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| ●2003年5月 |
●2004年5月 |
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今回のハワイ行きの目的は3つ!私の打ち合わせ、子供のキッズスクール参加、家族の絆である。打ち合わせの為の書類もできあがり、キッズスクールの申し込みもすませ、あとは家族の絆が深まめるだけ。参加は私と娘、一番下の妹とその娘、私の両親も一緒に行くといいだし、それならと私の叔母も行くことになった。私の夫と真ん中の妹は、仕事の為3日遅れでハワイ入りする予定だ。 今回は8泊10日、計大人7人、子供2人の大所帯だ。 航空券はマイレージ会員なのでANAの早割で購入。子供は25%引き、主人はマイルがたまり27000円だ! コンドミニアムは定宿の○○○の2BRを5人で。 持ち物:和菓子、麦茶、お新香、ご飯、ガムシロ、酢など 主人の母にいつものことだが、「海外なんて行くんじゃない!」と、さんざん言われながら荷物のパッキングをした。9年目にもなるとさすがに慣れてくる。気にしないで行こう!年に一度のバカンスなのだから。娘はいつもの様に「友達いっぱいつくるんだ!」といいながら、折り紙をリュックにつめている。 |
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出発当日、成田空港まではJR線で行った。娘もスチュワーデスバックをがらがらと引いて。成田空港第2ターミナルで両親と合流。チェックインに時間がかかると聞いていたが、スムースに終わった。出発時間の3時間前から始めてくれたし、スーツケースも鍵をかけたままで預けられた。時間が余ったので、マックでお茶をして、見学デッキで写真をとり、その後おきまりのキッズルームで遊んだ。出発30分まえにゲート前に集合。時間通り搭乗が始まった。子連れは優先されるのでこういうときはとってもうれしい。 機内はガラガラ・・と思いきや、これまたびっくり!なんと満席だった。テロだの戦争だのSARSだので、それもGW明けなのになんで満席なのだろう。やっぱりハワイ人気は健在でうれしい。機内食は娘が肉料理を、私は魚料理を頼んだ。娘は相変わらず映画(ハリーポッター秘密の部屋)を楽しみ、搭載されているゲーム(バックギャモン)を楽しみ、そしてぐうぐと熟睡していた。私は忙しさのあまり、薬を飲み忘れたためか極度の閉所恐怖症と闘っていた。う〜〜。やっぱりつらい。それから、6時間後、あれを見るときがやってきた!そう!飛行機の中からみるハワイ上空のサンライズ!雲の下からオレンジ色の光が上がってくる。年に一度、これを見ると「一年ごくろうさま!」と自分で自分にねぎらいの言葉。娘が「ママ、今年もこれ見れたね!」と目をこすりながら隣でそっとささやいてくれた。 |
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ホノルル国際空港へ到着。ピーカンの晴れ天気。入国審査を終え、ターンテーブルから荷物を受け取り、いよいよ個人出口へ。暑い!これまたすご〜く暑かった。こんな天気でいいのだろうか。Yahooのハワイの天気で調べたら、曇りや雨マークだったのに。いつものごとく、デスパッチャーのおじさんにビッグタクシーの手配を頼んだ。リムジン並の良い車が手配されてやってきた。荷物を詰め込みいよいよワイキキへ。H1はそれほど混んでいなかった。コンドまで約27ドル、チップをいれて32ドルわたした。フロントでチェックイン手続きをした。両親のへやがreadyだと言われたので、とりあえずみんな一つの部屋に荷物を置き、お茶を飲みながら1時間ほど休憩。その後、タクシーでケアモクのロスドレスフォーレスでお買い物。おみやげはここでほとんど済ませた。ランチはおきまりのリケリケドライブインで。両親と叔母はサイミンを、私と娘、妹とその娘はサンドイッチを。結局サンドイッチの量が半端ではなかったので、ドギーバッグに詰めてもらった。バスでもどり部屋にもどったのは3時頃。私たちの部屋もreadyだったので、荷物を運び直し、シャワーをあびた。子供達はお昼寝をし、その間部屋を片づけた。夕食はインタナショナルマーケットプレイスのヤミーコリアンBBQで。カルビのプレートランチが美味しかった! 娘と2人で肉の取り合いに。なんか去年よりカルビ肉の量が増えた気がした。 |
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この日は、みんなでバスでハワイ大学へ行った。娘は「将来絶対ハワイ大学に入る!」と豪語している。私は結構期待している。親ばか? クヒオから4番バスに乗った。バスの中で日系のおばあちゃんに話しかけられた。愛知出身だという。ハワイの市バスはサービスは悪いが安いから、どこでもいけるとか、ハワイの生活はこうだとか、いろいろ話してくれた。モイリイリあたりで降りていった。ハワイ大学に着いてまずはブックストアーに向かった。学生がMother's dayのキャンペーンをしていた。カードを書くと無料で(というか大学側の負担で)マミーに送ってくれるというボランティア活動だった。「日本にも送ってくれるの?」と訪ねると「もちろん、彼も日本のマミーに送るのよ。」とある男の子を紹介された。日本からの留学生だった。娘が私宛に、私は私の母と主人の母と、お世話になった叔母に送った。(ちなみに帰国したその日に自宅のポストに配達されていたが。。。)父はこの活動をしている学生を大変気に入ったらしく、(とっても美人さんだったから)写真ばかりパシャパシャ撮っていた。それも「キュート!キュート!」とくだらないことをいいながら。。。その後、ブックストアーで私はTシャツとノートを買い、娘はパワパフガールズのスティッカーを買った。ランチは学生食堂で済ませた。まずくもなく美味しくもなく、でも娘はここがお気に入りだ。ホールではコンサートが行われていた。キャンパス内を1時間ぐらい探索し、また、4番バスでワイキキに戻った。ディナーは疲れていたし、おなかもすいていたので、ペリーズスモーギーで済ませた。9.95ドルのブッフェはなかなかだ。ドリンクからデザートまですべて食べた。美味しかった。その後はコインランドリーで洗濯をして9時にはベッドに入った。明日はラーニングスクールに子供が通うんだから。。 |
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子供達はラーニングスクールへ この日から2日間、子供達は現地のラーニングスクールへ。従姉妹と2人分を日本から申し込んだが、交渉の末兄弟割引が適用。ありがたい!娘は朝からそわそわで、英会話ブックを片手にぶつぶつ。9時10分に送迎車がやってきた。英語で名前を聞いたり、好きな食べ物を聞かれたりでどぎまぎしていた娘だったが、「実は先生は日本語も話すんだよ、だから心配しないでなんでも言ってね。」と日本語でいわれてから、ホッとしていた。車に乗り込みいってきます!。4時10分、子供達が帰ってきた。Tブライアンという友達ができたこと、アウトドアアクティビティでカイルアのビーチへいってリリーという女の子と友達になったこと、色々話してくれた。 サマーファンの情報収集 私はモイリイリコミュニティーセンターへ4番バスで。両親も一緒に行きたいとついてきた。事務所でサマーファンの詳細の説明を聞いた後、スタッフの方に頼んで館内を見学させてもらうことに。ココは遠い昔、日本人学校であったこと、日系の移民者とその子孫の憩いの場であること、この地域には日系の方が沢山すんでいること、この地域の高校は昔「Japan High」と呼ばれていたことなど、説明を受けた。この日のプログラムはシニア向けのフラダンスレッスン、日本語学級、荒城の月の曲にあわせたストレッチ体操。「将来、ここにすんで、このセンターでボランティアしませんか?」と言われ、両親もすっかりその気になっていた。日本人の若いボランティアスタッフ、アツコさんや、日本で教員をしていて定年後、このセンターでボランティア講師として働いている方にもお会いした。日系の方が多く住んでいるモイリイリの町は素朴で穏やかな町。本願寺プレスクール、広島の宮島の神社のレプリカなどがあり、日本名の表札のある家も点在している。その後6番バスでアラモアナへ。私は両親と別れてYMCAやその他のサマーファンを行っている施設を回り、現地のエージェントとの打ち合わせを終え3時頃部屋に戻った。ランチはABCのサンドイッチを部屋でたべ、屋上のプールサイドで書類をまとめた。 そして「ハワイの歩き方」の取材 夕方5時にワイキキ交番で待ち合わせ。誰とかというと「地球の歩き方」ハワイの歩き方の取材を受けるため。記者のG氏はとってもすてきな方で、取材の他にもいろいろとアドバイスをしてくれた。実際、主人が合流してからも、結構お世話になってしまったが。。私もいつかはG氏の様にハワイで定職に就きたいと思っている。(取材記事はこちらをクリック) |
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この日の朝も子供達は早起きし、ラーニングスクールへ。妹がエステにいくと言いだし、到着日に予約をいれた。日本人のエステシャンを頼んであげた。「お姉ちゃん、一緒に来て〜!」ということで、一緒に着いていった先が、ワイキキ中心のホテル内にあるMassage To Go。エステシャンに「エージェントの方ですか?」と言われ、少しムッとして?宿に戻った。フロントではチェックインに苦しむ主人の姿が!!「大丈夫?」と声をかけると「よかった〜〜。お前にかいてもらったチェックインの時の英語の文章、どっかいっちゃってさ〜〜」。情けない!中学でも高校でも大学でも最低限度の英文法は習っただろうに。。。部屋に入るなり。主人はベッドで高いびき。仕方なく、ビーチで1人のんびり。趣味で書いているエッセイや小説は、ハワイを舞台にした内容だ。このところ仕事の忙しさで怠けていたので、少し書き始めた。 その後、両親とアーミーミュージアムへ。日系人の功績をたたえた文章や写真が飾れていたが、心が痛む。自分の親の国をアメリカ国民として攻撃しなければならなかった日系部隊。彼らの成し遂げた偉業は命と引き替え。現在の日系人地位や生活は彼らの命の代償の上に築き上げられている。ゆえに、ハワイに住む日系人、日本人は歯を食いしばって頑張れるのだろう。 夕方に娘をピックアップ。その後、一緒にワイキキをぶらぶらと歩いた。ペイレスシューソースで、お兄さんが、英語で「セールは今日で最後です。」と言っていた。娘と「とかなんとか言って実はず〜とやってたりしてね。」と話していると、「そんなことないです。本当です。」と日本語で!実はこのお兄さん、日本人だった。群馬出身でここにすんで3年、海外生活のおもしろさと大変さについて話してくれた。「また来年会おうね。」と別れを告げて、部屋に主人を迎えに行った。ディナーは主人が疲れていたので、近場ですませた。両親達はディナークルーズへ。帰ってきて聞いた話だが、ゲロゲロ状態でステーキもお魚料理も何も食べれず、40ドル払って食べたものはレタス2枚だけだったらしい。あとは甲板でゲロゲロしていたらしい。父親だけは、残っている他人の分まで料理を堪能し、挙げ句の果てに、ダンスや歌ものりのりで参加したらしい。今年68才の父である。 |
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朝、6時半に娘にたたき起こされた。「エッグスシングス、行こう!」仕方なく起きる。主人も起きる。妹が「私もいこうかな。ハルも行こうよ。」と子供を起こす。朝7時、化粧もせずコンタクトも入れず、めがね顔でてくてくとエッグスシングスまで5人でお散歩した。店は火事によりリオープンされて間もなかったせいか、綺麗にレノベーションされていた。顔の2倍以上あるアイスティとバナナパンケーキとイチゴクレープと本日の朝食を頼んで5人でシェアして食べた。おいしかった〜〜。やっぱりココのビッグなパンケーキは「ハワイ〜〜」って感じがする。 宿にもどってから、水着に着替えてビーチへ。いつものように、部屋でランチ用のおにぎりをたくさんつくってクーラーバックにドリンクをいれてピクニックだ。フォートデラッシービーチは、ビーチパークもあり、子連れには最適。マイお気に入りの上位ランクだ。 夕方、主人と両親達は、ケアモクのロスフォーレスドレスでアロハ探しに。私と妹と子供達はワードセンターの本屋へ。パワパフガールズのぬりえ本を沢山買わされた。その後、カカアコキッチンで主人達と待ち合わせ。ここはローカルの方ばかり。みんなと同じようにプレートディナーにした。ボリュームがあって食べきれず。でも、美味しい。テラス席で食事をしていると、後ろの席に娘と同年代の女の子とパパとママとそれから、かわいいチワワが食事をしていた。娘が「May I touch?」と聞いたのでそのかわいいワンちゃんにさわらせてくれた。「ママ、みて!ほら、キスしてくれてる。」動物好きの娘は大喜びだ。ワードエリアは、新しくできたお店が多いせいか、街並みがアメリカンで写真をぱちぱちとりっこしてしまった。両親も大満足のエリアだったようで、連れてきてあげて良かった。 |
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今回の滞在中、主な交通手段はバス。子供が小さいときはレンタカーでの移動だった。小学生になると、子供達もバスに乗りたがるし、両親もバス好きのため今回はあえてレンタカーを借りなかった。1ドル50セントの旅はなかなかだ。独身時代はモペットをレンタルしていた。結婚してからはず〜とレンタカー。バスでの移動がこんなにも人と人との出会いをうむなんて思いも寄らなかった。バスに乗るたび友達が増えた。モイリイリに住む日系のおばあちゃん、沖縄に1年駐留した米兵青年、スーパーマーケットの店員さん、プナホウにすむ青森出身のおばさん、ハワイ大学の学生達、たくさんたくさんの人と出会って、たくさんたくさん元気や勇気をもらった。 両親はこの日、私なしでバスに乗ってみるといいだし、2番バスでホノルル美術館へ行った。帰りは13番バスで戻ってくればいい。入園料もシニアは割引だ。館内のカフェでティーを飲んできたと、自慢げに話してくれた。彼らも言葉の壁をこえて、行動でき、少しだけ異国の地で自信をつけたようだ。 夜、みんなでバスでアロハタワーマーケットプレイスのビッグアイランドステーキへ。アーリーバードのサーロインステーキと魚のステーキを注文。ビールは顔より大きいグラス。カクテルはかわいくハワイの花が飾られていた。雨が降ったせいか、大きな虹がでた。みんなで写真を撮り、最後の晩餐を楽しんだ。残念ながらハッピーレインボーにはならなかったが、心のシャッターを押して焼き付けておこう。この日の夕食は、ハワイに来て初めてのステーキ。あんなに楽しみにしてたステーキだったのに、なんだかこの1週間はいろいろあって、胸が詰まって結局食べきれなかった。飲めないのに、おばちゃんのビールを2口飲んだからかな?何はともあれもうすぐハワイも終わる。 帰りは、やっぱりバスで。アラモアナセンターでトランスファーした。バスの中で誰かが言った。「みんな、外をみて!花火よ。きれいよ。ほらあれ!」バスの乗客は全員右側の座席に移り、しばし花火見物。私が、「みんな右側にすわったら、このバス右にコロンって転んだりして。」と言うと、バス内は大爆笑!楽しい夜になった。 |
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主人はハワイに来てからず〜と毎日のように「お粥、お粥」と騒いでいた。父は「飲茶が食べたい」と騒いでいた。先日のハワイの歩き方の取材で知り合った記者のG氏に連絡をとり、アドバイスを受けた。彼はチャイナタウンへ行ってはどうかと。ただし今日は土曜日だ。休む店も多いと聞いたので、いきつけの中華店、カパフルにあるヒーヒンレストランへいくことに。最後の日ということもあり、贅沢にビッグタクシー(リムジン並の)で向かった。お酢も持った。毎年ここには土曜日に飲茶を食べにくる。そして今年も。ここはローカルのチャイニーズが家族と一緒に飲茶を食べている。我が家も総勢9人で円卓を囲み、ワゴンから好きな飲茶をいただいて食べた。いつ食べても飲茶は美味しい。ここで、主人が騒いでいたお粥料理を2品注文した。シーフード粥と牛肉粥。どちらもヒット!主人も満足だった。店を出た後、歩いて帰ることにした。図書館をぬけてアラワイ運河沿いをてくてくと歩き、時々立ち止まってはみんなで写真を撮った。ワイキキコミュニティセンターの前を通り、カラカウアにでてワイキキビーチ沿いを歩いた。今年のハワイもこれで終わり。9日間なんて早いものだ。娘と手をつないで歩きながら「もう終わっちゃうね。早いね。」と何度も何度も呪文のように繰り返した。午後はコンドのプールで泳ぎ、ジャグジーでお決まりのおしゃべり。子供達がお昼寝をしている間に、最後の洗濯と掃除、それからパッキングと主婦としてやることがたくさんあった。夕食は部屋で作って食べた。6時半頃には、なんとか全て終わったので、ぶらぶらとワイキキの街に出た。主人が「タートルグッズ、買ってない!」と言いだす。毎年、なにかしらタートルグッズを買う我が家だが、今年は忙しさのあまり、忘れていた。インターナショナルマーケットで、主人と私はコアでできたタートルのネックレス(ジャンク物だた)を、1ドルか2ドルで一つ筒購入した。海辺で最後の写真を撮って、両親達とみんなでルワースのスタバでカフェモカを飲んだ。この9日間を振り返って、笑ってみたり、ちょっと涙してみたり。また、こようね!って娘が言った。 |
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とうとうココを去る日がやってきた。毎回思う、あっという間だったなって。昔、あるサーファーボーイがこう言った。「ココで過ごした時間は夢だったんだ。成田で飛行機のシートに座り、目をつぶって。そこからはすべて夢。目を開けたらやっぱりそこは成田。この数日間、数ヶ月間は夢の中の出来事だったんだ。」以前は、私もそう思うことにしていた。でも今は違う。夢なんかじゃない。娘の手を引いてしっかりこのハワイの地に足をおろし、たくさんの人と出会い、たくさんの元気をもらい、家族の絆や心の風邪を治療して、いっぱいいっぱいの笑顔を取り戻した。だから夢なんかじゃない。夢じゃないから淋しくない。またココに戻ってくればいいのだから。 出発の朝、娘と私はすこし早起きした。(5時頃だったと思う。)ワイキキのサンライズをラナイ見ていた。今年最後のハワイのサンライズ。到着の日は飛行機の機内から、帰国の日はコンドのラナイから。お決まりの「ロフト&ラナイ」のパンケーキとフレンチトーストをほおばりながら、娘が言った。「ママのお顔にたくさんのスマイルが戻ったね。またこようね。一杯勉強して、いっぱいお仕事して、そしたらまたこようね。」大きな瞳にいっぱい涙をためて、娘がそう言った。「うん、また戻ってくればいいよね。」私も答えた。主人がベッドルームから起きてきて「最後にみんなで朝日をバックに写真撮るぞ〜! ラナイに集合!!」 みんな真っ黒に焼けた笑顔でラナイで写真をいっぱいいっぱい撮って、ハワイに、ワイキキに、バイバイした! またね、ハワイ! またね、ワイキキ! |