| 音楽評論家 木崎義二
全国の真奈美ファンの皆さま、おまちどうさま!
わが国最年少のカントリー歌手としてデビューして、はや何年になるのだろう?
真奈美ちゃん念願のファースト・アルバムが、やっとここに完成した。
関谷真奈美。東京は目黒に誕生した。
少女時代の真奈美ちゃんは、会うたびに「こんにちは!」と、ハッキリ挨拶する、それはそれは、かわゆい女の子だった。現在、ファンが聴きやすいように、より正確な発音の歌い方は、その頃に培われたのかもしれない。
時代ははっきり認識していないが、ぼくが真奈美ちゃんと知り合ったのは、その「こんにちは」時代だった。その頃の彼女は、まだ三輪車に乗っていたから、多分5〜6歳の頃だったんじゃないかな。思えば長い、ナガーイ付き合いなのデス(笑)とはいえ、不思議なことに、その後の真奈美ちゃんとの交流は、ぼくが暫く東京を離れがちだったので、残念ながら年数回、道でバッタリ会った時に挨拶する程度で、彼女が十代後半まで待たねばならない。
ある日突然、若手カントリー歌手として、目の前に登場してきたのだ。驚いたねぇ〜。あの「こんにちは」のお嬢ちゃんが、ぼくが若い頃から最も好きだった、カントリー・ミュージックの歌手となって再登場したんだから…。
関谷真奈美がカントリー歌手を志したのは、高校生時代、17歳の頃だったという。
幼少期から歌手を目指す少年、少女は数多い。むしろ、こんにちでは当たり前かもしれない。が、この日本では、とかく冷遇されがちなカントリーの歌手を目指した、となると、これはまさしく驚異だ。当然のように(?)、日本人にも、アメリカ人にも珍しがって迎えられた。
カントリーの持つフィーリング〜世界観、奥深く、幅広い音楽性、ウェスタン・ファッション、その総てが大好き、だという。こうした意思をもってプロ歌手を目指す若い人は、あまりいないんじゃないかな。
その熱意は、日本のカントリー・ミュージック界の重鎮、寺本圭一氏の門を叩かせた。寺本圭一&カントリー・ジェントルメンのヴォーカリスト兼ピアニストとしてデビューすることになったのだ。以後、ライブ・ステージを中心に、東京や湘南をはじめ、日本各地のライブ・ハウスで、あの愛らしい姿と歌声を聴かせてくれるようになった。
初期の頃、本人はリン・アンダーソンなどの歌を気に入っている、と語っていたことがあるが、ぼくはむしろ、声の質、歌い方、舞台度胸の良さなどから、デビュー早々のタニヤ・タッカーを連想していたことがあった。
いずれにしても、その後の関谷真奈美は、もちろん、自分のスタイルを確立し、彼女ならではのカントリー・ワールドを築きあげている。
バーボンでも軽く飲みながら、今夜もあの楽しいステージを想像しつつ、繰り返しこのCDを聴くことにしよう。
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カントリー歌手 寺本圭一
真奈美ちゃん、CD完成おめでとう!
長い月日が掛かったようですが殆ど独りで色々な問題に取り組んでいたのでは仕方ありませんね。
好きな曲を唄いたいというのが目的だったそうですから選曲については他から口を出しませんが、個人的には1曲日本語で唄っている青い鳥をメインにして、オリジナル勝負のきっかけにしたらと思います。
私自身、唄いたい曲と望まれている曲との間に大きなギャップがある事では、長い間悩んでいますから・・・。
とにかくお疲れ様でした。これからも頑張ってください!
シンガー・ソング・ライター なぎら健壱
カントリー・ミュージックが日本に根を下ろして久しい。しかし、かつての若者たちを熱狂させたカントリーが、古い音楽と捉えられているのもまた事実なのである。それはひとえに、演者側に責任があるといってもいいだろう。往年の唄を解釈も古いままに、そのままに紹介し続けてきた。それが、進化しつづけなければならない音楽を、停滞させることになってしまった。そこにまた、それでもいいんだという、聴き手側の考えが存在した。
まずこのアルバムを聴いた時、「あれっ?」と思った。正直言って、ここ何年かの間に出された数多のアルバムと同じような、ほとんど“実”が感じられない物真似カントリーをまた聴かされるのではないか、という懸念があった。ところが、期待はものの見事に裏切られた。勿論、良い方に裏切られたのである。「やるじゃないか」という言葉が自然と口を突いて出た。
関谷真奈美はカントリーを分かっている。唄に対する解釈が見事に表現されている。ちゃんと物真似から脱し得ているではないか。これはもう、関谷真奈美のカントリーと言ってもいいだろう。
そうなるとこっちも応援したくなる。当分の間、「このアルバムの関谷真奈美はいいぞ」と言って歩くに違いない。待てよ、こりゃ〜あたしも、おちおちしていられないってことなのかな?
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