Sentimental White Day

いつもの店に近づくと、歩道を歩いて来る彼女が見えた。
片手にリボンのかかった鉢植え、もう片方の手にケーキらしい包みを抱えている。
声をかけようかと思ったが、タイミングよく車を寄せられない。
すれ違うときにちらりと見えた幸せそうな笑顔が印象的だった。

店の前でエンジンを切り、車を降りる。
ドアを開けると、カウンターの中の店主とその前に掛けていた金髪の男が振り向いた。

「はーい。コーヒーをもらえるかしら?」
「珍しいな。仕事中じゃないのか」
「ええ、そうよ。早朝から都内を駆けずり回ってたの。
この辺でおいしいコーヒーを飲んで一休みしても、罰は当たらないでしょう?」

「大変だな。そら、いつものだ」
店主が差し出す香り高いコーヒーを一口飲んで、女はほうっとため息をついた。

「そういえばさっき、彼女を見かけたわ」
女は鉢植えとケーキを抱えて幸せそうに歩いていた彼女の話をした。
「プレゼントみたいだったけど、お誕生日にしては少し早いわよね?」

「オー、それはぼくたちから彼女へのお返しだよ」
金髪の男が答えた。
「お返し?ああ、そうか、今日はホワイトデーだったわね。
二人とも、彼女にチョコレートもらったのね?」
「イエス、手作りのとてもおいしいチョコレートケーキだった」
「ケーキ!マメねえ、彼女らしいわ」

「そういうきみは、もうもらったかい?」
「なにを?」
「ホワイトデーのお返しさ」
「ううん、もらってないわ」
「オー、なんてことだ!こんな美人にお返しもしないなんて、そいつは最低の男だ!」
「あら、違うわ。私は、バレンタインに誰にもチョコレートをあげてないの。だからお返しがもらえるはずないでしょ」

「What?No、why?」
「だって私の周りには、愛を告白したくなるようなステキな殿方がいらっしゃらないんですもの」
チッチッチ、と金髪男は指を振り、女の肩に手を回した。
「ハニー、ここに一人いるじゃないか!」

女はカップに残ったコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
ふいに手がはずされて、金髪男がカウンターにのめる。
「ごめんなさい。たとえ義理でも、私、嘘はつけないタイプなの」
女はにっこり笑うと、「ごちそうさま」とカウンターに代金を置いて出て行った。

高層ビルの最上階にあるそのバーは、客層を限定しているので女一人でも安全だ。
心地よい音楽と低い声の会話が漂う静かな空間に身をゆだねて、女は、眼下に広がる街のきらめきを見つめていた。

ここは思い出のバーだ。
昔、あの人とよく来た。
あの人が死んでからしばらくは足を向けられなかったが、時の魔法は辛い経験すら懐かしい思い出に変える。
今では、疲れたときや仕事に行き詰ったときに、自然とここへ足が向くようになった。

ここへ来るとあの人に会える。
あの人の声も、話していた言葉も、そのときのしぐさや表情まで思い出せそうだ。

今日はホワイトデーだから…
そう言ってあのときくれたのは何だったかしら。

そのとき、同じ言葉が耳元で聞こえた。
「今日はホワイトデーだから…」
驚いて振り返ると、男が立っていた。
「どうしたの、今頃?」
「言ったろ、今日はホワイトデーだからさ」

「そうよ。だからこんなところにいないで、香さんのそばにいてあげなきゃ、ダメでしょう?」
「心配するな、ちゃんと帰るさ。だがその前に…」
男は女の隣の席に腰を下ろしながら言った。
「おまえに、バレンタインデーのお返しをしなくちゃな」

ひと月前のバレンタインデー。
夜更けて帰ってきた男を、女はアパートの前で待っていた。

「はい、これ」
差し出したのは、1本の缶ビールだった。
グリーンのラベルのそのビールは、女の恋人が好きだったものだ。

「あの人の代わりにもらって。今日はバレンタインデーだから」
女は男の手に缶を押し付けると、男が何も答えないうちに立ち去った。

男は同じブランドのビールを注文して、自分と女のグラスに注いだ。
「昔よく、こうやって3人で飲んだっけな。今夜は久しぶりに、あの頃みたいに呑もうぜ。あいつもきっとどこかで聞いてるさ」
男はグラスを手にとって女に差し出した。
「これがおれのお返しだ」

女の恋人の思い出を共に語れるのは、彼の相棒だったこの男しかいない。

「ありがとう…」
女はグラスを受け取って微笑んだ。

「Happy white day」
男の言葉にかちりとグラスを合わせ、女はビールを飲んだ。
ほろ苦い味に男の顔がにじんで見え、その隣に懐かしい恋人の笑顔が見えるような気がした。


 END

あとがき
『Artemis』の水無月さんからいただきました。
うちのホワイトデー話の続き。では無いですが「その日」の話を別視点で
書いていただきました。
読んでいただいてお分かりの様に「彼女」へです。
水無月さんの書かれるお話で「海へ還る」というシリーズがあるのですが
その雰囲気でというお願いをしまして書いていただきました。
「海へ還る」は「彼」と「彼女」の友情のお話です。(と私は思っています)
お互いを、お互いの想い人とはまた別にとっても大切にしているのが
感じられる素敵なお話です。
会員制のサイトさまですが機会があればゼヒに。
今回は本当にありがとうございました♪

 












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