「悲愴の謎」は闇の中

昔、『違いが判る男のゴールドブレンド』のCMに岩城宏之が出演していた。

   
  カメラは PPPで始まるクラリネットのあの有名なソロを
  アップで映し出し、その手前には少しピントのずれた
  バスクラリネット奏者が映っている。クラリネットから
  受け継ぎPPPPPPで4つの下降音形の8分音符を奏する
  と、大きなギロチンでも落ちたようなffで静寂は断ち
  切られ汗を飛び散らし指揮をする岩城さんにアングルが
  移る。
  すると例の♪ンボボボボボボンボボボン〜♪とゴールド
  ブレンドのテーマがフェイドインで流れ始め暖炉の傍で
  コーヒーカップを片手にくつろぐ岩城さんの姿に画面が変わり・・。(1975年頃)

このCMでチャイコフスキーの『悲愴交響曲』を知った方は間違いなく
この作品にはバスクラリネットが指定されていると信じて疑わないでしょう。
そして今でもそう思っている方も多いかもしれません。
じつは楽譜にはどこをどう探してもバスクラリネットは登場しません。
本来はクラリネットのお隣にいるバスーンがあのPPPPPPを吹くのです。

ではいつからバスクラリネットで代用するような習慣ができたのでしょうか?
私のライブラリーで最も古い録音は1937年のメンゲルベルグ指揮
アムステルダムコンセルトヘボウの演奏ですが、これでもバスクラリネット
でした。以降カラヤン、デュトワ、円光寺雅彦いずれもバスクラリネットです。
いろいろ文献も当たってみましたが、残念ながら最初にバスクラリネットに
代えられた経緯は判りません。

ではなぜそうなったのかを考えてみましょう。

 ♪バスーンという楽器はそもそも小さい音を出すのが苦手で
  PPPPPPなんてとんでもないので、音量にどうしてもこだわった
  指揮者が指示をした。

 ♪さまざまな録音を聴いてみると確かにクラリネットから
  バスクラリネットの方が音色も変化せずに自然な流れで
  消え入ることができる。

このあたりが推理としては落ち着くところです。
ではチャイコフスキーはなぜこれをバスクラリネットにしなかったか?
という疑問は残ります。
当時すでにバレエなどではバスクラリネットを使って効果的な
オーケストレーションをしていたチャイコフスキーのこと、バスーンより
バスクラリネットの方が良いことは気が付いてもいいような気がします。
単に当時のオーケストラがどこでもバスクラリネットを持っているわけでも
ないというような事情があったからでしょうか?それとも4つの音だけで
バスクラリネット奏者に給料を払うわけにはいかないなんて要請があったの
でしょうか?それも今となっては闇の中。

この作品はチャイコフスキーの遺作となりました。本人の指揮で
初演された5日後にはコレラを患い、その2週間後には他界して
しまっては、『バスーンをバスクラリネットに』という余裕も無かった
ということにしておきましょうか?

(2004年3月)

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