須磨寺宝物殿

平敦盛の悲劇と青葉の笛が

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 瀬戸内海に面した神戸市・須磨は風光明美の地として知られる。現代でもここには多くの公園がある。その一つ離宮公園には噴水とカスケード、野外彫刻などがあり、そこからは瀬戸内海の美しい風景が眺望できる。

 当地は古来、月の名所として知られ、古典文学の舞台となった。その一角にある通称、須磨寺は正式には福祥寺というが、886年の開基で、源平の合戦当時でもすでに開基後300年の古刹だった。

 木曾義仲を備中水島で破り勢いを盛り返した平家は、現在の神戸市一帯を前進拠点として再上洛を目指していた。神戸は平清盛が輪田の泊や福原の都を造営して平家にとって思い出の深い土地だった。

 神戸の旧市街地は北側を六甲山脈に、南側を瀬戸内海に挟まれた東西に細長い地形で、特に西方の須磨は山が海に迫る狭あい部になっている。ここは昔から東西交通の要衝で、百人一首で名高い須磨の関が設けられていた。

 これを追討しようとする源氏は東方から迫り、1184年、両軍は市内東部で激突した。世にいう一の谷合戦である。平家は防備の固い須磨に本拠を置き、安徳天皇の安在所や平家の一門の住居をそこに置き、東方へ主力を布陣して源氏方主力と対峙していた。

 源氏方の別働隊・義経軍は北側山岳地帯を迂回し、須磨・一の谷の本拠へ背後の山上から攻め下った。それは奇襲隊の行動であり、そこに至る経路は必ずしも明確ではない。背後を突かれた平家方は一挙に崩れ、一門は須磨の浦から軍船へ緊急避難した。それに遅れた平敦盛(あつもり)は馬を泳がせて沖へ向かおうとしていた。

 そこを呼び止めたのが源氏方の熊谷次郎直実だった。一騎打ちとなって打たれた敦盛の遺品は、直実によって須磨寺に納められた。須磨寺には「須磨寺宝物殿」が併設されている。規模はささやかだが、青葉の笛や平家方の遺品など、800年以上前の貴重な品々を収蔵している。

 敦盛が身に付けていた青葉の笛は平家物語や小学唱歌の題材となって有名だが、その正式名は小枝(さえだ)の笛といい、敦盛遺品の二本の太い方だ。この笛は彼の祖父・平忠盛(清盛の父)が鳥羽院から拝領した名笛だった。また細い方は高麗笛(こまぶえ)である。

 境内には敦盛の首塚も残り、芭蕉・蕪村・子規などの句碑もある。「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇 芭蕉」、「笛の音に波もより来る須磨の秋 蕪村」。なお一の谷合戦で討ち死にした平忠度(ただのり)は、その時「行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵のあるじならまし」という和歌を身に付けていた。芭蕉の句はそれも意識したのだろうか。

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(作成日: 00/06/27、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

須磨寺宝物殿_神戸市須磨区須磨寺町 4-6-8 須磨寺山内_TEL 078-731-0416代 _

a)山陽電鉄須磨寺駅から0.6km(NW 0.6km)徒歩 8分、

b)JR山陽本線(神戸線)須磨駅北口からは徒歩15分、タクシーあり_

無料駐車場は30台あるが、利用時間は寺の開門時間内_小_大人_

寺の開門時間は8:30-17:0069月は8:30-18;00(ただし宝物殿の開館は前後30分ほど短いようだ。)_

年中無休_{17/03/13}