(1936−37年:権力拡大に失敗)モーゼズの正式な権限範囲は、公園とそれに関連する「パークウェイ」、そして「トリボロ・ブリッジ公団」らの有料橋でしたが、1939−40年の「ニューヨーク万国博覧会」(World's Fair)の実行委員会にも参加、有効な助力、助言をし感謝されるなど、広範囲に活躍もしています。そして自身の実績として、マンハッタンの東西で二大プロジェクト完成を持ってして、モーゼズは「トンネル」 「公共住宅」の両部門に自分の権限拡張を試みますが、ラガーディアに拒否されます。 「トンネル部門」:1936年に「NY市トンネル公団」(New York City Tunnel Authority)が作られ、連邦政府予算5800万ドルで「クィーンズ・ミッドタウン・トンネル」を建設(1940開通)することになりました。 モーゼズはラガーディアに自薦しましたが却下され、実質上の責任者は「オーレ・シングスタッド」(Ole Singstad)という、「ホーランド・トンネル」(「トライベッカ散歩」ご参照)の、画期的な「トンネル内換気システム」を作り上げた、エンジニアの「天才」でした。 ちなみに、「オーランド・トンネル」(1927年)そして「リンカーントンネル」 (1937年)の管轄は、既に発足(1921年)している別公団「ポート・オーソリティ」(湾岸公団、でしょうか?)です。 「公共住宅部門」: 1937年の住宅法により、連邦予算から各州に低所得者層向け住宅、「公共住宅 Public Housing」の建築に低利融資が出る事になり、NY州議会では3億ドルを上限としました。 ラガーディアは自身が低所得者層出身であることもあって、自分主導で公共住宅を推進しようとします。モーゼズは民間有力者たちを集めて勝手に大会議を開き、それをラジオ中継させ自分のプランを既成事実化しようとしました。しかし中継マイクが壊れていた、というかラガーディアの隠密指示でわざと不通にされた(笑)といわれてますが、謀計は実らず。 ラガーディアは自らの手で、1941年までに13ヶ所17,000戸の公共住宅を作りました。 ラガーディアはいかに実績を出したとは言え、モーゼズの権力肥大化を恐れ始めたのでしょう。 一方その逆側の、モーゼズは考えました。 公園そしてマンハッタンの東西のプロジェクトを完成させた実績があるのに、権限が拡大できない。また彼の今までの業績は、アル・スミス、ラガーディアという、選挙当選という民意で裏付けられた、豪腕政治家のもとで達成することが出来たが、保護者ラガーディアでさえ自分の権限を制限する、ましてや首長が交代すれば、権限どころか地位も取り上げられる危険がある。 (仕事が出来るサラリーマンでも、出世できないのと似ているかなぁ?(苦笑)) アル・スミス元NY州知事のアパートに、モーゼズは暇を見つけては訪問していたそうです。恩人への慰問でもありますが、色々なアドバイスも受けていたようです。スミスの娘である、エミリーはアル・スミスが、モーゼズに、こう言っていたのが耳に入ってきたことを述べています。 「大衆の支持なんてものは、当てに出来ない。か細い葦のようなものだよ、か細い葦さ。」 モーゼズは、なにも答えなかったそうですが、エミリーにはモーゼズが権力を失わない自信に溢れていたように見受けられたそうです。その「自信」とは−「トリボロ・ブリッジ公団」への支配力強化でした。 (1937年:「トリボロ・ブリッジ公団」の完全支配)モーゼズは自分が管轄の、通行料により潤沢な剰余金が見込める「トリボロ・ブリッジ公団」の「準拠法」を書き換え、行政、選挙から独立した自身の権力基盤を築こうとします。特殊法人「トリボロ・ブリッジ公団」は、その通行料収入による借入金の返済終了時点で解散することになっていましたが、「他の目的」が在れば追加借入れを行うことが出来るようにしました。借入れ残高がある限り公団は無限に続くわけです。 「他の目的」とは「橋に接続する道路の建設」としましたが、NY市内の道であれば全部、最後は公団管轄の「橋」に至りますから、どんな道でも作る事が出来ますね。そしてその道に接する「公園」「施設」も権限に含めました。つまり、公団の橋、道路に隣接するものは何でも建設出来る。 そして「競争入札」不要、出入金や会計監査人も実質的に公団がすべてを決定出来るような条項を、修正法案の中に目立たぬようにばら撒いてひっそりと可決させました。 こうして後年の1941年には「ヘンリー・ハドソン・パークウェイ公団」を吸収することになる、「トリボロ・ブリッジ公団」は、競争入札不要など行政から独立した「私企業」という面と、通行料という「公企業」の独占収益を持つ、モーゼズの権力基盤となりました。 その力で再度「NYトンネル公団」を狙います。 (1938年「ブルックリン=バッテリー・ブリッジ」戦争)1938年、さすがにニューディール政策の連邦補助金も底が見えてきました。ここで公共投資を止めてしまうと再度NY市経済は底割れすると焦ったラガーディアは、「トリボロ・ブリッジ公団」の剰余金をモーゼズからせしめようとしました。 モーゼズは「トリボロ・ブリッジ公団」の権利、恩恵のため、という大義名分を振りかざし、条件を付けます。 それは学校建築などNY市の他予算配分を中止し、公共投資のほぼ全額を「道路」関連に注ぎ込み、そして建設中の「クィーンズ=ミッドタウン・トンネル」も含む「トンネル公団」の権限も「トリボロ・ブリッジ公団」が吸収することが、公団の恩恵の増大に繋がる、というもの。ラガーディアは苦渋の選択で、了承します。 「トンネル公団」には、「バッテリー・パーク」から「ブルックリン」までをトンネルで繋ぐ計画がありましたが、モーゼズはこれを「橋」に変更し、仮称「ブルックリン=バッテリー・ブリッジ」建設計画を立てました。その予定ルートは、右図の赤点線です。現在の、「自由の女神」行きフェリー切符売り場がある「キャッスル・クリントン」を含む、図中の緑の星印で位置を示した「バッテリー・パーク」は、ほぼ消滅することになります。 「バッテリー・パーク」−古くはイギリス植民地時代からの歴史を持ち、歴代の戦士たちが駐屯した場所。 「キャッスル・クリントン」−1812年の対英戦争前にに作られた防衛要塞(結局未使用)であり、1823年からNY市が管理、レストランなどがあった時代を経て、1840年代からはオペラ劇場。 1855年から1890年の間、「エリス島」に交代するまでは、約800万人が入国した「移民事務所」。 1896年からは「無料水族館」として再利用され、家族連れで賑わっていました。 そしてNY、そしてアメリカ市発祥の地であるマンハッタン南端は、船着き場は全て廃止され、空中にそびえた巨大な橋の影に覆われ景観は悪化する。 モーゼズが「橋」に変更した公的な理由は、トンネルと比して予算が半分で済むということでしたが、「改革派」市民連合はモーゼズの影響の無いエンジニアたちに別途分析させ、その予算見積もりは低めに間違えていると判断しました。 Caro著「The Power Broker」では、トンネルだと人々の目に入らない、「ブルックリン・ブリッジ」を超える「世界で最も美しく巨大な橋」を、モーゼズが個人的に架けたかったから、としています。 しかしfujiyanはそれに加えて、「トリボロ」そして「ヘンリー・ハドソン」両橋による、財政的なものも含む巨大な彼の成功体験と、「トンネル」と比すれば「橋」は建設期間が短いので、いち早く通行料による資金回収が始まるということもあろうと、モーゼズを少しだけ擁護する次第です。 そもそもこの「改革派」市民連合は、ウォーカー市長の失脚後、モーゼズをNY市長選候補に担ぎ出そうとしたことがあります。結局、アル・スミスつまり「タマニー協会」に近いという一部の反対論であきらめ、代わりにラガーディアを推した次第。その後もモーゼズの公園、道路建設推進の支持者集団でした。 しかし、「トンネル」よりも費用がかかる「橋」で、景観そして歴史ある「バッテリー・パーク」は破壊され、また橋の陰になった不動産は時価が値下がりしNY市の「固定資産税」収入が減少(20年での推定金額2900万ドル)するのは馬鹿げているとして、改革派市民たちは初めてモーゼズに反対します。 新聞などの投書から始まって、地域集会などによりモーゼズの試みをくじこうとしました。 そして最終局面は市議会での、「モーゼズ派」対「改革派」市民連合の論戦。 「改革派」は具体的データをあげて「橋」と「トンネル」の予算見積もりの再検討を訴えますが、モーゼズは、それまで自分を支持してくれてた「改革派」市民連合を「共産主義者」、その長老を「墓から出てきたミイラ」と攻撃しつつ、データに反証はせず、とにかく自分に間違いは無いので建設賛成を今すぐしろ、さもなければNY市には何も残らない、つまり「トリボロ・ブリッジ公団」は金を出さない、と市議会を脅します。 屈した市議会は賛成し、モーゼズが手を回したNY州議会では、反対は一人だけの賛成多数。 ちなみに「The Power Broker」では、反対の意見を述べた州議員が着席するとモーゼズのメッセンジャーと思われる人間がその議員に近寄り、議員はしばらく議場を退席、その後議場に戻ってくると、モーゼズ案への賛成派に様変わりしている、という州議会の様子を描いています。 そしてラガーディア市長、リーマン州知事も、議会が圧倒的多数で決めたことなのでサインせざるを得ない。 「改革派」市民連合は、橋の建設はもはや止めることは出来ないと、大ピンチ。 その時、長老が思いつきました。−「エレアノアに電話しよう。」 --- 「My Day」と題された、全米の新聞に配信された、ある女性の人気連載コラムの末尾に、話題がいきなり変わってこう掲載されました。 「…マンハッタン島、特にバッテリー公園への海からのアプローチが好きな人からお願いがありました。…疑いも無く効率的な、NYの公務員が大きな橋を提言…数少ない美しい場所をそのままに、という考慮の余地は無いのかしら?」 書き手の女性は、女性・黒人差別反対の「人権運動家」であり、その聡明さを全米に愛され、後に国際連合「人権宣言」(1948年)起草責任者となる、「エレアノア・ルーズベルト」(Eleanor Roosevelt 1884-1962)でした。 こうして「ブルックリン=バッテリー・ブリッジ戦争」は全米の耳目を集めます。 そしてエレアノアの夫であり、モーゼズの宿敵が再登場します。 ‐ 「フランクリン・D・ルーズベルト」。 しかし今度は、「大統領」としての登場ではありません。 アメリカ大統領が、憲法上兼務する規定になっている、「コマンダー・イン・チーフ(Commander-in-Chief)」、 すなわち、「軍最高司令官」、としての再登場。 (1939年:第二次「ルーズベルト大統領との戦い」)この橋は、最後にもう一つ「承認」を得ることになっていました。それは「軍部」の承認。 巨大建造物は防衛を考慮した軍の承認が必要でしたが、通常これは形式的なもので、モーゼズは軍部から内々に好感触を得ていました。数ヶ月待たされた後に出た結論は、「ブルックリン海軍工場から海への出口にあたり、戦時に破壊された場合に海軍の動きに支障があるので認可出来ない。」というもの。図中の青の星印にある「海軍工場」から海へは、既に(番号1)の「ブルックリン・ブリッジ」、そして(番号2)の「マンハッタン・ブリッジ」の両橋が存在していて、もう一つ橋を作っても大差は無い。また「吊り橋」の場合、倒壊して海を塞ぐにはキー・ロープ破壊が必須だそうですが、空爆ではそれは「万に一つ」。 モーゼズは、1935年の「秘密大統領令」時と同じく、「ルーズベルトの不当な圧力」とマスコミにリーク。しかし「軍最高司令官」は「軍部現場の意見を尊重したい」と、あくまでも「介入」したことが無いという「姿勢」。 ルーズベルトが介入したという状況証拠をCaro著「The Power Broker」は幾つかあげていますがその一つとして、ブリッジ案反対派長老から大統領への請願書の末尾に、「・・・熟慮願いたい−大統領、そして軍最高司令官として。」と、通常ですと不必要とも思える「軍最高司令官」と付け加えられていたことに着目し、いわゆる「隠されたメッセージ」にルーズベルトが気がついたのだろうと推測しています。 なんにせよ、モーゼズが怒りまくろうとも、「橋」は却下。 またラガーディア市長が、駄目でもともと、と申請していた連邦補助金が認可され、「トリボロ公団」の資金が不要となり、モーゼズが狙っていた「トンネル公団」吸収計画が中止。 「橋」から「トンネル」へと元に戻った計画に基づき、1940年10月から建設が開始され、「ホーランド」そして「クィーンズ−ミッドタウン」の両トンネルを完成させたエンジニアの天才、「オーレ・シングスタッド」(Ole Singstad)が実質上の責任者となりました。 後日談があります。 「U公園」中の、「セントラル・パーク・カジノ」取壊しでご案内した「公園局責任者」全権を用いてモーゼズは、反対派が守ろうとした、「キャッスル・クリントン」とその中にある無料水族館の取壊しを行おうとします。表向きの理由は「老朽化」ですが、単なる意趣返しと推定されています(苦笑)。 改革派市民たちは連邦政府に「国定記念物」指定を働きかけ1946年8月26日に認可を得ましたが、それまで上の写真のようであった「キャッスル・クリントン」は、内部の無料水族館と1840年代に取り付けられた屋根が取壊され城壁だけが残り、ある程度は改修したものの、上空からみると右の写真、近影ではこの姿へと至っています。(1946年:「トンネル公団」入手)しかしモーゼズは「NYトンネル公団」をあきらめませんでした。第二次世界大戦が開始(1941)されると、鉱物資源などは軍事優先となり、大型公共工事はNYに限らず実質的に中断しました。その間に、トンネル公団の財政悪化破綻説をラガーディアに吹き込み続け、それを「トリボロ・ブリッジ・アンド・トンネル公団」として合併、吸収(1946年)することに成功。 そしてトンネル公団の技術責任者オーレ・シングスタッド(Ole Singstad 1882−1969)を解任。 才能がありすぎて、モーゼズには邪魔だったのでしょう。1927年開通の「ホーランド・トンネル」で画期的な換気システムを開発し、「クィーンズ=ミッドランド・トンネル」を1940年開通させたこの天才エンジニアはその後、他地域の建設の仕事を続けていきましたが、NYでの建設に携わることは、モーゼズあるいはモーゼズを憚る人々に妨げられ、二度とありませんでした。 「クィーンズ=ミッドタウン・トンネル」を手に入れたモーゼズのもとで、「バッテリー=ブルックリン・トンネル」は1950年開通。両トンネルは、ともに十分な通行料を得ており破綻する気配はまったくありませんで、公団の収入の約3分の1を占めることになりました。 (まったくの蛇足ながら。バッテリー−ブルックリン・トンネルの換気設備の建物の一つが、映画「メン・イン・ブラック」の本部という設定ですね。) さてモーゼズに権力拡大の絶好のチャンスが訪れます−それは「ラガーディア市長勇退」。 そして三代のNY市長のもと、彼はNY市の建設部門を完全に「支配」することになります。 |
| (2003/5/10) |
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| −V川 岸− | −X支 配− |
