happy birthday 香


春、近いある日。サエバアパートに一通のポストカードが届いた。
それはN.Y.からで、差出人は立木さゆりだった。
表面には彼女らしい几帳面で美しい字で「kaori Makimura」の文字。
裏面はただ一言「happy-brithday dear 香」と書かれていた。
その写真はバースディケーキをコラージュしたセピア色のカードだった。

 

「じゃぁ、また明日ね〜、ばいばーい」
少女は手を振って友達がお母さんと一緒に帰っていく後姿を、教室のドアからぽつんと見ていた。
ふと時計を見上げると、7時をだいぶ過ぎていた。
友達の後姿が見えなくなったから2人で遊んでいた絵本や、おもちゃをいじっていた。
1人で遊んだって楽しくないけど…
「あらあら、お母さんちょっと遅いわね〜」
白いエプロンをつけた若い保育士が少女の前に座って微笑んだ。
「もうちょっとで迎えにきてくれるだろうから、あと少し先生と一緒に遊んでてね」
少女は一瞬、寂しそうな目をしたがすぐに絵本を開きながら、保育士にうなずいた。
3月の陽まだまだ落ちるのは早くて、7時過ぎには真っ暗になった。
園の運動場から迎えにくる人影も何も見えなくて、ただ時々、風が舞うのがなぜか見えていた。
「遅くなってすみません」
息せききってお迎え用の扉から一人の女性が顔をだした。
「おかーさんっ!!」
嬉しそうな声を上げ、少女は立ちあがって女性の方に走っていく。その後に保育士がついていった。
「先生、本当にすみませんでした」
「ちょっと遅すぎるかなって感じはしますね。ご連絡だけでもいただかないと…」
女性はもう一度、少女を抱き寄せたまま、頭を深くさげた。
少女は自分の荷物とコートをとってくると、母親の足元で一生懸命着ようとがんばっている。
少女がきちん着れたのをみると微笑んで、もう一度保育士に2人で揃って頭を下げる
と手をつないで保育園から出ていった。

いつもの通い慣れた家までの帰り道。
「あれ?おかーさんどこ行くの?おうちあっち…」
「うん。ちょっと今日はお買い物していきましょう?」
そう言いながら少女の手を引いたまま、母親が向かったのは商店街のケーキ屋だった。
ケーキ屋のショーケースには色とりどりのケーキが並んでいる。
少女は母親の手を離れ、ショーケースに手をついてケーキを見ている。
「あたし、チョコのがいーなー。あーこっちのもおいしそう〜」
「だめよ。今日は買うケーキが決まっているのよ」
母親が店員に示したのはイチゴののった小さなバースディケーキだった。
「お誕生日ケーキかうの?だれのお誕生日なの?」
母親は少し哀しそうに微笑んで、少女の手をぎゅっと握った。
「ろうそくは何本入れますか?」
店員の質問に母親は「1本いれてください」と答えていた。
「いっぽんなのぉ」
少女はショーケースにおでこをつけて中のケーキをジッと見つめていた。

テーブルの上にはケーキを中心にちょっとしたごちそうが並んでいた。
「はい、いただきます」
「うん、いただきまーす」
少女はハンバーグにフォークを突き刺して、口に運んだ。
「おいしー」
「よかったわ。今日はお迎えが遅くなったから特別ねv」
少女はニコニコ顔で夕食を食べていた。
夕食を食べ終わり、テーブルの上はケーキだけになった。
母親がケーキに1本ろうそくを立て、マッチで火を灯した。
「電気けす?」
少女が電灯のひもをいじっている。
「そうね、消して頂戴」
部屋にろうそくの火だけほのかに揺らめいている。
母親は少女を抱き寄せて、自分の前に座らせた。
母親は小さい声でバースディソングを口ずさみ、少女はそれを静かに聞いていた。

♪ ハッピーバースディ、ディアかおり

「かおり…ちゃん?」
母親は少女の前髪をそっと掻き上げた。
「そう、香の誕生日…なのよ」
「かおりちゃん。どこにいるの?かわいい?」
母親はくびをふるふると横に振った。
「とっても…大切な子、あなたと同じくらいお母さんには大切な大切な子なのよ」
母親は少女をだきしめたまま、うなだれて、嗚咽を漏らした。
「おかーさん、泣かないで?かおりちゃんはきっと元気だよ。笑ってるよ。さーちゃんがいつか
おかーさんとかおりちゃん会わせてあげるからね、ね、泣かないでね、おかーさん」
母親は顔を上げて少女の頭を撫でた。
「そうね、きっと笑顔でいるわね。じゃあさゆりちゃん、かおりちゃんの代わりにろうそくの火
フーしてね」
うん、彼女は一気に息を吹きかけた。
ろうそくの火が消えた。

 


香ははがきを手に持ったまま玄関先に立っていた。
ぽろぽろと大粒の涙が落ちていくのも気にしないで立っていた。
「たっだいまー」
僚が陽気に部屋に戻ってきた。玄関先で香が泣いているをみて柄にもなくうろたえた。
「な、何泣いてるんだよ、おまえ」
香は振り向いて僚の顔を見た。それでも涙は止まらない。
自分でもなんで涙が出ているのか分からないのだ。
たださゆりのバースディカードを見ていたら自然に涙があふれて来たのだ。

自分の感情を整理できない、そんなときに口をついても何を言っていいか分からず、
そのままくびをふるふると振っていた。
そんな香を愛おしそうに見つめ、僚は手に持っていたモノを香の目の前に差し出した。
「コレで泣きやまない?香ちゃん」
僚が差し出したのはケーキの箱だった。
香は泣きながらもそれを両手で受け取った。
「バースディケーキ?」
「そ、おまぁの誕生日だろ。おまぁ、自分の時はいっつも用意しないから…仕方なく、だっ」
僚が買ってきたケーキ店は最近オープンしたお店で新宿でも人気の店だった。
誕生日ケーキは予約をしていないと買えないはずだ…
僚が予約する様子を思ったら自然に笑みが零れていた。
「あ、ありがとう、僚」
僚は香の髪をクシャと撫でてから、キッチンに向かった。
「おぅ、誕生日おめっとさん。コーヒー淹れてやっからリビングで待っとけ」
「えー、僚がー?めっずらしー」
「なんだよ、じゃ自分でやっか?!」
「うっそうそ、ありがとう。美味しいコーヒー待ってます」

香はケーキとさゆりのはがきをそっと抱きしめた。

 

終わり。

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