「マンハッタンを歩く:特別編」
< NYを彫刻した男−「ロバート・モーゼズ」 >
−前書き−

「ニューヨーク市は今朝、深夜0時を1分過ぎた
ところで、人々の元へと返還されました。
(人々がNYを)保有することの、完全で、
平和的で、そして干渉されることの無い歓喜を、
防御し、守護し、そして導いていくことが、
まさに今からの私の責務であります。」


時は1934年。1929年から始まった大不況時代の真っ只中、民主党タマニー協会の「ジミー・ウォーカー」市長が、不正、腐敗に明け暮れ、使途不明公金が発覚し失脚したのち、改革派市民連合の後押しでNY市長に当選した、共和党「フィオレロ・ヘンリー・ラガーディア」(Fiorello Henry LaGuardia 1882-1947)が、その就任日に行った全米向けラジオ放送でのスピーチです。

ラジオ放送中のラガーディアそれ以降、タマニー協会の縁故政治が作り上げた腐敗したNY市政を上級公務員のクビを豪快に飛ばしながら改革し、マフィアなど犯罪組織と戦い、連邦予算をNY市に引っ張ってきて失業対策、福利厚生向上に全力を注ぎ、打ちひしがれたNY市民をド派手なパフォーマンスで勇気づけます。

「イタリア系」移民を父に「ユダヤ系」移民を母とする、「イディッシュ語」(東欧系ユダヤ人の言語)、「ドイツ語」、「フランス語」、そして「イタリア語」に堪能、人種の坩堝NYが産んだ「カラフル」な、身長5フィート2インチ(155センチ)の通称「小さな花 Little Flower」、ラガーディアは、現在では「最も偉大なるNY市長 Greatest Mayor of New York City」と讃えられています。

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12年の時が経ち、第二次世界大戦も終結した1945年の年末で、ラガーディアは3期勤めたNY市長を退任。
その翌年、そしてそれは彼が膵臓ガンで亡くなる前年の、ある日のランチタイムでのこと。
マンハッタンのダウンタウンでのレストランで。。。。

ラガーディアが、憂鬱そうに食事をしている店の隅のテーブルに、たまたま同じ店に食事に現れた彼の知人があいさつに来ました;「ご機嫌はいかがかな?」

  「NY市のことを考えていたんだ。。。モーゼズはあまりにも大きな権力を持ち過ぎた。」
    「でもその権力って君が彼に与えたんだよね?」

さらに悲しげになったラガーディアは答えました。
   「ああ、けど僕は彼をコントロール出来た。今後はもはや、誰にも彼をコントロール出来ないだろう。」

正確にはラガーディアもコントロール出来たとは言い切れません。
そしてこの会話の時には既に世を去っていた、アメリカ歴代大統領の中でも偉大な一人に数えられる
「フランクリン・D・ルーズベルト」さえも、彼をコントロール出来ていたとは言えませんでした。

「モーゼズ」 − ラガーディアのたっての招聘でNY市政改革に参加すると同時に、
市内の公園、橋、道路などの建設プロジェクトに、連邦予算を呼び込みながら手掛けていった
「豪腕」の男、「ロバート・モーゼズ」(Robert Moses)

彼はこの会話の後に、NYの建設関連部門を一手に握り、NY州、NY市の議会、銀行、建設会社、労働組合、そしてメディアから宗教界までも味方にし、NY州知事、NY市長もその前に屈する、巨大な権力を振るうことになります。
(2002/3/16)


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