第一項)と明記してあります。ご丁寧にも「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」(九十八条第一項)とまで書かれています。二十一条の判例に「プライバシー権は私生活を妄に公開されない権利で言論表現などの自由の保証はこれに優先しない(東地判・昭・三九・九・二十八)」とありますが、柳氏は果たして「私生活を妄に公開」したのでありましょうか。これに関しては当該作品を読んだ方のご意見を待つしかありません。
 しかしたとえ「私生活を妄に公開」したとしても、そのときの柳氏にはそのように書くことしか出来なかったのでしょう。作家が本気で作品に取組むとき、誰も傷つけないでものを書くことなど出来ないのです。特に私小説のような性格を持つ作品の場合、自分の言葉で、自分の感動で、自分の手法で書く以上、描かれる立場の方を傷付けるかもしれない、しかし自分にはこうしか書けないという悲しみがあり、その悲しみを越えて書くからこそ、読者に感動を分かち合える作品が成立するのです。
 ですから、柳氏が彼女の作品によって原告の女性を傷つけたのなら、その責任として損害賠償は払わなければなりません。作家は誰かを傷つけていることを自覚しているのですから、損害賠償のリスクを負っていることは常に意識していると言っても良いでしょう。そしてそのリスクは、作品を発表したから発生するのではなく、作品が未熟であるが故に発生した、すなわち原告の女性を傷つけた、と解釈しなければならないと思うのです。その未熟さを見抜けなかった新潮社にも同様の責任が発生することもまた確かです。
 では次に、未熟であるが故に他人を傷つける作品を描き、発表した場合、その作品の出版を差し止めることが妥当であるかどうかを考えてみます。権力をどう解釈するかにもよりますが、権力的に「その」作家より弱い立場にある者を意図的に傷つけようとした作品は、公表されてはなりません。この場合は、僕は判決を支持します。今回の場合は、性格が少し違うように思えます。原告をモデルに選んだのは明らかに意図的ですが、果たして彼女を苛めて傷つけるために『石に泳ぐ魚』に取組んだのでしょうか。それならば恐らくは読者の支持を得ることなど出来ず、後に芥川賞を受賞することなど到底無理だったでしょう。つまりこの作品で柳氏が原告の女性を傷つけたことは、彼女の未熟さ故の不可抗力、法的用語を使えば「未必の故意」に当たるのではないでしょうか。
 確か、刑法とか道路交通法では、未必の故意の場合に受ける量刑は、他の場合よりも軽いと記憶しております。作家にとって「出版差し止め」とは、死刑にも匹敵する判決と言っても過言ではないでしょう。自分が真剣に取組んだ人生(の少なくとも一部)を否定されたのですから。判決では、登場人物が原告と特定できる部分を削除すれば出版を認めているらしいのですが、それはどんな立場であれ何か原稿を真剣に書いたことのある人ならば、この判決の認める範囲での作品の出版は作家にとってまるきり意味をなさないことが手に取るようにわかるでしょう。
 話を元は少しずれましたが、未熟さ故に他人を傷つけてしまった、或いはその可能性のある作品が出版できないとしたら、やがて出現する筈の有能な新人の作家生命をここで殺すことになるのです。もっと言ってしまえば、国は「プライバシー権」に浮かれている世論に阿いて、世論に都合の悪い本を焼き捨ててしまおうとしているようにさえ思えるのです。これは、焚書坑儒と同じ発想と言うより他ありません。たかだか一作家の作品を、原告の女性を傷つけたという理由で出版差し止めにするのなら、名簿屋はどうなのですか。オンライン回線その他あらゆる手段を利用して個人情報を集め、これを売って大儲けしている輩は許されるのですか。これらの法整備をお座なりにしておきながら作家の生命線を平気で切って、あたかも正義の使者であるかのような涼しい顔をしているような国に文化国家を名乗る資格はないのです。
 先にも申し上げました通り、僕は法律の専門家ではありませんから可能かどうかはわかりませんが、出版差し止めではなく、こういう判決なら納得できると思うのです。例えば『石に泳ぐ魚』及びこの作品に言及した柳美里氏の作品で、同氏が得た原稿料及び印税のすべてを原告に支払う。また、今後得られる印税もすべて損害賠償として原告に支払う。
 これなら今回問題になった作品に国家が永久に「未熟な作品」のレッテルを貼って、作家への戒めとすることができるし、更に原告にも将来的な保証を与えることができるのですから。無論、原告にとっては不服でしょうが、柳氏の作品が出版差し止めになったからといって彼女の受けた傷がすぐに癒されるとは思えませんし、どれほど大きな傷であったかは、結局は金額に換算するしか解決の方法はないと思うのです。自分の愛する人が殺されたからといって、犯人に向かって「愛する人を生き返らせろ」と訴訟を起こし、勝ったとしても無理なものは無理でしょう。
 この裁判について、まずは判決を下した判事と裁判所に向かってまずは異義を唱えてみましたが、原告(又は原告団)にも一言申し上げたいのです。柳美里氏の作品『石に泳ぐ魚』は確かにあなたを傷つけたでしょう。しかし一方ではこの作品で感動を受け、生きる力をえた読者もいるのです。傷付き傷つけることを恐れて、或いは何にも考えずにのんべんだらりとただ生きているだけの連中に比べて、あなたの生きたその力はどれほど大きな価値でありましょうか。あなたが生きて来た、そのことに価値を見い出した柳美里氏の眼力と同じく、僕はあなたの今現在生きていることがとても素晴らしいことだと思うのです。
 ですから、お願いですから「この判決を機会に、柳さんには作家としての責任と人間としての痛みを取り戻してほしい」なんてコメントを発表するのはやめていただきたいのです。訳知り顔で中途半端な方向に正義面をしているように思えるだけでなく、問題を摩り替えて個人の攻撃に転ずるずるさが透けて見え、原告の方(或いは原告団)にさもしささえ感じました。
 裁判の焦点は柳美里さんの「作品」にあるわけで、柳さん個人の人格に白黒をつけるものではなかったはずです。

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『石に泳ぐ魚』裁判で思うこと(2)
『石に泳ぐ魚』裁判で思うこと(3)
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『石に泳ぐ魚』裁判で思うこと(2)(1999.7.18)

 読売新聞6月23日版朝刊に柳美里『石に泳ぐ魚』出版差止め判決の記事が掲載された。記事にはこの判決に関していくつかのコメントも載っていたが、その中でも中央大学教授の堀部政男氏のコメントには本当に正気なのだろうかと思うくらい驚いた。新聞に掲載された氏のコメントの全文を転載する。
「プライバシー侵害を理由に、小説の出版差し止めを命じた、おそらく初めての判決だ。背景には、プライバシーなどの情報はいったん外部に流れると、損害の回復が非常に難しいことを、裁判所が重視するようになったことがある。今回の判決は、表現の自由も無制限ではなく、制約されることがあることを改めて示したもので、著作活動に携わる人たちへの警告と言える」
 明らかに判決を支持する発言である。
 表現の自由は最大限に発揮されなければならない。表現の自由には制限などなく、あるのは表現者の背負う責任だけだ。柳美里氏は先の作品で原告の方に不愉快な思いをさせて、そのために慰謝料を請求されて裁判の結果それを支払う。これは当然のことだと思う。これが表現者の享受する自由に付随した責任であり、表現者はこれだけのリスクを負ってものを書いているのである。
 前節で、作家は自分の方法論、手法で最高の小説を描こうとするとき、止むを得ず危険な表現、他人を傷付ける表現を使うと書いた。別に作家に限らず、エッセイだろうが新聞記事だろうが学術論文だろうが事情は変らないはずだ。唯一違うのは、小説には特有の書式、技法がなく、その選択は作家個人に委ねられているという点だけだろう。つまり他人を傷付けることを恐れていては本当に書きたいことが書けなくなり、結果できあがった作品が読むに価しないものになってしまう可能性が膨らむのである。
 ここで堀部教授のコメントを思い出して欲しい。教授であれば当然、論文を書くのだろう。彼は本気で論文を書いたことがあるのだろうか。僕が、たかだか大学を卒業して学士号を得るために書いた卒業論文にしたところで、そもそも学問的な価値なんて皆無に等しいものだろうし、それが世間的に重要でもないことはわかってはいたが、その当時の僕の力で書ける最高のものを目指した。そう、たかだかそんなたわごとでさえ、こんなことを書いたら○○氏の名誉に傷が付くのではないか、△△氏を深く傷付けるのではないか戦々恐々とした面持ちで書いた記憶がある。
 万年筆のペン先から滲み出すインクが、自分の指先から流れ出す血のように思えるような論文執筆の経験はあるのか。溢れ出す気持を理性で押さえて、ただ思考の力によってのみぎりぎり一杯のところで論文の形式に思いを書きつけた経験はあるのだろうか。いやしくも学者であるのなら、学問で飯を食うのなら、論文が自分の分身であることは先刻ご承知であろう。
 世間体を気にして、誰も傷つかない表現、あるいは疵付けても困らない相手を選ぶのに力をすり減らし、肝心の論文には魂の欠片すら見出すことが出来ない、そんな論文しか彼は書いたことがないのではないか。或いは言い過ぎかも知れないが、僕は堀部教授の業績を残念ながら存じ上げないし、新聞にも教授の代表的な論文のタイトルすら紹介されていないから、ここまで悪意を持っての邪推が可能なのである。更に言うなら、そんな奴に学者の称号を与えておく必要はない。
 日本国憲法において表現の自由は前節の通り第二十一条で、学問の自由は「学問の自由は、これを保証する」と第二十三条で明記されている。条項が違えば書かれている内容の解釈が違ってくるのか。まさかそんなことはないだろう。すなわち堀部教授の論を進めると、学問の自由にも制限があることになり、学者の研究も無制限ではなく、制約されることがあることを改めて示したもので、学術活動に携わる人たちへの警告、とも解釈できる。堀部教授の立場からすると、恐らく個人のプライバシーに深く踏み込まなければならない研究は、情報がいったん外部の流れると、損害の回復が非常に難しいから、制限しなくてはならない、と捉えて差し支えないと思う。
 ご自分の研究の成果として先のコメントのような説を発表しても構わない。ただしそれは今後、堀部氏がが今まで出してきたであろう学術的成果を否定することになる、或いは彼の研究に制限が加えられる可能性をも秘めていることをちゃんと認識しての上でのことであろうことを信じたい。学問の自由が保証されているから、ご自身の研究成果もこうした形で堂々と発表できるのだ。
 二〜三の六法全書をひっくり返して日本国憲法、特に二十一条と二十三条を眺めるに、二十三条で保証された学問の自由は、特に大学において最大限に発揮されるようだ。まさか堀部教授は、二十三条の解釈・判例をもってご自分を単なる「著作活動に携わる人たち」ではなく、特別な存在であると思い、その特権を教授できるとお思いではあるまい。堀部教授も論文を執筆されたり、教科書を執筆されたりする機会は数多くお持ちの筈だ(論文を書かない学者など学者の資格があるのだろうか)。あなたもご自分のご指摘された「著作活動に携わる人」であることを忘れないで頂きたい。
 今回の判決は個人のプライバシーが問題になったが、相手が国家である場合はどうなのか。国家のプライバシー、というとちょっと難しいが、或いは公表すると国家にとって都合が悪くなる情報を公開した場合、同じように判決が下された場合のことを考えると、空恐ろしい思いがする。堀部教授の立場が逆用されたら戦前のように検閲と憲兵さんに怯えながら暮らしていかなければならなくなるのではないか。そういう時代には学問の自由も額に飾ってあるだけの標語にしかならない。
 何より口惜しいのは、一作家と仕手の立場より何より、僕個人の気持を堀部政男教授のコメントに踏みにじられたように思えることだ。 質実剛健と在野精神を標榜し学問の自由の大切さを教えてくれた母校に、建学の精神すら否定しかねないような発言をする人間が教授としてのさばっていることを思うと、今まで誇りに思っていた中央大学出身を口にすることすらはばかられるようになるのだ。
 万が一、この乱文でお目を汚す機会があったら、是非とも僕の疑問にお答え願いたい、教授の学問的立場から、表現の自由と学問の自由の何がどう違うのか、当事者意識をお持ちなのかどうかをお教え願いたい。
 或いはお答えによっては、ここに書いた非難の発言を撤回しても構わない。

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『石に泳ぐ魚』裁判で思うこと(3)(1999.7.18)

 読売新聞6月23日版朝刊に柳美里『石に泳ぐ魚』出版差止め判決の記事が掲載された。そこに書かれた内容は、裁判を起こすまでの経緯と判決の内容、趣旨、及びどういう基準で選んだのだか良く分からない人たちのコメントが載っているに過ぎなかった。夕刊にも、文壇ではこの判決をどう受け取っているかがちらっと書いてあるだけである。どうして判決文を全文掲載しなかったのだろうか。
 本件の判決が確定してしまえば前例主義の日本の裁判のこと、同じような裁判が起こると必ず書いた側の敗訴になることは目に見えている。
 新聞社は言うまでもなく新聞を発行するところである。新聞とはこれすなわち記者が事件を取材して記事を載せ、読者に事件を知らせる発行物である。こんなことは小学生でも知っている。記者が記事を書く、新聞社が新聞を発行する、という行為が発生するわけだから、将来、読売新聞社が被告になる同様の訴訟を起こされる可能性だってあるはずだ。この事件に関して、同紙が報道したのは先の朝刊記事と、同じ日の夕刊の文化欄で、判決に文壇が分裂、との記事が載っただけである。まるで自分自身の問題として捉えていない。朝日、毎日、日経の日本四大紙と呼ばれる他の新聞ではどうだったのだろう。購読されている方はぜひ知らせて頂きたい。
 新聞社が悠長にしていられるのは次の理由が考えられる。

  1. 新聞は日刊、すなわち出版物としては寿命が短く、出版差止めとなるときには既に当該新聞は売切状態、しかも再発行がないこと。すなわち、物理的に差止め不可能である。実質は「お詫びと取り消し」の記事を出すのがせいぜいである。差止めを食らっても実害は少ない(むしろ「お詫びと取り消し」の
    記事が逆に宣伝となりその日の売上部数が大幅に伸びる可能性だってある)。
  2. 損害賠償を求められても、恐らく大きな痛手を被ることなく支払うだけの余裕はある筈だ。
  3. 新聞社では文章表現について「自主規制」を実施している。実際に、使用してはならない言葉の辞書まであるらしい。この規則に則って記事を書いている限り、絶対に訴えられることはない。
  4. 当然ながら政府及び司法機関との間に特別なコネを持っている。従って彼らには「規制される側」の意識はない。むしろ「規制する側」の意識の方が強いはずである。いざ訴訟を起こされても、バックに力がある限り示談に持ち込みうやむやにして済ませることは可能であるし、実際にそうなるだろう。

 法人は「法的に企業は財産の所有に関して人格を持つ」というほどの意味の言葉である。つまり、財産を持つことに関して人格を持つことは、その財産を管理することに関しても人格を持つことになり、その方策を検討することに関しても人格をもつことになりはしないか。新聞社が財産を管理する場合、政府を初めとする公的機関と、財閥等大資本の庇護を受けて、減らさないように、潰されないようにと考えるのは当然といえば当然である。しかし、一方で民意の良識を代表して支持を受け発行部数を伸ばす、市井の民を啓蒙して民衆の代表としての力をつけるという義務も負わされているはずだ。
 新聞社は我々に、こんなこと書くと訴訟を起こされるよ、と知らせるだけで良いのだろうか。表現の自由は、文壇のものではなく、日本国民全員が有する権利である。法人格を持つ企業にもそれは変わりない。新聞社が今回の訴訟を自分自身の問題と捉え、あるいは全国民の問題と捉えるならば、判決文を全文掲載し、専門家に詳細な解説を依頼し、様々な立場の解釈を紹介して、見開き2面くらいの記事にしたってまだ足りない問題ではないのか。たかだか社会面の2/3を占めるだけの事件だとは、僕には到底、思えないのである。
 筒井康隆氏が「断筆宣言」を出したときから、あまりにも状況が変わらなさすぎるではないか。言論・表現の当事者が何故こうして、黙っていられるのか。新聞社ばかりではなく、日本ペンクラブなり作家教会なり、そういう団体は新聞社に講議の一文を載せることくらいやっても構わないだろう。
 問題は、柳美里氏と原告の女性との間にあるのではない。「表現の自由」を規定した判例と、(主に文章による)表現を生業としている者がそれをどう受け止めるか、どう考えるか、今後どうするのかにあるのだ。新聞社は何かを誤解しているのではないのだろうか。
 いや、ひょっとしたら新聞社の怠慢ではないのかもしれない。実は、判決文自体に「自主規制」に抵触する表現が含まれていて、掲載すれば訴訟を起こされかねない内容だったのかもしれない。
 或いは、あまりにも馬鹿馬鹿しい内容のため、掲載には及ばないと判断したのであろうか?

付記:
 『石に泳ぐ魚』裁判に関して一連の感想を述べた直後、「新潮45」8月号に『「朝日新聞」社説と「大江健三郎氏」に問う』と題する柳美里氏の反論が掲載された。僕の書いたものに、事実誤認や的外れな攻撃、柳氏の考えを想像して実際とは違っていた部分が多数発見された。これらはすべて柳氏の反論が正く、同誌反論を参照して頂きたい。尚、私の文章は、この時点の、手持ちの資料及び知識、考えを正直に出しているものであり、敢えて修正はせずそのまま残すことにする。

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『石に泳ぐ魚』裁判で思うこと(2)
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妹の結婚・直後の心境(1999.11.24)
 妹とは言っても実は血のつながりどころか戸籍上も何の関係もない赤の他人、そう思って結婚式場に臨んだ。十年数年前にバイト先で知り合い、それ以来、僕が兄貴風を吹かせているだけなのだ。妹はそれに付合ってくれていただけなのだ。披露宴に同席したはっちーから「泣いちゃうんじゃない」と言われても、別に平気さ、とタカをくくっていた。ただ「自称」兄としては、いつも見せている酔っ払ってぐちゃぐちゃな姿だけではなく、たまには立派な姿を見せようと、普段はまるっきり気にしない身嗜みに時間を掛けて気を引き締めたつもりだった。
 しかし、アルコールが一滴でも身体に入るともう止まらなくなる。途中から妹の結婚式か合コンかわからなくなり、女の子のいる席に移って馬鹿騒ぎしていた。およそ十年振りに会った妹の高校の同級生から「おにいちゃんだ」と声を掛けられ、良く覚えてたなと馬鹿みたいに喜んでいた。
 ただ、この件で一つだけ言訳しておく。妹の中学の同級生が余興でピアノで弾き語り(「明日に架ける橋」)することになっており、時間が迫るに従って尋常ではない緊張の仕方になってきた。そんなときは飲んで空騒ぎが一番、肩から力が抜ける方法だと信じて僕は彼女の傍で酒を注ぎ下らない話をしては気を紛らわせているつもりだった。演奏前のおさらいをしているのに邪魔をした、という一部の批判は、甘んじて受けよう。僕は問う。なら他に、どうやって彼女の緊張を和らげれば良いのか。緊張し切ったままで、ピアノに向かわせようと言うのか。
 僕にはそれができない。どうしてもできない。だから酒を注いで、騒ぐ。
 だから要するに酒を飲むと僕はただの酔っ払いになる。これだけは自信を持って言える。途中で司会者(女性)が、各テーブルから一人ずつインタビュー形式でテーブルスピーチをしてもらう、と言ったときも気付かずに女の子と遊んでいた。ところが、いきなり僕の本来の席に順番が回ってきて「お兄さんの様な存在の」あ、これはまずいと思い走って席に戻って「霧小舎さんにお願いします」とぎりぎり間に合った。「新婦と霧小舎さんはどの様なご関係ですか?」「あの、おい、なんて言っといたら良い?」「新郎と新婦はどの様なご夫婦になられると思いますか?」「ああ、二人とも放飼いになります」酔っている上に突然だからもうしどろもどろもいいとこだった。
 緊張に震えていた同級生のピアノ演奏は、ミスタッチだらけだったが、妹は一緒に口ずさんで涙ぐんでた。連られそうになった。いやいや危ない。花束贈呈でも妹は泣いていた。これもかなり危なかった。何も僕まで泣く必要はない。無事演奏を終えて席に戻ってきた同級生は「間違いばっかりだったよう」と口惜しがっていた。しかしあれはあれで立派な演奏なんだ。自分の芸をひけらかして得意顔で拍手喝采を浴びる輩は、結婚式に出席する前にリサイタルを開きたまえ、主役は新郎新婦なんだぞ。僕は友人の思いが伝わるような形なら、何をどうしたって、たとえ間違いだらけだって構わないんだ。
 妹が仕組んだのかどうか知らないが、二次会・三次会は女の子が多かった。もう僕はそれだけでご機嫌だった。悪ふざけはどんどんエスカレートし、かなり派手にはしゃいでいたと思う。現に今、これを書いている時点で筋肉痛がする。たぶん、ほとんど全員の女の子が訳もわからず抱き付かれたのではないか。僕はどうせそういう人間だ。
 ややへべれけになった同級生を送り、もうすぐ日付が変ろうとした頃、ようやく家に戻った。次の日は仕事だから、急いで風呂に入った。僕は休まず・遅れず・働かずを地で行くサラリーマンだ。仕事中に居眠りばかりして、会社が引けるとものになるかどうかもわからない小説を書きに書斎に篭る、世捨て人だ。酒を飲んでは酔っ払い、無為無益に人生を浪費するただの役立たずだ。そう思って湯船に浸かるとほんのわずかに残っていた緊張の糸がプッツリと切れた。突然、披露宴で司会のお姉さんが「お兄さんの様な存在の」と僕を紹介したのを思い出した。司会が僕と妹の関係を知っている訳がない。あらかじめ妹が、来賓のプロフィールを紹介しておいたに決まっている。そう思うといきなり涙が溢れ出して来て、止まらなくなった。ただ何かのついでに生きているような、他にやることがなくて人生を賭けた暇潰しに小説を書いているような僕の人生が、少なくとも妹にとっては何らかの意味があったのだ。
 もうしばらくの間この世で生きていても、それはそれで許されるのかもしれない、そういう安堵感が布団に入ってからも僕の涙を止めてくれなかった。
 新ことわざ:霧小舎の眼に涙。

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妹の結婚・直前の心境


妹の結婚・直前の心境(1999.11.11)

 妹が結婚する。以前からお付き合いしている方がいるのは承知していたしかし昨年の春、しかも『何だっけ制作委員会』の会合で「結婚を決めました」と報告されたときにはどうしたら良いのかわからなかった。相手は大学の同級生で、僕と同業者らしい。というのは、実はこの期に及んでまだ会ったことがない。僕が仮に身を置いているコンピュータ・システム業界というのは、できる人ほど忙しい。つまり、妹から一声掛かればホイホイと出て行く僕のような奴は駄目組、彼のように寝る間もろくになく働く人は優秀なのだ。優秀な人ほど、あちこちのプロジェクトから声が掛かり、色々と手伝わされる。
 妹から結婚の話を聞かされたその日、酒の席だったから、無論、泥酔した。何故か、同席したむーくんまで泥酔して居酒屋で寝てしまった。奥さんがいる前でである。へべれけになったむーくんは「まだ早い」を連発した。今思えば僕が荒れるのを、半分肩代わりしてくれていたのかもしれない。
 会合が済むと、むーくんを渋谷の駅まで送り奥さんに託して、妹と僕はタクシーを飛ばし六本木の青山ブックセンターに行き、再びタクシーを飛ばして帰宅した。六本木でタクシーを拾って僕は「どこでもいいから適当に飛ばしてくれ」と頼み、妹が慌てて取り消したのを覚えている。何のつもりでそんなことを言ったのかさっぱり覚えていない。
 タクシーを降りて、妹のマンションまで送っていくつもりが、逆にベロンベロンになった僕が送ってもらってしまった。その途中、妹が携帯で彼の家に電話を掛けた。留守電だった。そこで僕は電話を取り返し「こら、このクソガキ、俺の可愛い妹を持ってく気か、この野郎、百年早ぇや、こら、出てこい、隠れてんのはわかってるんだ、ぶっ殺してやる」などと怒鳴りつけたようだ。うっすらと記憶があるのがいやらしい。
 翌日、僕の留守電の件で、彼は妹にこう言ったらしい。
「今度『はじめまして』ってお伝えして」
 やられた。
 しばらくして、いつもの僕の暴言が元で妹と喧嘩した。その後、妹から電話が掛かってきた。「再来月の対案の日曜日、何か予定が入ってる?」思わず腰が浮いてしまった。本当の用は、これから海老チリをつくるから海老のプリプリ感を出す方法を教えてくれ、というものだった。「さっきのはこの間のお返し」こういうしたたかさが僕と良く似ているように感じる。
 今でも妹に、嫁になんぞ行ってくれるな、という気持ちはある。しばらく前までは婚約者が、櫻田宗久『愛の奴隷』『恋の呪文はヤム・ヤム・ヤム』をフルコーラスで唄って踊ったら結婚を許してやるとか、将棋の七番勝負で僕に勝ち越したら許してやるとか、無茶な注文ばかり出していた。
 僕がとうとう諦めて嫁に行くのを許したのは、妹の一言を聞いてだった。
「わたし、絶対にしあわせになります」
 婚約者がどうなろうと構わない。妹が幸福になる自信があるのなら、それを止めるのは兄としてあまりにも忍びないではないか。

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妹の結婚・直後の心境

エレベーター事件簿(1999.9.15)

  1.  慌てて乗ったら上下行き先が逆だったというのはよくある話。
  2.  途中で知り合いが乗ってきて、話をしているうちに自分の降りる階を忘れるのもよくある話。
  3.  最近、込んでるエレベーターに乗るとブザーが鳴ることが多い。以前は滅多に鳴らなかった。
  4.  乗ったエレベーターでカップルが抱き合っていて、接吻まで始めた。他の乗客は僕一人。これは困った。嘘のような本当の話。
  5.  謎のエレベーター。床も壁も一面、びしょ濡れだった。
  6.  どう見ても健康そうな人が、1階上り下りするためだけにエレベーターを使うのは不思議だ。待っている時間を考えたら階段を使った方がどう見ても早いのに。
  7.  上りのエレベーターを呼んだら、三台のドアが一斉にぜんぶ開いてしまった。どれに乗ろうか迷っていたら今度は一辺に全部のドアが閉まってしまった。こういうのを優柔不断というのだろうか。
  8.  大学での話。1階から9階の研究室に行こうとエレベーターに乗った。僕の姿を見て、友人が慌てて乗ってきたかと思うと、全部の階のボタンを押して、また降りて行った。途中の階で乗り込んできた人から、睨まれること睨まれること。
  9.  ときどきコーヒーの匂いが残っていたり、化粧の残り香があると嬉しい。花束を持った女性が降りた後に乗るのもまたよし。たまに海苔と醤油の匂いが残っていることがある。エレベーターで海苔弁を食うやつがいるのだろうか。バラやジャスミン、キンモクセイの人工的な匂いが残っていることもある。あれは何故だ。かつて乗ったエレベーターの片隅に「キムコ」が置いてあった。とんでもないものに乗ったような気がしたのは僕だけだろうか?
  10.  僕がエレベーターに乗った後、大きな荷物を持った宅急便のおじさんが乗ってきた。おじさんは僕より上の階のボタンを押した。僕が降りる階に着いたとき、荷物で出口が塞がれ降りられなくて、結局はおじさんの階へ行ってまた降りてくることになった。
  11.  今の現場には6台のエレベーターがある。1階で上りのボタンを押してエレベーターを待っていた男がいた。すぐにエレベーターが来て、僕も上の階に行きたかったのでさっと乗り込んだ。すると、上行きのエレベーターを待っていた男はどういう訳か、そのエレベーターには乗らずにまた上りエレベーターを呼び出すボタンを必死になって押していた。僕は彼を放っておいて一人で上に行ってしまったがどうも腑に落ちない。彼はそんなに僕と同乗するのが嫌だったのだろうか。それとも、お気に入りのエレベーターがあるのだろうか?
  12.  仕事が終ってオフィスを出るのに下りのエレベーターに乗った。僕が乗ったとき、上の階の会社に勤めているらしい若い女の人が乗っていた。僕がエレベーターの奥に行くと、彼女は出入り口のドアにぴったりと身を張りつかせた。そして1階に着くなり、脱兎のごとく逃げるように走り去った。1階に誰もいなくて良かった。あの現場を見られてたらきっと、僕が痴漢行為を働いたのかと疑われたに違いない。

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女二景(1999.8.15)

 コンビニエンスストアでペットボトルのお茶を買う。たまたま並んだレジの女の子は、好ましい笑みを浮べ客を待っていた。物腰、立ち居振舞い、接客態度、どれをとっても店員としては満点の出来だ。
「四百八十八円になります」
「です」ではなく「になります」が良い。
「これで」財布から無造作に千円札を引っ張り出す。
「はい、かしこまりました」レジを軽やかに叩きキャッシャが開く。細い指先が無機質なコインを軽々と浮き上がらせる。
「五百十二円のお返しです」一人の客に言葉を重ねない。
 利き手の平を天井に向け照れ隠しのためかやや乱暴に腕を差し出す。彼女の手が被さる。冷たいコインの受け渡しに、思いもかけず大きな面積で手のひらが触れ合う。予想もしなかった胸の高まりを感じる。
 一円玉が一枚、二つの掌の隙間から転がり落ちた。
 ここにいるのはロボットではない。確かに人間だった。

 建物の外で煙草を吸う。文庫本を片手に5分間の息抜き。煙草を灰皿に放り投げ、ジュッと火が消える音を合図に目を上げ本を閉じる。
 再び重い気持になって自動ドアをくぐろうとしたとき、一人の女性が眼に入った。植え込みの手前で、建物を背にして携帯電話に耳を当てている。口許は動いている気配がない。
 やや前かがみでつま先立ちのように見える。濃紺のスカートと淡い黄色のブラウス、肩に掛かった茶色いショルダーバッグのいでたちで、いくらか茶色味がかったボブ・ヘアーと仄白い肌色の顔に夕陽が降りかかる景色は、女の強い視線を浮き彫りにする。
 自動ドアが開ききって後ろに人が歩いてくる。押し流される僕が再び建物の中に目を戻そうとしてもまだ、彼女の口許はまだ動いていない。

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