秋味3 〜苦い恋の味〜

深夜、ひっそりと静まりかえった、冴羽アパート。
香は電気の付いていないリビングの窓際にひざを抱えて、頭を窓にもたれ掛け座っていた。


僚は飲みに行っていて、まだ帰ってない。

…本当に飲みに行ってるんだか、どうだかわからないけどね。

ここ2,3日、僚の帰りが遅い。


部屋で起きたまま帰ってくるのを確認しようと思っていても、いつの間にか寝てしまっている。
3時くらいまでは記憶にあって、7時に起きた時には僚は帰ってもう部屋で寝ているから…4時とか5時とか
明け方に
帰ってきているのだろう。
あたしが起きて、洗濯をしようと洗面所にはいると風呂場の湿気がまだ残っている。


ただ飲んで帰って来た時は寝室に直行している。だからそのままシャワーを使ってるということは…そういうことなのだろう。

 

玄関ドアの開く音がする。

帰ってきたのが確認できればいい。あたしは立ちあがって自分の部屋に戻ろうとした。

「…っ、なんだ。まだ、起きてたのか」
大げさに驚き、吐こうとした小さなため息を誤魔化す。

不自然なほど強いアルコールの香り。いつもより濃い硝煙の匂い。
それと…香水。
彼女の、冴子さんの香水の…香り。

そうか、彼女の「仕事」だったのか…あたしには「仕事」をしてることすら隠そうとするのに、彼女とは「仕事」ができるのか…

「深夜映画見てただけ。もう終わったから寝るわ」
「夜更かしはお肌に毒よ〜、香ちゃん」
硬い表情を一瞬にして緩め、いつものおちゃらけた調子にもどる。

あたしに悟らせまいというその態度の変化に傷つくことが分からないのかしら…

悔しくて、泣きそうになるのを必死に耐える。
部屋までもどれば泣けるから。

「あんたは珍しく早いご帰還ね。もう若くないんだから、無理しないでよ」
声が震えないように、あたしもいつもを装う。
僚の脇をすっと通りぬけた。

「香」

後ろから呼びとめられる。泣きそうなのがバレた…?
慎重に振り向いた。

「何?」
「…これ」
僚がコンビニの袋をあたしの目の前に差し出す。
真っ暗な廊下にその袋だけがぼんやりと浮かびでたみたいだ。
受け取って、中身を確かめる。

この場にふさわしくない。
というか滑稽なんだけど。大きな松茸が3本入っていた。
「どうしたの?これ…」
「ポセイドンのエリカママが帰りしなに持たせてくれたんだよ。おまぁに料理してもらいなさいよ。だってさ」

あんたにしたら下手なウソね。
エリカママだったらキャッツに持ってきて、美樹さんとあたしでわけてねって言って置いていくわ。

「え、そうなんだ。どうしたのかしらね、エリカママ。こんなに立派な松茸。ちゃんとお礼言っておいてくれた?
 あたし、今年は松茸なんてたべられないかと思ってたのに。僚の夜遊びもたまにはいいこともあるのね。
 じゃ、これ冷蔵庫に入れておいてね。あたし、もう寝るから」

動揺が悟られないように一気に言った。
コンビニの袋に無造作に入れられた、松茸。

きっと冴子さんはきれいに包装して渡してくれたのだろう。
それをあたしに不審がられないように、こんなに雑にしたのは僚。

そこまで気を使うならいっそ捨ててきて欲しい。

秘密の逢瀬で貰ったお土産なんてもってこないでよ。

「あぁ」とも「うん」ともつかない僚の返事を聞きながら、自分の部屋に戻った。

翌朝、冷蔵庫を開けてうなだれた。

…あぁ夢じゃなかったんだ。

昨日みたままの立派な松茸が入っている。
松茸には罪はないんだけどね〜、1本取り出して陽にかざして見てみる。
美味しそうな松茸だ。

こんな松茸どうしたんだろう。冴子さんにもエリカママにも聞けないじゃない。
ホント、ばかばかばか。

あとの2本を袋から乱暴にとりだして、昨日のもやもやを取り払うように朝食をつくりはじめた。

30分後、朝食とは思えない豪勢な朝食がテーブルにならんだ。
松茸ごはん、お吸い物、かき揚げ…どれもこれも美味しそうに湯気をあげている。

そこに僚がのっそりとした調子で入ってきた。
「あら、起こしに行かないのに起きてくるなんてめずらしいこともあるもんね」
「おまぁが朝からがたがたしてるから起きちまったの」

頭を掻きながら僚は席につく。

「しっかし、朝からまぁ、似つかわしくない、豪勢さだなー」
「文句あるなら、食べなくて結構。あたしに食べてっていったんでしょ?ママは」

いつもなら起こしに行ってもちょっとやそっとで起きないくせに、松茸の香りに誘われて
起きてきたと思うと、落ち着いてきた気持ちがまたイライラとしてくる。
僚のコーヒーを淹れることもしないで一人でさっさとご飯を食べ始めた。

まずは松茸ごはん。

もぐもぐもぐ…

僚は呆れたようにあたしも見ていたが、諦めて自分も箸をとった。

…う?△×▲○◇…×▼っ!?

「あ、ちょっと、僚。ダメ、食べないでっ!!」
食べかけていたリョウの腕を急いで掴む。

「あぁ、んだぁ、本気で俺に松茸ごはんを食べさせない気か?」
「違っ…ごめん。あたし、味付け間違えたみたい…その、すっごくしょっぱくなってるの…だから食べないで、止めて」

もう、何やってるんだろ、あたし。

松茸が悪いわけじゃないのに、やつあたりして、料理もちゃんとできなくて。

冴子さんだって、きっとあたしが喜んでくれると思ったからくれたんだろうし、僚だって、それが
わかったから、きっと昨日持ち帰ってくれたんだ。

なのに、こんなにしちゃって…自分がイヤになる。

自分のせいだから泣かない。

だけど情けなくて俯いたまま唇を噛みしめる。

「おい、おい香」
僚の声に顔をあげる。目の前には空になった僚の大きいお茶碗が差し出されている。
「え…」
「お代わりだっての、わからんか?」
「…食べ、たの?あんなしょっぱかったのに」
「腹減ってんだよ、ほれ。それにな……」

僚はそっぽを向いたまま、お茶碗を軽く動かす。

あたしは僚のお茶碗を受け取って、松茸ご飯のお代わりを盛った。
でもあたしはこれ以上、しょっぱすぎて食べる事はできそうにない。

もちろん僚が小さい声で言った「美味いよ」が嬉しくて泣けてきたから、では無いからね。

終わり