「へ…なにこれ?」
朝帰りの俺からの土産を受け取った香の間抜けな顔。
ハンマーのタイミングは逃せたか?なんて、それをねらっていたんじゃねーけどよ。
いや、別に変なモンやったわけじゃねーだろ?
どっちかっつーと、のどから手が出るくらい欲しがってるもんだと思うんだけど?

「金だよ、金。ゲンナマ。見てわかんねぇ?」
香から怒りのオーラがメラメラと発生してきた。
…な、なんでだ?

「あんた、また人に内緒で依頼受けたわねー」
「は、な。何言ってんだ?違うっつーのっ」
ははーん、それで怒ってた訳か・・・
「じゃあなんなのよ。朝帰りでスッカラカンならわかるけど…まるっきり逆じゃないのよ」
香はまだハンマーを持ち上げている。事と次第によっては許さないって顔してやがる。
「…行きがかり上、ちょっとバイトしちまっただけだよ」
「……どーゆうこと?」
「寝みーんだけど…」
「ボロ布のように眠らせてやろうか?」

さっきの倍はあろうかというハンマーの出現に、俺は素直に説明させていただいた。

+++

それは本当に気まぐれな出来事だった。
その店ができていたのは、知っていた。
歌舞伎町のはずれ、もう半年は放置されてただろうつぶれたバーに工事が入ったのはいつだっただろうか。

(あぁ、この店の前にでるのか…)

気が付いた時には前の店の面影もないこぎれいな和風小料理屋になっていた。

いつものより少し夜遊びが過ぎた俺は、まだ起きてまってるだろう同居人の事を思い、家への道を急ごうとその道を通った。

普段通らない道を通るのはにいささか不用心かと思ったが、新規開拓も必要だろうと、誰にでもなく言い訳する。

できたばかりの清潔そうな、その店はまだ若い店主は堅気で妹と二人で店を切り盛りしてるらしい。
いくら外れで坪数も少ないとはいえ、新宿歌舞伎町で良く堅気の人間が店をだせたもんだ。
しかもなかなか旨い料理をするようで、幾らもたたないうちに良質の馴染みの客も付き、狭いながらもなかなか繁盛しているようだった。

手ごろな値段で可愛い女将の顔を見られて旨いものを喰えるなら、俺も馴染みになりたいもんだと思っていたが、ずぶの素人の店に
迷惑を掛けるのも趣味じゃない。
俺が通うだけでどんな事が起きるかは押して知る、一目瞭然だ。
残念ながら珍しく歌舞伎町にできた旨い店は俺の手に届くところではないらしい。

店を横目で見ながら通り過ぎようとしたとき、店の中から怒声が聞こえた。
一瞬の沈黙。
そして次にガラスや陶器の割れる音、客であろう叫び声、悲鳴が聞こえる。
僚は足を止めて、店を見ていた。
(こんな堅気の店で何が起こった?)
叫び声が大きくなったと感じたと同時に、店の中から数人の客がほうほうの体で逃げ出してくるところだった。
その客たちに付き添うように、一人の着物を着た若い女が一緒にでてくる。
あれが妹だというおかみ風情だろう。

目が合った。
僚は思わず、近づいた。
その目が彼の近しい彼女にとても似ていたから…

「け、警察に電話をっ…」
かすかに震えた彼女の声が耳に入った。
声を掛けようとタイミングを計ったのだが、それより先に彼女は店の中に戻ろうとした。

僚は思わず、彼女の肩をつかみ自分の方に引き寄せた。
「何があった?」
いくら自分の店だからといってあの破壊音の中に戻るなんて、普通じゃない。
しかも警察まで呼んで置いて…だ。
彼女は驚いて僚を見上げる。
それでもこの男から何かを感じ取ったのか
「…あ、兄が、まだ中に、あの…あ、この辺りをシマにしている組から人が来ていて、そ、それで…」
「場所代か?」
彼女はうなずいた。
「あ、兄はずっと支払わないと断りつづけていました。私は心配していたのですけど、、兄は支払う義務なんてないって…。でも」
僚は僅にため息をはいた。
「とうとう実力行使にでた。ってわけか」
「だ、から早く警察に。兄は抵抗らしい抵抗もできないで、一人で中にいるんです」
「相手は何人だ」
そんなことを聞いてどうするとでもいう表情で彼女は僚を見上げる。
「…3人です」
「で、客はみんなとりあえず出ていった。っと」
彼女は僚の呟きに応えるように、首を縦に振った。
僚は彼女の目の端に浮かぶ涙をそっと親指でぬぐう。
「ま、乗りかかった船っちゃー船だし」
もっこり美女を泣かす輩は男の風上にもおけねぇし。
僚は不審そうな表情の女将を尻目に、首をコキコキと鳴らしながら店に向う。
「ま、待ってくださいっ」
「ん〜?」
「何をする気ですか?」
「あんたのアニキ、助けなくちゃならんだろ?」
「え?だって相手は3人ですよ」
僚はにやりと笑った。
「雑魚は何人いたって、どうってことないっての」

僚が店に入ったときには店主の顔はぼろぼろになっていた。
いや、店主の顔だけじゃない、店内もめちゃくちゃだ。
男たちは店主の胸ぐらをつかんで持ち上げ、今にもまだ殴り掛かりそうだった。
悠々と店に入る、僚の姿を見つけると他の二人の男は僚にもつかみ掛かろうとする。
店主は殴られて痛々しそうな顔をしていたが、目だけで僚を見た。

それは懐かしい視線だった。僚を見つけたというよりも妹を探している視線だった。
昔、よく感じた視線だ。
店主を安心させるよう口端だけ笑みを浮かべる。
その様子にあっけにとられたようにしていた不届き者たちが僚に向ってくる。

(俺を知らねぇなんざ、雑魚もいいとこだな。まったく)

そして、いつものようにいつもの如く。
驚く店主の前で、あっという間に、僚は雑魚を料理した。
最後に指一本動かす力も残ってないと思われる男たちを僚は店から蹴り出した。
「お、覚えてやがれ〜」
これが本当の負け犬の遠吠えというのだろう。なんて頭の隅で思っていた。
「まったくいつもいつも同じセリフ、聞き飽きたっつーの」
言いながら側に転がっていた椅子を持ち上げ、それに座って唖然としてる店主を見た。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「意地を張るのも程々にしないと自分だけの問題で済むうちはいいけどな。なにがあるかわからんから」
「…はい。あ、い妹は?」
「あぁ、心配すんな、すぐ戻ってくるだろう」
不安そうな兄を横目に僚はタバコに火をつける。
その言葉どおり、しばらくすると女将は裏の勝手口から顔を覗かせた。

「佳織。大丈夫だったか」
佳織と呼ばれた妹は、兄に駆け寄る。
僚は驚きつつ、その様子を眺めていた。

(かおり…ねぇ。かおりって名前の妹は兄思いの多いこと…)

「お兄ちゃん、大丈夫?怪我ない?」
「あぁ、大丈夫だ。この方が助けてくれたから」
言いながら顔を顰める兄に、彼女はぬれたオシボリを充てる。
「イタっ」
「ほら。もう、むちゃしないでよ。せっかく出せた店なのよ」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」
むくれて、乱暴にオシボリを奪った兄を悲しそうにみつめた。
妹は割れて散らかったコップなどを片付けながら、ぽつりと言った。
「みんな支払って、巧くやってるのに…」
兄はその言葉に反応した。
「ふざけるな。なんでそんなわけの判らない話に付合わされなくちゃいけないんだ。しかも全員が全員払ってるわけじゃないって聞いてるぞ」
「訳わかんなくないじゃない。こういう今日みたいなことがなくなるのよ?店持ったってお兄ちゃんが怪我したら意味ないでしょ」
妹の強い言葉に兄は乱暴に椅子に腰掛けた。
それでも妹の言うこともわかるのだろう、ふくれっつらをしてカウンターに肘をついた。
その様子に思わず、笑ってしまった。
すると兄妹そろって僚の顔を見た。
「あ、すまん。二人の様子が知ってる兄妹に良く似ていたもんだから…」
女将と店主は顔を見合わせる。
「いいえ。こちらこそ。助けてもらった上に、みっともないところを見せて…。」
「あ、そういえばお名前もお聞きしていなかったですね。芳村佳織です。こちらが兄の…」
「昌幸…です」
僚は何か悟ったかのように、うなずいた。
「じゃあ、店名の『善しむら』ってのは、名前からとったのかい?」
「えぇ、ほかに考え付かなかったものですから。字だけ変えて…」
そう微笑みながら店主がコップを、女将がビールを僚に差し出す。
僚が少し戸惑っていると「ほんのお礼ですから…」と声が聞こえた。
そういうことならば、僚は遠慮なくそれを受け取った。
ビールを注ぐ、独特のいい音が店に響く。注がれたビールを僚は軽く持ち上げ、兄妹に見せた。
「冴羽だ…。遠慮なくいただくよ」
妹の可愛い笑顔に誰かの顔が重なった。

散乱した店内を適当にそろえたところで、店主はカウンターの厨房に戻って料理を始めた。
僚がそちらを覗き込むと痛々しい顔で笑顔を見せた。
「冴羽さん。もしよろしければうちの料理食べてみてくれませんか」
言いながら一品目の小鉢がでてくる。
「いいのか?」
「もう、こんなんじゃ今日は他のお客様を迎えることもできませんし」
「それになまものは足が早いから捨てることになっちゃうんですよ。だったらね、食べていただいたほうが」
女将の軽やかな声に後押しされた。
次から次へとでてくる料理はどれも素朴な料理なのだが、さりげなく技が効いていて、家で食べるものとまた違う美味さを感じさせた。
店主は料理の腕も確かだが、話をしていても飽きさせることがない。
女将の合いの手もとても感じがいい。
僚はいつもより楽しく飲んでいる、自分に気が付いていた。
「冴羽さんは、日本酒もイケますか?」
「あぁ、アルコールって名が付いてりゃぁ、なんでも大歓迎だ」
「あ、そうですか。だったら日本酒の極上ものがあるんですよ。お毒味しませんか?」
「おぅ、いいねー」
「佳織、ほら新潟から送られきた、あれ。もってこいよ」
「あぁ。あれ。ちょっと待ってくださいね、裏のクーラーボックスにいれてあるので…」
前半は兄に向けて、後半は俺に向けていうと女将は裏に酒をとりにいった。

その後ろ姿が勝手口から消えたのを見届けると、店主は僚に向き直り、戸棚の奥から封筒を取り出し、僚に差し出した。
僚は不審気に店主を見上げる。
店主は苦笑いを浮かべ、言った。
「…判ってたんです。どっかになんかしなくちゃいけないのは」
僚は何も言わず、その白い封筒を見つめていた。
「それでも…ちょっと期待しちゃったんです。この辺りで支払いをしていないお店もあるそうで…」
「…それで?」
「聞いたら『遊び人のりょう』さんって人が常連になると、その店は…狙われないって。だからうちも来てくれないかな?なんて思ってたんです」
「どうして、これを俺に?」
店主は空になった僚のグラスと自分のコップにビールを注いだ。
「勘…とでもいいましょうか。まぁ、げんのいいもんじゃありませんし…厄ばらいですよ」
僚はビールを飲み干し、微笑んだ。
「もっと厄が付くかもしれないぜ」
「そうしたら、自分の見る目が無かったとあきらめますから…」
店主も自分のコップのビールを呷って笑った。
「お待たせしました」
女将が裏口から一升瓶を抱えて戻ってきた。
「遅いぞ、何やってたんだ。まったく」
「うるさいな、だったら自分で取りにいけばいいじゃない」

女将が近づく前に、僚は封筒を懐に仕舞った。
店主が小さく息を吐いたのが見えた。

+++

「それがこれなの?」
ハンマーはすっかり姿が消えていた。
僚は首を縦に振って返事を返す。
「それで…どうしたの?」
「どうするって…まぁ、ただ金だけもらうわけにもいかんからな…」
「あ、あたりまえでしょ」
「あそこらへんシマにしている「静龍会」の事務所行って話つけてきた。これで安心だろ」
香は笑顔でうなずいた。
「ってことで、寝る」
僚はソファから立ち上がってリビングから出て行こうとする。
「ね、僚」
「なんだ?まだ文句あるのか?」
「違う。…あのね、なんで使わなかったの?使わないであたしに渡すの?」
香が封筒を手に持ちながら不安気に僚を見上げる。

(まぁこいつの言う通り、自分で使ってしまうのが自然だろう。だけれどあの兄妹の稼ぎからでたこの金をいつものように一夜で使いきるのは…抵抗があった)

だけれどいちいちそれを香に言うことでもない。

「使っちまったほうがよかったのか?」
からかうように問う。香は否定の首振りを力いっぱいした。
「だったらいいじゃねぇかよ。気まぐれだ」
「うん…」
「マジ、ねみぃ。一眠りさせてくれ」
そのまま、リビングを出て自室に向う。

「僚っ」
リビングの出入り口から香が覗き込んで声をかけてきた。
僚は顔だけ香の方にむけた。
「あのさ、今日の夕飯さ、外食しない?」
「あぁ?」
訝し気な声にも気づかないように香は続ける。
「『善しむら』行こうよ。あたし一度、そのお店行ってみたかったの。表からみてて」
なんか常連様だけって感じだったんだもん。
「それにさ、このお金もあるし…」

僚は香に気づかれないように苦笑いをした。
まったくお人好しなやつだ。あぁいうことでは素直に報酬はもらえない。だからといって返したら
僚が何もする気が無いようにおもえる。「静龍会」はもう何もしなくても、兄妹にしてみれば不安でたまらないだろう。
だから食事代金にかこつけてそれをすべて店に返そうと思ったんだろう。
人がいいにも程がある。

「金は天下の回りもんとはいうけどよぉ」
僚の小さな呟きは階段下の香には聞こえなかったようだ。

「…だめ?」
「……今日は片付けするから臨時休業だと」
「そっか…」
明らかに香の声はしょげていた。
「だから、間違って、明日の夕食作んなよ。おまぁはおっちょこちょいだからな…」
「うん」
見なくても笑顔の零れている顔だった。
僚は片手を軽く挙げて、部屋に入った。

デートを待っている、そんな嬉し気な表情がばれなくて、香は少しほっとしていた。


おわり。

あとがき
やーっと書けたよ、10万hitブツ。
これからもまったり更新だと思いますがよろしくお願いします。