現在、政府・与党は教育基本法の改悪案を国会に提出した。問題点はたくさんあるが、現在の教基法を変えることは、教基法が作られた歴史的意味を否定することになる。歴史的意味とは何か。戦前の教育のシステムは上命下服であり、上司の命令で教育活動をし、教育内容は国家が決めていた。国家主義教育という批判を私たちはする。侵略戦争を正当化し、若者がすすんで戦争に参加するような教育が実施されてきた。若者の考えを、戦争賛美に変えることが出来たのは、教育の力であった。その反省が、戦後の教育の出発点になった。それが、教育基本法の10条である。
10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきものである。A 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行なわれなければならない。」と、書いている。ここに、教育行政の役割が明確に示されている。しかし、最近都教委などは、この10条違反を平然とやっている。現在の政治家の中には、この侵略戦争を反省しないで、肯定する発言がいまだある。これこそが、教育の問題ではないか。侵略戦争をきちんと教育してこなかった。平和教育とは、侵略戦争を否定するところからしか、出発しえない。
憲法9条を変え、教基法を変えることは、戦後民主主義の体制を変えることである。社会の仕組みを変えることでもある。いま、「小泉改革」と言われているが、格差が広がっている、とも言われている。