2005年5月
     なんでここに線を・・・(なんか第3章に入った?ような)
2005年より総監督が須藤コーチから
篠原コーチに変わる
2005/03/12グランドフィナーレより
井藤コーチ休部(伝説のコーチ?)
2004/03/20・27グランドフィナーレ
クラブは保護者の方々によって運営されていることに変わりはなく組織を見直すことになる 
むかし あるところに 4人の仲良しお母さんが おりましたとさ・・・
この物語は、お母さんたちのクラブ設立奮戦記です。

おかあさんたちは、子供たちといっしょに何かサークル活動ができないかと考えました。
そしてなんと 1994年5月、4人のお母さんがサッカークラブをつくりあげたのでした。
クラブの名前は”中小岩少年サッカークラブ”
部員22名でのスタートです
はじめはルールも技術も戦術も親子で勉強し、大会に出場することになるのです
お母さんたちの熱意
少年サーカークラブが生まれたのです
お母さんもシュート練習

1995年には4名のお父さんが4級審判の講習を受け
江戸川区よりコミュニティスポーツリーダーを派遣して頂くことになる
クラブ代表は、鷲尾恵信さん(現在も北小岩にお住まいです)
1学年11人を目標にメンバーを
増やすことを積極的に行う

1996年には1・2年生の部員の募集も始めました
1・2年生は父親がコーチで別メニューでした
新たに4人のお父さんが4級審判の資格を取得しました。

9月には初めて区長杯に5年生が出場、父親も初めての公式戦審判を行う

1997年
親子サッカー
夏のお祭り(御輿をかつぐ)
クリスマス会
地域のイベントに
積極的に参加していました。

代表は岡部重雄さんになりました

1998年
設立時のメンバーが卒業生し

   さてこのへんで、第1章の終了です。(なに?みじかい?)まとめるの大変なんです

1999年
1月より、平井コーチが低学年を担当
今までお世話になった、鈴木コーチ 中島コーチから コーチ陣が変わることになる。
アレ?この写真に紫と白のたてじまユニフォームではなく
赤いユニフォームが・・・
これまで1〜6年までいっしょに練習してた(ブラジル体操などを取り入れ、
高学年が低学年を指導し自主的に準備をしていました)
2002年
クラブ名をFC Esblanco(エスブランコサッカークラブ)改名する
 FIFAワールドカップ(KoreaJapan)のあった年
4月から幼稚園(年長)も始まり)急激に部員が増える
篠原コーチが本格的にコーチ陣に加わり、秋には新しく本郷コーチが入り、
コーチ8名、部員120名

2000年
4月(非常に元気な)新1年生15人が入部し、井藤コーチが担当
高橋キーパーコーチがこの頃から参加
9月にはミニゴール購入
2001年
新入部員は20名を超え、田中コーチが新1年生担当
総部員数80名、コーチは(出口コーチを加え)6名体制となる

       
2003年
ホームページ開設

     さてこのへんで、(なに?第1章よりみじかい?)もうチョッと待っててぇ〜よ(1/18)
この頃の資料がないかと
倉庫をゴソゴソしていたら
こんなに
いろいろでてきました
部員は35人この頃から、
高 中 低学年に分けた練習をするようになり、12月須藤コーチと出会う。
2003/03/29
田中コーチ卒業
2003/03/29ファイナルステージ