Love Letter  


未だ陽の暑いある日。
いつもの仕事をやり終えると香は階下の空室に入っていった。
ここは香が僚から女性依頼人を守る為に上の客間に移るまで使っていた部屋だ。
客間はプライベートルームとして使うには丁度良いが、一人暮しをしていた時の荷物はさすがに全ては入らなかった。
元々空室の多いこのアパートで無理して全部を積めこむこともなかろうと香は必要な荷物だけもって客間に行き、ここは物置として使っていた。

「うーん。たしかこの辺りに入れておいたと思うんだけど…」
香は押し入れからダンボールを引っ張りだし、中身を探っていた。
そのダンボールには「秀幸 B服」と書かれている。
「そろそろ出てきても良いのよね。アニキのは全部ココに持ちこんだんだから…」
ぶつぶつと言いながら中身を取り出している。
ふとダンボールにいれていた指先に違和感を感じて香はそれを引っ張りだした。
それは一冊のノートだった。

「なんでこんなところに…」
アニキが自分でしまったのよね?
そのまま香は探し物の存在はすっかり忘れ、ダンボールに背をもたらせてずるずると座り込んで、ノートをめくった。

日記の様だ。
香には兄が毎晩これ書いていた姿を見ていた覚えがある。それを書いている途中に遊んで?といっても
「これが終わってから遊んであげるから、ちょっと待っていて」
と良く言われたものだった。
とはいってもそれも中学生くらいまでで、警察学校にはいって警察官になってからは、書いている姿は見ることが無かった。
それでもずっと書いていたのかと驚いた。

兄は几帳面な性格だった。
2人で暮らしていたアパートからここに引越して来た時もこの荷物は荷造りしたのではなく、衣替え用に兄がに元々しまってあったままに持ってきたのだ。
兄が洋服にまぎれてノートを仕舞ったとは考えにくい。
これは分かっていてやったことなのだろう。

だけど、なぜ?

手に持つと、自然に開くページがあった。
くせが付いているか、何か挟まっているのだろう。
香は何も考えず、そのページを開いた。
そこには一枚の黄ばんだ手紙が入っていた。はずそうとすると少しノートとくっついていて抵抗があった。
表側には「槙村 香様」と不器用な字で書いてあった。
(あたし宛…だ)
住所は書いてない。切手も貼られていない。
裏返す。そこには署名らしいものがあったがかすれて読みとれなかった。
何文字かつかめても香にはその名前の覚えが無かった。いや何か引っかかるものはあるのだけれど思い出せない。
声に出さず、何回も口の中でその名前をつぶやく。
兄の日記に何かヒントがあるのではないか?香は手紙はとりあえず横に置き兄の日記を読み出した。
(アニキ、ごめんね)
心の中で日記を勝手に読むことを謝りながら、その手紙がはさんであったページに自然に視線を落とした。


19XX,7,X
香は学期末のテストが近いというのに勉強している風が無い。
何度注意しても『アニキが見てないところでやってるんだ』の一点ばりだ。
まったくどうしてあんな気が強い子になったのだろう。
ため息をついたら『大体アニキは何でも深刻に捉えすぎるんだ』と麦茶を出してくれながら言われてしまった。
これでテストの結果が悪かったらこずかいは無しだな。
と、言うと香に文句を言われそうだから、それは俺の胸に仕舞っておく。

(そんなことも…あったけなー)
香は笑みを浮かべながら読みつづける。

それと…今日は不愉快な出来事があった。
××のヤツが香に惚れたと言ってきた。しかもラブレターを俺に渡せと
持参までしてきた。まったくどうゆう了見だ!!!
香はまだ高校生なんだぞ!!彼氏なんか早いんだーーーー!!

(え…?ラブレター??)
そして香は手元の黄ばんだ手紙を見つめた。
紙は乾いて封筒から取り出すのに苦労する。


香ちゃんへ。

こんにちは。
えっと、あの…いつも槇村さんの家に行った時には夕飯ごちそうさま。
いつもおいしいので感激しています。
うちの妹は香ちゃんよりも年上なのに目玉焼きすら作れないよ。

突然だけど、香ちゃんは付き合ってる人とかいるのかな?
もし居なかったら、俺と付き合って欲しい!!
前から可愛いなって思っていたんだ。
きっと俺と付き合ったら楽しいよ。
俺、香ちゃんよりちょっと年上だけど、まだまだ若いつもりだし。
香ちゃんを絶対に幸せにするから。

良かったら2人で会いませんか?
7月X日 2時に新宿中央公園で待っています。

では。

最後の署名を見て、少し思い出した。
兄がまだ刑事になる前には、勤務時間はさほど違わないで帰宅していた。
その時はたまに同僚を連れて来ていた。
この彼は…確か兄よりは2、3才下だった様に記憶をしている。
それにしたって兄の同僚が自分のことを好意を持っていたなんて考えてもいなかった。
そんな風に思われていたなんて気づかなかった。
香にはこの手紙を読んだ覚えがない。まったくの初見だった。

手紙をたたみ、兄の日記の先を読む。


香からは『誰それががイイ』と言った話を聞いたこともないので(確認なんぞしないぞ)
これは俺が責任をもって黙殺することにする。
手紙自体を読んだことも黙殺する。それにこれは封が閉じていなかったんだ。
偶然目に付いただけなんだ、そうだ。軽犯罪法違反でもなんでもないぞ。
それにもし、もし万が一俺が香への手紙を読んだということがばれたとしても
香のことだ、許してくれるに違いない。うん。そうだ。
香に彼氏なんて10年早いっ!!しかも警官なんて危険な仕事についてるやつの
嫁になんかさせない。
香には幸せになってもらいたいんだ。
俺はもちろん、父さんも母さんもそう願っている。

やつには当日俺が会って話をつける。
この話は今日でおしまいだ。
やつをこの家に呼ぶことももうないだろう。

この彼は確か寮生活で…自分で料理するのも得意でないと良く家に食べに来ていた。
兄はあまり大食いではないからたくさん作ってしまったときなどは香も喜んで食べさせていた。


「な〜にやってるの、香ちゃん」
「うわっ、びっくりした〜、急に声かけないでよ〜」
ドア口に僚が立っていた。
「おい。気配消して近づいたわけじゃないのになんで、んなに驚くかねー」
香はハッとして、読んでいた日記と手紙を隠した。
僚にばれたらなんてからかわれるか分からない。男からのラブレターなんて貴重だとかアニキはシスコンだとか、手紙の主は目が悪いなんてぽんぽん出てくるのだろう。
いちいち相手にしてたら疲れてしまう。
古い話だし、僚には言わない。

香は僚が少し眉根を寄せて自分を見ていたのに気が付かなかった。
「あ、ちょっとびっくりしただけよ。リビングでおとなしく待ってると思ったのに」
「だって僚ちゃん、寒くって風邪ひいちゃいそうなんだもーん」
おちゃらけた様子で両腕を自分に巻きつけ震えて見せる。

そう、今の僚は上半身になにも身につけておらず、綺麗な筋肉を見せている。
なんと、ここ2週間かかった依頼とずっと続いている長雨で僚のTシャツが全部ゴミ箱行きもしくは洗濯中で一枚も無くなってしまったのだ。
もちろん他のシャツやセーターはあるのだが、暑いだの苦しいだの言って僚は袖を通そうとしない。
そこで香が思いついたのが秀幸のお古だった。
「そうよ!アニキのがあるじゃない。ちょっと下から持ってくるから待ってなさい」
「うえ〜、槇チャンの〜?着られるわけねーじゃん。いいよ、このカッコで問題ないし」
「うるさい!!レディーがいるのに、んなカッコでうろうろすんなっ!」
風呂上りならまだしも一日中そんな格好されたら香の方がたまらない。
2,3枚新しいの買おうにも依頼料は未だ振り込まれていないのだ。
「レディーなんてどこに居るんだよ。あ、小坊主がひと…」
全て言い終わらないうちにハンマーが飛んだ。

「なによ、昨日は一日そんなカッコで居たくせに…」
「ふん。おまーが着ろっていったんだろうが。で、あったのか?」
香はダンボールから綺麗にたたまれた兄のTシャツを取り出して、僚に渡した。
僚は無言でそれを受け取るとぱさりと開いて袖を通した。
少しきつそうなところもあるけれど着られないというほどでもなさそうだ。
「よかった、ちゃんと着られるじゃない。アニキって家に居るときはくつろぎたいって結構大きいサイズの着てたのよ。僚だとちょっときつそうだけどね」
香は微笑みながら、きつそうな僚の胸板を軽く叩いた。
「あー、防虫剤くさくて僚ちゃん倒れちゃう〜」
「あーら。もっこり虫が退治できていいじゃない」
そういいながら、他のシャツも取りだし、僚に渡した。
「ん?」
「これも持って行ってよ。多くあったってジャマじゃないし。買わなくてすみそうね」
「うげー、カオリンのケチ…」
「なんだとー?!」
「あ。うそうそ、ハンマーはご勘弁を〜」
もう、ぶつぶつと言いながら香はハンマーを仕舞った。
「おまぁは戻らんのか?」
「ここ、片付けてから行くから…先戻ってて?」

香は僚が素直に帰ったものとみたのか、隠したノートをそっと見た。
しかし僚は玄関ドアまで足をすすめると、部屋の中を振りかえってその様子を見ていた。

香は手にしていたノートをため息をひとつついて閉じた。
それを持ち帰るでもなく、今まであった箱の中に戻す。
そして、兄の古い衣類をまたその上に仕舞った。
ふたを閉じて、ガムテープをぴりぴりと貼っていく。
そのまま、出したところに押しこめばいいのに、香はそれを両手で抱え持ち上げた。
そして肩まで持ち上げ、押入れの上の段に仕舞おうとした。
洋服といっても数が増えればかなりの重量になるだろう。
「あっ…」
案の定バランスを崩し、よろけた香はダンボールを抱えたまま、しりもちをつきそうになる。
目を瞑ってその衝撃を待つ。
「なーに、やってんだ、おまあ」
「あ…」
憮然とした顔の僚がダンボールを支えていて、それを押入れに押し込んだ。
「上に戻ってたんじゃないの?」
急に手が軽くなった香は心持ち恥ずかしそうに言った。
「それよりも、なんか言うことあるんじゃねーの、香ちゃん」
僚がからかい口調でいう。
「〜…ありがと、僚」
「うんにゃ」
僚の手が香の髪をくしゃとなでた。

二人並んで階段を上る。
「ねね、僚。アニキってさ…普段どうだった?」
「あん?」
「うーんと、あたしが知ってるアニキと僚の知ってるアニキって同じかもしれないけど違うかもしれないじゃない?色んなアニキを知りたいなーとか思って…」
僚は笑顔の香の頭に手にしていた、槇村のシャツを載せた。
「ちょっと、なにすんのよ」
そのまま僚はぽんぽんと頭を手に乗せる。
「こんな古着ひっぱりだしてくるから、んなこと言い出したのか?」
「ち、違うよ。ただ…僚からアニキの話ってあんまり聞いたことないから」
「俺の知ってる槇村もおまえが知ってる槇村も…それ以外も」

香が言葉の止まった僚を見上げる。
僚も香を見ていた。

「…槇村は槇村だろ」
「…うん。そうだね」

そういって僚は香の頭をまた叩いた。
香は嬉しそうにその頭に載っていたシャツを押さえつけた。
「ま、ヒトコトで言ったらかなーりなシスコンだったぜ」
「え?」
「おまぁのブラコンに負けねえくらいな」
笑って、僚は階段を駆け上がった。

(あたしも日記読んじゃったし、おあいこだよね)
その背中を見ながら、香は勝手にラブレターを読んだアニキを笑顔で許していた。

だってその彼って…好みじゃなかったし(笑)


END

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