日記を書こうと思ったことがある。

 日々の記録をつけるだけでなく、家計簿や覚え書きの意味も込めて、小さな鍵の
 付いた日記帳を買ったのだ。
 あれは少女の頃だった。中学生くらいの。
 丁度、友達は思春期を迎え、女らしくなる躯を意識し始め、その心も女性へと脱皮を遂げる頃だった。
 香はその時の流れに置いて行かれまいとしていたのかもしれない。
 それでも、華やかな輪に入ることは出来ず、隠れてこっそりと買ったのだ。
 それも、あまり少女趣味なものは恥ずかしく、出来るだけシンプルなものを選んだつもりだった。
 引き出しの奥から出てきたのは、その日記帳だった。
 幾らか色褪せても鮮やかな淡紅色のA5版の大きさの鍵付き日記帳の鍵は掛けられたままで、鍵は見つからなかった。
 
 (どこにしまったっけ)

 香は引き出しをひっくり返す。
 出てくるのはがらくたばかりで、目指すものは出てこない。
 香は記憶の底を攫う。
 確か、小さな金色の、赤いリボンの付いた鍵だった。
 あれは何処に行ったのだろう。
 無いと思うと俄然見つけたくなる。
 あの頃のあたしは、そこに何を閉じこめていたのだろう。

 結局引き出しには見付からず、あたしは本棚を探し始めた。
 一冊一冊開いて確かめては棚に戻す。
 本棚の本の裏や、本の隙間に挟まっているのではないかと思ったのだ。
 宝物を隠したがる。そう言えばそれで怒られた。
 キラキラしたガラスや、四つ葉のクローバーを、アニキやお父さんの本の間に挟んで隠し、見付かったときはこっぴどく叱られた。
 本のページには草花の汁が染みてしまっていたし、ガラスは危ないからと、アニキはプンプン怒っていた。
 あたしは何だか懐かしさにうっとりしながら、次の本を手に取った。
 黴くさいページの間に干涸らびて茶色になった四つ葉のクローバーが貼り付いていた。
 あたしはそれをつまみ上げた。
 明かりに透かすと金色に見える。
 
 少女らしく砂糖菓子のような甘い夢を閉じこめていた。
 鍵を掛けて大切に、逃げないようにそっとしまい込んでいた。

 「鍵、見つからない」
  あたしは同居人を捜しに部屋を出た。
  予想通りリビングのソファでだらりと横になった遼を起こし、日記帳を突きつける。
 「あぁ?」
 「開けて」
  不機嫌そうに鼻の頭に皺を寄せた遼の顔、少し面白い。
 「これ、日記帳じゃねぇか」
 「そう、鍵無くしちゃったの。あんたなら開けられるでしょ?」
  遼はその日記帳を矯めつ眇めつしている。
 「そりゃぁ簡単だけどさ。お前って結構、乙女路線なのな」
 「文句ある?」
 「無いです」
 「最近買ったもんじゃねぇだろ」
  あたしは遼に経緯を説明した。
  遼は面白くもなさそうな、興味のなさそうな顔でいる。
  でもそれはいつものことなのであたしは気にしないことにした。
 「この日記って、中、書いてあるの?」
 「わかんない。それが気になって仕方ないのよ」
 「ふぅーん。お前ヘアピン持って来いよ」
 「わかった」
 あたしは遼にヘアピンを渡す。


 遼の指は固い。筋や骨が通っていることをあたしに教えてくれる。
 触れあった瞬間、その感触にどきりとして、思わず手を引いた。
 ヘアピンが二人の手の間から零れて落ちる。
 「あ、ごめん」
 「俺の手には触りたくもないってか」
 「そ、そんなこと言ってないでしょ!」
 「ま、いーけどね」
 よくない、と呟いたあたしを無視して、遼は身を屈めてヘアピンを拾い上げる。
 その背中に肩の骨が浮かび上がる。
 この背中にあたしはいつもこうして聞いて貰えない言葉を投げつけている気がする。
 遼はどさっとソファに深く座り直して、テーブルに放り投げてあった日記帳を取り上げる。
 扱いはあからさまにぞんざいで、あたしはちょっとむっとする。
 「開けれるの?開けれないの?」
 「ちょっと黙ってなさいよ」
 「・・・・・・」
 あたしはむっつりと黙り込んだ。
 黙ってろってなら黙ってるわよ。
 遼の大きな手が、器用に小さなヘアピンを操っている。
 綺麗に手の甲に腱が浮いていた。
 あの掌の中の日記帳にあたしは何を書いたのだっけ。
 家計簿代わりにもなるわ、なんて自分を誤魔化しながら、けれど、本当は何のために買ったのだっけ。
 胸を高鳴らせて、心臓の音に誰かに見つかりそうな気持ちで、あの日記帳に何を閉じこめるつもりだったの。
 あたしがそうして思考に没頭していた時間は三分もなかったと思う。
 「・・・開いた」
 遼の言葉にはっとすると、遼はその日記帳を開けるところだった。
 あたしは咄嗟にその手に自分の手を重ねて、押さえつける。
 「だめっ!開けちゃだめっ!」
 遼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてあたしをじっと見つめた。
 いつもと変わらない遼の顔を見て、あたしは頬が熱くなるのを感じた。
 「な、何書いてあるか、解らないから・・・・・・」
 「あっ!」
 遼がいきなり大きな声を出した。
 「えっ!」
 あたしはびっくりして遼の手を押さえつけていた両手を離し、その場にしゃがみ込む。
 心臓がバクバクと激しくなっている。
 「隙あり」
 ・・・え?と思ってあたしが顔を上げると、遼はパラパラと日記帳を捲っている。
 「あ・・・きゃー!」
 「きゃーって・・・。ほらよ」
 遼はあたしに用済みとばかりに日記帳を投げて渡した。
 それを受け取って両手が塞がったあたしの頬に、遼は手の甲を当てた。
 冷たい手だった。
 「顔、真っ赤」
 あたしはその日記で遼の頭を叩いた。
 「もう!あんたなんかどっか行ってよ!」

 遼が出て行ったリビングであたしは日記帳を開いた。
 最初のページに小さなシャーペンの文字で書いてあった。
 『素直になりたい。素直に好きって言える女の子になりたい』
 あたしは床に突っ伏した。
 「もぉーっ・・・・・・何書いてるのよー・・・あたしはぁー・・・・・・」 
 あの頃のあたし、いつか好きな人に素直に好きといえるようになりたいと願っていた。
 ムリして男っぽく振る舞うことも無く、素直に自然に好きな人と寄り添えるように。
 それはまだ叶っていない。
 「遼は何て思っただろ・・・もぉ」
 そして遼はいつもの通り、こんなあたしの足掻きは無かったことにしてくれる。
 「有り難いけど・・・ちょっとムカツク、よね・・・」
 今の気持ちを書こう、日記に。
 あの頃と変わらない、そしてあの頃よりも強くなった気持ちを。
 あたしは日記帳を抱えて、床に座り込んだ。
 「バカ・・・・・・」
 あたしは遼が鍵をあけたヘアピンを髪に挿した。
 そうしてしばらく、日記を抱きしめていた。
 

   fin

千日紅さんからいただきました。
これがなかったらきっとサイト作成を断念していたかも。
皆さんに読んでいただけるようにできて
嬉しいです。
タイトルとレイアウトは管理人で(泣

 

 

 

 

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