「CH好きに50のお題」より 40:罠(トラップ)


 DASH!

「撩っ! どーすんのよっ!!!」
「んなこと、俺に聞くなっ!」

 叫びながら撩は手にしているパイソンをいきなり飛び出してきた敵に向かってぶっ放す。
ちょうどそれは装填されていた最後の1発で、撩は弾倉をスイングアウト(弾を装填できるように弾倉を横に倒すこと)させエジェクティングロッド(排莢子悍)を押し下げて空薬莢を排出した。銃身は、触れれば火傷しそうなほど熱くなっていて、撩は思わず舌打ちする。撃たれた男は肩を押さえて倒れ込んだ。
それを飛び越えて、蛍光灯が点滅している薄暗い廊下を走る二人。

「ったく、何人いるんだ? きりがねえな」
「あ、あんたがとっとと私を連れて逃げないからでしょ!」

 いつものごとく撩の命を狙う何やら怪しい組織によって攫われた香、そしてそれを助け出すべく敵のアジトに乗り込んだ撩。闇に紛れこっそりと香の監禁されている部屋まで見つかることなく、さくさくと辿り着いたのだか‥‥‥‥‥。

 後ろ手に縛られ、両足首もしっかりと拘束されベッドに転がされていた香を見て、発情してしまった愚かな狼が一匹‥‥‥かくして何故か見回りがくるまで、その部屋から脱出することの無かった二人。もちろんしっかりと見つかり慌てて服を整えつつ脱出を試みたのだが。どこから湧いて出てきたのか、次から次へまるでTVゲームのようにうじゃうじゃと現れる敵、敵、敵。

「俺のせいかよ?」
「はあっ? ち、違うって‥‥‥言う‥‥つもり‥‥‥?」
「おめーの声が大きかったんだよ」
「‥‥‥よ、よく‥‥‥も、そんな、こ‥‥‥と‥‥‥‥‥」

 クイックローダー(六発の弾を一度に装填できる装置)を弾倉にはめ込み、弾を装填しながら撩は香を横目で見る。
都心から離れた郊外の廃ビル。かなりの大きさで、コンクリートむき出しの廊下を、階段を、二人は敵を蹴散らしながらずっと走りっぱなし。反論を試みる香も、息が上がりかなり苦しそうだ。
撩も今装填した弾が最後ということもあり、敵を甘くみていたことに軽い後悔を覚えだしているところで。


 ‥‥‥うーん、このままじゃやばいよな。


 撩は新たに現れた敵を三人、続けざまに倒しながら当りを見回す。前方の突き当たりに少し開いているドアを発見。
幸い人影も途絶えた。

「香っ、とりあえずあそこに入るぞっ!」

 息も絶え絶え、足も縺れかけの香の手を掴んで、撩はその部屋に入るとドアを閉め、鍵をかける。敵の気配もせず、束の間の休息は確保されたようで、撩はほっと安堵の溜息をひとつ。裸電球が部屋の真ん中に天井からぶら下がっている薄暗く小さい部屋、壁際にいくつか積み重なった木箱があり、撩はどっかとそれに腰をおろした。しかしなぜか青ざめる香。

「‥‥‥ね、撩」
「ん?」
「そーっと、そーっと立って?」
「は?」
「いいから言う通りにして?」

 なんだよ、と言いつつ香の顔が紛れもなく真剣なものだったので、撩は言われたとおりにそろそろと立ち上がる。どうしたんだよ? 眉をひそめて問いかける撩に香は無言で箱を指差した。その側面には、Warning!の文字とその下に印刷された化学記号。


 C3H5(ONO2)3


「まじかよ」

 さすがにいつもはポーカーフェイスを気取っているスイーパー・冴羽撩も、冷や汗が背中をつたうのを感じた。
C3H5(ONO2)3 ‥‥‥‥‥ニトログリセリン。

「撩、あんた一流のスイーパーのくせに気付きなさいよ‥‥‥」

 息をなんとか整えた香に呆れた口調でそう言われて、うるせえ、と撩は彼女の頭を小突いた。子供のように不機嫌な顔になってそっぽを向いた撩を香は苦笑しながら一瞥し、そろそろと箱の方に近付いた。三つ積まれた一番上はどうやら開いているらしい、香はそっと蓋に手をかけた。

「‥‥おい、気をつけろよ」
「ん、大丈夫よ」
 吸ショック材に埋まるようにしてずらりと並んだガラス瓶。一つが500ミリリットルくらいか。


「凄い量‥‥‥これを爆発させれれば‥‥‥逃げるの楽になるんじゃない?」
「‥‥‥だな。でもどうやるんだ、おまえ時限発火装置かなんか持ってんのか?」
「持ってない‥‥‥全部取られちゃったもん‥‥‥撩は?」

 無言で肩をすくめる撩。

「ったく、役に立たないわね」
「なんだと」

 撩は香をじろりと睨むが、香はそれを完全に無視して続ける。

「なんでこんなに‥‥‥ダイナマイトでも作るつもりだったのかしら」
「まさか。んな手間かかることはしねーだろ」
「それもそうよね。でも、これを使わない手はないわよ」
「だけど、これ全部爆発させたらこのビル崩れちまうんじゃねーのか?」
「そうねえ‥‥‥‥‥これだけの量だと7500‥‥‥ううん、もっと‥‥‥」

 どうやら爆速 (ニトログリセリンは量によって爆速が変わる。最高で8500/sec) を頭の中で計算しているらしい香は、古ぼけた部屋を見回す。

「いや、大丈夫だと思う。崩れるにしても、爆発してからかなり時間があるはずよ」

 きっぱりと断言した香に、撩は満足げな表情を浮かべた。

「問題はどうやって爆発させるかよね、逃げる時間が少なくても一分は‥‥‥」

 顎に手をやって考え込む香。壁にもたれ、面白そうにそれをのんびり眺めながら撩は煙草を取り出し、火を付けた。
小さな部屋はすぐに煙草の匂いが立ち籠める。嗅ぎなれたその匂いに、香ははっと顔を上げると撩の顔をまじまじと見つめ、それから視線を天井に向けた。

「‥‥‥そうよ、煙草よ!」
「な、なんだよ」
「撩、煙草まだ持ってる?」
「は? あ、ああ」
「一本ちょうだい!」

 そう言うと、香は腰のヒップバッグを前に持ってきて、ごそごそと何かを取り出した。

「良かった、これは取られてなかったわ!」

 香の手には小さなソーイングセット。香は針に糸を通すと撩から煙草を一本受け取り、針を煙草の葉の根本部分に刺して通した。

「撩これ、電球に結んでくれない?」
「了解」

 香の意図が判ったらしい。にやりと笑ってから撩は少し背伸びをすると、天井からぶら下がっている電球のコードの部分に煙草が通った糸の一方の端を、しっかりと結び付けた。

「さて、次はっと」
「俺が行く」

 動こうとした香を制して撩は、自らニトロの箱の前に行くと、慎重にビンをひとつ、取り出した。それを持って電球の下まで行くと、香がぶら下がった糸のもういっぽうの端をビンの蓋に引っ掛かるように結び付けた。

「さ、どーぞ」

 香は撩の口元に来るように煙草をそっと移動させ、銜えさせるとライターで火を付けた。撩は一度だけ大きく煙を吸い込む。煙草の先端部分が赤く燃えすぐに灰になった。

「手を離していいわよ、撩」
「‥‥‥ちゃんと結んだんだろうな、もしコレ落ちたら俺たち粉々だぜ」
「撩こそ! ‥‥‥でも別にいいじゃない、」


 私といっしょに死ねるのよ?


 ゆらゆらと立ち上る紫煙の向こう。香のその、ふざけたような口調と優しい笑顔とやけに真剣な目。その微妙なバランスに視界と意識を奪われ、撩は一瞬言葉を失う。

「‥‥‥そーだな、それも悪かないな」
「でしょ?」

 撩は香と視線を合わせたまま、ニトログリセリンの瓶から手を離した。僅かに糸が揺れ、それに合わせて煙草の煙も二人の間で、揺れて滲んだ。

「大丈夫みたいだな」
「‥‥‥‥‥やっぱりまだ死にたくないわね」
「とりあえず帰ってさっきの続きしなきゃなんねーしな」

 もう、何言ってんのよ。苦笑して撩を睨みながら香は、撩の手を取った。

「さ、行こう、撩!」
「おうとも」

 部屋を出て次々と襲いかかる敵を蹴散らしながら、走り出す二人。絶えまなく反響する銃声の中、撩は香に叫んだ。

「なあ、香!」
「え、なに、撩?」

 香も大きな声を上げる。


「俺たち絶対一緒に     」


 撩の言葉は凄まじい爆音によって遮られ、香の耳には届かなかった。粉々に砕け散る窓ガラス、びりびりと震えるコンクリートの壁。でも唇の動きを読み、香は途切れた言葉を理解する。

「そうね、考えとくわ!!!」

 爆風に押されながらそう言って笑った香の答えは撩が予想していたものとは全然違って。だけど撩はそれを聞いて屈託なく吹き出した。

「おまえ、ひでえ女だな」
「‥‥‥ふふん、今頃わかったの?」


 二人の前方に、朝焼けが差し込み紫がかった濃いピンク色に染まる出口が見えた。もうすぐ、日が昇る。ひきつれた群青色の夜が、世界が。黄金色に染まるだろう。二人にとって日常は、時に過酷で戦場のような世界。けれど。


 響く悲鳴や銃声、爆音、サイレン。

 喧噪にびくともしない柔らかな光に包まれて、手を取り街に向かって走りぬける二人。同じ時代を、同じ時を。同じ場所で走り続ける二人。同じ夢を見るだろう二人。


 すぐに、姿を現した太陽が二人の影をくっきりと、その存在を確定するかのようにアスファルトに刻み込む。でも長く伸びたその影はすぐに優しい朝の気に紛れて、消えた。

2004.03.28

  ‥‥って家まで走って帰るの? 車はっ!(怒)

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